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最近は睡眠導入剤に頼って眠っています。ゾピクロン錠と言って、小さな1錠を半分に割ったものを飲んでいます。次の診察日までには足りない数量しかもらっていませんので、昨日は頑張って薬なしですませました。
それで、いつものごとく眠れぬ夜の慰めに、藤原緋沙子『花鳥』を読みました。月光院の生涯を描いた小説です。
月光院は、6代将軍家宣の側室で、7代将軍家継の生母です。例の「生類憐みの令」の綱吉から「暴れん坊将軍」吉宗の間の時期に、歴史に登場する人物です。時代小説の中では、あまりよく書かれていない人物です。
藤原緋沙子の『花鳥』は、珍しくも月光院をすがすがしく描いています。この小説を読んでいて、江戸時代の「悪鋳」についておもしろい記述にぶつかりました。以下、引用します。
「はい、元禄の時代から、金貨も銀貨もその価値は半分ほどになっております。原因は改鋳でございます。昔の通貨に比べますと、金貨については、半分ほど銀が混じっておりますし、銀貨には半分近く銅が混じっております。一枚の金貨、一枚の銀貨の価値がそれまでの通貨の半分の価値ですと、昔金一枚、銀一枚で買えていたものが、今は倍近く出さないと買えなくなっております」(251-252頁)
何の変哲もない記述で、たいていの人は黙って読み過ぎてゆくのではないか。この記述に注目する私は、ちょっと変なのでしょうか。
ここでは、時の勘定奉行の萩原重秀の有名な貨幣悪鋳を取り上げています。萩原重秀は、貨幣悪鋳によってマジックのように幕府の金蔵を満たし、ついでに貨幣を自分のポケットにも入れた。その代わり、庶民は、物価上昇に悩んだのです。
ここでは、藤原緋沙子が、貨幣悪鋳によって通貨の価値が半分になり、その結果、物価が2倍になり、通貨量も倍になったと説明していることが注目されます。
最近では、我々は、通貨の量を増やすと、物価があがる、だから金融の「量的緩和」を行うと聞かされてきたのはないでしょうか。この考えを「貨幣数量説」と言い、現在ではこの考えをマネタリズムとも言います。中央銀行の多くのエコノミストもマネタリズムの考えにたっています。
たとえば、欧州中央銀行は、物価上昇を2%以内の抑えるために通貨供給量を調整するとしてきました。この考えは、マネタリズムです。ところが、実際にやってみて、物価上昇と通貨供給量の間に相関関係がないということがわかりました。
藤原緋沙子は、マネタリズムとは逆に、貨幣悪鋳によって通貨の価値が半分になった結果、物価が2倍になり、通貨量も倍になったと説明しています。貨幣数量説に立っていません。彼女の考えは、正しいと思います。
たとえば、小判の価値を変えずに数量を2倍にすると、物価が2倍になるのではなく、小判の多くがつぶされて金それ自体として装飾品などに使われます。その結果、小判の流通数量が調節されます。
現代風に言い換えると、お金は、基本的には、経済取り引きの必要から、その流通数量が決まります。通貨供給量を増やしても、それが経済取り引きできちんと使われなければ、物価はあがりません。
またそのお金がマネーゲームに投ぜられる場合、株価上昇、不動産価格上昇など「資産インフレ」をもたらすだけで、ただちに物価上昇をもたらすわけではありません。
たとえば、日銀は、「量的緩和」と称して、長期国債の保有残額が年80兆円のペースで増えるよう、市場から買い入れています。その結果、日銀の国債保有量は、2015年には、全体の3割を超え、300兆円を突破したのです。
他方で、日銀が国債の購入によって投入するマネーの多くは、使い道がなくて、「日銀当座預金」(ブタ積みという)として日銀に滞留する。その金額は、200兆円以上になっています。
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お金の話
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1 我々が日常生活で見る世界
我々が日常生活で見ているのは、形あり、色あり、匂いのある世界である。日常生活で見る経済は、パソコン、携帯、車、パック食品など我々の役に立つものの集まりである。我々は、働いて、おカネを得て、このお金で欲しいモノを買う。おカネがあるほど欲しいモノが手に入る。
おカネは便利であり、我々の欲望を満たすものである。こう考えるのがふつうの感覚である。
だから、際限のなく増え続けるおカネの「数量的な運動」がこの世を支配し、人間を支配しているという話を聞いても、最初はあまりピンとかないかも知れない。しかし、これこそ、私のブログにおける要となる主張なのだ。
2 おカネというモノは
確かに、おカネが我々の欲望を満たす大変便利なモノであるのは、その通りである。だから私も含めて、誰しもおカネが欲しいのではないか。
しかし、おカネはそれ以上のものである。「この世はおカネがすべて」という言葉にあるように、おカネはこの世を支配し、人間を支配しているのである。
我々は、おれおれ詐欺、振り込め詐欺、最近ではマイナンバー詐欺など、おカネが人間を振りまわしているのを見る。保険金殺人事件、強盗殺人事件など、おカネゆえ、人は殺人を犯す。おカネゆえ、人間性を失う者も出てくる。このような現象を見て、我々は何かがおかしいのではないかと思うようになる。
際限のなく増え続けるおカネの「数量的な運動」がこの世を支配し、人間を支配しているという事実は、抽象的であり、なかなか理解することは難しい。
3 資本とは、資本の論理とは
だから、支配の現実を具体的に考える必要がある。私は、際限のなく増え続けるおカネの「数量的な運動体」を資本と呼んだ。資本とは、増え続けるおカネである。
この資本の魂を担い、その組織をなすのが、民間企業である。だから、企業の目的は増えること、利潤を追求すること、砕いて言えば金もうけをすることである。利潤追求を「資本の論理」という。
労働者・サラリーマンは、企業のこの目的に奉仕するのである。「資本の論理」が規制緩和などによって剥き出しになればなるほど、人間は企業の金もうけの手段化し、取り換え可能な消耗品化する。過労死が心配されるほど、こきつかわれる。
できるだけ多くの利潤を確保するために、企業は、なかなか賃上げしない。むしろ、逆に、パート・アルバイト・派遣などの非正規労働者を雇って、人件費を減らそうとする。
このような「資本の論理」が支配する世界では、科学技術・生産力が発展し、モノが豊かになっても、それは利潤を増やすことに使われ、人間にとっては失業圧力としてはたらく。
4 マネーゲームと格差社会
際限のなく増え続けるおカネの「数量的な運動」の支配の究極の姿は、マネーゲームの世界である。
そこでは、カネをもっている者がますますカネを増やす、いちじるしく不公平な社会が出現する。労働規制の緩和と並んでマネーゲームを促進する政府の政策は、格差社会をいっそう広げていく。
日常生活で生きることに精一杯だと、なかなかこの事実を深く考えることをできない。
5 数量運動の摩訶不思議な世界
それでも、世の中何かおかしいのではないかと首をかしげることはある。
このおかしな現実を根本的にとらえる考えが、際限のなく増え続けるおカネの「数量的な運動」の人間支配である。
おカネは、福沢諭吉とか絵柄が書いてあるが、それは数量を表すモノである。おカネ自体は、無色無臭である。だから、犯罪で得られたおカネも、マネーロンダリングが済めば、もはや区別されなくなる。
企業は、増え続けるおカネすなわち資本の魂を担うから、金もうけを追求する。企業になぜカネもうけばかりするのだと聞いても、「我々が資本だからだ」という答えが返ってくるに過ぎない。
増殖するおカネの際限のない「数量運動」がこの世を、人間を支配する。何とも不気味な光景ではないか。考えてみると、子ども時代に成績競争するところから人間は、この数量の支配する世界に巻き込まれている。
この数量の支配する世界ゆえに、金持ちがいる一方で、貧困に苦しむ。数量の支配する世界ゆえに、地球が食いつぶされていくことが考えられる。
私は、自分の大学定年退職にあたって、この現実を誰にでもわかるようにと、『日本を貧しくしないための経済学―ほんとうにだいじなお金の話』(ナカニシヤ出版、2015年)を書いた。
できるだけ多くの人に読んで欲しいと思う。とくに貧困と格差に悩む若者に読んでほしい。
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今朝のYahoo!ニュースで、「百円札の札束で治療費支払い」という記事を目にした。
「福岡市のカイロプラクティック院で、治療に訪れた60代の女性が『百円札』の札束で治療費を支払った」という。現在でも有効である。100円札で1万円の札束。まるで新札のようであった。
(朝日新聞)
100円札と言えば、その図柄は「板垣退助」である。子ども時代を思い出す。現在の1000円札ぐらいに相当するだろう。この時代、1万円札は、「聖徳太子」であった。「聖徳太子」の時代が非常に長く続いた。大きくて非常に立派なお札であった。
しかし外国で両替した時、両替レートが非常に悪かったという記憶がある。お金は、経済的に自信のない国ほど立派であるという話がある。
昔ヨーロッパを旅行した時、イタリアのリラとスペインのペソのお札は立派であった。それに対して西ドイツのマルクのお札はちゃちであったという記憶がある。西ドイツで革の財布を買ったら、「聖徳太子」は、大きくてそれに入らなかった。
つづいて、「朝日新聞DIGITAL」の「幸福度調査」導入県増、でも似た点ばかり…意味ある?」(2015年11月28日18時04分)というニュース記事を見た。
「10点満点であなたの幸福感は何点? こんな質問をして、県民の幸福度を調べる県が増えている。ところが、平均値はどこも毎年6点台半ばと代わり映えしない。背景の分析や結果の活用も進んでいない。なんでそれでも続けるのか。」
2011年福岡県が初めてこの調査を導入した。「0点の『「とても不幸』から、10点の『とても幸せ』まで10段階」である。
ところが、「平均は毎年6点台半ばでほとんど変化なし。今年も6・46で、前年と全く同じだった」という。
2012年に富山県と三重県でこの調査を始めた。毎年6点台半ばで、福岡県とほぼ同じ傾向が出たという。
全国で6点台半ばとなる傾向について、記事は、文化人類学者の次の解説を最後に掲載している。
「日本人らしい数字」。「絶対的な判断基準がなく、周りの他人と比べてみて、真ん中より少し上といったところで落ち着いた。幸せかどうか漠然と聞かれても、結果は、いつでもどの県でも大差ないだろう」。
この話を見て、私は、かつての政府による中流意識の調査を思い出した。
「あなたの生活は、上、中の上、中の中、中の下、下のどちらに属すると思いますか?」
回答の9割が中以上であった。「一億総中流社会」がうたわれた。貧しい家庭の回答者は、きっとこう思ったのに違いない。
下では人聞きが悪い。自分の人生は何であったんだろうと思ってしまう。中の上と答えるのは、ちょっと後ろめたい。中の下と答えよう。
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今日のYahoo!ニュースの1面に「物価下落 異次元緩和振り出し」という記事が載った。つまり9月25日の時事通信は、次のニュースを伝えた。
「 8月の消費者物価指数(除く生鮮食品)は、前年同月比0.1%下落し、日銀が量的・質的金融緩和に踏み切った2013年4月以来のマイナスに転じた。」
アベノミクスの「第一の矢」では、毎年の物価上昇2%を目指して、日銀が金融の「異次元」の量的緩和を行ってきた。これはいったい何であったのか。
黒田日銀総裁は、原油安を物価下落の原因としていると述べている。確かに、他の商品の価格が上昇する中で、2014年7月1バレル100ドルを超えていた原油価格は、今年8月には半分以下の46.99ドルに下落している*。ガソリン価格の下落に、ドライバーのみなさんは、うれしくて笑っているだろう。
* ちなみにバレルとは、樽という意味で昔原油を樽に詰めて運んでいたこと
に由来する。1バレルは約159リットルである。
しかし、そんな単純な話だろうか? そこにアベノミクスの大誤算をなす深刻な原因があったのではないか?
経済学的に言えば、アベノミクスは、お金の供給量を増やすと、物価が上がるという「貨幣数量説」の立場に立っている。現実は、この考えの誤りを示したのだ。
私は、この点、『日本を貧しくしないための経済学―ほんとうにだいじなお金の話』(ナカニシヤ出版、2015年)においてこう述べた。
「アベノミクスでは「異次元金融緩和」と称して日銀が国債をどんどん購入してマネーを投入している。確かに国債の直接引き受けは禁止されているが、発行後1年たった国債は、日銀が民間から買い取ることができる。日銀の国債保有額は、とうとう200兆円(国債累積残高の4分の1)を超えるにいたった。
今のところこうして増やされるお金のかなりは、使い道がなくて日銀への預金(「日銀当座預金」)として日銀に吹きだまっている。ムダに増えるこの預金のことを、通例「ブタ積み」と言う。あるいは、あふれるお金は、資産インフレ(株高)をもたらしている。
消費者物価も上がってきているが、それは、庶民の懐が豊かになってたくさんモノを買うようになったという理由からではない。消費者物価の上昇は、円安によって原材料購入費が高くなるという輸入物価の上昇と消費増税をおもな原因としている。政府が目標とした物価上昇率2%をはるかに超え、生鮮食品を除いた上昇率は2014年7月3.3%に達している。にもかかわらず日銀が財布の紐を引き締しめる気配はない。」(14頁)
この考えをまったく変える理由はない。輸入物価の上昇と消費増税をおもな原因として、消費者物価指数は、2013年6月に比べて今もなお3%以上上がっている。庶民は相変わらず物価高に苦しんでいるのだ。
日銀が思うように、物価が上がらない理由は、手にしたお金を銀行が日銀に預金する、いわゆる「ブタ積み」((「日銀当座預金」)を行っているせいなのだ。お金の流通量は、ほんらい経済の必要から決まる。経済の必要のないお金は、日銀がいくら投入しても、日銀に吹きだまるか、バブルに使われる。
このことを端的に示すグラフがある。
このグラフによると、日銀の国債・財融債保有量と日銀当座預金量は並行して上がっている。つまり、日銀が国債・財融債を買い取ると、買い取りのお金のほとんどが日銀当座預金すなわちブタ積みとなり、日銀から出ていかない。だから物価上昇に結びつかない。
民間銀行は、日銀が金を増やしても、それによって貸出しが増えるわけでもないので、使い道のないお金を日銀に預金してわずかでも金利を稼ごうとする。これが「ブタ積み」の意味だ。
今年4月末、この「ブタ積み」は、とうとう200兆円を超えた。
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9月22日プラザ合意から30年たった。Yahoo!ニュースでも取り上げられたが、あまりいい記事でもないし、注目する者はあまりいなかったのではないか? そもそもプラザ合意とは何か? みなさんは知っているだろうか?
1985年9月22日、アメリカのニューヨークのプラザホテルでG5(先進5か国財務相・中央銀行総裁会議)が開かれた。会議の目的は、異常に高くなっていたドルを引き下げる、いわゆる「ドル高是正」であった。
時は、レーガノミクスで有名なレーガン大統領の時代であった。経済音痴のレーガンは、ドル高を「強いアメリカの威信の現れ」として歓迎した。
ところがドル高は、アメリカの輸出競争力を弱め、とくに農業に打撃を与えた。当時アメリカ中西部を旅行した者は、Sale(セール)の看板のたった多数の農場を目撃する。たまらずアメリカは、各国に「ドル高是正」を求めたのである。
日本から竹下登財務相が参加していた。竹下は、首相の座を狙っていたが、知名度の低いのが致命的であった。国際会議で自分の株をあげるため、彼は、円を高める気前のいい約束をした。
ところが、彼の約束をはるかに上まわり、円は、わずか1年で1ドル=235円から150円と倍近く上昇した。あまりの急激なドル安に各国は悲鳴をあげる。
特に日本は、深刻な円高不況に見舞われた。企業は悲鳴をあげる。これをきっかけに日本企業の海外進出すなわち多国籍企業化が本格的に始まる。ホンダがアメリカに進出したのもこの時であった。
こうした事態に、竹下登は、アメリカ政府高官に、こう述べたとか。
「私の名前が登ですが、円がノボるため、私の人気は下がるばかりです。」
かくして、今度は、「急速なドル安是正」のために、1987年2月G7によってルーブル合意がなされた。
ドルを高く維持するために、たとえば日本ではアメリカより金利を低く設定する約束が押し付けられた。金利高は、預金利子の高い銀行に預金が集まるごとく、アメリカにお金を流入させ、ドルを高めるからである。アメリカが景気対策のために金利を引き下げている状況下においてであった。
かくして、1980年代後半、日本は2.5%という当時としては異常な低金利政策を続けた。この異常な低金利は、「過剰流動性」つまり金余り現象を生み出し、バブルの引き金となっていったのであった。
なお、同年9月、ドイツ連銀はアメリカの反対を押し切って金利を引き上げた。これが、1987年10月17 日、「ブラックマンデー」と世に言われる世界の株価大暴落の引き金となったのである。
プラザ合意は、日本のマネー敗戦への道として、歴史に記録される。日本は、アメリカの都合によって円を動揺させられる。何よりもドル安円高は、日本にとってドル預金の目減りである。その後、次の構図が日本経済にとって特徴的になった。
日本はあくせくと貿易黒字を拡大し、外貨ドルをためこむ。これは円高をもたらす。これに対処するために、輸出を担う大企業は、省エネ減量経営、正社員のパート・派遣社員への置き換え、下請け企業をいじめるなど「極限までの合理化」を追求する。そして、せっかくためこんだドルは、ドル安すなわちその下落をとおして目減りする。
1971年には1ドル=360円だったのが今日の円安でも1ドル=120円である。ドルの価値は3分の1に目減りした。
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