いつまでも、御塩倶楽部

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愛知県の話題

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ビール菰(旧カブトビール工場)

 このゴールデンウィーク中に、愛知県半田市にある赤レンガ建物(旧カブトビール工場)が公開された。

現存する大型のレンガ造りの建物であることと戦時中に中島飛行機の衣糧倉庫としても使われていたことがあり、米軍機の機銃掃射の跡があることでも有名である。



 さて、今回、「ビール菰(こも)」の製作実演に出会えたことがとても印象的。



「ビール菰の製作は主として近在の老人、学童がたずさわり、小遣い稼ぎのために盛んに行われたのである。

菰編みは小学2、3年生ころから始める者が多く、小学校卒業まで継続するものがほとんどで、高学年になると「箱打ち」といって、ビール箱(ビール瓶の輸送用)製造にビール工場に通う者も多くいた。」

(会場にあった説明案内より引用)



 ビール菰とは、ビール瓶が割れないように瓶にかぶせるワラ製の緩衝材である。

現在のプラスチック製ビールケースは瓶同士が当たらないように仕切りが付いているが、昔の木箱ではビール菰が割れないようにする役目を担っていた。

 明治生まれだった祖母が、ビール菰を子どもの頃に作ったと生前よく言っていた。

幼いぼくは、菰(こも)の発音を「ゴム」とずっと聞き間違えていて、ビールゴムだと思っていた。

なるほど、これを祖母は作っていたのである。



 祖母の実家は、半田市の南にある武豊町にあった。

時期と場所から考えると、祖母たちはカブトビールで使うビール菰を作っていたのかもしれない。

白髪で入れ歯だった祖母しか記憶にないが、少女だった頃もあったと思った日。

名古屋市の河村宅

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 名古屋市長選を前に演説中の河村たかしを名鉄名古屋駅前で見た。

愛知県以外の方はよくわからないと思うが、当選後県内では、ほぼ毎日、テレビニュースや新聞に河村たかしは登場して来る。



 さて、名古屋市の地下鉄丸の内駅近くに、「河村瑞軒(ずいけん)宅跡」がある。

というか、河村たかしを見た日に、初めて知った。

現況は教授寺というお寺の境内地らしい。

河村瑞軒は、江戸時代に航路開発を行った人物である。(詳細は説明板写真参照)

高校日本史の教科書にも出てくるメジャーな人である。



 名古屋市教育委員会は、このような高札形の文化財案内板を設置しているので、気を付けているとよく見かける。

どこのだれがこれらの説明を書かれているのか知らないが(複数の執筆者がいると思うが)、幅広い対象に対して説明板にできる原稿が準備できるということは立派なことである。

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日本油脂の電車(武豊町立長尾児童館)



 愛知県武豊町内には、いくつかの電車が保存されている。

その一つが、武豊町立長尾児童館にある。

「しまむら」の道向かいにあるので、気がついた方もいると思う。



 武豊町にある日本油脂で、かつて使われていた。

日本油脂は火薬を製造している会社で、大きな工場が町内にある。

現在、この車両を学童保育である「長尾児童クラブ」が使っている。

(使用された時期や設置の経緯は、ぼくがよく調べていないのでわかりません)

当初は、この中に児童が集まって過ごす予定だったが、児童数が多くなったので学童保育は隣接している児童館内で行われている。

そのため、車両は児童の荷物置き場として利用されている。



 足回りは原形を残していると思われるが、扉や窓は付け替えられている。

内部は一般見学者に公開されていないのでわからないが、利用形態から推定すると椅子などは外され、お座敷にみたいになっているのだろうか。

設置の経緯はわからないが、レールも復元されているので車両自体の利用目的の他に展示の意図もあったと思われる。



 そこに住んでいるならその場所に愛着を持てという強要型の郷土愛は、間違っている。

あなたの住んでいる場所にはこんな出来事やモノがあります、という提案型の郷土愛で育てられた方が、愛情は深いと思う。

かつて地域の産業に使われていたモノ(この場合は電車の車両)が、身近に残されているということは、将来に対する提案なのである。

もちろん、費用や安全対策の問題があるので、何でも残せ、という意味ではない。

長尾児童館にある車両を使った子どもたちの何人かは、大人になっても何かの拍子に自分が子どもだった時とともにこの車両を思い出すだろう。

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水の少ない土地・知多半島



 知多半島は、元来、水の少ない土地である。

その証拠に、溜池が多い。

水が少なくては、稲作ができないからである。

河合克己氏の研究によると明治23年側図の地図では931の溜池が読みとれたそうだ。

(2001年に行われた河合氏の講演資料による)

場所によっては、谷に田が作られ、その奥には必ず溜池がある。

そこでは谷一つ分の田に、溜池一つが用意されたらしい。

ぼくらが小学生の時には、先生から溜池はすり鉢状になっていて深いから絶対に入るな、とよく注意を受けた。



 戦時中に知多半島にあった第1河和海軍航空隊の基地には1000トンの水量がある配水池が造られている。

他にも航空隊の水に関係する遺構は、現在にいくつか残っている。

飛行機の整備教育をする練習航空隊だったので、多くの練習生をかかえ、その生活を支えるためには、大量の水を確保する必要があったのだろう。



 現在は愛知用水があるので知多半島は水が少ない土地だとは思わない。

先日、美浜町大字野間(小学校の北)で水に関連する装置を発見した。(写真)

ゴミ集積所の屋根により雨水を集め、桶に貯蔵している。

そして、集積所周辺の植木鉢に撒いているようだ。

機能的かつ実用的、往年の知多半島を想像した。

現在の人も水を集めている。



 いろいろなモノやヒトに賞が贈られている昨今。

こういう装置にこそ賞を贈りたい。

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 最近、マネキン人形の頭部と利用した案山子(かかし)を見かける。

とてもリアルで、山を歩いていると人間かと思って、ひるむことがある。

しかし、鳥は必ずしも人間と同じ知覚だとは言えないので、案山子の形態をより人間に近づければいいという訳ではない。

案山子の顔に「へのへのもへじ」を見なくなったことは、残念である。



 小学校の1年生だったか、2年生だったか、案山子を欲しがった時期がある。

我が家は農家ではなかったので、親が近所の農家に頼んでくれて、1体もらった。

農機具倉庫から家へ持って帰る時、自分で担いで帰ったが、案山子は大きいものだなあ、とその時初めて実感し、驚いた。



 愛知県の知多半島に美浜町という人口約25,000人の町がある。

町内に「切山(きりやま)」という地区がある。

山の中にある集落で、落武者が隠れ住んだ伝説がある。

山の中といっても半島内の丘陵なのでしれているが、雰囲気は山の中。

知多半島の「五家荘」である。

切山のある農機具倉庫にたくさんの案山子がしまわれていた。



 案山子の軍団、これでドロシー一行も無敵。


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