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書庫☆日本の四季

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DNAの拡散

5〜3万年前、この列島にたどり着いた縄文人の多くは、東北大陸北回りのご一行様だと思います。

始めに北方四島にたどりついたのかもしれません、あまりの寒さに全滅したのか 北海道を見つけて島ず

たいに、来たのかもしれません。この人達がアイヌ人の祖先かどうかは知りません、

多くの人々は、東北大陸から日本に来た朝鮮半島を渡ってきたのでしょう。

そのまま東下し関東までやつてきたようです。

一部の人達は、北海道に行き、また一部の人はもっと南下したのでしょうね。竜球の海底の回廊や

古人骨 多くの物が発見されていますが、詳しい事ハよく分かっていないのです。沖縄の人のDNAと

アイヌのDNAとでは、時期的な相違が有るようです。

でもいずれかの土地でめぐり合っていないとも言えないですよね。ルートは他にも有りましたから

南ルートのご一行様は 景色もよく食べ物も豊富なたびでしたから 急いでわが列島には来なかった

ようです。いずれにせよ、この私が、貴方が、DNAの一の遺伝子が、数万年の歴史をもっていると言う

ことです。 

我が家の歴史が・・・我が伝統が・・・何代目だから・・・我が家の先祖は? どうでもいい 。



心配な事は・・・もっと身近なことで、この日本の若者が、自分の子供を持つ

必要がないと考えているということです。

子供を持っている人でさえ、そう考えている大人が50%もいると言うことです。

アフリカ脱出を果たした二つの クラスターは、以前の研究で、ハプロM ハプロNと名づけられておま

す。 Mがアジア人だけから構成されるグループで、Nがヨーロッパ人とアジア人を含むグループです。

この事は素直に考えると、アフリカからの旅立ちが2回、あったことを示しているということです。

アフリカからの旅立ちが、Mはアジアだけに進出し 、Nはユーラシア大陸の東西に分布を広げた事に成

ります。今のところ MはNより すこしだけ早くアフリカを旅立ったようです。

ハプログループMの成立の方わずかに速かったようですが統計的に有意義な差を確認するには至っていま

せん。 ただ、研究者達はその旅立ちは1回限りだと予想しています。もしもふくすうかいあったとして

もそれは同じ集団が成し遂げたものであると考えています。


時代が下って4万〜3万年前になると、両者はヨーロッパで共存していました。

形態学的な研究から両者の混血を示唆する人骨 の報告も有ります。、

一方ネアンデルタール人(アボリジニ)のDNAの分析は一貫して混血を否定しています。、

どうやらこの当たりに人種や 宗教の起源が、隠されている様ですね。

想定されている、もう一つのルートは、今で言うエチオピアを通ってアラビア半島を抜け

南アジアに達する、ルートです。

最近のDNA分析による拡散の研究では、ほとんどの研究者がこのルートを想定しています。

最初にアフリカを旅立った新人類が、辿った経路だと考えられています。その後、彼らは 南アジアの

海岸地域を 伝って、四万年以上前には、オーストラリア大陸に到着したと想定されています。


                               日本にだいぶん近づいて来ました。

 先にも述べましたように、始めてアフリカを出てきた彼等は150人ほどの集団でしたでした。

それも八万五千年〜五万五千年前くらいのどこかで、アフリカ大陸を出てきたようです。

この事は 近年のY染色体の研究から分かったことです。

それにしてもそれまでの15万年前にはすでに誕生していたのです。

ずいぶんと永い間アフリカにとどまっていられたということ二なります。

わたし達の祖先である彼らが、アフリカから旅立った時

世界にはわたし達とは異なる人類が生存していました。

ヨーロッパにはネアンデルタール人が、東アジアには北京原人の子孫達が、

そして東南アジアにはジャワ原人の子孫達が住んでいたのです。

わたし達の祖先はやがて世界の各地で、これらの人ビトと出会うことになったのです。

アフリカからの旅のルートはふたてにわかれたようです。

ひとつは北 アフリから出てゆくもので、紅海の北端からシナイ半島を通って中東に抜けてゆく経路で

す。イスラエルの10万年前の遺跡から発見された人骨から私達と同じ新人の人骨が出土しているそう

ですが、これが果たしてどうなのかは今の段階では分からないというのには、理由があります。

北ルートでは途中のサハラ砂漠があるためこの場所で 息途絶えてしまったという可能性のほうが

大きいのです。




                                        またの機会に。

人間の揺籃の地

 何かの都合で200万年前以降に一部の人類は おそらく増え続けたために食糧のバナナや柔らかな 

葉っぱも足りなくなったのだと思います。

木の上に(家)住めない多くの家族が新天地をもとめて出たのだと思います。 

集団の移動は仲良しグループ だっつたのでしょうね。150人位のコロニーだったようです。

こうして4足歩行より2足歩行のほうが生活がしやすい場所に定住出来たのでしょうね。

森のある所ばかりではないので、取り敢えずは水を求め河に歩いたのではないでしょうか。

そんなこんなで。なん世代もかけてアフリカを旅立つ事になります。こうして、昔の大地に先行人類が分

布しました。このアフリカ脱出劇が 何度も何度も繰り返されたのだと思います。

今ではDNAが簡単に解析できるようになりました。今でもアフリカ人のDNAには一番多くのことが書


かれていて 突然経煮の多いのもアフリカが多いそうです。そのことから観て人類の発祥がアフリカであ

ることが今では定説となっているようです。お気に召さない方もいるようです。


人類学でもこの位のところまでは出来ていたのだとおもいます。しかし

ミトコントリヤDNA 恐るべしです。

体格 骨格 特性から世界人種の分布を見れば、また面白いことに気付きます。

体力も腕力もない 争うことも嫌い 獣を捕まえて食べることもせずに海沿いを辿りながら、貝や小魚を

獲って良質のたんぱく質を補給していいたのでしょうね。おかげで今でもわたしたち日本人は新鮮な魚介

類なら 平気で生で食べられるのでしょうね。

我らが祖先 縄文人は、心優しい流れ者集団だったのでしょうね。

人類学と分子生物学

 1960年代までの人類学ではゴリラやチンパンジ゙イといった類似猿から ヒト系統が分かれたのは

およそ2400万年前で、ヒマラヤ山麓の地層からは発見されたラマヒテクスが現生人類の直系であると

考えられていましたが、そのような中で 生化学者は 生化学の手法を使って、ヒトに一番近いのはチン

パンジイーで、その分岐時間ははわずか 500万年前だと発表したのです。しかしこれは人類学者にと

っては受け入れがたい ものでしたし大論争が巻き起こりました。

1980年代にラマヒテクスの完全な頭骨の化石が発見され、それがオランウータンのグループであるこ

とが証明されました、現時点ではヒトに一番近いのはチンパンジィということです。

*個人的には* 森で暮らしていたい人がチンパンジイーに *
* 突然、変異 したのかもしれないと考えています( 笑)*


それにしても700万年前まではとてもさかのぼれませんね。

ダーウィンは人類 誕生の 地は今でも生息しているし、700〜500万年のなかで 人類につながる

化石が見つかるのは、アフリカだけです。 

アフリカは ダーウインが予言したとおり、人類の揺籃(発祥)のちであったのでしょうね。


アフリカから約500万年かけていったい この日本の小島に たどりついたのだろうね。


                                                                      三時のおやつの時間だから休憩     11/25

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