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書庫孔 子 と 弟 子・・★

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4月8日
 
お経は「如是我聞」ニョーぜーガーモンで始まる
 
場合が多いのですが、これは論語が、
 
子曰く、で始まるのとおなじなのです。
 
釈尊はこのようにおっしゃっていたと聞いております。と言う事なのです。
 
釈尊は35歳で菩提を得られ45年間、数限りなく教えを説かれていますが
 
著述はされていません。(されていたとしても残っていないのです。)
 
説けども書かず。従ってその、教えが散逸する事を恐れた
 
弟子たちによる編集会議 が王の要請で 開かれれました。
 
紀元前4486年当時、インドは2分されていたようです一方の国、
 
摩が陀国の王城に500人の阿羅漢が集まり7ヶ月かけて編集したそうです。
 
どのように編集したかというと、まず一番の高弟であるところの 迦葉尊者様
 
が上座に坐り、  阿南尊者が 「如是我聞!!」 と 誦出つされます。
 
釈尊から私はこのような教えを聞きました皆さんはどうですか ? 
 
残りの499人全員が 「まったくそのとうりです。」 と
 
異論が無かった時始めてお経として成立したのです。
 
このお経が文字になるのにはさらに500年をへてからですが、
 
其れまで奇跡としか思えないような記憶力で口から口に伝承されて
 
いったのです。其れでも人の記憶間違って伝承されたり、
 
都合よく解釈されたりも防ぐために何度も編集会議は開かれたのです。
 
はじめ阿難尊者がどうして選ばれたかというと、彼は釈尊の従兄弟でもあり、
 
いつも釈尊のお側にいたからなのですよ。
 
今で言う私設秘書であり、直弟子であったのです。
 
皆さんのお家にあるお経の本はこうして作られたのです。
 
 
 
 
 
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2010年4月8日おめでとう〜!!
 
子しゃか様入学とお誕生日
 
四月八日 私達仏教徒はお釈迦様に謝恩をこめて花祭りをします。
幼い頃は何のことかさっぱりわかりませんでした。キラキラした たらいの中の 象さんにのった、仏様の頭からお水だか、お茶だか わからないものを 小さい柄杓で掬ってはかけた 記臆があります。そして、そのかけた物が飲みものだということがとても嬉しいことでした。 私達、子供ひとり ひとりに、湯のみ茶碗に新しく釜からくんでくださったからです。確かおやつもいただいたのかもしれません。
今にして思えばアレは甘茶蔓だったのですね。 甘いお酒だとばかり思っていました。
お釈迦様と同じものが飲める日なのか。その事がとても大切な日なのだと、子供心に抱いてました。    さて
 
この前の日曜日、お寺にお参りにゆき参拝のあと休憩所に立ち寄ると、20年〜30年ぶりにその甘茶が用意されてありました。それを飲ませていただきふと心があつくなりましたよ。そして又思いました。お釈迦様と同じ物をいただけて嬉しい とっ お釈迦様から頂いたという感じがしたのです。    ご馳走様でした。
 
仏陀の転心  菩提心について
  伝え 聴くところによれば、35歳の若きゴーダマブッタは、ガャに近いある一本の木の下で、12月8日,  轄然として、一大生活転向を行ったとされている。仏教徒は、この生活回心を(菩提)を得た 即ち悟りを得たと言っているのです。其れゆえこの木の事を「菩提樹」と呼んでいるのです。ですからどのお寺のお庭にも菩提樹があるのです。沙羅双樹 はそのシンボルなのです。
『天上天下唯我独尊』 産まれてすぐにこのように天と地をさして言われたように、書かれているものもありますが、これはないです。  釈尊も本当に普通の一人の若者だったのですよ。
只、のちのちになって このような考えに到られたということなのでしょうね。
 
暫く・・・仏様のお話を書いていなかったので・・・春休みが終わる頃ですので・・・
この日を期に、子供に聞かせる気持ちで、ぼちぼち 面白いお話を探して書きはじめてみます。
 
まず仏経がこの日本に上陸したのは今の韓国からだとおもいます。
 
おしゃか様が入滅されてからおよそ2500年に成ります。日本は今、
 
西暦2010年ですから。500年くらいの間はこの日本には・・・宗教も無ければ国とらしきものもなかったのかもしれません。
部族同志の寄り集まりが邪馬台国卑弥呼の時代まで続いていたのでしょうね。神様はそのときから祭られていましたが、其れは宗教というより・・・今に残る収穫祭の対象物として祭られていたのでしょうね。
 
取り合えず。地に恵みえをもたらすのは雨であり地を照らす光であるらしいから アマテラスおおみかみ 雨照らす大地の上の人これが[神]
物知らぬ人々にいろいろな事を教えていた人がいたのでしょうね。
この人のさしずを聞いては 種を捲き 草を引き 水を貯め 動物を飼い。鳥を飼い 魚の獲り方を習い 収穫を感謝し供え物をする。出雲大社近くにたどり着いたこの人達が 各地に分散していったのでしょね。
興味のある方や詳しい事は又自分で調べて下さいね。
皇室とも関係しますのでこれで止めておきます。
 

隠言禅師

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インゲン豆を大陸からこの日本に持ちこんだのが この隠元禅師なのです。

この大師はま〜なんと言うか商売上手です。


時の将軍、徳川家綱を帰依させて、京都の宇治に万福寺を寄進させています。

隠元が細川越中守にたいして送った手紙の一部が隠元語録にのっています。



『お米を恵んでいただき、修行者達もみんな喜んでおります。

大檀越の誠心のこもった帰依は貴方の無量の幸福をますます増して参りましょう。

・・・(中略)あなたは前世から徳行を積まれ・・・この世に尊い諸侯の尊身に

生まれて来られ しかも、この世で解脱する事が出来ますことは、人として・・・

これに過ぎる事は ありません。ここに手紙で御礼申し上げると共に、

お機嫌をお伺い 致します。』 まるで催促みたいだよね〜  う・ま・い!座布団5枚 !! 

達磨大師の考えや行動に近いのは、余り豊かな暮らしはできないですよね。

 

話、変わって 徳川家斉の時代、鎌倉円覚寺でのお話です。名は誠拙老禅師。

山門立て替えの為、檀家に寄進を呼びかけておりました。

其れを聞きつけて、江戸浅草の蔵前の梅津伝兵衛大金500両を寄進すべくわざわざ

大江戸から鎌倉まで奇特にも供を従え大金をもってきました。

寺を訪ねると老師は本を読んでいました。伝兵衛さん老子の背に カクカクシカジカで

お金を持参致しました。と500両を差し出したのに労使は知らん振り。振り向きもしません、

伝兵衛さん たまりかねて大声で!!

「山門の寄進の為に500両!唯今持って参りました!!」

すると 老師も大声で怒りを込めて。

「お前さんが功徳を積むのに、なにゆえわしがお前さんにお礼をいわにゃいかんのじゃ!!!」



理屈はそうであっても これでは実も蓋もないですよね。

禅僧という方にはいろいろなが方がおられます。((笑))  

次の夜話のときには一休(さん}禅師 のお話でも書きましょうか?・・・・ね。



画像転載 宇治・万福寺のお庭と桜 と  鎌倉の円覚寺山門 お話しのお寺です。

http://www.obakusan.or.jp/index.html  ←万福寺ホームページへ飛びます。

達磨大師  【daruma】

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>                                             < 
★翼の作品・石ころアートから 達磨大師 再登場しました !!。


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釈尊{ブッダ)涅槃以後 約1600年に成ります。達磨大師は禅の開祖です。

直弟子ではありませんのでお断りしておきます。  では・・・始めましょう


今から約760年前 中国は梁の天子(王)武帝が達磨大使を招いて云う。

「朕は 仏教に帰依し、塔寺も建て、僧尼を供養し、巳らは 法華経”を読み写経”し国中に仏法”を広め

ているが・・・この功徳は 如何ほどあるであろうか」。    武帝も人の子・・神ではなかつた。

武帝は達磨大師から、『 無限の功徳があります 不老不死もかなうやも知れぬ 』。

と嘘でもいって欲しかったのかもしれません。

人間 何れ 自分も死ぬのはわかっています。それでも人から褒めてもらいたい。

すこしでも長く生きていたい。死にたくはない。

権力や財産がある人に限って自分は特別に選ばれた人間だと思っての発言だったと思われます。 

はたして達磨大師から返って来た言葉は 『無功徳!!渇!!』。

この愛想”もこそ”も無い言葉に、武帝は達磨大師の元を離れ別れてしまいました。

果たせるかなこの武帝、自ら具足戒”の二百五十戒”の戒を受け、平安無事な理想国の建設を夢見ていた

にもかかわらず、戦に明け暮れる事になってしまったのです。晩年、部下の候景の叛乱により捕われ

幽閉され 台城に於いて”餓死”させられた という無残な話しが残っているのです。  

どこから どうして 何が間違ってしまったのだろう。

己が能くせざるところを人に施してはならない。自分の命が大切であるなら尚の事。

人の命を大切にしなければ成らない。釈尊の教えの一番大切なところです。

戦相手や兵士である自国民の命を物のように消耗すれば、誰が我の身を守ってくれるのか。

忘巳利他”・・自分の事は忘れて人のために成る事をしていたならおのずと 人が わが身を捨て置きは

しないものでしょう。と云うのがブッタの考え方です。

知識がいくらあっても 財をいくら費やしても わが身を守る事は出来ないものです。 

武帝には教えが体の中に這入っていなかったのでしょうか。

あの時代を生きた武帝を私は哂えない。

それにしても達磨大師はすごい。『功徳なし!!』。             ですと!!

もりっこ翼
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