いつまでも、御塩倶楽部

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考古学・歴史学

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(前回の続き)
 
渥美半島で製塩土器が改良されると、それに応じて島嶼部の製塩土器も変化していく。製塩において島嶼部は、古墳時代から平安時代まで一貫して渥美半島と密接な関係にあった。知多半島は、古墳時代から独自の製塩土器を作っていたが、知多式4類の時期に渥美半島・島嶼部から初めて製塩土器の作り方を取り入れた。そして、三地域の製塩土器の作り方と形が同じになる。製塩土器の作り方と形の共通は、塩の生産と流通が一元化されたとも解釈できるが、そうではない。知多半島の製塩が効率化された結果である。知多半島は一方的に渥美半島や島嶼部の作り方を導入していた訳ではなく、次の知多式5類の時期には知多半島の作り方が渥美半島と島嶼部に伝わっている。製塩土器の型式変化から、各地域に古墳時代から続くそれぞれの地域性が残っており、塩の生産と流通にも各地域の範囲が残っていた、と考えられる。
 製塩土器の作り方の変化は、簡単かつ大量に同じ形のものを作りだそうとする効率の変化である。
 
製塩土器生産の効率化は、製塩の効率化でもある。
 
図版の絶対年代は、おおよその目安なので参考程度にしてください。
 
イメージ 1
 
約1400〜1500年前(知多式1類)
使用された製塩土器は、ちくわのような円筒形の脚が付いた形をしている。円筒形の脚は地面に刺して土器を安定させる役割がある。作り方は、粘土の塊を手にとって形を整えてから指で穴を空けて脚を作る。その後、脚の上部を指で摘んで上に付く容器部分の底を作る。摘み上げた部分に粘土ひもを積んで容器本体を作る。知多式1類は約100年間使われ、次の型式へモデルチェンジした。知多式1類の脚を指で摘んで閉じた知多式2類という型式もあるが、出土する遺跡も限られており、出土する量も少ない。知多式1類・2類が使用された時期は、仏教が日本に伝わった頃である。
 
約1350〜1400年前(知多式3類)
次ぎに「知多式3類」と呼ばれる先のとがった太い脚が付いた型式になる。作り方は、粘土の塊を手で握って形を整えて太いとがった脚にする。だから、表面に手や手の平の跡がたくさん残っている。容器部分の作り方は知多式1類と同じである。円筒形の知多式1類よりも簡単に作ることができ、地面にも刺しやすくなっている。知多式3類が使用された時期は、中央で推古天皇・聖徳太子が活躍していた頃である。
 
約1100〜1350年前(知多式4類)
次ぎに「知多式4類」と呼ばれる先のとがった細い足が付いた型式になる。知多式4類は、それまでの知多半島の製塩土器とは異なる作り方で作られている。古墳時代から約250年間、知多半島の製塩土器は手だけを使って脚の形を整えてきた。しかし、知多式4類は粘土を板の上で転がして円錐形にされている。だから、知多式3類のように土器の表面に手や手の平の跡が残っていない。板の上で転がす作り方は、簡単に決まった大きさの脚を作り出すことができるので、知多式4類は約250年間という長い時期使われている。知多式4類が使用された時期には、壬申の乱、平城京遷都、東大寺大仏鋳造、平安京遷都、菅原道真の活躍などがある。税として木簡を付けられて都に運ばれた塩は、知多式4類で作られた塩である。
渥美半島と島嶼部(日間賀島・篠島・佐久島)でも知多式1類と同じ約1500年前に製塩が始まっている。渥美半島・島嶼部は、すでにこの頃から板の上で粘土を転がして製塩土器の脚を作っている。この技法が1350年前に知多半島に伝えられ、知多式4類に使われたと考えられる。
製塩が行われた遺跡数は渥美半島や島嶼部よりも知多半島の方が多く、知多半島で作られた塩の方が広く流通している。生産規模と流通規模は知多半島の方が大きいので、知多半島がより製塩の効率を上げるために他地域の技法を取り入れたと考えられる。
 
約1050〜1100年前(知多式5類)
 400年間、知多半島において製塩土器の容器部分の底は、脚の上部を指で摘んで作り出されてきた。しかし、この時期に脚の上部を手の平でねじって押しつぶすか、ただ押しつぶして容器部分の底にする作り方へ変化している。この作り方で作られた製塩土器を「知多式5類」と呼ぶ。渥美半島や島嶼部の製塩土器にはない作り方である。今度は渥美半島・島嶼部の製塩土器がこの作り方を導入する。しかし、鉄釜が普及し始めた時期であり、知多式5類を最後に製塩土器は使われなくなる。知多式5類が使用された時期は、関東で平将門が乱を起こした頃である。
 
 
参考・引用文献
磯部利彦 2010 「古墳時代・律令期における伊勢湾・三河湾周辺の製塩土器」
『伊勢湾考古』第21号 知多古文化研究会
 

「藻塩」の味に挑む

毎年開かれる教育関係者の研修で、体験学習の講師をやっている。
 
古代製塩を体験する研修で、いわゆる「藻塩」を作る。
 
今年度の配布資料を作っていたら、5年もやっていることに気が付いた。
 
「塩作りは、人気講座なので希望者が多いんですよ」と研修担当の方は言う。
 
実習形式なので人手が必要で、講師が3人いる。
 
その内の一人だから、ぼくの人気とは限らない。
 
いや、ぼくの貢献度はアマモの採集以外、低い。
 
 
でも、一緒におだてられて、5年。
 
 
「藻塩」の作り方は説明されるが、参加者は時間と資材の制約から別の方法で濃縮された鹹水を使用している。
 
アマモ灰で塩分濃度をそれなりにあげようとすると、かなりの乾燥アマモが必要になる。
 
今年はアマモ灰と海水だけで煎熬する実験も行ってみた(写真の黒い鹹水の製塩土器)。
 
乾燥アマモ500グラムを燃やして灰にした。
 
この灰を塩分濃度2.2%の海水8リットルに溶いた。
 
1時間後(灰の沈殿が確認できる時間)に測ったら、3%。
 
イメージ 1
 
黒い鹹水が実験用(他の土器内の鹹水は海藻を使っていない)。
 
時間の都合で、アマモ灰も鹹水に混ざっているので、土器内に灰がある。
 
 海藻灰から作られた塩は、文献によって、うまかったり、まずかったり、と表現されている。
 
味覚自体が主観的な感覚なので、判断が難しい。
 
今回の実験で作った藻塩は、製塩土器ごと職場の机の下に置いてある。
 
イメージ 2
 
 
味の結果はいずれ。
1990年代になって二つの新資料が発見され、製塩の研究は進んだ。
 
愛知県埋蔵文化財センターの森勇一は製塩土器から海藻付着生珪藻を発見し、海藻使用の証拠とした(森1991)。
 
珪藻とは10〜100ミクロンのガラス質の殻に覆われた単細胞の植物プランクトンである。
 
殻の模様により分類される。
 
ガラス質の殻は土に埋まっても保存状態がよく、それぞれの種ごとで生活環境に特徴があるため、環境復原に利用されている。
 
海藻に付着して生活している珪藻は、浮遊することがないので海水にはそれほど多く入り込まない。
 
発掘された製塩土器から海藻付着生珪藻が高い比率で発見されるということは、海藻を使った採鹹が行われていた証拠になった。
 
同じころ、名古屋大学の渡辺誠は、松崎遺跡(愛知県)の貝塚から出土したウズマキゴカイの多くに焼けた跡があることに注目した。
 
ウズマキゴカイは海藻付着の性質を持つ生物であるため、海藻と一緒に焼かれ結果だと渡辺は考え、採鹹に海藻灰が使用された根拠とした(渡辺1991)。
 
渡辺の成果を受けて、海の中道遺跡(福岡県)の調査でも被熱したウズマキゴカイや焼け残った海藻の茎が発見されている(横山1993)。
 
森と渡辺の研究により、採鹹に海藻が使用されたことは確実視されるようになった。
 
渡辺は海藻を焼いて採鹹したと考えたが、森は「塩水のしみこんだ海藻を完全な灰になるまで焼くものとすれば、たかだか数ミクロンにも満たないガラス質の壁面を有する珪藻殻に著しい破壊や溶解を生ずる可能性が高く、松崎遺跡では焼かれていない海藻もかなり利用されていたのではないか(森1991)」と推定した。
 
つまり、珪藻は海藻を焼いた時の熱に耐えられず粉々になるか、溶けてしまうので、森の研究のように製塩土器から完全な形の海藻付着生珪藻は発見できないだろう、ということだった。
 
磯部利彦は、ガスバーナーの加熱によりビーカー内で完全に炭化させたアマモを使用して海藻付着生珪藻の耐熱性を確認する実験を行った(磯部1995)。
 
顕微鏡により確認された珪藻のほとんどは、壊れていなかった。
 
珪藻の殻は海藻と一緒に焼かれても熱に耐え壊れずに残ることがわかった。
 
渡辺と森の研究は矛盾や対立するものではなく、相互補完的な関係にある。
 
 
参考文献
磯部利彦1995「土器製塩における採鹹の季節性-伊勢湾・三河湾を中心として-」『知多古文化研究』9 知多古文化研究会
森 勇一1991「松崎遺跡における古代製塩法について」『松崎遺跡』 愛知県埋蔵文化財センター
横山浩一1993「調査の総括」『海の中道遺跡Ⅱ』朝日新聞社西部本社・海の中道遺跡発掘調査実行委員会
渡辺 誠1991「松崎遺跡におけるブロック・サンプリングの調査報告」『松崎遺跡』 愛知県埋蔵文化財センター
 藻塩の作り方に、定説はない。
 
各地で古代製塩を題材とした体験学習が行われているが、採鹹方法は統一した方法で行われていない。
 
この夏休みも、どこかで製塩体験が行われていると思う。
 
イメージ 1
2011年7月、三河湾のアマモ生育状態 今年は暑くなるのが早かったので、アマモは少なかった)
 
海藻を焼いて採鹹を行う説、塩竃神社藻塩焼神事のように海藻に海水をかける説、がある。
 
海藻を焼く採鹹と海藻に海水をかける採鹹の仕組みは次ぎのとおりである。
 
乾燥させた海藻の表面には、塩の結晶が付く。
 
海藻を使用して採鹹を行う場合、海藻表面から塩の結晶を分離する方法が問題となる。
 
海藻を焼く採鹹では、海藻と塩は一緒に焼かれ、塩は海藻の灰に混ざる。
 
海藻灰は海水に溶かれ、海藻灰に含まれていた塩も海水に溶けて混ざる。
 
その後、灰を沈殿させ上澄みが煎熬される。
 
海藻に海水をかける採鹹では、海藻に海水をかけることにより海藻表面の塩を洗い流し、塩分濃度を高める。
 
かけて落ちた海水には、海藻表面の塩分も溶けているので塩分濃度は上昇している。

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