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150410 上の写真は、下離宮の一の間です。東側と南側が開け放たれており、部屋の北西隅に一段高くなった御座所が、設けてあります。 床を西側の御座所の間口いっぱいにとり、北側には、琵琶床を設け、その隣の違い棚の上の天袋には鶴の絵が描かれていました。下の地袋には、白い花が描かれています。 ウィキペディアからの引用です。 ・・・寿月観 - 後水尾院行幸時の御座所となった建物。当初の建物は岩倉殿(顕子内親王)の山荘から移築したものであったが、享保年間(18世紀前半)に失われ、文政7年(1824年)に再建された。文政の再建は、徳川家斉が光格上皇のために離宮の改修を行った際のものである。・・・ 引用を続けます。 ・・・ 東側に「一の間」、その西に「二の間」、その南に「三の間」が鉤の手に連なり、三の間の西には5畳の茶室がある。二の間の北には4畳半、その北には10畳半の「玄関の間」が突出し、建物の北西端に式台玄関(御輿寄)がある。 屋根は杮葺で、一の間側が寄棟造、三の間側の南妻は入母屋造とする。 一の間の東・南面から二の間・三の間の東面にかけて板縁を設ける。 一の間は15畳。うち北西隅の3畳分を框で一段高くした「上段」とする。上段の西側に床(とこ)を設け、これと矩折の北側に脇床(琵琶床)、棚を設ける。床柱は杉の面皮柱、長押は杉丸太である。 棚の上の天袋小襖には鶴、下の地袋小襖には岩に蘭を描く。これらは原在中の筆である。西側の二の間境には岸駒筆の「虎渓三笑」の襖絵がある。修学院離宮のうち後水尾院造営部分(上・下御茶屋)にある唯一の襖絵だが、後水尾院没後の作である。 二の間は12畳で、西側南寄りの杉戸に夕顔の絵がある。その南の三の間は6畳で、従者の控えの間である。茶室は5畳で北側に床を設け、裏に物入と水屋がある。一の間南側軒下の「寿月観」の額は後水尾院筆。三の間の南妻には失われた建物である「蔵六庵」の額が掛かる。寿月観前庭の飛び石や、庭に立つ袖石灯篭も有名である。・・・ 上段の間は、二畳かと思いましたが、三畳もあったんですね。 |
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2016年07月15日
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