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書庫孔 子 と 弟 子・・★

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自愛とは・・・

自己愛 いったいィこというものは愛してもよいものかどうか これは簡単な事ではない。

妻が 夫や子供より 両親寄り自分を愛していてもよいのだろうか?

愛すること、とは・・・大切に思うことだというのであれば・・・

パせーナディ王とマッリカー王妃 二人はあてどのない苦しみを抱きながら釈尊のもとをたずね、救いを

乞うたのでした。釈尊は、詩を持って王に答えました。        後記  ↓

[このおのれもまたそれぞれ他の人も、かくのごとくしてあるなり]・・・・王は愕然としました。

聖なる人である釈尊までが 「この私も他の人も同じだよ」というのです。しかも、そうした想いは

[人間として当たり前の事であり、他の人も矢張り、自分が一番可愛いのだ]

[その事に気づいた事はよいことです]といわれました・・・・・・。

王は考え込みました常々釈尊の教えには他人、隣人、世の中の人びと自愛第一と認めてよいか・・・。

釈尊はまだ若い王を愛しげにみやりながら、さらに言葉を続けました。

【されば、己を愛するものは、ひとをそこなうべからず】・・・王は、はっとしました。

【自分がそれほど可愛い、いとおしいとわかったら、他人もそのとうりだと想い、確信して、他人に

 苦しい想いをさせてはならない。それが愛の本質である】

人間は表面的には色々違いはあるものの、自己愛は最後のギリギリまで掘り下げてゆけば、自分と 他人

とはけっしてして別々の人ではないのです。自分がいやだと思う事は、それは他人も同じように嫌が事。

これがわかれば愛や感謝が成り立つのです。すばらしい一句です。も一度 その句を書いておきます。


【心してあまねきところを探したれどもおのれにまして愛しきものに出あわざり】

穢れなき白蓮の花

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                 お釈迦様のことば                法句経−58


【都大路に捨てられし 塵芥の堆肥(つみ)の中より げに香りたかく心もたのしき 白蓮は生ぜん】

泥池に咲く穢れなき純白の蓮の花 心たのしき花 と、おまわれていたのですね。どんな環境に生まれ育

っても 美しい人生がおくれるのだと夢と希望がわいてきます。自分次第なのですね。

清らかな花は清らかな水からと考えたがる人が多い中で釈尊は泥沼の穢れを離れての、白蓮の浄らかさは

成り立たないのです。釈尊はそこに人間の真理をみつけられたのでしょう。

どぶ泥 汚い仕事「きたないもの」と思い込む 偏見・差別 清浄と穢れは縁もゆかりもない二つもので

はない 表裏一対 SETなのです。

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今日はトイレの工事をしております。職人さんありがと〜 (*^^)v~そして <m(__)m>。

父母を敬う

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★ 伝日如来像 ★ 

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【世に 母あるは 幸せなり。また父あるも また幸せなり。】・・・・・・ 法句経 ・三三二

両親を早くなくにした者には実感として、しみじみと胸に響く言葉です。

釈尊の生母は、我が子を産んでわずか7日でこのよをさりましたなくなりました。

それでも母を慕う心は80才でいよいよ亡くなるときにも、夢で枕もとに薬袋を持ったお母さんが、

心配そうな顔で現れ 悲しげな顔でみまもってくださったそうです。

その言葉を弟子が色々想像して、伝説が作られ始めました!!

釈尊の言葉ではない言葉も仏教の中にはあります。

2600年ほど昔の古代社会が母憲制であり、母系が尊重されていたという名残も有りますが、

いつの時代にも父より母の方が 子供からすれば 親孝行の割合が高い見たいですね。

離婚しても子供を引き取るのは、圧倒的に親権は母親有利が多いですネ。

釈尊は決して、親孝行を強制しませんでした、彼のウィークポイントだったのかもしれません 

お母様が長く生きておられたら 出家もされなかったかも知れませ。{個人的な私の想像です}

其れほどまでにお母さんを慕われていたのにこの世にはいないトいうところに無常が有るのですね。

「親孝行したい時に 親は無し。」

幼児のように、いつまでも母の喜ぶ顔が見たいと思うことこそが親孝行なのでしょうね。


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★【親子の絆について】

【我に子等アリ我に財ありと 愚かなる者は心悩む されど
 
 われはすでにわれの者に非ず何ぞ子等あらん】 財あらん】・・・・・・・法句経六十二



非常に厳しい教えのことばです。人間生活の根本箱の十数個の文字の中に光輝いています。

私たちには子供があるのだ この子がいるから、自分が老いても 子供が面倒をみてくれる 

いくらなでも悪い様にはしないであろう。たとえ死んでも御香の一本もあげてくれるだろう。

死苦八苦して生きるのは親も子も同じです。人として生まれたからには 避けられないことが

山ほどあります。そして命は永遠ではないのです。

ここに腕のよい職人さんがいます。「な〜に財産や子供が頼りにならないのなら この腕一本あれば

何でも出来る これで生きていこう どんな荒い仕事でも引き受けていけば なに大丈夫!だ。」

釈尊の教えはこうです。もし自分の体が自分の物であるのなら 自分の思うとおりに自由になるはずだと

いわれました。 歯が痛い 白髪が増えた どうにもならん 飲み過ぎるなと自分に言い聞かせていても

二日酔いして、頭が痛いじゃないか。「愛欲に溺れるな、苦しむことになるぞ」と警戒警報を出しながら

していてさえ、情欲やギャンブルに溺れていくではないか、自身が自分のものであるのなら もっと自在

に扱ったらどうだ。空腹でなくてもこの目や鼻が食欲をそそったら我慢できるのか。眠っている間、今日

は何回呼吸をしてやろうとあらかじめ計算して、そのとうり呼吸する事が出来るか。出来はすまい。

我は我のものではない。己は己のもの じゃないここに釈尊の教えの【無我】があります。

                                           つづく

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仏様の世界では億劫と いう文字は大変長い長い時間の事を言います。

『立っいる者なら親でも使え』 と、いうような 行儀の悪い言葉が有るほど 人間は傲慢な生き者です

せつかく、座ったものをもう一度立つというのは非常に長い時間がかかるように思うものです。

たとえば、書類を書いているとき度忘れした字が思い出せない 書棚に行けば辞書なり 書斎に行けば

PCなりで簡単に調べられるものをおざなりにして、書類は後回しにしてしまう。この億劫に打ち負かさ

れるところに『死の径』が有るのだそうです。思い切って立つか立たぬのか、そこに人生の岐路があるの

だそうです。言葉も同じです。相手が物をいい。返事をするということを億劫がるる人がいます。

「今日はいい天気ですね」「・・・・・。」 

「でも少し風邪が冷たいかしら」「・・・・。」

「暖かくしてお出かけくださいね」 「いちいち煩いんだよう・・・・。」 

こういう人が風邪をひくのですね、やがて 大病をしますね。長生きできません。

人生の分かれ道はこういうことの積み重ねだそうですよ。

人として出来る事をすぐにできるか出来ないかが

その人が生きているか、すでに死にいたっているのか。

今、出来る事を後回しをしない。!!活き活きと生きるのです。

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【自らを燈とし自らを依り所とし 人を依り所とせず】


釈尊は繰り返し自己独り、タッツた一人の世界、たった一人の力と言う事を強く言われました。

親 夫 妻 子 財産 友人 健康 こうした物を一切失っても、もし自己というものさえ見失なわなか

ったらならば、人間は人間は自分の燈りをかざして暗闇の人生をも強く歩nでいくことができると教えら

れています。釈尊が亡くなるすこし前の事、多くの弟子たちは師の回りを囲み嘆き悲しみました。

とりわけ、人間味豊か弟子のお世話をしていた、【阿南】と言う弟子は「わたくしは師である貴方を失う

ことになったらこの先、一体どうして生きていけばよいのでしょうか、柱とも頼む世尊を亡くて・・・」

と阿南は泣きじゃくった。そのとき釈尊は子の言葉を吐かれたのです。

[阿南!よお前はお前の燈火の役割を務めているではないか他をより所としてはならない。

阿南よ!お前は自分自信お燈火を抱いて足元を照らし行く手を輝かせ。] このとき、釈尊は弟子達に

[はやしのなかを歩む像のごとく一人行けよ。]とも言われました。

_______________________________________________ 

現代社会は 企業も個人も あまりに他に頼りすぎのように思えて成りません。

いつの間にか。深く見つめる事をやめてしまっつたのでしょうか?自分いとっつて不都合な事は。

すべて 他のせいにしているように思えて成りません。

老人介護はいつからこのような事になってしまったのか!

教育現場はなぜにコウもややこしくなってしまったのか!

離婚が多く結婚もしない 子供もいらないのとは どういうことなのか!

人間性とはなんなんだろう!人として産まれてきた事によるこびを持たないのであろうか!

静かに静かに考えなければならない。

群衆の中にいたのでは 世間と言うものも、自分自身も良く見えなくなっているのだろうか。


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【つつしみは甘露の径 放逸死の径なり 慎むものは則ち死すことなく 

 道の失えるものは生けるも既に死せるなり】       {増1 阿 含 経 四−二七}
 

この聖句は 『法句経』にもありますが。

甘露の道を死なざる道と詠んでいます。放逸は なをざりと詠んで下さい。

つつしみは不死(寿命をいきること)おざなりは死だと釈尊ははっきり言い切るのです。

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