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2016年02月

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 上の写真は、食堂に隣接する細殿から撮った写真です。南側の入り口まで、写っているのですが、ご覧の通り散った桜の花びらが敷き詰められたようになっていて、まことに花祭りの情景にふさわしい眺めでした。晴れていれば、もっと良かったのですが。

 細殿は、不思議な建物です。建物の東西だけに柱があって、南北は柱だけの吹き曝しです。かまどがあって火を使う調理をしたのかとも思いましたが、かまどがあったのであれば、痕跡くらい残っていて、それなりの説明がありそうです。判らないのでしょう。

 上の写真で中央に見えている柵より手前は、普段入れない場所で、私も何度も法隆寺は来ていますが、この区域に入れてもらえたのは、初めてです。

 そうすると、いつも西側からしか見ていなかった綱封蔵も、東側から、柵無しで見られます。だからどうした。と言われそうですが、写真を撮る時には、余計なものはない方が良いのです。

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 綱封蔵の、左右の蔵の空間越しに、向こうの建物が見えるのって新鮮な感じがしませんか。
 ところで、高床式のこの蔵の間の空間って荷物の出し入れするときは、荷車を柱の間に入れて、板を柱に渡して直接荷車の真上で荷物を出し入れしたのではないかと、ふと思いましたが、やはりはしごを使うのでしょうね。

 下の写真は、敷地の出口からの、細殿と食堂です。先ほども書きましたように細殿は、東西の壁以外は柱ばかりですから、うっかりすると食堂の壁か細殿の壁のように見えて、二つの建物が一体化して見えます。

 それにしても、今回は吉野行きと法隆寺拝観の日にちを天候のせいで入れ替えたために、悪天候には違いないのですが、今まで入ったことのない場所に入れて貰って、誕生仏をお参り出来たのはある意味幸運でした。

 雨も悪くない等とは、とても言う気にはなりませんが、これはこれで、ありがたい出会いでした。

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 拝観の順番としては、大宝蔵院に入館して、玉虫厨子やら、百済観音像などを拝観させていただきました。何度来ても、何度見ても、こちらに展示や安置してある仏様やその他のものは、素晴らしく、毎回その都度感動させられます。

 ただ、館内は撮禁ですので、当然のことながら一枚も写真は有りません。加えて、今回は雨模様の天候で、野外からの写真もぐっと少なくなっています。

 そこで、大宝蔵院の拝観の説明はスルーしてを、来た時とは別の食堂の東側を通る参道を南へ戻ります。

 ところで、この日は4月8日で、俗に言う花祭り。お釈迦様の誕生日です。正式には、仏生会といい、お寺の公式ホームページに説明がありましたので、引用させていただきます。

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・・・仏生会     4月8日(午前10時) <食堂> (参拝可)

「灌仏会」「浴仏会」ともよばれるこの行事は、「涅槃会」「成道会」とともにお釈迦さまの遺徳を讚える三大会です。食堂の中央に釈迦誕生仏を安置し、その像に甘茶をそそぐ行事が行われます。日本では推古天皇14年(606)に始まったとされていますが、法隆寺では聖徳太子信仰が盛りあがりを見せる平安時代中期、元永2年(1119)に大講堂で始められました。・・・

 一番上の写真は、まさに法要が終了して、食堂からお坊様が引き上げて行かれるところです。普段は、手前の柵から向こうは入れませんが、この日は中へ入って、柱と屋根だけの細殿とその北側にある食堂を中に入って、誕生仏に甘茶を掛けてお参りをしてきました。実は生まれて初めての経験でした。

 食堂は奈良時代の建物で、ご本尊は薬師如来座像。細殿は鎌倉時代の再建された建物です。細殿の用途については、良く判っていないとの事ですが、食堂とセットの建物で双堂形式と呼ばれていますから、食事や調理に関係する用途であることは、間違いないと思います。

 2枚目の写真は、細殿から食堂を撮った物。下の写真は細殿の中を撮りました。

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 法隆寺の大宝蔵院へ向う途中です。上の写真は、綱封蔵の隣にある細殿と食堂です。
 左が食堂で、右が細殿です。地味な建物ですが、食堂は国宝。柱と屋根しかない細殿でも重要文化財です。
 何遍も、こちらは来ていますが、この二つの建物は垣根越しに見るだけで、中へ入ることはおろか、側で見ることすらもかないませんでしたが、この日は4月8日の花祭り。食堂の中で法要があって、中で誕生仏に甘茶を掛けてお参り出来ると言うではありませんか。
 と言うわけで、こちらの説明は、後日と云うことで・・・。

 大宝蔵院の近くから見えるものは、その他にも中段の写真の上御堂や一番下の写真の東室と妻室などがあります。
 上御堂は、大講堂の北側の丘陵の上に建ち、天武天皇の皇子の舎人親王の発願によって建立され、鎌倉時代に再建された建物です。

 大講堂の奥の建物のため、境内でも目にすることのできる場所が少ない建物です。

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 下の写真は、大宝蔵院の入り口付近から撮ったもので、五重塔や金堂の屋根の手前に東室の大きな屋根と妻室の小さな屋根が並んで見えています。多分創建当時もこの眺めは変らなかったのではないかと思います。
 そう考えて見れば、貴重な風景ではあります。

 東室は、二間ごとに一房として区切られ、イメージ的には、大学のゼミの研究室を想像すれば良いのでしょうか。ただし、こちらは研究ばかりではなく、教える僧も教えられる僧も一緒に暮らしていたようですから、結構大変だったのではないかと思います。
 一房に一緒に暮らすのは、8人くらいだったそうですが房の主が坊主の語源だとか。

 ところで、東室は大坊と言われ、学僧や教授僧のための建物ですが、大坊には小子房が付属して一組となります。
 小子房は、学僧や教授僧の世話をする従者や若い寺僧などが住んでいました。妻室が小子房に当たりますが、こちらの方は小子房として使われていた当時と随分と様子が変ってしまったようです。 
 時代が進むと僧侶の住まいは、塔頭や子院に移って、僧坊は造られなくなったり、聖霊院や、三経院のように改築されたりしていきました。

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 法隆寺の西院伽藍の東回廊に平行して、僧坊である東室があります。東室は、西回廊の西側にあった僧坊の西室と対になるように建てられています。もっとも現在では、西室は西廻廊より少し離れたところにありますが。

 東室の南側は、聖徳太子を祀った聖霊院に改築されています。東室の東側には妻室が建てられており、次の拝観場所である大宝蔵院へ行くには、妻室の東側にある馬屋と倉庫の遺構である綱封蔵の間の道を北へ向います。

 いきなり、馬屋が出てきたので驚かれた方も居るかも知れませんが、聖徳太子伝説の一つである聖徳太子の愛馬「甲斐の黒駒」と太子の舎人の「調使麻呂」の像が納められています。
 伝説に依れば、この馬は空を飛び信濃と都を3日で往復したとか。

 ただ、この馬屋、地味な上に格子に金網が張られ、気が付かずに通りすぎていく人も多し。です。

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 一番上の写真が、馬屋とその右側の綱封蔵です。中段の2枚目の写真は馬屋の写真ですが、格子と金網のため、黒駒や調使麿は判りますでしょうか。

 下は、綱封蔵の写真ですが、お寺のホームページからの引用です。

・・・寺宝を保管するための蔵です。この蔵は「双倉」といわれる奈良時代の代表的な建物であります。かつて法隆寺には、このような倉が三十三棟も建ち並んでいたといわれています。・・・

 相変わらずざっくりとした解説です。
 向かい合わせに建てた蔵に一体の大屋根を掛けた形ですが、蔵の収納物の出し入れは、中央の屋根の掛かった場所へ一旦出すことになるので、風雨が、蔵の中へ吹き込みにくいと言われています。

 天平時代の蔵と言えば、校倉造りの蔵が一般的ですが、この蔵は珍しい漆喰壁です。さすがに漆喰だけでは不安だったと見えて、内壁は、板壁で覆われて居るそうです。

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 法隆寺の西院伽藍の拝観を終えると、南回廊の東端にある退出口から退出します。

 出ると直ぐ目の前の東側に鏡池があります。
 池の畔には、正岡子規の「柿くへば、鐘が鳴るなり法隆寺」の歌碑が立っています。この句には「法隆寺の茶店に憩ひて」と前書きがあり、それが事実であれば、参拝を終えて茶店で名物の柿にかぶりついていると、夕暮れの鐘が聞こえて来ました。という情景になるのですが、異論もあってそこら辺をウィキペディアから引用させていただきます。

・・・奈良の宿先で下女の持ってきた御所柿を食べているとき、折から初夜を告げる東大寺の釣鐘の音が響いたことを記している。しかしこのときは「長き夜や初夜の鐘撞く東大寺」として柿の句にはせず、翌日訪ねた法隆寺に柿を配した。ただし子規が法隆寺を参詣した当日は雨天であったため、この句は実際の出来事を詠んだものではなく、法隆寺に関するいわばフィクションの句であると考えられる。なお当時の子規の病状などから考えて、実際に法隆寺を参詣したこと自体を疑問視する意見もある。・・・

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 鏡池の畔にあったこの句の茶屋は、大正3年(1914年)に解体撤去され、その後、大正5年(1916年)に句碑が立てられました。

 鏡池の北側、西院伽藍の東側には僧坊である東室と、その南側を改築した聖霊院があります。お寺の公式ホームページからの引用です。

・・・鎌倉時代に聖徳太子信仰の高揚にともなって、聖徳太子の尊像(平安末期)を安置するために、東室の南端部を改造したのがこの聖霊院です。内部には3つの厨子があり、中央の厨子には法隆寺のご本尊でもある聖徳太子45歳の像、左の厨子には太子の長子・山背大兄王や兄弟皇子の殖栗王の像、右の厨子には太子の兄弟皇子・卒末呂王や高句麗僧・恵慈法師の像(いずれも国宝)が祀られ、秘仏として毎年3月22日のお会式(御命日法要)の時にご開帳されます。・・・

 中段と下の写真は聖霊院です。
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