更新・・長い間していませんでした。
実父のガンがみつかり手術(早期発見で全快)
長女の結婚式。
ひろぶぅと飲んだり歌ったり。職場の友達と、飲んだり踊ったり(笑)
楽しい毎日が続いてた。たぶん、みんなもそうだったと思う。
阪神大震災があった時
子どもたちがいつも寝ていた部屋にはピアノがあった。
震災の前日。祖父や祖母とスキーに行っていた子どもたちは
車の中で寝てしまい、祖父たちに抱っこされて戻ってきた。
長女 小学3年生。長男 年長さんの冬だった。
寝入ってた2人を奥の部屋まで運ぶのは大変だと
玄関脇すぐの洋室に寝かせた。
何かが知らせてくれたのか。
たまたま運が良かったのか。
激しい揺れは安らかな眠りから一気に恐怖へ。
子どもたちの様子を見に行く時、前向きにばったり倒れたピアノをみて
足がすくんでしまった。
いつもの場所で寝かせていたら・・・。
住んでいたマンションは半壊。
でも、幸いにも電気は早くに復旧。
だけど、水とガスはしばらく使えなかった。
『桃太郎みたいやね!!』
マンションのママ達と近所の川に洗濯にでかけた。
洗濯板を使うなんて初めて。
その洗濯板も奪い合いの中、やっと買う事ができたものだった。
1月の寒い日。でも近くに川があったことに喜びを感じた。
スーパーに買い出し。
朝開店と同時に走る・走る・走る。
『なんでもいいから食べるものを買わなきゃ!』
県隣の大阪市で働いていた主人。
職場の人たちはほとんど大阪市内の人たち。
直線距離にして15キロ程しか離れていないのに
普通の生活をしていた人たち。
うらやましい・・とか、腹立たしい・・とか
そんな気持ちは無かった。
だって・・今やらなきゃいけない事が多すぎて
東京の人は?札幌・福岡・名古屋の人は?なんて思う余裕もなかった。
確かに今とは情報量も違う。携帯電話がまだ一般的ではなかった時代。
もちろん、パソコンだってそう。
だから、別の地域の人たちが当時何をしていたかなんて知らなかった。
『神戸ルミナリエ』
今では神戸の冬の大イベント。
あれはもともと、震災で亡くなった方への『鎮魂』の意味で始めたって事
被災地域以外でどれだけ知られているのでしょうか?
あの灯りの下に座って
(初めての開催時は人もまばらでしたのでみんな地面に座って眺めていた)
夜景が有名だった神戸は復興するのか・・って思うと
涙がこぼれてどうしようもなかった。
今回の地震。
以前の職場の、大好きな先輩がいわき市に住んでいたので
ずっと連絡をとっていましたが不通。
171災害伝言ダイヤル。あきらめないで自宅への毎日の電話。
新聞に掲載される『亡くなられた人』のページは探しませんでした。
そして29日の火曜日。
ようやくつながった電話に彼女の元気な声が。
家族、全員無事。家は津波被害にあったけど『大丈夫よ!』の明るい声。
『放射能??大丈夫。大丈夫!!』
『やっぱり関西人はパワフルやわ。今回の事でよくわかったわっ』
こちらでも、被災地の親戚に送りたい・また地震が来るかもしれないから・・と
お水やカップラーメン。ティシューやトイレットペーパーの買い占めがありました。
色々なイベントや個人の結婚式までもが自粛ムードだと聞きました。
何もかも自粛。
被災地の為を思う行動に意味が無いとは思わないけれど、疑問は感じています。
私は・・一生忘れません。
地震後、『震災救援車』『がんばれ神戸!!』と張り紙をして街中を走っていた
様々な他府県ナンバーの車。
『お水が出るから使って!』と言ってくれた知らない人。
避難所になっていた小学校の体育館での長男の入学式で
拍手してくれた避難者の皆さん。
私はその時の恩返しの為に
がんばって仕事。義捐金を送る。食事に行って税金を払う。
いつか必ず岩手・福島・宮城に旅行へ行く。
被災者の皆さんに『頑張れ!』なんて言わない。
だって、もうじゅうぶん過ぎる程、頑張っておられるから。
頑張るのは西日本の私達。
落ち込んで、ひきこもってなんかいられない。みんなの為に頑張るぞっ!!!