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2015年11月30日から、フランス・パリで、COP21(気候変動枠組条約第21回締約国会議)が開催された。そして、一昨日の12月12日、「パリ協定」が採択された。
これは、1997年の京都議定書以降、難産のあげく、2020年以降の新しい温暖化対策の枠組みを決めたものである。
画期的なのは、途上国を含む全ての国に削減の取り組みが義務付けられたことである。気温の上昇を1.5度に抑えるという目標も書かれている。
しかし、各国の削減目標の達成は義務的なものでも違反に罰則がかされるものでもない。国連は、「これまでに各国が提出した削減目標を足し合わせても、気温の上昇を今世紀末までに2度未満に抑えるには不十分で、2.7度上昇する可能性がある」(Yahoo!ニュース、TBS系(JNN)12月13日(日)18時29分配信)と指摘している。
主要国の削減目標(JCCCAのHPより)
国別目標【約束草案】の詳細は、http://www.can-japan.org/activities/1761を参照。
わたしは、過去のブログで、地球温暖化は、資本主義的市場経済のメカニズムそのものから生じたものであると説明してきた。とくに資本主義的市場経済から生ずる「経済成長至上主義」がもたらす自然環境破壊、エネルギー多消費社会がその根本的な原因であると指摘してきた(「地球温暖化と人類滅亡――経済成長主義批判(2) 」)。
もちろん、このままいくと、海中に没する国も現れ、ひいてはこの地球上に人類が住めなくなる。だから、地球温暖化問題は、資本主義の歴史的限界を意味し、これに触れないかぎり、その根本的解決はない。
以前にテレビの特集番組で、氷河が溶けてだんだん後退している光景が映し出された。氷河といえば、私には青春時代の思い出がある。
じつは、今から40年近く前、わたしは、スイス横断の旅をしたことがある。
汽車が歯車をギリギリと噛みながら、スイスアルプスの山並みの中を走っていく。両側に氷河から滝が零れ落ちている光景が連続して現れた。この世のものとは思えぬ美しさである。
この景色は今はいったいどうなったんだろう。
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経済成長主義と自然環境破壊
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1 市場経済とは、「弱肉強食」の「自然界の掟」が支配する経済である
私は、我々の経済のおかしな現象が市場経済そのものを原因としていると思う。市場経済は、そんなに合理的なシステムでない。
市場経済は、通例、売った買ったというやり取り、すなわち需要と供給の作用が均衡価格をもたらし、ひいては経済の均衡をもたらすシステムであると考えられている。
需要と供給の作用は、不均衡があれば直ちに均衡へと修正していく。独占とか寡占がなく完全な競争がある状態では、市場経済は理想的に働くというのである(この考えを一つの理由として独禁法が導入された)。
しかし、私は、市場経済とは、「弱肉強食」の個人と企業の競争を特徴とする経済であると思う。完全なる競争とは、「弱肉強食」の競争が野放しにされ、まるで「自然界の掟」が支配する状態である。
個々人、個々の企業は、自分の利益を追求し、自分の満足だけを求める。その行動はバラバラである。社会全体のことを考えない。そして、そこには、アダム・スミスがいうような、良い社会的結果をもたらす「見えざる手」は、存在しない。
たとえば、企業は利益さえ上がれば、その結果、自然環境が破壊されようとどうでもいいのである。これは、経済学では、「外部不経済」といわれる。すなわち企業にとって、自分とは関係のないことだという意味である。
自分の利益ばかり自分勝手に追求する企業の行動は、オゾンホールを広げ、地球温暖化をもたらす。すなわち、地球を食いつぶすまでつづく。ここに市場経済の歴史的限界がある。
また、個々の企業の合理性の追求は、必ずしも社会にとって合理的な結果をもたらさない。たとえば、技術の発展は人手を不要にし、失業をもたらす。失業者が他で雇われる保障がない。逆に、失業が長期化し、「構造的失業」、「技術的失業」が指摘されたりしている。
もしも個々の企業が技術革新を達成しても、それによって失業が増大し、失業給付など社会の負担、社会的費用が増えてしまっては決して合理的と言えないのではないか。
かつて私は、ブログの中で、「SF笑うロボット」(書庫、特選収録)の社会を描いた。完全ロボット化は、人間をみんな失業者にしてしまった。一方で大量の商品が山と積まれているのに、人間はそれを買えず、貧困に苦しむ。これは完全ロボット化の途上でさえ生ずる。これが市場経済のなれの果てである。
3 我々の社会のおかしな現象の根本的原因
自分の利益ばかり追求し、「内部留保」と称してこれをガッチリ抱え込む企業のバラバラの行動からなる社会は、リスクがいっぱいである。見込み違いが多々生ずる。将来の結果が不確実である。
資本主義的市場経済における企業間競争は、経済の不確実性をもたらす。ここに我々の社会のおかしな現象の根本的原因がある。
この不確実性のもとで、お金が世の中を支配し、お金を増やしつづける際限のない運動が人間を支配している。そして我々は、時々市場の暴走に襲われ、バブルとその破綻に悩まされるのである。
お金を増やしつづける際限のない運動は、資本の運動である。それは、色も匂いも味もない。無味乾燥な数量運動である。この自己増殖運動が、人間を消耗品として使い、際限なく、無限につづく。
これまで我々は、市場はすばらしい、市場に任せよという経済学の考えを耳にタコができるほど聞かされてきた。国際金融危機が生じて、たとえこの考えに疑問が少し持たれたとしても、喉もと過ぎれば熱さを忘れて、この考えをこれからも聞かされることになろう。
このブログでは、私は、経済学の考えのこうした流れに抗して、資本主義的市場経済のおかしな現象について説明してきた。
資本主義的市場経済における企業間競争を自由にすればするほど、多数の人々は、労働諸条件を引き下げられ、暮らしの悪化に苦しむことになる。労働規制の緩和とは労働諸条件の悪化と同じ意味なのだ。
市場に任せることは、繰り返し生ずる景気循環と不況そして失業増大の作用をよりむき出しにすることを意味する。また、繰り返し生ずるバブルとその崩壊によって我々人類を悩ますことになるのだ。
そして、規制を撤廃した、完全なる市場経済の果てには、オゾンホール、地球温暖化など地球破壊、それに人間の完全な失業と貧困が待っている。
上条勇『日本を貧しくしないための経済学―ほんとうにだいじなお金の話』ナカニシ ヤ出版、2015年、第7章、参照。
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イギリスは、世界で初めて資本主義が成立した国である。19世紀のイギリスは「世界の工場」と言われた。
今の日本と同じく「食糧自給率」は極度に下がり、食糧は輸入に頼った。カロリーベースでの食糧自給率は、40%ほど、ちょうど今の日本ほどであった。
このイギリスも今日では食糧自給率は70%台に回復し、穀物自給率の場合は100%である。
将来「食糧危機」も予測される中、日本は大丈夫なのだろうか。
今回のハワイでのTPP交渉は合意しなかったが、農産物の点で日本がかなり譲歩をせまられていることがわかった。日本も妥協点をさぐり、譲歩の用意がある。ただでさえ低い食糧自給率はさらに下げられることになる。
私は、TPP交渉を見て、かつてNHK特集で、「何かあった時に、アメリカは日本に食糧を保障してくれるか」と詰め寄るNHKのニュースキャスターに、アメリカの政府高官の答えが「市場で食糧を調達しなさい」の一点張りであったことを思い出す。
我々は、農業が食糧安全保障の問題でもあることを忘れてはならない。
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経済成長主義はなぜ生ずる
人間も企業も国も経済成長を必死に追求する。ここでいう経済成長とは、GDPを増やすことを意味する(GDP成長率)。GDPとは国内総生産のことで、純粋に国内で毎年生み出される「富」の合計をあらわしている。
おおざっぱに言うと、GDPは、企業の売り上げの合計として計算される。売り上げが大きいということはGDPが大きいことを意味する。企業の売り上げとGDPは連動する。
企業の売り上げの減少はGDPの減少となる。それは、企業の業績悪化を意味し、景気後退を意味する。GDP成長率がゼロにならなくても2%から1%に落ちただけでも景気後退となる。
中国のように、GDP成長率が10%台から7%落ちるにことは、急ブレーキをかけること意味し、これも深刻な景気後退をなす。だから企業は、売り上げが落ちないように、また景気後退におちいらないように、絶えず経済成長を求めて走りつづけなければならない。
売り上げ・利潤追求の社会では、我々人間も立ち止まることも、ゆとりも味わうこともできず、絶えず走り続けなければならない。
GDPのいかがわしさ
ここでGDPに注目すると、統計上、GDPは、財・サービスを価格で総計して計算される。そのため、原則として、市場で取引される財・サービスがこれに含まれる。
だから、家庭の主婦の料理サービスは、これに含まれない。ところが、レストランの料理サービスは、これに含まれる。したがって主婦が家庭で料理をやめて、家族で外食すればするほど、GDPがふくれあがるという話になる。
わたしは、GDPが必ずしも「豊かさ」を正確に反映したものではないと考える。
たとえば、泥棒は、弁護士と警備保障会社のサービス、また金庫、鍵、警報装置などの財を生む原因となる。だから泥棒が日夜がんばればがんばるほど、GDPがふくれあがるという話になる。
自然破壊の果てに
通例、このGDPには、美しい自然は含まれない。自然は、人間の手を加えられ加工されてはじめてGDPに加えられる。また、売上げを増やそうとする企業の努力は、どんどん自然や環境を破壊していく。
というのは自然はそれ自体としては価値がなく、加工されて初めて価値をもつものだからである。企業は売上げを増やすために人々に使い捨ても誘う。
こうして、われわれ人類は、ぼう大な浪費をなし、ゴミの山を築き、自然や環境を破壊しながらGDPを増やし続ける。そして、地球温暖化やオゾン層の破壊によって生存の危機に陥っていく。
したがって、我々は、GDPを追求しつづける市場経済の論理に限界を感ずるのである。
――上条勇『日本を貧しくしないための経済学―ほんとうにだいじなお金の話』ナカニシヤ出版、2015年、183‐186ページより
上条勇『グローバリズムの幻影―市場崇拝と格差社会の経済学批判』梓出版社、2006年、22-24ページより
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自然というものは人間にとって計り知れぬ価値があるものである。だが、企業にとってはこれを黙って見ているだけでは価値がない。自然を加工して、売り物をつくってはじめて価値が出てくる。そのために自然海岸を削ったり埋め立てたりして、工業用地をつくる。政府による規制がなければ、よく工場排水、排煙による公害にたいする防止費用をケチッたりする。だからかぎりなき経済成長主義は、自然破壊のプロセスとなる。
企業は、もうけが上がるかぎり、かぎりなく自然を破壊しつづける。極端なことを言えば、企業は地球を壊しつくしても利潤追求をつづける。こうした企業による利潤追求と経済成長主義が地球温暖化をもたらす。また企業がつくり出す車社会とエネルギー多消費社会が地球温暖化ガスを増やす。
これを黙って見ていると人類の生存の危機が生ずる。だから、各国政府は温暖化ガスの削減と規制に着手する。経済学の関連分野でも、地球に優しい「持続可能な発展」が取り上げられる。しかし各国政府間の話し合いで、なかなか温暖化ガスの削減目標はまとまらない。企業が金もうけを追及しつづけ、国家も景気の方を優先して経済成長を追求しつづけるならば、もうこの先どうなるかわからない。
――上条勇『日本を貧しくしないための経済学―ほんとうにだいじなお金の話』ナカニシヤ出版、2015年、185−186ページ
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