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612年 時の王 揚帝 は篤真の菩薩天子ともいわれ、情感豊かな詩人でもあられました。
その皇帝が、悪魔のように、戦争に取り付かれて、わが身を滅ぼすことに成ったのか。
隋の大業8年(612)における、高句麗征伐の大敗北を、『日本書記』には、
推古26年(618)8月1日の条にはこのように記してあります。
高句麗、使を遣わして宝物を貢。因りて言う。隋の帝、30万の衆を興して我を 攻める。
返りて我ため にやぶられぬ。故に捕虜 貞公・普通の2人、および鼓吹き・弩・拠石の類十物・
併せて土物・駱駝1匹・を貢献す」。
分かりやすく言えば高句麗はついに三度4度の攻めを受けて破れ日本に援けを求めてきたのでしょうか
おそらくこの時代の日本はまだ 渡来人の唐人 隋人の非難の場所だったのかもしれませんね。
楊帝はあの志工程のように多くの物を我が物にしたいために負けても負けても暫くすると重税を課し
兵を集め(30万人)ついに高句麗を手に入れたころには領民の信頼をなくしていたのです。
クーデターが起きとらわれの身になったのでしょうね。こうして高句麗を侵略した隋も滅びて行くので
す。推古時代のの事を詳しく知りませんが・・・今の時代も変わらず同じ事をしているのだと 思えて成
らない。
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ダライラマ14世閣下が昨日オバマ大統領に会われました。
少しでも早くチベット自治区を独立させてほしいのです。ダライラマ14世はこの何十年も祖国を離れて
ただそれのみを願っておられるのです。この日本にも何度も来日されておられます。
仏国で栄えているのは 日本今では日本だけなのです。
聖徳太子の の話は 次回まで・・・ 続きはまた。
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