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150407 一応、二月堂の建物の説明を、ウィキペディアから引用させていただきます。 ・・・建物は東大寺大仏殿東方の丘陵地、東が高く西が低い傾斜地に、西を正面として建てられている。二月堂は、治承4年(1180年)の平重衡の兵火では焼失をまぬがれ、奈良時代の建物が近世まで存続していたが、寛文7年(1667年)、修二会の最中に失火で焼失。現存する二月堂はそれから1年足らず後の寛文9年(1669年)に将軍徳川家綱の援助で再建されたものである。江戸時代の建築とはいえ、その内部構成等は、後述のように、従来の形式を踏襲している。江戸幕府の援助によって建てられた、近世仏堂の代表作であるとともに、長い伝統と多くの謎を含んだ「お水取り」行事の場という目的に特化した特異な建築として高く評価され、平成17年(2005年)12月27日付けで国宝に指定されている。 平面規模は正面7間、奥行10間で、寄棟造、妻入り、本瓦葺きとする。なお、ここでいう「間」は長さの単位ではなく、柱間の数を表す社寺建築用語である(以下の説明文中においても同様)。寄棟屋根の三角形の妻を正面に向け、最前列の1間通りは吹き放ちの舞台とし、高欄を設ける。お水取りの松明を突き出すのはここからである。建物は傾斜地に前半部分がせり出すように建てられ、床下に組んだ柱で建物を支える懸造(かけづくり)である。こうした懸造は清水寺、石山寺、長谷寺などの観音を本尊とする寺の本堂にみられ、観音が南海の補陀洛山に住むという経典の所説に基づくものである。・・・ 説明はこのあとも続いていますが、とりあえず引用はこのくらいにしておきます。 一番上の写真は、舞台の写真で二月堂正面になります。 二番目の写真は、舞台上からの写真で、左端の三月堂から始り、四月堂、開山堂、仏餉屋、その手前に閼伽井屋、良弁杉、食堂などが見えています。また、開山堂の上の方には頭の切れた大仏殿が見えています。画像の右下にカーソルを合わせると虫眼鏡+のマークが出ますから、クリックしていただくと、画像が拡大します。 下の写真も、舞台の上からの写真ですが、2枚目の写真の左半分と被ります。 左端の四月堂は、別名「三昧堂」ともよばれ四月に「法華三昧」の行が行われることからの名前です。室町時代の建物で、ご本尊は千手観音像です。その隣は開山堂です。 |
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2015年12月03日
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