みことばを語る

日々与えられるみことばを書き綴ろうと思います。余裕があるときアップします。
「これらはみな、この世の異邦人たちが切に求めているものです。しかし、あなたがたの父は、それがあなたがたにも必要であることを知っておられます。(ルカ12:30)」
 
 
若いときは「御国でイエスさまに再会したら嬉しいだろうなあ」と思っていたが、‘嬉しい’とかいう‘感情’はそのときはもうなくなっているんじゃないかと、加齢するにつれ思い始めた。感情や記憶は脳の神経細胞の分泌物やインパルスの賜物でしかなく、火葬されてしまえば、全部ふっとぶことだろう。
 
そんな、すごーく大人な考え方をするようになってみて、今度は、青春時代を回顧するよりも、棺桶への道のりのほうが数えやすくなってきている現状を鑑みて、自分の人生これでいいのか、と考え始めちゃった。火葬されてしまえば全部なくなってしまうのだ。
 
高血圧でお世話になってるドクターは「更年期障害の前後には、そーゆーことで悩む人もいる」とのこと。思うに、子育てでバタバタしてて気づかなかったんだろうねえ。これから、どうなっちゃうんだろう、っていう漠然とした不安なんだと思う。青春時代を回顧するような、過去を清算するよう考え方、生き方じゃ、この先を見通すことができない。

子育てが一段落し始めた、ちょい上の世代の方々は、若い頃の趣味に回帰してる印象。で、自分はどうだったかを思い出してみると、教会、そう教会があった。若い頃、一緒にいた兄弟姉妹は今、どうしているんだろう? 同じ時代を違う形で過ごしてきて、同じように老け顔になっているのだろうか。会ってみたい。同じ信仰を続けた人間として会ってみたい。特に、自分より年配の人に会いたい。このまま信仰を続けていたら、どうなるのか、見てみたい。
「そのときに人々は、自分を愛する者、金を愛する者、大言壮語する者、不遜な者、神をけがす者、両親に従わない者、感謝することを知らない者、汚れた者になり、情け知らずの者、和解しない者、そしる者、節制のない者、粗暴な者、善を好まない者になり、裏切る者、向こう見ずな者、慢心する者、神よりも快楽を愛する者になり、見えるところは敬虔であっても、その実を否定する者になるからです。こういう人々を避けなさい。こういう人々の中には、家々に入り込み、愚かな女たちをたぶらかしている者がいます。その女たちは、さまざまの情欲に引き回されて罪に罪を重ね、いつも学んではいるが、いつになっても真理を知ることのできない者たちです。また、こういう人々は、ちょうどヤンネとヤンブレがモーセに逆らったように、真理に逆らうのです。彼らは知性の腐った、信仰の失格者です。でも、彼らはもうこれ以上に進むことはできません。彼らの愚かさは、あのふたりの場合のように、すべての人にはっきりわかるからです。(2テモテ3:2-9)」
(クリスチャンの)信仰の形に「こーじゃなきゃダメ」というのはないなあ、とつくづく。それにしても、僕はダメダメだと思う。


「バプテスマを受けてキリストにつく者とされたあなたがたはみな、キリストをその身に着たのです。(ガラテヤ3:27)」


「御子を信じる者は永遠のいのちを持つが、御子に聞き従わない者は、いのちを見ることがなく、神の怒りがその上にとどまる。(ヨハネ3:36)」
「なぜなら、肉の父親は、短い期間、自分が良いと思うままに私たちを懲らしめるのですが、霊の父は、私たちの益のため、私たちをご自分の聖さにあずからせようとして、懲らしめるのです。すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。ですから、弱った手と衰えたひざとを、まっすぐにしなさい。また、あなたがたの足のためには、まっすぐな道を作りなさい。なえた足が関節をはずさないため、いやむしろ、いやされるためです。(ヘブル12:10-13)」
「御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます。人間の心を探り窮める方は、御霊の思いが何かをよく知っておられます。なぜなら、御霊は、神のみこころに従って、聖徒のためにとりなしをしてくださるからです。(ローマ8:26-27)」
「神の御前で、また、生きている人と死んだ人とをさばかれるキリスト・イエスの御前で、その現われとその御国を思って、私はおごそかに命じます。みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。というのは、人々が健全な教えに耳を貸そうとせず、自分につごうの良いことを言ってもらうために、気ままな願いをもって、次々に教師たちを自分たちのために寄せ集め、真理から耳をそむけ、空想話にそれて行くような時代になるからです。しかし、あなたは、どのような場合にも慎み、困難に耐え、伝道者として働き、自分の務めを十分に果たしなさい。(2テモテ4:1-5)」


「兄弟たちよ。私たちがアジヤで会った苦しみについて、ぜひ知っておいてください。私たちは、非常に激しい、耐えられないほどの圧迫を受け、ついにいのちさえも危くなり、ほんとうに、自分の心の中で死を覚悟しました。これは、もはや自分自身を頼まず、死者をよみがえらせてくださる神により頼む者となるためでした。ところが神は、これほどの大きな死の危険から、私たちを救い出してくださいました。また将来も救い出してくださいます。なおも救い出してくださるという望みを、私たちはこの神に置いているのです。(2コリント1:8-10)」
「まことに、あなたの大庭にいる一日は千日にまさります。私は悪の天幕に住むよりはむしろ神の宮の門口に立ちたいのです。(詩篇84:10)」
「愛には偽りがあってはなりません。悪を憎み、善に親しみなさい。兄弟愛をもって心から互いに愛し合い、尊敬をもって互いに人を自分よりまさっていると思いなさい。勤勉で怠らず、霊に燃え、主に仕えなさい。望みを抱いて喜び、患難に耐え、絶えず祈りに励みなさい。」

誰が見に来たか分からない。コメントも入らない。そんな、みことばブログですが、
前回から今回までの間に3万ヒットを超えました(←開設者は訪問者数だけ知ること
ができます)。
 
7年かけて3万ヒット。。
 
(クリスチャンらしからぬことを言えば、)最近、棺桶に片足突っ込んだと思ってい
て、死ぬまでに自分ができることを数え出したりしてるのですが、誰かのデボーショ
ンの一助にでもなったのならば、7年間、時に月単位で間が空いたりしながらも続け
てきた意味はあるのかもしれません。
 
しかし、こういう「死ぬまでに」というような考え方をしてる時点で、だいぶ俗世に
流されてしまったのかもしれません。自分もやはり「死が怖い」のであって、「死」
を境に、その前を自分、その後を自分以外と定義しているのです。神さまに仕えると
いう目的意識の喪失も、自己中心な考え方も、他人への思いやりの欠落もすべて「死」
を怖れているからかもしれません。
 
。。ちょっと難しいんですが。まだうまく言語化できない。加齢して色んなことが分
かってきたけれど、自分にとっての新しい知見が意味のあることなのかどうかイマイ
チ整理できていない。そのうち、みことばと関係のあるところで、ポツリポツリ更新
したいとは思っています。
 
 
「そういうわけで、私は、善をしたいと願っているのですが、その私に悪が宿ってい
 るという原理を見いだすのです。すなわち、私は、内なる人としては、神の律法を
 喜んでいるのに、私のからだの中には異なった律法があって、それが私の心の律法
 に対して戦いをいどみ、私を、からだの中にある罪の律法のとりこにしているのを
 見いだすのです。私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだか
 ら、私を救い出してくれるのでしょうか。(ローマ7:21-24)」
 
 
「もし、死者がよみがえらないのなら、キリストもよみがえらなかったでしょう。そ
 して、もしキリストがよみがえらなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、
 あなたがたは今もなお、自分の罪の中にいるのです。そうだったら、キリストにあ
 って眠った者たちは、滅んでしまったのです。もし、私たちがこの世にあってキリ
 ストに単なる希望を置いているだけなら、私たちは、すべての人の中で一番哀れな
 者です。(汽灰螢鵐15:16-19)」
 
 
「世をも、世にあるものをも、愛してはなりません。もしだれでも世を愛しているな
 ら、その人のうちに御父を愛する愛はありません。すべての世にあるもの、すなわ
 ち、肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢などは、御父から出たものではなく、この
 世から出たものだからです。世と世の欲は滅び去ります。しかし、神のみこころを
 行なう者は、いつまでもながらえます。(汽茱魯2:15-17)」
 
 
「あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主
 は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなた
 がたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです。(競灰螢鵐8:9)」
 
 
「そういう人は、主から何かをいただけると思ってはなりません。そういうのは、二
 心のある人で、その歩む道のすべてに安定を欠いた人です。貧しい境遇にある兄弟
 は、自分の高い身分を誇りとしなさい。富んでいる人は、自分が低くされることに
 誇りを持ちなさい。なぜなら、富んでいる人は、草の花のように過ぎ去って行くか
 らです。太陽が熱風を伴って上って来ると、草を枯らしてしまいます。すると、そ
 の花は落ち、美しい姿は滅びます。同じように、富んでいる人も、働きの最中に消
 えて行くのです。(ヤコブ1:7-11)」
 
 
「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠への思い
 を与えられた。しかし、人は、神が行なわれるみわざを、初めから終わりまで見き
 わめることができない。(伝道者3:11)」
 
 
「それですから、私はあなたに注意したいのです。私の按手をもってあなたのうちに
 与えられた神の賜物を、再び燃え立たせてください。神が私たちに与えてくださっ
 たものは、おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みとの霊です。(競謄皀1:6-7)」
 
 
今日、みことばを読んでいて、なんか嬉しかった。完璧というのは好きじゃなくて、
少々抜けてる感じがよくて。それは前から気づいていたんだけれど。どうしようもな
い、と思うようなところに愛すべき対象があるんだなあ。
 
 

「だれでも誘惑に会ったとき、神によって誘惑された、と言ってはいけません。神は悪に誘惑されることのない方であり、ご自分でだれを誘惑なさることもありません。人はそれぞれ自分の欲に引かれ、おびき寄せられて、誘惑されるのです。(ヤコブ1:13-14)」


これまでを振り返ってみて、何かに興味を持ち、本とかを身近に置くと、そのときは何でもなくても、知らず知らずのうちに、その本の影響を受け、本に書かれているような状況や出来事に遭遇したりしてる。意識下に置くと、影響を受けるのかもしれない。意識下に置くものは気をつけないと。引き寄せてしまう。これに気づいたのは幸運。未知だからといって学究心だけで簡単に自分のテリトリに入れてしまうのはマズイ。将来悪影響を受けそうなものは、果敢に自分のテリトリから除いていかないと。

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