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060617 鶴岡八幡宮は、この日の最後だった性もあり、気合がもう一つでした。 何といっても、大石段の上に建つ本宮と、大石段の下にある若宮から、神社が構成されていてということも、知らないまま漠然と引き上げてきました。 若宮大路を下りながら駅へ、一旦向います。 次に来る時は、境内の隅々を探索し、変わったもの、珍しいものを見つけようと思っていますが、とりあえず、このたびの鶴岡八幡宮の参拝は、終わりです。 写真の一番上は、境内にあった、「さざれ石」です。「君が代は、千代に八千代に、さざれいしの〜」 のさざれ石です。解説に寄れば、石灰岩が雨水で溶解され生じた乳状液が小石を取り込んで凝結して、大きな岩になったもので、こちらにあるのは、岐阜県産です。 実は、今年秋に京都へ行ったとき、下鴨神社でも、さざれ石に出会いました。こちらは、たしか、長野県産だったと思います。貴重で珍しいものなのだとは思いますが、立て続けに見ることができて、今年はラッキーです。 二番目の写真は、写真の若宮大路から境内に入って、すぐの右側にある源平池です。 島があり、弁天様が祀られています。こちらは、鎌倉七福神巡りの一つで、今回の鎌倉訪問でもすでに浄智寺の布袋様を、お参りしています。 三番目の写真は、若宮大路にある二の鳥居です。狛犬がチョッとユニークです。 さて、鎌倉の訪問の最後は、くたびれてよれよれになった私を、娘がひっばって、鎌倉駅から、小町通りの商店街を回りました。 もちろん人ごみを掻き分けながらでしたが、帰りの電車に乗って、座席に座った時は、心底ほっといたしました。 でも、鎌倉の旅は、始めたばかり。また、そんなに間を置かないで、また来たいと思っています。 ***********************************
次は、また「Oh!庭 拝見」で、旧芝離宮恩賜庭園と、浜離宮恩賜庭園の写真を、見ていただきます。
何分、去年の10月のことですので、早く載せてしまわないと、忘れてしまいそうです。その間に少し準備をして、この間10月にいった、京都の写真を見ていただこうと考えています。 そうそう、昨日訪問していただいた方の数が30000人を超えました。
私の実力によるものではないにしても、大変嬉しい出来事です。 また、欄をあらためて、謝辞を用意したいと思いますが、とりあえずこの場で、今まで訪問してくださった皆様に、お礼を申し上げたいと思います。 ありがとうございました。 |
いざ鎌倉で
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060617 大石段の上の楼門をくぐると、本宮ですが、楼門と御本殿の間は、あまり広くなく、本宮の社殿と、楼門は一体の建物のような感じです。(もちろん、楼門と社殿は別の建物です。) 楼門の内側は、撮影禁止ですので写真は無しですが、自由に写せたとしても、あまり撮るのはありません。(すみません。) 現在の御本殿は、文政11年(1828年)に造営された代表的な江戸建築で、 若宮とともに国の重要文化財に指定されています。 八幡様というのは、割とどこの町にもあり、その数は3万とも4万とも言われているようです。 その中でも、特に有名で、歴史的にも重要な物が、ここの鶴岡八幡宮と、京都の石清水八幡宮、それに九州の宇佐神社です。 写真は三枚とも、楼門の写真です。他のお寺や神社と比べて、若いカップルが目立つように思えるのは、気のせいでしょうか。 楼門の、欄間に当たる部分に彫刻が飾ってあります。正面に向って、中央が龍。両側が虎です。さらに、楼門の両サイドにも、彫刻があり、左側は牛が、右側は馬の彫刻が3種類づつ飾られています。 やはり、武人の信仰を集めた神社ですね。 何となく、戦闘用の干支が集められたようにも思われますが、それなら猪なんかも、入っていてもよさそうな気もしますけど、やっぱり干支ではないのでしょうか。 当然、内側にも何か飾られているはずですが、見逃しました。残念! 投稿用の写真を作る時に、赤をきつくし過ぎた気もしますが、私の記憶の中では、これ位鮮やかな赤で、他の神社やお寺には無い鮮やかさでした。
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060617 ところで、鎌倉幕府は、どこに在ったのでしょう。江戸幕府は、江戸城に在りましたし、室町幕府は、京都の室町に足利氏の私邸があって、そこで政務を執ったといわれています。 鎌倉幕府遺構とも言うべき、政務庁の建物は残っていないのでしょうか。 ネットで調べました所では、参道の先に続く若宮大路の、鶴岡八幡宮に向って、右側、現在の鎌倉市雪ノ下とか、小町あたりにあったようです。 場所も二回移動していますが、鶴岡八幡宮から、そう遠くない場所だけで移っていました。 さて、今日の写真は、一番上が大石段ですが、画面左、石段の上り口ある、イチョウの大木にご注目願います。こちらが、鎌倉幕府3代将軍・源実朝を暗殺した公暁が隠れていたといわれる、樹齢800年の御神木です。 堂々たるご神木では、ありますが、暗殺に絡めて記憶されるのは、木にとっては迷惑なことでしょう。 二番目の写真は、大石段の上にある楼門です。修理が済んで間もないのか、実に鮮やかな色彩で、派手で綺麗です。ただ、装飾は割合とシンプルで、彫刻も一層目の欄間に、一連の動物の彫刻があるだけです。 もちろん、日光の東照宮とは比べるべくもありませんが、日光が特別なんですね。 三番目の写真は、楼門の左右に、安置してある武人像です。ガラス越しになっていて、見づらい写真となってしまいました。
こちらの写真は、右側の像で、口をあけ歯を見せていますが、左側の武人像は、キッと口を結んでいます。阿吽の対となっています。 |
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060617 鶴岡八幡宮の、舞殿は、現在修理のためテントに囲われて見ることができませんが、源義経の愛人、静御前が義経を慕い、舞を舞った建物で、下拝殿とも呼ばれます。 参道は、この舞殿に突き当たりますが、右側に祈祷受付所があり、お守りやお札も売っています。 さい、いよいよ舞殿の後には、本宮前の61段もある大石段が控えています。 この神社の、社殿が立派に見える一番の理由が、この大石段のためだと思います。 急な階段の上にそびえる、総朱塗りの楼門は、実際の規模よりも巨大に見えます。 日光の東照宮や、長崎の諏訪神社など、斜面に向って階段をもうけ、階段の正面に高い門を設置することにより、神々しさを演出しています。マヤやインカ帝国の遺跡にある、ピラミッドもそんな造りですね。 写真の一枚目は、祈祷受付所ですが、右側に見える建物は、若宮と呼ばれ、本宮の御祭神応神天皇の御子、仁徳天皇ほか三柱の神様がお祀りされています。 写真の二枚目と、三枚目は大石段です。こうして、参拝の人達が大勢上り下りしているのを見ると、宝塚のレビューの大階段を、思い出します。 この階段を舞台に、何か催しをやると、見栄えがしますね。もしかすると、もう何かやっておられるのでしょうか。 こうして見ると、舞殿が工事中だったのが本当に悔やまれます。 参道から、本宮を見れば、赤い舞殿があって、その向こうに高い大石段があって、その上に、また、赤い楼門がそびえていて、実によく考えられている配置だと思います。
今回は、その考えられた装置の一つが機能していないわけですから、残念、ということです。 必ず、修理完了後に、また参拝したいと思いました。 |
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060617 鶴岡八幡宮の参拝を続けます。 こちらの神社にも、立派なホームページがあり、こちらに由緒が載っていますので、引用させてもらいます。 ・・・当宮は康平6年(1063)源頼義公が奥州を平定して鎌倉に帰り、源氏の氏神として出陣に際してご加護を祈願した京都の石清水八幡宮を由比ヶ浜辺にお祀りしたのが始まりです。 その後、源氏再興の旗上げをした源頼朝公は、治承4年(1180)鎌倉に入るや直ちに神意を伺って由比ヶ浜辺の八幡宮を現在の地にお遷しし、 建久2年(1191)には鎌倉幕府の宗社にふさわしく上下両宮の現在の姿に整え、鎌倉の町づくりの中心としました。 ・・・ 正に、鎌倉のシンボルと呼ばれるにふさわしい由緒です。 写真一番上は、入り口付近から、境内を写したものですが、奥のほうに何やら建物が見えています。本来は、舞殿が見えているはずなのですが、舞殿は現在修理工事中で、工事用のテントの中です。その代わりに、舞殿の写真がテントの壁に貼り付けてあり、一見なんだろうと思います。 結構、近づくまで気がつかない人もいて、参道途中で、「なんだ写真か」などという声も聞こえます。 写真二番目は、参道途中の手水舎です。最近の修理でしょうか、随分と新しく綺麗でした。ここも、3本づつ12本の柱で、支える構造ですが、日光のそれと比べると、大きさは、そんなに違わないのに、きゃしゃな印象です。 屋根瓦が赤みを帯びていたり、全体に女性的な感じを受けます。 写真三番目は、御水舎の欄間の彫刻です。雁でしょうか。こちらもすっきりとした感じで、やさしげです。
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