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金沢城を後にした私は、ふらっとバスに乗ってここ、にし茶屋街にやって来ました。
ひがし茶屋街、主計町と並ぶ金沢三茶屋街のひとつで、場所は金沢市の野町に位置しています。
この日ここに来たときはすでに夕刻でしたが、日中、ここを歩いていると三味線の音が聞こえてくる風情のある場所です。
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歴史関連
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詳細
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一部が復元されている砲台の跡
現在は日本庭園風の公園になっています。
北前船の大錨
こちらは前回記した、大野台場から少し離れた金石地区にある、もう1つのお台場「寺中台場跡。」です。
ところで「台場。」の定義といえば海から攻めてくる敵に対して迎え撃つための砲台だったということなのですが、ここは海沿いではなく、少し内陸に位置しています。この砲台はこのような台場とは違って、上陸してしまった敵を攻めるための砲台だったそうです。
また、お台場の話とは内容がそれるのですが、2つの台場があるこの辺りは、その昔は北前船の寄港地と知られている場所です。ちなみに3枚目の写真の大錨は以前海底から発見されたものだそうです。
(公園の隣には銭谷五兵衛記念館があります。)
この付近には他にも台場の跡がいくつか残っていたようなのですが、現在は確認できないようです。 |
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その昔美川に県庁が置かれていたことがありました。(写真はJR美川駅)
先日11月11日、白山市のお隣の町、野々市町が市制へと移行して「野々市市。」となりました。ここまでは、単なる隣町でおこった出来事なのですが、この野々市が市になったことであるものが消滅してしまいました。
そのあるものというのは「石川郡。」という郡の名前です。現在白山市を構成している旧松任市以外の市町村は、すべて石川郡に属していましたが、白山市の誕生後は、野々市町だけが石川郡に属していたことになるわけです。そのため野々市が市制に移行した段階で石川郡が消滅してしまったという訳になります。
ところで、そもそもなぜこのあたりが「石川郡。」という名前だったのかというと、明治時代の一時期、現在の白山市美川地区に県庁が置かれていた事があるため県の名前が郡の名前になっていたとのことです。
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