いつまでも、御塩倶楽部

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経験はないが、あこがれの歌姫を射止めた心境に近いと思う。
 
 
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ポスチャーフィット・フル装備のアーロンチェアを、買った。
 
ハーマンミラーの椅子である。
 
悲しくも安月給の身、思い立ってから5年ぐらい迷った。
 
人間工学に基づいた設計により曲線が多く、他の椅子にはない座り心地がある。
 
元来、自分の家にいることが、何よりも好きだったが、さらに家から出たくなくなった。
 
 
魔法の椅子のように書かれているインターネット上の評判もある。
 
リクライニングさせて、本を読むことも多いが、長時間同じ姿勢はやはりつらい。
 
あこがれの歌姫も全知全能ではないのである。
 本屋には色々な人が集まる、ということを最近知った。
 
まだまだインターネットに負けない要素が本屋にはある。
 
 
女性向けファッション雑誌のコーナーで立ち読みをする女性。
 
自分のカバンを平積みの雑誌の上に置いての立ち読みだった。
 
カバンは、ルイ・○○トン。
 
夜の本屋に現れた。
 
資本主義の欠点は、どんな人間だろうがお金さえ出せば、ほとんどの工業製品が手に入る、ことである。
 
封建制と比べるとその点平等であるが、お金は人間性や品位と関係がないのである。
 
 
本屋の中で、子供に商品の本で読み聞かせをしている母親。
 
この姿は、立ち読みの最終形態かもしれない、と考えた。
 
黙読をする立ち読みと比べて、一線を越えた気がする。
 
読み聞かせは、子供の発達によいとされる。
 
しかし、本屋での読み聞かせはもっと大切なものを失っている。

第八高等学校(八高)

 第1河和海軍航空隊の跡地は、戦後短い期間ではあるが第八高等学校(八高)の校舎になった。
 
戦前の高等学校は、戦後の高等学校とは異なり、文字通り高等教育を受けさせるエリート養成の学校だった。
 
戦後の高等学校と区別するために旧制高等学校と呼ばれる。
 
コンクリートの壁を蹴ったらムチャクチャ痛かったっすよぉ、と自慢している今の高校生。
 
生涯学習という言葉までできて、一生にわたり学習や勉強ということを奨励される。
 
万人が教育という名目で学校に通う戦後の社会は、戦後と比べてどれほどよくなったのだろう。
 
旧制高等学校を調べるうちに、そう思った。余談ながら。
 
旧制高等学校の中には地名ではなく、数字を校名にした学校がある。
 
これが東京の一高から始まるナンバースクールである。
 
名古屋には、八高があった。
 
ナンバースクールは旧制高等学校の中でも伝統校であり、八高は最後のナンバースクールになる。
 
昭和20年3月の空襲で、現在の名古屋市瑞穂区にあった八高の校舎は、多くが焼失した。
 
昭和21年9月、八高は第1河和海軍航空隊跡(現在の美浜町)に移転し、残った建物を使って授業を始めた。
 
軍隊の建物が、学校として戦後使われた例は多数ある。
 
昭和22年1月14日、八高河和校舎の寮から出火し、燃え広がって校舎も燃えた。
  
9月、八高は名古屋へ戻った。
 
 
現在、八高の跡は、田んぼになっている。
 
 
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航空隊になり、旧制高等学校の校舎になり、最後は田んぼになった。
 
八高も、昭和24年7月、教育制度の移行によって名古屋大学の一部になった。
 
昭和25年3月、とうとう廃校となった。
 
記録や手記を見ると、旧制高等学校はいいところだったらしい。
小牧市とは、愛知県にある市であり、小牧城と飛行場がある。
 
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さて、どこだったか、道路沿いで見つけた看板。
 
 
女性用水着に、たぶん小牧市温水プールの写真だろうか、かぶせてある。
 
よく見ると、それも立体的。
 
男性用水着では、だめだったのでしょうか。 
 
 
 
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「つまらないことはプールに流そう。
 
小牧市温水プール」
 
 
 
 温水プールだけに、暖かいコピーである。
 
 
流れてほしいことも、ある。
 
 
プールと言わず、海の向こうまで流れてほしいものもある。
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半田市立博物館(愛知県)に「彩雲(さいうん)」の部品が展示されている。
 
一緒に河和海軍航空隊を調査している方が、年賀状で教えてくれた。
 
昨年末から少しの間、博物館入口付近に置かれていたが、現在は館内に展示されている。
 
 
 
半田市博のホームページでは以下のように紹介されている。
 
12月26日(水)、先だって長野県飯田市にて発見され、市内企業の輸送機工業(株)にて保存することとなった艦上偵察機「彩雲」3人乗り、全長11メートル、1,990馬力、最大時速610km〔昭和20年8月の終戦までに中島飛行機(株)半田製作所(輸送機工業(株)の前身)にて379機製作された(半田市誌 資料篇IV P.164より)〕の「発動機架覆」と呼ばれるエンジン部のカバー。ジュラルミン製を輸送機工業(株)より多くの市民の方にご覧いただく為に当分の間借用展示する事となりました。貴重な資料をご覧いただけるまたとない機会です。是非ご来館ください。
(引用 半田市立博物館hp 博物館のNEWS)
 
 
 
 
 
「彩雲」とは、太平洋戦争後期の日本海軍の艦上偵察機である。
 
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(写真:彩雲プラモデルの箱 こんな感じの3人乗りの飛行機である)
 
艦上偵察機とは、空母で使用する偵察機のことである。
 
偵察機は、偵察を目的とするので武装よりも速度を優先して設計されている。
 
彩雲は、戦時中に半田市にあった中島飛行機半田製作所で量産されていた。
 
知多半島で、昭和一桁生まれの方と戦時中の話をしていると、昔動員で彩雲を作っていたと言われることがある。
 
彩雲は、有名な機体ではないが、地元で量産されていた関係で、知多半島では知っている方が多い。
 
それも機体自体の詳細を。
 
半田市では、中島飛行機半田製作所に関連する歴史の調査も多くされ、出版物もたくさん出ている。
 
そういえば、ある方が第二河和空で水上機を操縦していたが、航空隊の異動で彩雲に乗り換えた、と以前教えてくれた。
 
 
 博物館入口にあった時の方が、細部まで見学することができた。
 
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(写真:博物館入口で展示していた時の様子)
 
細部を見る。
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飛行機の部品というものが、いかに強度と軽さを考え抜いて作られていたのかよくわかる。
 
手元の資料では、展示の部品が半田製作所で作られたものかわからないが、同型であることは間違いない。
 
地元の歴史を地元で見る。
 
将来のまち作りは、こんな所から差がでるのかもしれない。
 


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