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150408 金堂の拝観を終えて、金堂の東側の出口から出て来たところです。五重塔と金堂の中間から、北側に向かって東の方から3枚写真を撮りました。 上の写真が東側で、回廊と鐘楼。下の中段の写真が、大講堂。一番下の写真が、経蔵と回廊です。 境内は、中門から大講堂まで真っ直ぐ石畳の参道が続き、金堂の西側の扉と五重塔の東側の扉のからも、参道へ向かって石畳が敷いてあります。金堂について言えば、東側の扉からも真っ直ぐ東回廊へ向かって石畳の道が敷かれています。 金堂の扉からの道が参道に突き当たるあたりから、大講堂までのちょうど中間あたりに、徳川綱吉の母である桂昌院から寄進された灯籠が立っています。 何遍も書いてきたことなので、気がつかれた方も居るかも知れませんが、3枚の写真とも本来であれば北回廊が写っている情景です。創建当初は、この3枚の写真にある建物は、すべて回廊の外にあったわけですから。 この写真を見ていて、思うことがあります。 このお寺にとって、参拝すべき場所は、五重塔と金堂の筈です。現にお寺のご本尊は金堂に安置されていますし、仏舎利は五重塔に納められています。 それでは、参道は当然、五重塔の正面と金堂の正面に向かわなければならないと思います。 実際には、石畳は五重塔や金堂の正面には、向かって居らず、なぜか別の扉に向かって敷かれています。 代わりに、五重塔と金堂の正面には礼拝石と称する巨大な石が、埋め込まれています。礼拝石については、次回に書こうと思いますので今は書きませんが、灯籠についても主である筈の金堂の前ではなくて、金堂も五重塔も通り過ぎた場所に据えられています。大講堂の灯籠なのでしょうね。 どうも回廊を曲げて、鐘楼や経蔵、それに大講堂を取り込んでしまったのは、単純に使い勝手が良いと言うことではないように思えます。 |
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2016年02月16日
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