いつまでも、御塩倶楽部

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河和海軍航空隊

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 第1河和海軍航空隊は、飛行機の整備教育を行う練習航空隊である。

正門(現在の河和南部公民館の南付近)から西側に士官舎群・兵舎群・烹炊所・酒保・病院など生活に関係する施設があった。

これらの跡地は、ほとんどは田になっている。

夏になると稲で青々とした場所になる。




 防衛研究所資料にある第1河和海軍航空隊施設図によると兵舎は、11棟ある。

並ぶ兵舎のそれぞれの間には、洗面所と便所がある建物が建っている。

洗面所と便所は、寝起きする場所とは別棟になっていたようである。



 以前、第1河和海軍航空隊基地から出された一通の軍事郵便について質問を受けたことがある。

そこに書かれている送り主から、現在の場所を特定できないだろうか、という内容だった。

送り主が住んでいた場所が知りたかったらしい。

送り主の住所は基地内だった。

基地内の住所なら施設図があるので、士官か下士官兵までわかればある程度の場所まで特定ができた。

しかし、住所から兵舎の位置までを特定する資料がなかった。




  地図でこの辺りの兵舎のどこかだと思います。

  基地内に兵員浴場は一カ所しかないので、ここの風呂に入っていたと思います。

  兵員浴場の壁は一部まだ残っているので、現地へ行けば道路から見ることができます。



 郵便の送り主は、質問をした方の戦死した父親だった。



写真上 爆撃を受け壊れた兵舎群の跡

写真下 兵舎群と烹炊所の跡(正面の繁みが汽缶場あたり?)



参考文献

磯部利彦 2007 「河和海軍航空隊に関係する遺構」『河和海軍航空隊調査報告書』

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 堤防の下(写真右側)は、海岸ではなく、水上機を海面に降ろすための斜路である。

防衛研究所の資料によると幅220メートル、幅92メートある。

この第2スベリは、2つのスベリの間にさらにスベリを造りつなげてある。

そして、大きな一つスベリになっている。

第2河和海軍航空隊は、練習航空隊ゆえに広いスベリが必要だったのだろう。



 スベリの側面には花崗岩が張ってあるので、新設したスベリ部分との境を容易に見つけることができる。



 スベリの前に広がる海に墜落して亡くなった方もいれば、スベリでプロペラに巻き込まれて亡くなった方もいた。


そう教えてもらうと、この景色も違ったものに見える。

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 第2河和海軍航空隊(現愛知県美浜町)は、当初、練習航空隊として創設され、水上機の操縦訓練を行っていた。

水上機を海面に降ろす斜路は3つある。

他のスベリは東向きであるが、第1スベリのみ北向きである。

訓練当日の風向によって使い分けられていたらしい。

 写真左端に見えているアパート風の建物が、美浜町の町営住宅である。

煙が上っている建物が加藤化学という工場である。

町営住宅は、かつての第2河和海軍航空隊の本部庁舎、士官舎の跡に建っている。

具体的にどの建物が使われたのか把握していないが、士官舎は静海荘という引揚者の寮として使われていた。

昭和27年2月、2棟が全焼した。


参考文献 『河和海軍航空隊調査報告書』

「青春」の碑

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 先日の暑い日に、広島県から来客がありました。

5年ほど前から河和海軍航空隊の調査でお世話になっている元隊員の方です。

その方は、20歳行くか行かない頃に第2河和海軍航空隊で水上機の操縦訓練を受けていました。


 生憎、仕事の都合で河和を案内することができませんでした。

都合がつけば記念碑を見たい、とおっしゃっていたので、送るための写真を週末撮りに行きました。

各地の航空隊基地を異動したが、河和に一番思い出がある由。

 ご高齢にもかかわらず、なぜ旅先に河和を選んだのか、と考えるとき、かつてこの地で戦争があったことを実感します。



河和海軍航空隊跡記念碑(昭和53年8月)

碑名 青春 

製作 三谷 勲

「滑らかに磨かれた面」と「折れたままのような荒れた面」が青春を表しているという。

スベリとカキ

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 2年前、第2河和海軍航空隊のスベリを小学生の甥と巻き尺で測量に行った。

「スベリ」とは、水上機を海面に降ろすための人工の斜面である。

第2河和海軍航空隊には3本のスベリがあった。

破損もあるが3本とも現在に残っている。

一番大きいスベリは、200メートル以上の幅がある。(写真)

これ位大きいと、現場に行っても海軍の建造物とは気が付かない。

3本ともコンクリートと花崗岩で造られている。

水上機の航空隊自体が少ないので、スベリも数が少ない遺構である。




 先日、スベリに関係する話を聞いた。

このスベリの端で、カキを教員仲間で焼いて食べた。

小さいカキだったが、たくさん食べたそうである。

第2河和海軍航空隊は水上機の練習航空隊なので教官や教員がいた。

スベリに付いたカキを採ったのだろう。

本当に60数年前、ここに人がいて戦争をしていたんだなあ、と話を聞いていて思った。


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