いつまでも、御塩倶楽部

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 名鉄河和線の終点である河和駅(愛知県美浜町)から徒歩で5分ぐらいの所に、河和港がある。

ここから日間賀島(南知多町)、篠島(南知多町)、伊良湖(田原市)へ高速船が出ている。

船が着くと、釣り客や島で宿泊した御一行が下りてくる風景を見ることができる。

 また、河和港の他にも河和漁港という港もあるが、全く別の港なので注意されたい。

さらに付け加えると、河和漁港は、戦時中に海軍が作った軍用の港が元である。

かわぐちかいじの漫画に、漁村から海軍に入った村の秀才に対して、自分たちは魚を殺す船に乗っているが、あいつは人を殺す船に乗った、というセリフが出てくる。

河和漁港は軍用を、戦後に漁港にしたのだろう。



 河和港には南国情緒ある庭があり、そして灰皿がある。

この灰皿は、常滑焼の土管を縦に埋め、その中に砂を詰めて作ってある。

他県の方が見ると異国情緒溢れているが、知多半島の人にとってはめずらしくもない。

このような土管の写真を撮っていると、不思議がられる。

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名鉄河和駅(愛知県美浜町大字河和)



 知多半島を南下するには、名鉄とJRがある。

JRは、武豊駅が終点になる。

名鉄(名古屋鉄道)は、途中いくつか枝分かれしており、終点が3つある。

そのうちの一つが、河和駅である。

 戦前に鉄道を敷く際、河和を終点にするという地元からの条件で敷けたという話もある。

真偽は確認していないが、終点は経済的にメリットが多いのだろう。




 さて、河和駅へ来るといつも思う。

電車が停車しなかったら、こいつで止めるつもりだろうか?(写真)

河和駅で下車する人は、みんなお世話になる可能性がある。

砂利で衝撃を吸収してから止めるというのはわかるけど、大きなバネとかあると安心できそう。



 ちょっと終点は、強気だね。

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 愛知県半田市の東部に衣浦港という港がある。

ここへ南北に流れる半田運河がつながっている。

運河の両岸には、黒色の倉庫が並んでいる。

岸を歩くと、半田のかつての興隆を感じさせる。



 中でもミツカンの巨大な倉庫は、目立つ、目立つ。

黒塗りの倉庫に白抜きされたそのマークは、威圧的でさえある。

地元ではミツカンに就職すれば、大したものだ、と言われる企業である。



 大学1年生の時、大学の図書館内で通りかかった机にミツカンからの封筒が置いてあった。

宛先は、愛知県内のある市内の住所。

愛知から東京に来ている人がいるんだなあ、と通り過ぎる時にのぞいていた。


封筒の持ち主と目が合い、「すいません、ぼくも愛知から来ているので、ついつい」と謝った。


持ち主は同じ大学の4年生で、ミツカンに内定をもらったそうだ。


同郷のよしみは、ありがたい。





「ミツカンは美人が多い、と聞いてるんですが、本当ですか?」



「採用担当者は、雰囲気も重視していると聞いているよ」




 おれもミツカン行きてー。




 結局、4年後に受けませんでしたが、当時はそう思いました。

酢がちょっぴり苦手なの。

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 愛知県半田市から碧南市に、衣浦湾を通って海底トンネルがある。

知多半島南部から三河へ行くには、有料だが使うと随分ショートカットになる。



 学生のころ、群馬県の後輩から愛知県吉良町への行き方を聞かれた。

「海底トンネルを通って・・・」と説明すると、驚かれた。

ガラス張りになっているトンネルを想像して、海の中が見えると思ったらしい。



 先日、石川県の友人に、「海底トンネルを通って・・・」と説明すると、驚かれた。

ひょっとしてガラス張りになってると思った?、と聞くと、そうだと言う。



 そう思う人は、「こころ」の澄んだ人。

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 愛知県名古屋市南区に笠寺公園という公園があり、公園内に名古屋市見晴台考古資料館という施設がある。

この場所には見晴台遺跡という弥生時代の集落遺跡で環壕(集落を守るための堀のような溝)もあった。


 また、太平洋戦争中に米軍の爆撃機を迎え撃った笠寺陣地という高射砲陣地の跡でもある。


愛知県は軍需工場と熱田神宮があるため、いくつかの高射砲陣地が造られた。

本土防空は陸軍の担当なので、笠寺陣地は陸軍の施設である。

陸軍は南東からB29が進入してくると想定していたが、実際は西から空襲された。

南に伸びた舌状台地の先端部に、6門の高射砲が配置されていた。

高射砲部隊は高射砲だけあればいいという単純なものではなく、他にも観測機器や宿舎など多くの施設があった。


 現在は2門の遺構が見学できるようになっている。

(写真 上)高射砲の砲床

(写真 下)砲側弾薬庫

砲側弾薬庫のコンクリートの上には、土で土塁が造られていた。


 太平洋戦争中の遺構は、中世以前の遺跡に比べて法律で十分に保護されてはいないのが現状である。

保護の対象になりえるのかという議論の前に、その遺構が一体なんなのかということから調査を始めなければならないのも、この時代のまた現状である。


参考文献 『本土決戦』2007 学研

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