いつまでも、御塩倶楽部

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愛知県の話題

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ゴミ集積所のある風景(愛知県美浜町大字野間)



 都会での家庭ゴミは、家の前だったり、道路の端だったりに場所が決まっていて、回収日に集めてもらえる。

田舎では、立派なゴミ集積所というのが設備としてあって、ここに入れておく。

大きいものは、小さな車庫ぐらいある。

野良犬やカラスなどに荒らされないように、入口はカギもかかる。



 ある人から聞いた実話である。

夜、ゴミ集積所の前を通りかかると、中から呼ぶ声がした。

恐る恐る金網の中をのぞいてみると、人間がいた。

聞くと、そのおばさんは中に入ってゴミを置いていたら、何かの拍子にカギが閉まってしまったらしい。

場合によっては、一晩泊まることになったかもしれない。

ブタ箱ではない檻の中で泊まるのである。



 愛知県美浜町大字野間で見つけたゴミ集積所には、花壇が併設されていた。

多分、花壇の場所は不燃ゴミの置き場だった場所で、現在は分別回収がされているので使われなくなったのではないだろうか。

そして、空間を空けておくと、ゴミを置いていく人がいるから、花壇にしたと思う。

ゴミを捨てる人は、自分の不要になったものを捨てるのでゴミに対しては無責任になりがちである。

一方では、誰かが責任を持ってゴミ集積所横の花壇で花を育てている。


無責任になった人は、この花壇の花を見て、反省をする。

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小野浦(愛知県美浜町)を歩く



 愛知県美浜町に小野浦(おのうら)という地区がある。

一番近い駅が名鉄野間駅になり、徒歩で50分ぐらいかかる。

小野浦には海水浴場があって夏は混み、道沿いには休憩場や駐車場の呼び込みがお客をとろうと旗を振っている。




 小野浦の魅力は、海ではなく、町並みにある。

先ず、細い路地が、細かく走っている。(写真 上)

多分、江戸時代から区画は変わっていないのだろう。

一般的に宅地の多くは、道路に区画の一面しか接していない。

最低限一面は道路に面していなければ建築許可が出ないので、どの家もこうなる。

小野浦では、正面と後ろで二面が道路に接している区画が多い。

さらに角地で3面が接道しているという例も近隣地区と比べて多い。



 二つ目は、石垣が多い。(写真 中)

理由はよくわからないが、地区全体が海岸に向かって傾斜があるからだろうか。

それとも、石垣を造るだけの財力があったからだろうか。

江戸時代に千石船で栄えた地区であり、そんなに大きな集落ではないにもかかわらず、東組と西組と別れ、千石船の形をした山車がそれぞれあった。

また、石垣ではないが、基礎らしき石列もよく見かける。

建物を壊して、下の石だけをそのまま残したようである。




 夏のある日、小野浦の集落の中で、立ち止まって地図を見ていたら後ろから声をかけられた。


どこへ行かれますか?


振り返ると老婆がいた。



あ、ちょっと調査をしておりまして、と答えると



弘法さんかと思いました、と老婆が照れながら言った。

近くに知多新四国をやっている良参寺(写真 下)というお寺があるので、「弘法まいり」と思ったらしい。


 小野浦とは、そういう所なのである。

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心ト時常ニ正シカレ(愛知県美浜町布土)


 愛知県美浜町に「布土(ふっと)」という地区がある。

幕末から昭和中期まで磨砂を採掘して、地区の産業にしていた。

磨砂は火山灰の一種で、白色である。

地面が白くてまるで布のようだから、布土という地名になったという話もある。



 さて、この地区の農協(現在のアグリス)の前に時計がある。

農協の新しい店舗は国道247号沿いにあるが、時計があるのは移転前の旧店舗の方である。



 時計の台は、コンクリートにタイルを貼って作られている。

向かって左側面は全面にタイルが貼られているが、右側面はコンクリートのままである。

右側には木もしくは建物があって遮蔽されていたからであろう。

正面には、文字が彫られていて、墨が入れてある。



心ト時常ニ正シカレ

大正15年12月4日

河和町○部青年団設置(○は判読困難)




神社や寺院の施設には設置された年月日がよく書かれているが、時計台のようなものにまで書かれているのはこの地区にとって貴重である。

「心ト時常ニ正シカレ」という言葉に、当時の青年たちが持っていた生き方に対する清潔感を感じた。



 時計自体は最近のものに取り替えられているが、きちんと時を指している。

だから、「心ト時常ニ正シカレ」という言葉は、現在の人に対しても訴えている。

菰豆腐(こもどうふ)

菰豆腐(こもどうふ)

 先日、旧カブトビール工場で見たビール菰の話を書いた。

知多半島における菰(こも)の話が、もう一つあるので、今日も菰の話を続けたい。



 愛知県の知多半島に美浜町という町がある。

人口は約2万5千。

以前は戸塚ヨットスクールがある町といえば分かってもらえたが、最近では南セントレアと言った方が他県の人には通じるらしい。

その美浜町の西海岸に奥田という地区がある。

南知多ビーチランドという水族館がある場所と言って説明することが多い。

考古学をやっている人には「奥田製塩遺跡」「奥田廃寺(海道田遺跡)」がある場所と言えば、あそこかあ、となる。



 この奥田という地区に「菰豆腐(こもどうふ)」という料理がある。

 菰豆腐は豆腐2丁をワラで包んで、煮た料理である。

ワラに包まれて売っている納豆のイメージである。

そのため豆腐にワラの痕が付いており、ワラにおいもする。

味噌を付けて食べる場合もあるし、調味料と一緒にもう一度煮て味を付ける場合もある。

一方、包むワラは叩いてやわらかくされている。

中に入っている豆腐2丁は塩でつながれているらしい。



 常日頃は菰豆腐を作らない。

葬式の時だけ作る。


最近の奥田では、セレモニーホールを使う葬式が増えたので食べる機会は減ったが、お寺や自宅で行う葬式の手伝いに行くと酒や料理と一緒にこの菰豆腐が出てくる。


食べてみると、固い豆腐である。

以前食べた時は、ナルトのような食感だと思った。

奥田以外で食べたという話は聞いたことがない。

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たからセンター(愛知県武豊町)


 先日、長尾城を見に行ったら見つけた。

武雄神社からJR武豊線の踏切を渡ると、そこにある。

地元の方に尋ねたら、いろいろな店舗が入る商業施設だったとのこと。

イオンのような式だろう。

閉鎖されて久しいらしい。



 名鉄武豊駅から御幸通りを経てJR武豊駅に至るまでは商店街である。

さらにJR武豊駅から石川病院前の踏切までも住宅は多いが商店街である。

ともに新旧入り交じる商店街であり、武豊町のかつての中心商業地区だったと思われる。



 一言で言うと、「諸行無常」が適当なんだろうか。

でも、たくさん人が出入りしていた建物は、使われなくなっても、その時の雰囲気が残っているから不思議。


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