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150409 吉野山は、今更書くのも何ですが、古くから桜の名所として知られ、かって太閤秀吉が大規模な花見を催したこともありました。ウィキペディアからの引用です。 ・・・吉野山は平安時代頃から桜が植え続けられてきた。 特に桜が数多く集まる所があり、いずれも一目千本と呼ばれ山下の北から山上の南へと順に下千本・中千本・上千本・奥千本と呼ばれている。 植えられている桜の種類は、ほとんどが白山桜(シロヤマザクラ)であり、その数は約3万本にも及ぶという。 これらの桜は、4月初旬から末にかけて、山下の下千本から順に山上へと開花してゆく。この時期の吉野山は花見客で大変、賑わう。 ・下千本 - 近鉄吉野駅から山上へ上がる七曲坂周辺にあたる。 ・中千本 - 五郎兵衛茶屋から如意輪寺にかけての一帯。 ・上千本 – 火の見櫓から花矢倉にかけての坂周辺にあたる。 ・奥千本 - 吉野水分神社から金峯神社にかけて。また苔清水、西行庵付近。 かつては高城山から金峯神社にかけても数多くの桜樹があり名所であったというが、現在は杉桧が繁っている。・・・ 写真は、今回は、花矢倉からの景色です。 花矢倉は、源義経の忠臣 佐藤忠信奮戦の地で、浦野英孝氏のホームページ「奈良観光」から引用させていただきます。 ・・・ 横川覚範の「首塚」から少し上がると「花矢倉」で 源義経の身代りとなって主従を落ち延びさせる為に、佐藤忠信が一人で踏みとどまり、追いすがる敵を切り防いだ古戦場です。忠信は小高いこの丘に上がって、攻め寄せる僧兵、中でも妙覚院の豪僧、横川の覚範に向かって、矢を雨霰と浴びせかけ、深い雪中で血刀をふるって戦い、みごと覚範の首を取りました。なお、忠信は奥州信夫(しのぶ、福島市)の庄司、佐藤元治の子で、義経が金売吉次に伴われて平泉(岩手県)の藤原秀衡の元に身を寄せた時、兄の継信と共に義経の家来になった侍で、弁慶と並んで義経の片腕として、大いに活躍し、ここから京都へ落ち延びて行きます。・・・ |
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