いつまでも、御塩倶楽部

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考古学・歴史学

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二見興玉神社の藻刈神事


はじめに

 伊勢の名物「赤福」に「伊勢だより」という紙片が入っている。伊勢の年中行事を絵と文章で紹介してくれる。筆者がお土産でいただいた赤福には、二見浦の藻刈神事(もかりしんじ)を紹介した「伊勢だより」が入っていた。二見浦の藻刈神事とは、二見興玉(ふたみおきたま)神社の沖で神職と巫女がアマモを採取する儀式である。

古代の製塩が採鹹(さいかん・海水の濃縮工程)で海藻を使用することを、文献史学や考古学では広く知られている。

①乾燥した海藻の表面には塩の結晶が付着しており、このままの状態で海藻を焼く。

②塩の混ざった海藻の灰ができ、海藻灰を海水に溶く。

③海藻灰の沈殿を待ち、上澄みを煮沸して塩の結晶を作る。

工程の流れは、遺跡や遺物の研究により明らかにされつつあるが、わからない部分も多い。

二見興玉神社の藻刈神事は、製塩を目的とした海藻採取ではない。

しかし、古代製塩で使用したと考えられているアマモを採取している点で、この神事の中に製塩へ示唆を与える要素があるかもしれないと、「伊勢だより」を見た時に思った。アマモの利用形態として、2012年に藻刈神事を調査したので紹介したい。
 

1 二見興玉神社の藻刈神事
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二見興玉神社は、三重県伊勢市にある。神社のすぐ沖には、名勝である夫婦岩がある。

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藻刈神事は、毎年5月21日午前10時に始まる。

①本殿で祭典をする。
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②神職・巫女は、榊・幟を立てて縄を張り巡らせた船に乗り、沖へ出る。
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③船は、興玉神石(おきたましんせき・神社の沖にある岩礁)を三周する。

④二拝二拍手一拝し、酒やお供えを海へ捧げた後、長い柄の付いた鎌でアマモを刈り取る。アマモは桶に入れられる。
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⑤神職と巫女は神社に戻り、本殿に刈り取ってきたアマモを供える。調査した年は、終了が午前1140分頃だった。
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⑥アマモを天日で乾燥させ、神事に使用する。

主な作業は、海上約七〇〇メートル沖で行われているため、陸上から神事の詳細まではわからない。本稿では二見興玉神社のリーフレット、ホームページの説明を参照した。

 藻刈神事では、アマモのことを「無垢塩草(むくしおくさ)」と呼び、乾燥させた無垢塩草はケガレをはらうと考えられている約八センチに切りそろえられた無垢塩草は四〜五本で一包みとなり、二〇〇円で配られている。

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無垢塩草を風呂のお湯に入れたり、身につけておくとケガレがはらわれると考えられてる。他には、しめ縄に付けておくと家の出入口のケガレがはらわれる、田畑の畦に立てておくと害虫が田畑に入ってこない、という使い方もある。

 
2 藻刈神事と古代製塩

藻刈神事を行う神社は、二見興玉神社だけではない。

宮城県の塩釜神社に「藻塩焼神事」がある。毎年7月に神社内で行われている製塩の神事である。この神事は、藻刈神事、水替神事、藻塩焼神事で構成されており、各神事を一日づつ行い、三日間にわたって行う。二見興玉神社ではアマモを刈っていたが、塩釜神社の藻刈神事は、ホンダワラを刈り取っている。

塩釜神社の藻塩焼神事は、鉄釜の上に竹で作られた簀を置き、ホンダワラを広げ、そこへ海水を注ぐ。注がれた海水はホンダワラを伝って鉄釜へ滴り落ちる。鹹水は鉄釜で煎熬され、作られた塩は神前に供される。かつては藻塩焼神事を古代製塩の採鹹の名残とする説が有力だったが、最近は海藻を焼いたとする説の方が有力である。塩釜神社の神事が古代製塩の工程の完全な復原とは言えなくても、海藻採取から鹹水の煮沸まで一連の製塩作業になっている点に特徴がある。

一方、二見興玉神社の藻刈神事は、ケガレをはらう道具としてアマモを採取している。なぜ乾燥したアマモがケガレをはらうのに用いられるのだろうか。「江戸時代には、浜参宮(つまり潮水を頭から被る潮凝り)をできない人には無垢塩草を配っていた」(榎村寛之「二見藻刈神事見学記」斎宮歴史博物館ホームページ斎千話一話)らしい。海水の代わりを無垢塩草が果たすのであるから、アマモ自体がケガレをはらうのではなく、塩の結晶が付いているアマモだからケガレをはらえる、と推定できる。つまり、無垢塩草の表面に付いている塩の結晶がケガレをはらっていることになる。アマモ表面に付着した塩の結晶を利用している点で二見興玉神社の藻刈神事と古代製塩に共通点はあるが、それだけで藻刈神事が古代製塩の名残だということではない。
 

おわりに

現在行われている神事の調査は、民俗学の範疇である。民俗学には時間認識がないので、調査した神事が、いつからわれているかがわからない。ある土地の伝統文化だと思っていた行事が、つい最近になって文化や歴史とは関係ない理由で始まったような例は少なくない、と思う。時代や場所によって文献や考古学資料だけでは、資料が限定されることがある。そのような時に、民俗学の調査成果は、貴重な資料になるので、調査と記録は地方史にとっては必要である。


参考・引用文献

・磯部利彦1995「土器製塩における採鹹の季節性-伊勢湾・三河湾を中心として-」『知多古文化研究』9 知多古文化研究会

・岩崎敏夫1980「塩釜神社藻塩焼神事」『東北学院大学東北文化研究所紀要』第11号 東北学院大学東北文化研究
 
 
 
 
 
 
 
 
先日、ある場所で、歴史教室の講師をやらせてもらった。
 
地元の製塩をテーマに2時間、という依頼だった。
 
時間をたくさんいただいたので、歴史を調べる方法、製塩の技術変化で土器製塩の位置付け、を説明に加えた。
 
教室が始まる前、主催者側の担当者に「緊張でおなかが痛い」と言ったら、笑いながら「やだなあ〜もう〜」と言われた。
 
ぼくが冗談を言っていると思われたらしい。
 
とにかく、歴史教室は無事終えることができた。
 
途中に挟む休憩時間にも製塩について質問をいただいた。
 
みんな熱心なのである。
 
参加者の方々には、とても感謝しております。
 
 
以下は、資料の一部。
 
1)  はじめに
 
2)  歴史を調べる方法
①考古学とは?
 
文献史学 文字資料(記録、日記、手紙)
歴史(日本史)───
 
 
考古学  もの(石器、土器、遺跡)
 
 
 
 
 
②文献史学・考古学の長所・短所
 
③考古学の考え方
・型式学
・地層累重の法則
 
3)  日本の製塩の歴史
①製塩の始まりと製塩技術の変化
・海水を濃縮する工程(採鹹・さいかん)
・鹹水の水分を蒸発させる工程(煎熬・せんごう)
 
②古代製塩
 
4)  古代の社会
①当時の税制
・租庸調
     ・木簡からわかること
 
②製塩土器からわかる当時の社会
     ・製塩土器の型式
・製塩土器の分布
 
5)  おわりに
 7月に作った製塩土器を使って、煎熬(せんごう・濃くした海水を煮沸する製塩工程)を体験する。
 
古墳時代〜平安時代の製塩は、海藻を使って海水を濃縮していた。
 
海藻は、アマモが使用されたと推定されている。
 
もう一人の講師が説明しながら、乾燥させたアマモを燃やし灰にして、その灰を海水に溶く。
 
アマモ表面に付着していた塩の結晶が、海水に溶け込むので、塩分濃度は上昇する。
 
灰の沈殿を待つと、きれいな鹹水ができる。
 
だから、灰を海水に溶いても、できる塩は白い。
 
以上が、当時の海水濃縮方法である。
 
古代製塩の塩が「藻塩(もしお)」と言われる由縁である。
 
 
 実際にアマモを使って濃度を上げようと思うと、大量のアマモが必要になるので、別の方法で濃縮した鹹水を研修では使っている。
 
もちろん、アマモから作っていない鹹水であることは説明する。
 
伊勢湾・三河湾では、海洋汚染や海底の造成によりアマモは激減している。
 
今年は、入手するにも一苦労あった。
 
 
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アマモを焼く風景が万葉集で歌われているので、実際にアマモは焼く。
 
 
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ちりちり焼けるアマモから、煙が白く、もうもうと昇っていく。
 
「万葉の煙」である。
 
当時の浜には、幾筋も出来ていたはずだ。
 
 
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 煎熬の方は、塩分濃度19%のストロングな鹹水を使っているので、少し加熱するとすぐに結晶化する。
 
液体である鹹水から塩の結晶が現れる様子は、大人でもうれしくなる。
 
この塩が出来ると、毎年、盆が来る。
 
 
 ある研修会の講師を毎年夏にやっている。
 
古代製塩の体験を通して学校での体験学習について考えよう、という研修である。
 
先だって7月に、もう一人の講師と製塩土器を作った。
 
型式名:知多式4類
使用された時期:7世紀中葉〜9世紀後半
使用された地域:知多半島
 
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粘土(卵ぐらいの大きさ)を転がす。
 
 
 
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転がして、円錐形(脚部)にする。かつて、この状態の粘土に「回転粘土」という学術名を付けたが、だれも使っていない。
 
 
 
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円錐形の底辺を摘んで広げる。この部分が容器(坏部)の底部になる。
 
 
 
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容器(坏部)を作る粘土ヒモを用意する。
 
 
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粘土ヒモを脚部に積んでいく。
 
 
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容器(坏部)の内面を指でなでて平滑にする。鹹水を入れるので、水漏れをしない程度にがんばる。
 
 
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2週間自然乾燥させて、焼成する。本物は野焼きしてあるが、この研修では陶芸用の窯で焼成している。野焼きは、焼成中に割れる率が高いからである。偽物と言ってしまえばそれまでであるが、必ずしも体験学習においては完全なコピーを用意する必要もない、と思っている。この点、容赦願いたい。
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企画展「杉崎 章 考古学と郷土教育」
 
知多市歴史民俗博物館
 
2012年9月15日〜10月8日
 
 
 昨年の話になって恐縮であるが、知多市歴史民俗博物館で行われた企画展について考えてみたい。
 
知多市とは、愛知県にある知多半島北部の市である。
 
「杉崎 章」(1922〜1995)について少し説明すると、知多市出身の小中学校の教員である。
 
一方で考古学の研究者でもある。
 
知多市博との縁も深い。
 
知多半島の考古学、特に中世常滑焼と土器製塩を勉強すると必ず杉崎の著作を読む、という人物である。
 
 
 知多半島5市5町でも、その市町の出身者を顕彰する事業は行われている。
 
顕彰の方法は色々で、人物を紹介する、関連する行事を開くこともある。
 
博物館や資料館では、縁ある画家の作品を展示する企画展はよくやる。
 
しかし、考古学の研究者、歴史を調べる立場の人物を紹介する展示は、めずらしい。
 
杉崎章は、知多半島の考古学第1世代であるから、この地域で考古学研究者を顕彰するのは初めてだろう。
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正直、今の知多市博は、思い切ったと思う。
 
歴史を調べることを、歴史と位置付けたのである。
 
 ぼくは偉そうなことを書いているが、知多市博の考え方は当たり前のことである。
 
でも、歴史の調査・記録を歴史と思わない人は多い。
 
歴史の調査・記録を歴史と思わない人の多い、少ないで顕彰事業の成否は決まっている。

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