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働けど働けど 猶わが暮らし楽にならざる
ぢっと手をみる
明治末期の啄木の歌が、そのままあてはまるような世相になってきた。
思えば私が子供の頃、昭和30年代、日本人はほとんどが貧しい暮らしであった。まだ電気炬燵も冷蔵庫もテレビもない時代、今家にあるものはほとんどない時代であった。ただ、啄木のような赤貧感はなかった。遊び場も友達もたくさんいて、時には隣の町会のいじめっこにぶんなぐられることはあったが、近所の子供たちと群れていれば楽しい日々であった。
そして、テレビが家庭に入ってきて、アメリカ人の生活を垣間見るたびに、父親と母親が対等で時にはキスをしたりするのを見て、世界には日本と違い豊かで個人というものが大事な世界があること、そして自分が大きくなったらそういう家庭を作ってみたいとか、世界の広さと未来への希望をはぐくんでくれたように思う。
そして昭和40年代に入ると、今度は電化製品から家や車そういう大きなものを買うことが、家族全体の目標になってきた。高度成長期、日本人の欲望も100万円以上、あるいは一一生かかって返済する数千万円というものに膨らみ、そしてそれを持つことが家族の願いであったように思う。日本人は、大きな欲望を持ち家族が団結し、一億総中流という言葉がはやったように、同質のしかしそれぞれに大きな目標に向かってまい進していた時代である。
そして、バブルがはじける。
これを境に だんだん日本人の欲望は小さくなっていき、同質性がだんだんと薄れ、21世紀に入ると貧富の差が拡大し、今や若者の望むものは数万円程度のものになってしまった。また、家族の目標もなくなり無縁社会などという言葉が氾濫するようになる。
今の時代、啄木のような赤貧感はないのかもしれないが、向上するという自助の感覚が乏しくなり、与えられるものはなんでももらうという信条が大きくなってきているように思える。
そして昔と違うのは、同質感のなさ=貧富の差の拡大は社会を暗くしているように思える。
資本主義経済はもうどうにもならないほど衰退感を示しているが、その中で生活する日本人の心も大きな価値を見失い、ゲームや携帯電話などの小さな、バイトで買える世界に縮こまっているようだ。
Aufheben : 世界の経済と大衆の価値感を止揚する新しい世界観が
必要な時代に入ったということであろう。
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石川啄木
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偶然、昨日、ぼくも、職場でこの啄木の句を思い出して、みんなで話題にしていました。(苦笑)
じっと手を見る。−−> じーっと通帳を見る
かな? ぼくの場合は。。。
2011/10/1(土) 午前 8:57 [ Daisuke ]
そうですね、私の場合は、じっと株価ボードをみるでしょうね。
2011/10/1(土) 午前 9:00