いつまでも、御塩倶楽部

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考古学・歴史学

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 発掘された土器には泥がついています。

きれいにするために土器をブラシで洗います。

土器が泥で汚れていると細かい観察ができません。

土器の割れ口に泥が残っていると、後で行う接合のときにうまく合いません。

うまく接合するために、しっかりと洗います。

やわらかい土器(縄文土器・弥生土器・土師器など)をゴシゴシとブラシでこすると、土器に傷がつくので、やさしく洗います。

水につけただけで、溶け始める土器もあります。

やわらかい土器を洗うときはブラシでこするのではなく、たたくようにして使うと傷もつかずにきれいに洗えます。

ブラシをちょっと水につけて、ちょっと土器をたたく、またちょっとブラシを水につける、を繰り返すのが土器洗いの基本です。

「固いブラシ」と「軟らかいブラシ」を使い分けることもあります。

夏は水で洗いますが、冬の寒さが厳しいときはお湯を使います。

土器のためではなく、洗う人間のためです。

真冬に水で土器を洗ったら、考古学徒は「平成のおしん」になります。

 文献史学と考古学、どちらが優れた歴史研究の方法という訳ではありません。

どちらの方法にも長所・短所はあります。

そして、地方史研究では資料批判を行い、この二つの研究方法を相互補完的に用いることが大切であると思います。

考古学を馬鹿にして、考古学で何がわかるんですか、と言った文献史学の学生がいましたが、とても残念です。

 また、文献史学にせよ考古学にせよ資料の保存に配慮を持たずに資料の解読や観察に対してのみ関心を持つ人がいます。

このような方々は、みなさん次の世代に何を残すのか考える年齢だと思いますが、そうは思わないようです。

今後、研究が進歩し、後世において資料の再調査が行われる可能性が十分あります。

巨視的な展望も地方史研究には必要です。

子孫を残して人類が継続すると考えるように、資料の保存に対しても同じように考える必要があります。

 遺物を発見して「見つけたあー」と言って、すぐに取り上げるシーンが映画でありますが、実際の発掘現場でこんなことをしたら怒鳴られます。

測量して記録を取っていないからです。

遺物がどこからどのような状態で出土したのか、を発掘調査では測量して記録しています。

測量して記録しなければ、土の中から動かしてはいけません。

 遺物の性格を考えてどの程度の測量をするのか判断しますが、基本的には「場所」と「高さ」を測ります。

測ると決めたら、一つ一つの土器の破片でも「この破片は日本のどこで海抜何メートルから出た」かまで測量しています。

それほど、遺物の出土状態は重要視されています。

遺物の位置に関する情報は、あるもの(石器の原石など)を人間が何かに使うために運んだのではないか、という疑問を解決するのにとても重要な判断材料になるからです。

 発掘調査は、考古学にとって研究するための大切な手段です。

でも、発掘だけが考古学ではありません。

今回から、どのように遺跡を発掘調査して、出土した遺物を整理して、活用するのか、を説明していきます。

 発掘と聞くと、小さなほうきで土の中から出てきた土器を大切そうに掃いている姿を想像する人も多いと思います。

でも、発掘現場には、他にもたくさんの作業があります。

それに下っ端では、ほうきで掃除しながら遺物を取り上げるような重要な仕事はさせてもらえません。

厳しい縦社会。

発掘は大きく分けると、「掘る」→「測量して図面をとる」→「写真を撮る」→「出てきた遺物を土の中から取り上げる」の繰り返しです。

発掘は、小さな遺物でも発見できるように発掘は基本的には人力で地層ごとに上から順番に掘っていきます。

夏の暑い時期の発掘は、それはそれは大変です。

わたくしの経験では、大学2年の夏に、一度倒れる寸前まで行きました。

この時の発掘のバイト代は、一日8,000円。

土器などの遺物が出てきたら、どのような状況で出土したのか記録されます。

記録の主な手段は、「写真」と「測量」です。

記録をして、出てきた土器を取り上げてから、またその下の層を発掘していきます。

 ところどころでわざと掘り残す部分(土層ベルト)を決めておき、そこで地層の堆積状況を観察します。

堆積状況も写真や測量をして記録しておきます。

 「中央」と「地方」とは、現在で考えると「東京」と「それ以外の所」です。

「中央」は時代によって変化します。

奈良や京都が「中央」だったこともありました。

 「中央つまり集権力を強める先進的な地域情勢と、地方つまり後進的ではあるが受動的ときには能動的な地域の状況とは、相互的・有機的な関連のもとに把握され、それぞれの主体性と歴史性とが正しく理解され評価されなれればならないのである。」

これは『古代の地方史 4東海・東山・北陸編』(1978)、「刊行のことば」で浅香年木氏が書いたものですが、古代だけでなく各時代を通しても言えることだと思います。

そして、地方史という言葉には、これまでの「日本史=中央の歴史」という考え方に対する反省の意味が込められています。

地方史という歴史観が、日本の歴史を中央という一部地域だけのものではなく、全国各地の集合と関係としてとらえようとしているからです。

 名前さえ残っていない人々の生活を復原しようとする考古学は、歴史が中央だけで作られたものではなくみんなが作ってきたものであるという考え方から出発した地方史研究の本質に沿う一つの方法であると思います。

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