いつまでも、御塩倶楽部

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愛知県の話題

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 先週、近現代の常滑焼を勉強するために久しぶりに常滑を訪ねた。

同じ知多半島に住んでいても、常滑は近所という気がしない。

競艇ファンには、とっても身近だろうけど。

 知多半島5市5町中、常滑市の町並みだけ雰囲気が異なる。

街中、常滑焼の工場で、焼き物で街が造られているように思えてくる場所である。

先日行った時、墓地の擁壁(ようへき)を土管で作ってある風景を見つけた。

現在の常滑で骨壺を作っているのか知らないが、ここでは死んでも自分たちが作った焼き物と一緒である。

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 河和港(愛知県美浜町)の乗り場に「新美南吉先生文学碑」はある。

新美南吉は、昭和12年4月から7月まで、河和小学校に代用教員として来ていた。

その縁で、このような碑も当地に造られている。

字は、渡辺桂華(けいか)の書である。

碑の横にある説明によると渡辺桂華はかつて教員をしており、南吉の同僚だった。


 桂華は、2001年に85歳で亡くなった。

美浜町にお住まいだったので、町内小中学校の体育館に掲げてある校歌の歌詞の多くは桂華が書いている。

生前、一度だけお会いしたことがあり、静かな方話し方をする方だったと記憶している。


南吉の生きた時代が、ついこの前だったような気がしてくる。

(敬称は省略させていただきました)

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 場所は、愛知県美浜町大字上野間。



国道247号沿いにある。

でも、いつオープンしているのかわからない。

オープンしていると寄っていくという人も結構いると思う。



 二年前のある情報紙によると定休日は月・火、営業時間は9時〜12時だそうだ。

その時、定休日と営業時間があったのか、と驚いた。


ファミコンで例えると、隠れキャラみたいな店である。




 個々のダンゴはやわらかく、それ故に形は不揃い。

冷めてもやわらかい、と聞く。

一本と言わず、二本はペロッと平らげてもらいたい。

ファンも多く、10本単位で購入する大口の客も多い。


 以前は、おばあさんが一人でやっていたと思うが、先日行ったらもう一人女性がいた。

北斗の拳のように一子相伝にでもなったのだろう。


店は小さくても、重厚な伝統が続くことを願いたい。

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 名古屋タイムズという夕刊紙がある。


その名古屋タイムズが10月31日で休刊した。


毎日新聞(2008年11月1日朝刊)の記事によると、名古屋タイムズの創刊は1946年5月、2004年4月の発行部数は約12万部。



 続いていたのかわからないが「こだわりB級スポット」(執筆 フリーライター大竹敏之)というコーナーがあった。

このコーナーに知多半島関連の話題で美浜町にある3体のかっぱ像が取り上げられたことがある。

 どこの都道府県や市町村にでもその場所の自然、地理、歴史、産業、教育など諸々をまとめた百科事典みたいな本がある。

「史誌」と分類される本で、歴史をまとめたものが「○○市史」「○○県史」、諸々をまとめたものが「○○市誌」と書名が一般的に付けられる。




 その後、自分で調べてみると「かっぱ像」については、美浜町誌よりも名古屋タイムズの記事の方が現地調査や過去の文献調査もされていて断然詳しい。

美浜町のかっぱ像について記された文献のベスト3に入るので、かっぱ像を調べる方は、先ず名古屋タイムズの記事に当たってもらいたい。


(写真 父ちゃんかっぱの野間太郎)

※かっぱ像の詳細は、いずれ書きたいと思います

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愛知県知多郡美浜町大字河和字北屋敷


 愛知県の知多半島に河和(こうわ)という地名の場所がある。

さらに河和の中に、「北屋敷(きたやしき)」という小字がある。

北屋敷の他に古屋敷(ふるやしき)、南屋敷(みなみやしき)という小字もある。



 河和の地は、戦国時代に戸田氏が治め、江戸時代には水野氏が治め、そのまま明治維新に至る。

戸田氏が河和城を築き、理由はよくわからないが安土・桃山時代に河和の人々によって壊された。

戸田氏の最後の代に嫁いでいたのが水野一族の女だった。

河和城が壊された時に、この嫁と息子が関東に逃げた。

関東に逃げたのは、水野氏の血が徳川家康とつながっているためである。

そして、また河和に戻り治めた。

姓も戸田から水野を名乗るようになった。



 水野氏の屋敷は名古屋城下と河和にあり、河和では北屋敷にあった。

地名がどこまでさかのぼれるのか知らないが、河和城は「西谷」という小字にある。

西谷の南に「古屋敷」という小字があるので、戦国時代はこの辺りに集落の中心があったのだろうか。

江戸時代は水野氏の屋敷や天神社が北屋敷にあるので、北屋敷が中心だったのだろう。



 長々と河和の小字を説明したが、道が狭い場所だということを知ってもらいたかったからである。


国道247号から町並みへ少し入れば狭い道路が入り組んでいる。


道幅が狭く、用水の上に張り出しを設けて道幅を増やそうとしている。


戦国時代からの因果で、現代人が知恵を絞った結果である。


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