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第1河和海軍航空隊の跡地は、戦後短い期間ではあるが第八高等学校(八高)の校舎になった。
戦前の高等学校は、戦後の高等学校とは異なり、文字通り高等教育を受けさせるエリート養成の学校だった。
戦後の高等学校と区別するために旧制高等学校と呼ばれる。
コンクリートの壁を蹴ったらムチャクチャ痛かったっすよぉ、と自慢している今の高校生。
生涯学習という言葉までできて、一生にわたり学習や勉強ということを奨励される。
万人が教育という名目で学校に通う戦後の社会は、戦後と比べてどれほどよくなったのだろう。
旧制高等学校を調べるうちに、そう思った。余談ながら。
旧制高等学校の中には地名ではなく、数字を校名にした学校がある。
これが東京の一高から始まるナンバースクールである。
名古屋には、八高があった。
ナンバースクールは旧制高等学校の中でも伝統校であり、八高は最後のナンバースクールになる。
昭和20年3月の空襲で、現在の名古屋市瑞穂区にあった八高の校舎は、多くが焼失した。
昭和21年9月、八高は第1河和海軍航空隊跡(現在の美浜町)に移転し、残った建物を使って授業を始めた。
軍隊の建物が、学校として戦後使われた例は多数ある。
昭和22年1月14日、八高河和校舎の寮から出火し、燃え広がって校舎も燃えた。
9月、八高は名古屋へ戻った。
現在、八高の跡は、田んぼになっている。
航空隊になり、旧制高等学校の校舎になり、最後は田んぼになった。
八高も、昭和24年7月、教育制度の移行によって名古屋大学の一部になった。
昭和25年3月、とうとう廃校となった。
記録や手記を見ると、旧制高等学校はいいところだったらしい。
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河和海軍航空隊
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