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フォードが日本とインドネシア事業から撤退するという。1月25日に入手したフォードの内部文書に基づき、ロイターが明らかにした。
日本市場においてはトヨタ、ホンダ、日産などの国内メーカーが独占しており、フォードは販売に苦戦していた。さらに、高齢化や若年層の需要減少による販売の落ち込みにも悩まされた。フォードは、「収益改善への合理的な道筋」が見えないとして、日本から撤退する(ロイター、1月25日(月)18時1分配信)。
私は、一見何のことはないこの記事に、アメリカの自動車メーカーの凋落を感じた。ビッグ3と言われた第3位のクライスラーは、すでに1998年、ドイツのダイムラー(ベンツ)に合併吸収された。
第1位のGMは、例の「リーマン・ショック」の年の2008年に経営危機に陥り、連邦破産法の適用を、ニューヨークの連邦破産裁判所に申請したことがある。
フォードと言えば、自動車を廉価に大量生産し、「自動車大衆時代」を築いた企業である。わたしは、かつてフォードについて、こう述べている。
ネットでの拾い物
「全身黒塗りのT型フォードは、クラッシクカーとして魅力的な姿をしている。国土の広いアメリカは、全国の鉄道網を形成する一方で、地方については自動車を主な交通手段としていった。自動車は馬車に置き換わったのである。フォードは、この歴史的な流れの形成に貢献した。流れ作業と大量生産を意味するフォード・システムを確立し、自動車の生産を廉価なものにした。それとともにこれまで金持ちのオモチャであった自動車は、大衆の消費財となった。フォードは、実用一点張りで、黒塗りのT型車に固執した」(上条勇『日本を貧しくしないための経済学―ほんとうにだいじなお金の話』ナカニシヤ出版、2015年、77頁)。
みなさんは、フォードシステムとフォーディズムという言葉を聞いたことがあるだろう。注意すべきことに、この2つの言葉の意味は違う。
フォードシステムとは、ベルトコンベアーを用いた流れ作業のシステムを意味する。
フォーディズムとは、大量生産=大量消費を支える高賃金の体制を意味する。フォードは、自社の製品を買えるようにと、従業員に高賃金を与えた。
フォーディズムという言葉は、その後フランスのレギュラシオン学派に採用され、第二次大戦後の高度成長の時期を特徴づける要をなす概念となった。
この学派において、フォーディズムとは、労資が妥協・協調することによって、高賃金を保障するシステムを意味する。この高賃金が可能とする大量の需要=大衆消費が、高度成長の原動力になったという。この体制が崩れた後を、「ポストフォーディズム」という。
一般の間では、このレギュラシオン学派は、あまり知られていないかも知れない。しかし、マルクス主義が勢いを失った後の日本で、これに代わる資本主義の比較分析の理論として、レギュラシオン理論は、学会で一定の位置を占めている。
こう書いてきて、レギュラシオン理論を高く評価する友人の顔を思い出した。比較経済論担当のこの友人は、わたしのブログで登場したことがある。この友人は、脳梗塞による入院中に、2度にわたって私を見舞いに来た人物である。
こうした縁もあり、今週金曜日の午後、わたしは、この友人のマンションを訪れることになっている。
我々のような古だぬきの経済学者は、互いに激論を交わすことはない。わたしは、久々にこの友人と会って、大学院の時代のように、激論を交わしてみたいと思った。
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企業と資本
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今月1月15日、長野県軽井沢町でスキーツアーの大型バスが転落し14人が死亡する事故が生じた。
亡くなったのは、全員学生だった。19歳から22歳の若者。就職や大学院進学が決まった者もいる。半分ほど19歳でキャンパスライフを楽しんでいた若者だ。月並みな表現になるが、夢多き若者たちの命が一瞬にして奪われた。心から冥福したい。
このバス事故で浮かび上がってきたのは、規制緩和の悲惨な結果だ。2000年の道路運送法の改正によって、貸し切りバスの営業が免許制から許可制になり、事業参入が自由になった。それによって事業者数、車両数が急増して、価格競争が激化した。
2012年のバス事故を受けて、若干規制がなされたが、ザルだったと言わざるをえない。今回のバス事故は、規制逃れの結果だ。
価格競争で苦境にたった業者は、しわ寄せをバス運転手にする。過労運転が常態化する。今回の事故では、会社側が、運転手の健康診断や健康状態把握を怠ったり、運転技術に不安があったり、安全管理がズサンであることなどがわかった。
国土交通省が3日間にわたっておこなった監査で、この会社の違反行為が20件近く確認されたという。
規制緩和は、市場に任せよ、という新自由主義の考えに基づく。小泉構造改革では、規制緩和と民営化が目玉であった。
この小泉政権下、2002年にタクシーの規制緩和(改正道路運送法)がなされた。これによって許可制が届出制になり、業界への参入が自由になった。その結果、競争が激化した。タクシー1台当たりの売り上げがへり、運転手の収入激減と過労をもたらしただけだ。
新自由主義は、規制を緩和し自由化すれば、市場の需要と供給の作用が働き、経済はうまくいくと主張する。
しかし、実際は、規制の緩和と自由化は、大企業の自由な経済支配か、金もうけをむき出しにした企業の過当競争をもたらす。競争激化の前に、企業は、自己の利潤を確保するために、従業員に犠牲を強い、労働条件を悪化させる。
今回のバス事故が、規制緩和の結果であったとすれば、安倍政権もなおも追求する規制緩和(「第三の矢」)の意味を考え直さなければならない。
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わたしは結構マンガが好きで『課長島耕作』(以下、『島耕作』)を愛読書としている。入社してから会長にいたるまで全70巻ほどの大作でまだつづいている。わたしの本棚にならぶこれらは壮観である。
もう3度ほど目を通しただろか。今朝、どういうわけかその第一巻を本棚から取り出し、読み始めた。繰り返し述べるが、同じ書物を何度でも読めるのは、年寄りの特権である。
去年、「半沢直樹」が大ヒットして、「倍返し」という言葉がヒットした。大銀行の不正な支配に挑む一介の銀行員の物語である。
最近「下町ロケット」がヒットし、その中に出てきた「なんじゃ、こりゃ」という言葉をこのブログでも使った。「下町ロケット」は、日本経済を根底から支えているのは、町工場であることを示した。
『島耕作』は、サラリーマンの生きざまを示したもので、上の2つよりインパクトが大きかった。
舞台は初芝という大手電機メーカーである。最初は夢と希望をもって入社し、自分の仕事に誇りを持ちつつ、大組織に特有の派閥争いの厳しい現実を生き抜くサラリーマンの姿が描かれる。取締役、常務、専務、社長という階段をのぼるにつれて、経営の視点が前面に押し出されていく。それとともに食うか食われるかという弱肉強食の競争に企業がいかに生き延びていくかというシビアな現実が突きつけられる。
『島耕作』のテーマは、厳しい企業競争社会における人間の生き様であると思う。著者は、企業の社会的責任と日本の将来を担うその役割を強調する。が、かえって企業の目的が利潤追求にあり、この世を支配しているのは企業の利潤追求競争であるという現実を浮かび上がらせている。
企業競争は「諸国民の富」をめぐる競争でもある。栄枯盛衰という言葉があるが、かつて急成長し、アメリカを悩ませていた日本も今や韓国や中国にキャッチアップされた。青息吐息の状態である。
日本の貿易が今や部品を輸出し、完成製品を輸入するという構造になり、部品生産も中国、韓国に侵食されつつあるという現実をどれほど一般の日本人が深刻に認識しているのだろうか。
初芝も必死に海外展開しているが、中国では中国の電機メーカーに負け、インドでは韓国のサムソンの足元にすらおよばない。中国では初芝の提携先として「出発(チューファー)」という電機メーカーが描かれる。
これはハイアールがモデルだろう。ハイアールは、冷蔵庫から出発して中国有数の総合電機メーカーにのしあがった。その勢いたるや、言葉で語り尽くせない。そういえば、大学の研究室でかつてわたしが使っていたワンボックスの冷蔵庫はハイアール製で、家の台所にいつの間にか二台目の冷蔵庫として置かれていたのもハイアール製であった。
『島耕作』は企業のグローバルな競争の展開を実にリアルに描いている。とりわけ中国を舞台としたその描写は出色である。コミックであるが、馬鹿にできない。よく調べていると思う。だからわたしは、大学院生の指導で中国人留学生に必読書として薦めたことがある。
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私は、『日本を貧しくしないための経済学―ほんとうにだいじなお金の話』(ナカニシヤ出版、2015年)で、「企業の利潤追求競争が歴史的に市場経済と資本主義のシステムの根幹を変化させていっている事実」を指摘して、こう述べている。
「資本主義が成立した時は、無数の小さな企業が自由競争をする時代であった。ところが、今では我々が目撃しているように、少数の大企業が経済を支配している。自由競争が支配する時代から大企業が支配する時代へ資本主義が変化している。
これは歴史的な必然である。弱小企業を打倒していく弱肉強食の企業競争そして技術革新が、大企業の支配を生み出していく。技術革新は、多くの場合、企業経営に必要な資本量の巨大化をもたらす。巨大高炉によって成り立つ鉄鋼業は大企業でしか運営できない。競争の展開そのものが、自由競争から大企業が支配するシステムへの変化をもたらしたのである。」( 186−187頁)
最近の我が国における石油元売り業界の合併再編のニュースを目にして、私は、改めてこの事実を思い出した。
先の11月には出光興産と昭和シェルの合併が基本的に合意されたと報じられた。
12月3日には、石油元売り国内首位のJXホールディングス(HD)と3位の東燃ゼネラル石油が経営統合で大筋合意したと発表した。
「 統合が実現すると売上高で約14兆3000億円(14年度)、ガソリン販売数量の国内シェアで50%を超える巨大企業が誕生する。JXHDの『「エネオス』、東燃ゼネの『「エッソ』『「モービル『「ゼネラル』のガソリンスタンドでのブランドは当面継続使用し、将来的には一本化も検討する。」(日経新聞、2015/12/3 11:40)
これらの合併再編が実現すれば、国内の元売りは2強時代に入る。
ところで、経済学は、市場は素晴らしいと教える時、相変わらず自由競争の資本主義を想定している。翻って見ると、独禁法を論じるとき、大企業の経済的権力の横暴を取り締まると同時に、少しでも自由競争に近づけ、市場が有効に機能するようにという配慮がある。
市場は素晴らしいと教える経済学は、規制緩和を訴える。そして大企業の支配にとって非常に居心地のいい状況を作り出すのだ。
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今日のYahoo!ニュースのトップに「会社ぐるみか 問われる旭化成」という記事が掲載された。旭化成建材による建物のくい打ち施工データ改ざん問題が、拡大の一途をたどっている。
マンションの傾きから発覚した不正は、旭化成建材の手がけた全事業に不安を呼んでいる。旭化成建材の社内で不正が常態化していた疑いが強まっている。さらに、旭化成建材だけでなく全建築業界に疑惑が広がる。
最近では、東芝の不正会計、フォルクスワーゲンの排気ガス不正が話題になった。昔から賞味期限切れや産地を偽る食品偽装が取りざたされてきた。耐震偽装も話題になった。
贈収賄は、どこまでなされているのか。米軍普天間飛行場の辺野古移設計画で、工事を環境面から監視する専門家委員会の委員4人が、受注業者から寄付金ないし報酬を受けていた。こんな状況下で、政府による工事強行は正統性があるのか。
経済では、その他に、談合や闇カルテルがよく摘発される。たとえば、EUの欧州委員会は、2007 年中に8件のカルテルの摘発と制裁金の賦課制裁を決定したが、そのうち6 件に日本企業が関与していた。
タクスヘイブンに利益を送っている企業の「節税」行為を「脱税」とみなすならば、ほとんどすべての大企業が不正を犯していると言える。
どこまでつづく泥濘ぞ、である。果てしない経済の闇に我々は、ため息を覚える。
金もうけ主義が、こうした不正の原因であるという。しかし、この世は、企業の利潤追求という「資本の論理」によって成り立っている。どの企業の心も「カネ心」である。企業はみんな自分の利益のみを追求し、社会のことを考えない。みんな金もうけ主義に走っているのである。
違いは、法律を遵守するか、グレーゾーンのなかで法律の枠内にかろうじてとどまるか、法律を犯してしまうか、ばれなければ黙っているかにあるにすぎない。
というのは、企業の魂が資本の魂であるからだ。民間企業は、資本の組織であるからだ。そして、資本とは、どんどん増え続けるお金の運動体である。元手を投入して利益を得てお金を回収する事業は、すべて資本の運動をなす。際限なく、無限の自己増殖運動をおこなうお金の数量運動が、人間を、社会を、世界を支配している。
私の本(上条勇『日本を貧しくしないための経済学―ほんとうにだいじなお金の話』ナカニシヤ出版、2015年)は、このことを初めて誰にでもわかるように、やさしく説明したものである。
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