みことばを語る

日々与えられるみことばを書き綴ろうと思います。余裕があるときアップします。

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僕を救いに導いてくださった牧師先生は、末期の癌を患い、急逝してしまった。もう20年近く前の話だ。

彼の遺言で、葬儀(←クリスチャンの葬儀って何て言うんだっけ?)にはハレルヤ・コーラス(?)を歌って
くれ、とのことだったので、新大久保の淀橋教会で、追悼に集った200人(だったかな?)の大会衆がハ
レルヤ・コーラス(と言うのかな?)した。異例の葬儀であったと思う。無論、僕も参加した。

彼の遺志としては、地上での役割を追え、天に召されたのだから、ともに大いに喜んで欲しい、というこ
とだったのだろう(←昔過ぎてよく覚えていない)が、16歳(だったかな?)から献身して伝道活動を続け
てきた彼らしい遺志だと思った。

仮に僕が死の近い病床にあったら、僕の古い友人達は、きっと「もうすぐイエスさまに会えるんだね。羨
ましいなぁ」と励ましてくれるに違いない。生死は、僕にとっては、そういうものだし、僕のことを理解
してくれている古い友人達も、たぶん同じ考え方だろう(と思いたい)。


妻が好んで通っている教会のお食事会で、以前、心臓を患っている兄弟と席が隣になり、その兄弟が近々
心カテを受けると言う。僕は、大人の心カテの成功率を知っていたから「大丈夫ですよ」と励まし、「も
し失敗しても、イエスさまに会うのが早くなるだけですから良かったじゃないですか!」と言った。これ
が後々大問題になって、牧師から「死に直面した人に対して言う言葉じゃない!」とお叱りを受けた。

???

牧師もクリスチャン。心カテを受ける兄弟もクリスチャン。なのに、「イエスさまに会うのが早くなるだ
けですから良かったじゃないですか!」が励ましにならないなんて。。信じられない、逆に!!

クリスチャンじゃなかったら、流石に言葉を選ぶ。でも、クリスチャンならイエスさまに再会できること
以上の喜びって、他に何があるのかなぁ。

今でも時々、このときのことを妻に揶揄されるのだが、やはり、いまだに良く分からない。これって、や
っぱり僕がヘンなのかなぁ???


それはそうと、先日、牧師夫人を街で見かけた。お足がお悪いのか、人通りの多い道を一生懸命お歩きに
なっていて、気の毒に思った。お客さまとしてではあるが、もう何年も出入りしていながら、牧師夫人の
お足がお悪いということを改めて知った次第。教会ではお会いしているわけだし、思い起こせば、今まで
意識というか認識しようと思えば幾らでもできたはず。オレって、なんて薄情なヤツなんだろう。。教会
で苦しんでいる人がいれば、それとなく手を貸してきたつもりだけど、その実、何も気づいていなかった
のかもしれない。


「すると、ある律法の専門家が立ち上がり、イエスをためそうとして言った。『先生。何をしたら永遠の
 いのちを自分のものとして受けることができるでしょうか。』イエスは言われた。『律法には、何と書
 いてありますか。あなたはどう読んでいますか。』すると彼は答えて言った。『“心を尽くし、思いを
 尽くし、力を尽くし、知性を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。”また“あなたの隣人をあなた
 自身のように愛せよ。”とあります。』イエスは言われた。『そのとおりです。それを実行しなさい。
 そうすれば、いのちを得ます。』しかし彼は、自分の正しさを示そうとしてイエスに言った。『では、
 私の隣人とは、だれのことですか。』イエスは答えて言われた。『ある人が、エルサレムからエリコへ
 下る道で、強盗に襲われた。強盗どもは、その人の着物をはぎとり、なぐりつけ、半殺しにして逃げて
 行った。たまたま、祭司がひとり、その道を下って来たが、彼を見ると、反対側を通り過ぎて行った。
 同じようにレビ人も、その場所に来て彼を見ると、反対側を通り過ぎて行った。ところが、あるサマリ
 ヤ人が、旅の途中、そこに来合わせ、彼を見てかわいそうに思い、近寄って傷にオリーブ油とぶどう酒
 を注いで、ほうたいをし、自分の家畜に乗せて宿屋に連れて行き、介抱してやった。次の日、彼はデナ
 リ二つを取り出し、宿屋の主人に渡して言った。“介抱してあげてください。もっと費用がかかったら、
 私が帰りに払います。”この三人の中でだれが、強盗に襲われた者の隣人になったと思いますか。』彼
 は言った。『その人にあわれみをかけてやった人です。』するとイエスは言われた。『あなたも行って
 同じようにしなさい。』(ルカ10:25-37)」


あっ、やっぱり! 注解書、すっごいイッパイ書かれてある。やっぱり、重要なトコロなんだね。

−−聖書注解−−

  b.永生問答(10:25‐37)
    ̄弊弧篥(25‐28)
 〈ためそうとして〉は〈先生〉(25)としての「賢さや知恵」(21)を試験したくて.これはラビ同士
の永生問答であり,当時のラビたちの一大主題.〈永遠のいのち〉(25)は死によっても断ち切られるこ
とのない,永遠なる神との永遠の交わり.〈永遠のいのちを……受ける〉(25)は旧約の「約束の地を受
け継ぐ」(詩37:9,11,22)に由来し,「神の国に入る」と同義.〈何をしたら……自分のものとして
受けることができる〉(25)は「受け継ぐためには何をすべきか」で,律法学者流の「律法を行うことに
よる救い」という思想から出た問.それ故にイエスは〈それを実行しなさい〉(28),「行って同じよう
にしなさい」(37)と言って律法学者の「何をしたら?」に答える

  ◆[匹サマリヤ人のたとえ(29‐37)
 29 〈自分の正しさを示そうとして〉は,「神の正しさ」を認める(7:29)幼子たち(10:21)と対
照的なパリサイ的律法主義者の姿(7:30,18:9,14).〈私の隣人とは〉,ラビたちにとってはユダヤ
人同胞を意味した.律法学者はイエスの隣人定義を問いただす
 30‐35節は「良きサマリヤ人のたとえ」.このたとえは29節の問に対する答として語られた「あわれみ
のたとえ」であり,その中心句は33節の「かわいそうに思う」.描写は実に生き生きとしており,ルカ=
画家説も出たほど見事.オーリゲネースは,エルサレムを天,エリコを世,強盗を悪魔,サマリヤ人をキ
リスト,宿屋を教会という具合に寓喩的に解釈した.今日ではこうした寓喩的解釈は退けられているが,
滅びつつある者を捜して救うために来たキリスト(19:10)をこのサマリヤ人の中に読み取ることは誤っ
てはいない
 30 〈ある人〉はユダヤ人でも異邦人でもかまわない.「隣人」の定義に民族の枠は不要である.〈エ
ルサレムからエリコへ〉は28辧ド弦盧耕1000mを実際に〈下る道〉で,寂寞とした砂漠や岩地を通る.
途中にマアレー・アドミーム(赤い坂)と呼ばれる場所がある.伝説では,その辺りに強盗が出没して多
くの血が流されたために土地が赤くなったのでそう呼ばれると言う
 31‐32 エリコは「祭司の町」と呼ばれ,〈祭司〉や〈レビ人〉が多く住んでいた.エルサレム神殿で
の奉仕を終えて帰る途中の祭司とレビ人が〈たまたま〉現場にやって来た.「律法の専門家」(25)と同
様に彼らは「律法には,何と書いてあるか」(26)をよく知っている.この状況に適合する「あわれみ」
の律法は申22:4.だが彼らは倒れている「人」を〈見〉た上で〈反対側を通り過ぎて行った〉.その理
由についてイエスは何も語らない.この場合「自分の正しさを示そうとする」(29)一切の言い訳は成立
し得ないからである.彼らはただの「あわれみの心を閉ざす者たち」にすぎない(汽茱3:17)
 33 〈サマリヤ人〉は祭司やレビ人,律法の専門家が軽蔑し差別した民.ユダヤ人は彼らとの接触を忌
避した(ヨハ4:9b).〈見て〉は31,32節の「見ると」と全く同じ語で,〈かわいそうに思い〉は「反
対側を通り過ぎて行った」と見事な対比をなす.〈かわいそうに思い〉(参照7:13,15:20)はこのた
とえの最重要鍵語.サマリヤ人の以下の行動のすべては彼の内に生じたこの思いのなせるわざである.愛
のわざにその他の理由付けなど不要
 34‐35 サマリヤ人の行動は愛と犠牲の奉仕.〈オリーブ油〉は痛み止めに(イザ1:6),〈ぶどう酒〉
は消毒薬としても用いられた旅行者の携行品(競汽16:2).旅人が使う〈家畜〉は、ろばか、らくだ
が一般的.〈乗せて〉ということは自分は歩いたということ.〈宿屋〉(2:7とは別語)は隊商旅舎(カ
ーン).マアレー・アドミームにカーン・エル・ハツリという旅舎の遺跡があり,このたとえにちなんで
「良きサマリヤ人の宿」と呼ばれている.〈介抱してやった〉と〈次の日〉はサマリヤ人が払った時間的
犠牲.〈デナリ2つ〉は2日分の労賃だが(→7:41注解),当時の食費から推計すると,宿賃にしては高
額.だが,〈もっと費用がかかったら,私が帰りに払います〉と約束して,サマリヤ人は旅を続ける
 36 たとえを語り終えたイエスは律法学者に問いかける.〈だれが……隣人になったと思いますか〉と.
隣人とは静的に「です」(29)と規定すべき対象ではなく,「なる」べき存在である.律法学者は,律法
を守ったはずの祭司とレビ人が本当に律法を守ったと言えるのか,律法の本質である「愛」(27)と「あ
われみ」(33,37)を把握していたのか,と問うべきだった
 37 彼は〈あわれみをかけてやった人です〉と答えた.「あわれみ」(1:78)こそがイエスのたとえ
の最重要点である.〈あわれみ〉が「隣人」をつくり出す.「隣人を愛する」(27)ことの具体例がサマ
リヤ人の心と行為である.それ故イエスは〈あなたも行って同じようにしなさい〉と言う.イエスの「行
きなさい」は,人を新しい生へと送り出す言葉(5:24,7:50等).〈あなたも〉が強調され,〈しなさ
い〉は「実行しなさい」(28)と同語.律法学者にとって,軽蔑しているサマリヤ人(37節で彼は「サマ
リヤ人です」と言い得なかった)と〈同じように〉せよとの命令は,衝撃的な愛の律法

−−ここまで−−


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