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製塩土器の製作技法から見た尾張と三河(第3回)
まとめ
図1は、三地域の古墳時代から平安時代の製塩土器を地域と時間によって並べたものである。
縦の並びは、各地域の製塩土器の変化である。上の段から下に行くにしたがって新しくなる。
横に並ぶ製塩土器は、他地域の同時期の製塩土器である。製作技法の最も大きな違いは、脚部にある。
粘土を手で捏ねて脚部に成形しているのは、知多半島だけである。
渥美半島と島嶼部の脚部は、粘土を板の上で転がして成形されている。
島嶼部は、古い段階で坏底部の技法が渥美半島と異なるが、円柱状の形態、脚部の製作技法は渥美半島と同じである。
島嶼部は、知多半島の製塩土器の系譜ではなく、渥美半島の系譜である。
平城京出土の木簡によると、奈良時代の島嶼部は、「三河国幡豆郡」に属していたことがわかっている。
現在の行政区とは異なっている。
渥美半島も三河国に属しており、島嶼部と同じ国だった。奈良時代よりも以前の古墳時代から渥美半島と島嶼部は、すでに製塩という生産分野において同じ技術圏になっていた。
三河国という範囲は、奈良時代になって急に線が引かれたものではない。
古墳時代に粘土を転がして製塩土器の脚部を作っていた地域と手で粘土を捏ねて作っていた地域の境が、奈良時代の尾張国と三河国の境と重なる可能性を指摘したい。
参考文献
磯部利彦2010「古墳時代・律令期における伊勢湾・三河湾周辺の製塩土器」『伊勢湾考古』21 知多古文化研究会
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考古学・歴史学
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兵庫県神戸市に「五色塚古墳」という古墳がある。
考古学の本では、古墳の復原例として写真付きで紹介されることが多い前方後円墳である。
考古学徒の時に、行けばよかったのだが、今になって見たくなった。
古墳というと回りに堀があって、その向こうにある木々が繁った小山を想像してしまう。
が、それは築造当時の姿ではない。
木々はもちろん生えておらず、葺石という石で覆われていることが多い。
復原された五色塚古墳が、本物の様子と大きさを教えてくれる。
ただただ大きい。
整備費と維持費も大きそう。
後円部を下から見上げる。
前方部から見た後円部。
後円部から見た前方部。
後円部。通常、ここに被葬者は埋葬される。
ここでは見ること自体が、古代を体験することである。
最後に、史跡整備について思うことを、書く。
もしも自分が史跡整備に関わるようなことがあれば、無視を承知で、こう言ってみたい。
1)きちんと調査してから整備すること。(軽薄なものは、最後まで軽薄である。)
2)色々な調査を整備後も継続すること。(飽きられないように努力する。)
3)草むしりなど、維持に努めること。(訪れる人をバカにするようなことはしない。)
4)小中学生に来てもらえる工夫をすること。(例えば、学校の授業に組み込んでもらえるようにする。)
5)お金は、大切に使う。(コンサルタントの言いなりにならない。)
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今年も、8月に、ある教育関係者の研修会があり、「古代の塩作り」をやった。
「古代の塩作り」を事例として、体験学習について考えよう、という主旨である。
主催者側に、塩作りは人気講座なんですよ、とおだてられて講師を6回目。
いつか、その真偽を確認せねばならない。
毎年講師3人で行っている講座であるが、今年は2人で。
「藻塩焼く」も実際にアマモを燃やす。
しかし、資材の制約から使用する鹹水はアマモから作っていない。
藻塩作りの難しいところである。
今回は18%の塩分濃度。
この濃度ともなると味は、ストロング。
海水と鹹水の比較をすることにより、採鹹の重要性を説明する。
写真左側は鹹水使用、右側は海水。
完成。
色々な障害を乗り越えて、その苦労があればこそ塩は白い。
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1 製塩土器の製作技法
製塩土器は、坏部(つきぶ・鹹水を煮沸する容器の部分)と、それを支える脚部で構成されている。
坏部は砕片になった状態でしか発見されないので、製塩土器の分類は、主に坏底部(脚部にわずかに残る坏部の底の部分)と脚部で行われている。
製塩土器の形態は、知多半島が円筒形→円錐形、渥美半島が円柱形→円錐形、島嶼部が円柱形・円筒形→円錐形と変化する。
写真 南知多郷土資料館の製塩土器の展示(写真右側が篠島式製塩土器)
形態の変化は、三地域とも円錐形を志向して同じ変化をしている。
坏部を安定させるために、脚部を砂地に差し込みやすくした結果である。
製塩土器の作り方(製作技法)は、形態よりも複雑に変化している。
古墳時代から平安時代の三地域の製塩土器は、「坏底部の製作技法」と「脚部の製作技法」の組み合わせによって製作されている。
坏底部の製作技法は「摘み上げる」、「粘土を付け足して摘み上げる」、「手の平で押しつぶす」の三種類、脚部は「手で粘土の形を整える(手捏ね)」、「板の上で粘土を転がす(回転)」の二種類である。
実際の製塩土器で見られる製作技法の組み合わせは、次ぎの四通りしかない。
坏底部「摘み上げ」+脚部「手捏ね」
この技法の組み合わせは、知多半島の古い段階(知多式1類・3類など)にしかない。知多半島独自の作り方である。
坏底部「粘土を付け足して摘み上げ」+脚部「回転」
この技法の組み合わせは、島嶼部の古い段階にある製塩土器(篠島式)にしかない。
島嶼部独自の作り方である。坏底部の「粘土を付け足して摘み上げる」は、棒状の脚部を先に作っておき、脚上部に粘土を貼り付けて坏底部を成形する技法である。
大型の製塩土器にしか使われていないので、大型用の技法であった可能性がある。
坏底部「摘み上げ」+脚部「回転」
この技法の組み合わせは、渥美半島では古墳時代から使われているが、知多半島・島嶼部では飛鳥・奈良時代にならないと使われていない。
この技法は、定形の脚部を大量に早く製作できるので、渥美半島から広がったと考えられる。
坏底部「手の平で押しつぶし」+脚部「回転」
この技法の組み合わせは、三地域とも土器を使って製塩をしていた最後の時期(平安時代)に使われている。
「摘み上げ」+「回転」から、三地域がこの技法に変わっている。
東海市の松崎遺跡出土製塩土器の分析から、「手の平で押しつぶし」は、知多半島から渥美半島・島嶼部に広がったと考えられる。
参考文献
磯部利彦2010「古墳時代・律令期における伊勢湾・三河湾周辺の製塩土器」『伊勢湾考古』21 知多古文化研究会
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出土量の多寡を問わなければ、東海地方で製塩土器(煎熬工程などで使用される土器)が出土する遺跡は、211ある。
しかし、製塩炉などの製塩に関係する遺構の発見は、とても少ない。
このような現状なので、製塩研究の対象は、製塩土器が中心になる。
別の言い方をすれば、製塩土器の分析から当時の製塩に関係する社会を復原することになる。
現在、知多半島の製塩土器は「知多式」、渥美半島は「渥美式」、島嶼部(日間賀島・篠島・佐久島)は「篠島式」と分類されている。
知多半島の製塩土器は、1956年に、杉崎章によって分類の原型が作られた。
渥美半島の製塩土器は、1959年に芳賀陽によって分類の原型が作られた。
1960年になると、杉崎らは製塩土器から知多半島と渥美半島の関係を考察した論文を発表し始めた。
さらに、篠島にある神明社貝塚が調査されると、多くの研究者によって島嶼部を含めた三地域の関係が議論されるようになった。
次回から製塩土器の分析により、知多半島・島嶼部・渥美半島に製塩が定着し始める時期(古墳時代)から終焉する時期(平安時代)までの三地域の関係を考えたい。
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