屋久島noおっさんno呟き

屋久島の事、身近であった事、屋久島の昔の事などを書くつもりです。

トビウオ漁 

 【5月になると、一湊湾をかたどっている矢筈岳と番屋峰は、山の中腹から海岸線の岩場付近まで、自生するヤマツツジが満開を迎えて、山が真っ赤に染まっていた。
 トビウオ漁からの帰り、海上から見ると山が燃えているようで、その素晴らしい景観は、人々を和ませてくれた。
 
 何処かの馬鹿者ども(地元の人間)が、これを根こそぎ掘り出して、盆栽などの観賞用に島外に売り払い、今は全く観ることできなくなってしまった、残念だ。】

 その日に大漁したトビウオ船は、漁港の入口で大漁旗を掲げる。
 (薩摩型のトビウオ船は、ブリッジを低く作ってあるのでマストが無い、み竿に大漁旗を括り、それを舳先の綱とりに縛りつけて、その大漁旗を掲げていた。)
 
 それは、大漁した船だけに許される、意気揚々の凱旋の印なのだった。
 
 【舳先に、赤、青、黄、緑などの布を巻きつけている船があった、全く巻きつけていない船も稀にはあったが、3万越しは赤、5万越しは青、10万越しは黄と、そのシーズン中に獲ったトビウオが、その数を越える毎にそれぞれが舳先に巻いていくのだ。
 いわば勲章みたいなものだったのだろうと思う。】 
 (通常、魚はキログラム当りで取引されるが、トビウオは一匹当りで取引される。)

 入港した船は、「エビス様」の下に来ると「よべっさん・・」と大きな声を出しながら、大漁のお礼に「エビス様」に向かってトビウオを投げる。
 投げられたトビウオは、港内の海面に浮いている。
 そのトビウオを拾いに、子供たちが次々に海へ飛び込んでいた。

 船つき場では、船主や網主の奥様たちが、焼酎やビールにおにぎりや生菓子を準備して待っていた、入札が済んで、水揚げ先が指示されるのを待つ間に腹ごしらえをするのだ。
 (あの時、船の上で食べたおにぎりは格別に美味しかった、当時トビウオ漁に行ったことがある人の誰に聞いても、「あの生菓子は、あのおにぎりは、美味しかった。」と、誰もがそのように言う。)

 乗り込んでいた高校生や中学生は、腹ごしらえを済ませて学校へ向かう、完全に遅刻の時間だが不思議に、このシーズンだけは遅刻しても先生に怒られなかったらしい。

 「・・・丸は・・・加工場へ」「・・・丸は鮮魚船・・・丸へ」と、入札の結果によってトビウオを渡す所を漁協から指示されると、そこに船を回航して水揚げをしていた。
 (トビウオが大量に獲れて、地元の加工場だけでは捌ききれないので、鮮魚船(鹿児島市場へ運ぶための運搬専用の船)が、年によって2隻から3隻チャーターされていた。)

 水揚げが終るとその日は終了、船主や網主は次の日の漁に備えて、船や網の点検をしていた。
 (私はその時期、4トンダンプの運転手のアルバイトをしていたので、そのアルバイトに出かけた、短期間だったが、若かったとは言え、体がもったものだと今思う。)

 【昭和53年以降、このトビウオ漁は行われていない、トビウオが産卵に来なくなったからだ。
 当時、産卵前に獲りすぎたせいだとか、生活汚染や開発で磯が荒れて、卵を産み付ける藻が無くなったせいだとか言われた。
 
 島の海は碧くびっくりするほど澄んで、磯が荒れているようには思えない。
 一方、矢筈岳のように山の下草が無くなっている事(西部林道も下草が殆んど無い)を思い、山と海の密接な関係を考えるとき、やはり磯は荒れているのかなとも思う。

 次の世代に、「しまった。」と言わせないようにしなければ。】
 
 

 
 
 

この記事に

開く コメント(22)

トビウオ漁 

イメージ 1

 魚見船の合図により、各漁船が一斉に投網してトビウオ漁が始まった。

 アバを曳け〜・・ イワをおろせ〜・・ 
 
 方々で潜手が、海の中から大きな声で船に指示をだす(中には他船と区別するために、笛で指示をするところもあった)、何十艘もの漁船がひしめく入江は怒号が飛び交い戦場さながらの様子である。

 【アバ(浮子)・・網を浮かすための浮き、網の上方のロープと一緒にいくつも取り付けてある。】
 【イワ(沈子)・・網を沈めるための錘、網の下方にロープと一緒にいくつも取り付けてある。】

 潜手は、網の入口の両サイドに二人いて、海中の網の様子を見ながら船に指示を出す、沈子の下をトビウオが通過して網に入って行かない時は、大きな声で「イワをおろせ〜」と指示をする、船上では潜手の指示に従い、沈子と繋がっているロープを緩めるて海底に送り出すのだ。
 浮子を曳きながら沈子をおろすと、網は立ってより早く網が海底に沈み広がるのである。

 ボーッとしてたら怒られる、目の前に「お金」が泳いでいるから、みんな必死である。
 怒号が飛び交うのはそのためである。
 
 狭い入江には何重にも網が入っている。
 自分たちの網の前に他所の網が入っていることは当たり前の事。
 
 前の網にトビウオが一杯入って、自分たちの網に入らない事はよくあることで、前の網は魚を堰いて今にも破れそうである。
 潜手にはそれが良く見える 「あれが破れたら・・・自分たちの網にトビウオが入る・・。」
 深く潜って行って網に小さな傷を付ければ魚の勢いで網が大きく裂ける。
 
 暗黙のルールでそういう事はしてはいけない、魔がさすというか、網を曳くのに夢中になっているからわからないと思いついやってしまった。
 わかったら大事件である、これが原因で傷害事件が起きたこともあった。
 魚が入りすぎて網が沈み、海底の瀬に掛けて網を破ることは多々あった。

 潜手の「網を曳け〜・・」の合図で網を絞る、2艘の船は他の船とぶつかりながら網を絞って船を近づける、船が並んだら網に入っている魚の中に飛び込んで魚を船にすくい上げる。
 魚を全部船に積み込んだらまた投網する、それを繰り返して一日の漁をするのだ。

 「出魚(でうお)になったぞ〜・・」どこかで声がした、付近の海面が真っ白になっている。
 トビウオが産卵をして、雄の精子で海面が真っ白に濁ったのだ。
 
 産卵を終えたトビウオは沖に出て行く、各船は競って入江の出口に船を回し、その日最後の投網を試みようとする。

 魚見船の松明による入網開始の合図があってから、約2時間から3時間、その日のトビウオ漁は終り各船は舳先を港へ向けた。

 続きは トビウオ漁い

 トビウオ漁の写真がなかなか無い、貴重な写真が手に入ったので掲載する。
 網を絞って、トビウオを魚層に入れた後の写真のようだ。
 




 
 

 

この記事に

開く コメント(0)

トビウオ漁

 乗組員を乗せたトビウオ船は、港を出てトビウオが集結している漁場へ向かう。

 【ある年の漁期だけ私は、友人の実家のトビウオ船に正規の水夫(かこ・乗組員の意味)と同様に、ほとんど毎日乗り込んで出漁していたことがある。
 船に乗り込むと、友人と二人でいつも船底のエンジン場に潜り込んで、エンジンのすぐ横に、漁場に到着するまでの約3時間を寝ていた。
 エンジンの音が喧しく、おまけに油臭い場所によく寝られたものだと思うが、サイレンが鳴るまで寝ないで友人と遊んでいるから寝る時間はこの3時間しかないのだった。
 漁場に着くと、漁の始まる前に小父さん達が起こしてくれた。
 
 朝もやでけむる入江。
 数え切れない程のトビウオ漁船がひしめきあっている。
 東の空、種子島の方から真っ赤な朝日が登る。
 朝もやがひいて、船が赤く染まり海面がキラキラと輝く。
 
 壇ノ浦の源平合戦絵巻をみているような、筆舌に尽くし難いとはあのことを言うのだろう、素晴らしい光景がそこに広がっていた。
 30年以上過ぎた今でも、私の目に焼きついて残っている。(もう今は観ることができない)
 
 しかし、この素晴らしい光景に見惚れている余裕はなかった、夜明けと同時に魚見船の合図でトビウオ漁が始まっているのだった。】

 漁場に着いたトビウオ船は、集結したトビウオを驚かさないように、それぞれの判断による場所で入網の準備をして魚見船の合図を待つ。
 
 船頭が船の舳先に立って、暗い海中で光るトビウオの鱗の様子を見ながら、魚群の層の厚さや動きを判断して、この群は回り魚(まわりうお・・産卵場所を探して移動する群)だからの入江の奥に行け、出魚(でうお・・産卵をすませて沖へ出て来る群)になるから入江の入口に行けと、船が待機する場所を指示をするのだ。
 
 この間、誰も話す者はいない、あれだけの船が集まっていたのに入江は静まりかえっていた、煙草の火も点けてはいけないと言われていた。
 
 移動のため魯を漕ぐギィ〜ギィ〜という音だけがする、まさに嵐の前の静けさだった。
 
 この船頭の判断によって、その日に大漁するかどうか決まる。

 魚見船のブリッジの上に松明が挙がった。
 漁開始の合図である。
 それぞれのトビウオ船が一斉に入網する。
 方々で怒号が飛び交う。
 潜手(すんて・・網の入口にいて魚の動きを見ながら船や網の向きを指示する者)が海に飛び込んだ。

 続きは トビウオ漁で

 
 
 

この記事に

開く コメント(0)

トビウオ漁

 真夜中の1時頃に「ウ〜・・・・・」と、集落中にサイレンが鳴りわたる。
 トビウオ漁への出漁の合図だ。
 トビウオ船に乗り込む人達は、このサイレンを合図に港へ急ぐ。
 
 昭和52年までのトビウオ漁は、現在の漁法ではなく、浮敷き網漁法と言って、沿岸に産卵に来るトビウオを獲っていた。

 【現在行っている漁法は、ロープ曳き網漁法と言って、網の先にロープをつけて2隻のエンジン付きの大きな漁船で、沖合いを曳きまわしながらトビウオをすくい獲る方法。
 浮敷き網漁法は、2艘の薩摩型と言う型式の小さな漁船(エンジン付き)で、トビウオが集まっている入江まで行って、入江ではトビウオを嚇さないように魯を漕いで移動しながら、船頭の判断により入江に集まっているトビウオが回って来そうな場所に、網を敷いてトビウオをすくい獲る方法。
 ロープ曳き漁法も浮敷き網漁法も知事許可を受けた者が行う事ができる漁業。】

  前日の夕方、1隻の漁船が港を出港した、トビウオの魚見船だ。
 港を離れた魚見船は、島の大小の入江の奥深くまで、魚群探知機でトビウオを探して回る。
 海岸線の入江を見て回った魚見船は、トビウオが集結して明け方に産卵しそうな入江を判断して、漁協へ無線で連絡する。
 魚見船から連絡を受けた漁協の宿直は、各トビウオ船の親方に電話で連絡する一方、漁協の屋上に設置されたサイレンを鳴らすのだ。(安眠妨害なんて言う者は一人もいない)

 港に着いた人達(専門の漁師さん以外にも、大勢の一般の人や高校生・中学生もいた)は、それぞれの漁船に乗り込む、漁に行く人達が乗り込んだら、漁船は競って明け方にトビウオの産卵が予想される入江の漁場をめざす。

 4月中旬から6月中旬の約2ヶ月間、港に限らず屋久島が一年中で一番活気づくシーズンだった。

 続きはトビウオ漁△如

 

 

 

 

この記事に

開く コメント(2)

「よべっさん」

イメージ 1

イメージ 2

 一湊漁港入口付近の、港を見渡せる小高い岩場の所に「エビス様」が祀られている。
 漁師さんや集落の人達に「よべっさん」と呼ばれ、漁の神様として崇められてきた。

 石で作られた二つの「よべっさん」は、長い間この場所に座って潮風にあたってきたせいか、デコボコしていて歴史を感じさせる。(応永7年頃(室町時代・西暦1400年頃)、大漁を祈念してエビス様海岸に新調設置と一湊区沿革にある。)
 口には薄い紅をひいていて、笑っているようにも見える。

 前回投稿した写真を見て、この場所に「エビス様」が在ることを思い出して来てみた、「エビス様」の前は綺麗な小石が敷き詰めた小さな広場になっている。
 暫く其処に座って港を眺めていた。

 トビウオ漁が盛んだった頃、漁を終えた漁船がこの下をとおりかかると、その日に大漁した漁船の漁師さん達は、大きな声で「えべっさん〜・・・」と唱えながら、「エビス様」にむかって獲れたトビウオを投げていた、大漁のお礼に魚を投げて供えていたのだ。
 その投げ込まれたトビウオを拾いに、子供たちが競って岸壁から次々と海へ飛び込んでいた。

 「はままつい(浜まつり)」の日に、「エビス様」にお化粧をして神事を行いまつりをする。(口に薄い紅がひいてあるのはそのためだろうと思うが、そのほかに集落の誰かが、人知れず紅をひいてあげているのかも知れない。)
 
 今は「港まつり」として海の日に行っているが、以前は旧暦の6月3日に漁船に大漁旗を掲げて、漁業者を中心に集落民総出でまつりを行っていた。(明治18年6月3日(旧暦)、大火により集落全焼、この日を忘れないように記念して6月3日祭(浜まつり)としたと一湊区沿革にある。)

 一湊は、漁師町として発展してきた。
 
 集落の殆んど人が漁業に従事していた頃から、時代が替わり、漁業従事者は減り、会社や商店に勤務する人達がはるかに多くなった。
 「よべっさん」はあの場所から、この一湊をどんな風に眺めてきたのだろう。

 「よべっさん」の前の小さな広場は、訪れる人も少なく静かで落ち着く場所だ、この笑ったような優しい顔に時々は逢いに来ようと思う。

 

 

 

この記事に

開く コメント(0)

[ すべて表示 ]


.


みんなの更新記事