いつまでも、御塩倶楽部

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塩づくりの研修会2010

 先月の話で恐縮だが、今年も某教育関係者の研修で古代製塩の講師をやった。
 
実習なので自分を含めて講師が3人いて、このメンバーで5年目である。
 
塩づくりは人気講座なんですよ、と研修担当者から言われているが、5年で区切りもよいので来年度は呼ばれないかもしれない。
 
 
 さて、自分が話をする部分は「日本における製塩の歴史」「体験学習としての塩づくり」である。
 
海水の塩分濃度は約3%ある。
 
煮沸して塩の結晶を得るには、濃度が低いと時間と燃料が多く必要になる。
 
だから、採鹹(さいかん)という海水を濃縮する工程が必要になる。
 
という話をする。
 
実際、ほとんどの人は3%とはいえ海水はとても塩辛いと経験を通して感じている。
 
 
 
 研修では濃縮した海水(鹹水)を使用するが、一つだけ海水を使って煮沸する。
 
 
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鹹水を煮沸すると、あっという間に結晶が内面にできる。
 
 
 
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上の写真は土器一杯の海水を蒸発させた結果である。
 
個々の火加減や鹹水の継ぎ足しの有無などで厳密な比較はできないが、海水と鹹水の違いがわかる。
 
歴史に関連する体験型の講座は、歴史の説明に重点を置きがちであるが、理科的な体験こそが先ずおもしろい要素である。
知多式3類の次ぎは「知多式4類」と呼ばれる先のとがった細い足が付いた型式になる。
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知多式4類は、約1100〜1350年前に使われた。
 
知多式4類は、それまでの知多半島の製塩土器とは異なる作り方で作られている。
 
古墳時代から約250年間、知多半島の製塩土器は手だけを使って脚の形を整えてきた。
 
しかし、知多式4類は粘土を板の上で転がして円錐形にされている。
 
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この脚部製作技法を「回転粘土技法」と言う。
 
だから、知多式3類のように土器の表面に手や手の平の跡が残っていない。
 
板の上で転がす作り方は、簡単に決まった大きさの脚を作り出すことができるので、知多式4類は約250年間という長い時期使われている。
 
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税として木簡を付けられて都に運ばれた塩は、知多式4類で作られた塩である。
 
 
渥美半島と島嶼部(日間賀島・篠島・佐久島)でも知多式1類と同じ約1500年前に製塩が始まっている。
 
渥美半島・島嶼部は、すでにこの頃から板の上で粘土を転がして製塩土器の脚を作っている。
 
この技法が1350年前に知多半島に伝えられ、知多式4類に使われたと考えられる。
 
製塩が行われた遺跡数は渥美半島や島嶼部よりも知多半島の方が多く、知多半島で作られた塩の方が広く流通している。
 
生産規模と流通規模は知多半島の方が大きいので、知多半島がより製塩の効率を上げるために他地域の技法を取り入れたと考えられる。
 
参考文献
磯部利彦2010「古墳時代・律令期における伊勢湾・三河湾周辺の製塩土器」『伊勢湾考古』21号
製作技法から見る製塩土器(知多式3類)
 
知多半島では古墳時代から平安時代まで継続して製塩が行われている。最初に製塩が定着した頃は、知多式1類という円筒形の脚を持つ製塩土器が使われていた。
 
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知多式1類の後に「知多式3類」と呼ばれる先のとがった太い脚が付いた製塩土器が使われる。作り方は、粘土の塊を手で握って形を整えて太いとがった脚にする。だから、表面に手や手の平の跡がたくさん残っている。指頭痕、掌痕の配置や先端部の形態から知多式3類の製作技法は復原されている。
 
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容器部分の作り方は知多式1類と同じである。円筒形の知多式1類よりも簡単に作ることができ、地面にも刺しやすくなっている。知多式3類が使用された時期は約1350〜1400年前である。知多式3類の次ぎには、知多式4類という型式の製塩土器が使われる。
 
 
 
参考文献
磯部利彦2010「古墳時代・律令期における伊勢湾・三河湾周辺の製塩土器」『伊勢湾考古』21号
知多半島の製塩土器(知多式1類)
 
 知多半島では、縄文時代や弥生時代と推定される製塩土器が発見されているが、古墳時代になってから土器製塩が定着する。
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この時使用された製塩土器は、ちくわのような円筒形の脚が付いた形をしている。
 
円筒形の脚は地面に刺して土器を安定させる役割がある。
 
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製塩土器の容器部分は割れて出土するので、容器部分(坏部)を支えた脚が研究対象になっている。
 
 
 
 作り方は、粘土の塊を手にとって形を整えてから指で穴を空けて脚を作る。
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その後、脚の上部を指で摘んで上に付く容器部分の底を作る。
 
摘み上げた部分に粘土ひもを積んで容器本体を作る。この型式を考古学では「知多式1類」と呼ぶ。
 
使われた時期は、約1400〜1500年前である。
 
なお、製作技法にはいくつかの説が出ているが、ここでは下記の参考文献による。
 
 
 
参考文献
 
磯部利彦2010「古墳時代・律令期における伊勢湾・三河湾周辺の製塩土器」『伊勢湾考古』21号
 
磯部利彦2010「知多半島の製塩土器」『ふるさと』16号
某コンビニで「直火焼きたらこ」のおにぎりを買った。
 
食べながら、何となく、おにぎりの包装を見ていると、
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「振り塩に瀬戸内の藻塩を使用」
 
と書いてあった。
 
 
考古学で1990年代に土器製塩の採鹹方法の研究が進み、万葉集で使われている「藻塩(もしお)」の意味がわかってきた。
 
しかし海藻に海水をかけていたのか、海藻を焼いていたのか、さらには海藻に海水をかけてその後焼いていたのか、定説がない。
 
だから、古代製塩の「藻塩」が、どんな製法だったのか、正確にはわかっていない。
 
さらに、古代の製塩方法を記した同時期の文献はないので「藻塩」とはどんな塩だったのか、わからない、ということになる。
 
 
「藻塩」という言葉が多用される昨今である。
 
 
調査や研究よりも、商売の方が先行し、世間に浸透している。
 
調査や研究のスピードが遅いのも一因なんだろう。
 
 
おにぎりは、おいしかったです。念のため。

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