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藻塩の研究2 −藻塩とは−
「藻塩」とは、『万葉集』や『常陸国風土記』などの文献に出てくる言葉である。
しかし、『万葉集』などの文献資料からでは、どのような塩なのか、どのような作り方なのか、までわからない。
考古学の分野では、1950年代から岡山大学の近藤義郎が製塩の調査・研究を本格化させていた。
煎熬に製塩土器という特化した土器を使って海水や鹹水を煮沸していたことがわかった。
『万葉集』が編さんされた時代の製塩技術も研究が進み、古代においては製塩土器と海藻を使った採鹹(さいかん・海水を濃縮する工程)がセットだったと考えられるようになった。
海藻は「アマモ」(写真)もしくは「ホンダワラ」が使われたと考えられている。
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考古学・歴史学
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『万葉集』巻第六に、笠朝臣金村が作った歌の一部に「朝凪に 玉藻刈りつつ 夕凪に 藻塩焼きつつ 浜少女 ありとは聞けど 見に行かむ」とある。
このような記述から塩と海藻がなんらかの関係にあったことが想定された。
文献資料以外では、宮城県塩竃神社で行われている「藻塩焼神事」がある。
この神事は毎年7月に神社内で行われる製塩である。
(写真:伊勢湾で採集したホンダワラ科の海藻)
鉄釜の上に竹で作られた簀を広げる。簀にはホンダワラを広げ、そこへ海水を注ぐ。
注がれた海水はホンダワラを通って鉄釜へ滴り落ちる。
鹹水は鉄釜で煎熬され、作られた塩は神前に供される。
藻塩焼神事を土器製塩の採鹹の名残とする説は、多くの考古学や文献史学の研究者から支持されている。
廣山堯道は、このような限定された資料から採鹹方法の諸説を整理して分類した(廣山1973)。
① 乾燥した海藻を焼いて、その灰を海水に溶く。
② 海水をかけて塩分をふくませた海藻を焼いて、その灰を海水で固めて灰塩にする。食べる時は、塩も灰も一緒に食べる。
③ 乾燥した海藻を積み重ね、上から海水を注ぐ。藻塩焼神事と同じ。
④ 乾燥した海藻を海水に浸す。
⑤ 莎藻を焼き海水をかける。『言葉の塵』と『大和本草』にある説で、「莎藻」という陸上植物を使用する。莎藻の具体的な種類は不明。
⑥ 「藻塩」とは海藻と関係のない語句で、濃厚な塩分の液体を意味する。
これらの説は、海藻を焼いて採鹹を行う説、塩竃神社藻塩焼神事のように海藻に海水をかける説、海藻とは関係がないとする説に分類することができる。
参考文献
廣山堯道1973「古代製塩についての二、三の想定-考古学との接点を求めて-」『日本歴史』第303号 日本歴史学会
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通っていた大学に、プロゼミという考古学の授業があった。
3年生から入るゼミを1年生で経験させる、という目的らしい。
考古学専攻は、大学の看板を背負っていたらしいので授業も充実していた。
プロゼミでは海外の考古学をテーマに選ぶ学生も多かった。
このプロゼミで習ったことは、今でもいくつか覚えている。
先日、子どもたちがペットボトルにヒモをかけて遊んでいた。
そ、そのヒモの動かし方はぁぁぁ、
まさしく、
イースター島のモアイの運び方。
かけたロープを交互に引くと、モアイを立ったままの状態で移動させることができる。
何十年と寝かせてあった、モアイの運び方ネタを家族に披露したが、特に反応なし。
少しは反応欲しいよな、モアイ。
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渥美式製塩土器(型式分類と編年の研究史)
渥美半島では小野田勝一が八幡上遺跡(田原市)の調査によりA〜D類とは別の分類基準による編年を発表した(小野田1980,1988,1991,1993)。
森田勝三は、渥美半島出土の脚台式製塩土器の出土例を整理し、変遷をまとめた(森田1993,2001)。
島嶼部では、神明社貝塚(南知多町篠島)の調査により杉崎 章が知多半島・渥美半島・島嶼部の関係を考察し、出土した製塩土器を篠島神明社式として設定した。
そして、三地域の製塩土器を編年模式図にまとめた(杉崎1986,1989)。
立松 彰は、神明社貝塚出土の製塩土器を篠島式Ⅰ〜Ⅸ類に型式を設定した(立松1993a)。
立松は、それまでの自他の研究成果をまとめた知多半島・島嶼部・渥美半島の製塩土器編年を発表し(立松1993b)、『日本土器製塩研究』の中で愛知県における土器製塩の総括的なまとめを行った(立松1994)。
上浜田遺跡(東海市)の調査により知多式0類が設定され、塚森類→知多式0類→知多式1A類の変遷が推定された(立松・永井1999)。
森 泰通は、塩消費地における製塩土器の実態を明らかにするために、消費地の遺構から出土した製塩土器の共伴遺物から製塩土器の時期を調べた(森1997)。
住居跡出土の製塩土器には生産地である製塩遺跡で困難だった共伴遺物が確認しやすいという時期決定上の利点があった。
さらに、森は脚台式製塩土器の出土状況の整理を行い(森2005a)、脚台式製塩土器の編年を作った(森2005b)。
参考文献
小野田勝一1980「八幡上遺跡 角形製塩土器」『西の浜久衛森遺跡』 西の浜久衛森遺跡調査団
小野田勝一1988「各地の製塩と西の浜の製塩」『ドウツン松遺跡』 ドウツン松遺跡調査会
小野田勝一1991「古代・中世」『渥美町史 上巻 考古・民俗編』 渥美町
小野田勝一1993「渥美の製塩」『古代の塩づくり』 渥美町郷土資料館
杉崎 章1986「東海地方の古代海浜集落」『知多古文化研究』2 磯部幸男先生退官記念論文集
知多古文化研究会
杉崎 章1989「製塩土器」『神明社貝塚』 南知多教育委員会
立松 彰1993a「三河湾の島々の製塩土器」『知多古文化研究』7−伊勢湾・三河湾文化特集
立松 彰1993b「古代の塩づくり」『古代の塩づくり』 渥美町郷土資料館
立松 彰1994「愛知県」『日本土器製塩研究』 青木書店
立松 彰・永井伸明1999『上浜田遺跡発掘調査報告』 東海市教育委員会
森 泰通1997「東海地方における消費地出土の製塩土器 −特に固形塩の問題をめぐって−」『製塩土器の諸問題 −古代における塩の生産と流通−』 塩の会
森 泰通2005a「製塩土器」『愛知県史 資料編3 古墳』 愛知県
森 泰通2005b「愛知県における脚台式製塩土器の研究」『考古学フォーラム』17 考古学フォーラム
森田勝三1993「渥美半島先端部の脚台付製塩土器」『古代の塩づくり』 渥美町郷土資料館
森田勝三2001「渥美半島の脚台付製塩土器」『石巻文化財』第10号 豊橋市石巻地区文化財保存会
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製塩遺跡の発掘調査が増えるにしたがい、新資料に対して型式が追加された。
知多半島では、松崎遺跡(東海市)の調査により知多式5類が(杉崎1977、立松1977)、塚森遺跡(東海市)の調査により塚森類が新たに加えられた(立松1984a)。
立松 彰は、松崎遺跡の成果を用いて知多半島の製塩土器編年を作った(立松1984b)。
さらに、立松は尾張長光寺製塩遺跡(東海市)の調査により知多式4類を細分した(立松1986)。
福岡晃彦は松崎遺跡(愛知県埋蔵文化財センター1988年度調査)で行われた詳細な層位的発掘により、知多式4類の細分と編年を行った(福岡1991)。
福岡の型式分類は、従来の脚部で行っていた分類へ坏部の変化を加えた点に特徴があった。
参考文献
立松 彰1977「第Ⅳ区の調査」『松崎貝塚発掘調査報告』 東海市教育委員会
杉崎 章1977「考察」『松崎貝塚発掘調査報告』 東海市教育委員会
立松 彰1984a「塚森遺跡」『松崎貝塚第2次発掘調査報告書』 東海市教育委員会
立松 彰1984b「知多地方における製塩土器の編年」『知多古文化研究』1 杉崎 章先生退官記念論文集
立松 彰1986『尾張長光寺製塩遺跡』 東海市教育委員会
福岡晃彦1991「考察」『松崎遺跡』 愛知県埋蔵文化財センター
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