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150408
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 法隆寺の大宝蔵院へ向う途中です。上の写真は、綱封蔵の隣にある細殿と食堂です。
 左が食堂で、右が細殿です。地味な建物ですが、食堂は国宝。柱と屋根しかない細殿でも重要文化財です。
 何遍も、こちらは来ていますが、この二つの建物は垣根越しに見るだけで、中へ入ることはおろか、側で見ることすらもかないませんでしたが、この日は4月8日の花祭り。食堂の中で法要があって、中で誕生仏に甘茶を掛けてお参り出来ると言うではありませんか。
 と言うわけで、こちらの説明は、後日と云うことで・・・。

 大宝蔵院の近くから見えるものは、その他にも中段の写真の上御堂や一番下の写真の東室と妻室などがあります。
 上御堂は、大講堂の北側の丘陵の上に建ち、天武天皇の皇子の舎人親王の発願によって建立され、鎌倉時代に再建された建物です。

 大講堂の奥の建物のため、境内でも目にすることのできる場所が少ない建物です。

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 下の写真は、大宝蔵院の入り口付近から撮ったもので、五重塔や金堂の屋根の手前に東室の大きな屋根と妻室の小さな屋根が並んで見えています。多分創建当時もこの眺めは変らなかったのではないかと思います。
 そう考えて見れば、貴重な風景ではあります。

 東室は、二間ごとに一房として区切られ、イメージ的には、大学のゼミの研究室を想像すれば良いのでしょうか。ただし、こちらは研究ばかりではなく、教える僧も教えられる僧も一緒に暮らしていたようですから、結構大変だったのではないかと思います。
 一房に一緒に暮らすのは、8人くらいだったそうですが房の主が坊主の語源だとか。

 ところで、東室は大坊と言われ、学僧や教授僧のための建物ですが、大坊には小子房が付属して一組となります。
 小子房は、学僧や教授僧の世話をする従者や若い寺僧などが住んでいました。妻室が小子房に当たりますが、こちらの方は小子房として使われていた当時と随分と様子が変ってしまったようです。 
 時代が進むと僧侶の住まいは、塔頭や子院に移って、僧坊は造られなくなったり、聖霊院や、三経院のように改築されたりしていきました。

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