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自己愛 いったいィこというものは愛してもよいものかどうか これは簡単な事ではない。
妻が 夫や子供より 両親寄り自分を愛していてもよいのだろうか?
愛すること、とは・・・大切に思うことだというのであれば・・・
パせーナディ王とマッリカー王妃 二人はあてどのない苦しみを抱きながら釈尊のもとをたずね、救いを
乞うたのでした。釈尊は、詩を持って王に答えました。 後記 ↓
[このおのれもまたそれぞれ他の人も、かくのごとくしてあるなり]・・・・王は愕然としました。
聖なる人である釈尊までが 「この私も他の人も同じだよ」というのです。しかも、そうした想いは
[人間として当たり前の事であり、他の人も矢張り、自分が一番可愛いのだ]
[その事に気づいた事はよいことです]といわれました・・・・・・。
王は考え込みました常々釈尊の教えには他人、隣人、世の中の人びと自愛第一と認めてよいか・・・。
釈尊はまだ若い王を愛しげにみやりながら、さらに言葉を続けました。
【されば、己を愛するものは、ひとをそこなうべからず】・・・王は、はっとしました。
【自分がそれほど可愛い、いとおしいとわかったら、他人もそのとうりだと想い、確信して、他人に
苦しい想いをさせてはならない。それが愛の本質である】
人間は表面的には色々違いはあるものの、自己愛は最後のギリギリまで掘り下げてゆけば、自分と 他人
とはけっしてして別々の人ではないのです。自分がいやだと思う事は、それは他人も同じように嫌が事。
これがわかれば愛や感謝が成り立つのです。すばらしい一句です。も一度 その句を書いておきます。
【心してあまねきところを探したれどもおのれにまして愛しきものに出あわざり】
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