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モハメド・アリ

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1960,70年代の格闘技界を語る時に絶対はずせない人、それがこのモハメド・アリです。なにせこ

の人が作り上げたドラマは凄かった。ソニーリストンを番狂わせでやぶり、ベトナム戦争に反対し徴兵を

拒否してタイトル剥奪、ブラックモスリムへの入信、カムバックした後のジョーフレージャーやケンノー

トンとの数度にわたる死闘、そしてあのキンシャサの奇跡。これはまた番外的なものでしょうがアントニ

オ猪木との世界一決定戦などアリが加わるととたんに話が面白くなる。

キンシャサの奇跡の起こる前後のことはよく覚えております。アリはカムバック後フレージャーとの世紀

の一戦に敗れ(これはファマン戦以上に注目を集めた)、ケンノートンにアゴを折られもう全盛期は過ぎ

たのかなという印象だった。一方のファマンはそのフレージャーやノートンを全く相手にせずkoし、日

本にも防衛戦に来ましたが、相手は最初から防御の姿勢をとってるだけで簡単にkoされた。これは全く

レベルが違うと誰もが思ってたと思う。アリのへらず口もこれで閉まるだろうと思っていた。

試合が始まってからは前半一方的にファマンが攻める。アリはロープアドープという戦法で打たせるだけ

打たしている。そしてだんだんファマンが体力を消耗してきて、8ラウンドアリはほとんど1発だけのパ

ンチで勝負を決めた。これは夢のような試合だった。奇跡奇跡と簡単に言うけどこれほど実態と言葉の意

味があってるのも珍しいでしょう。

この試合の後にファマンが薬を盛られたと言うようなことを言ってました。よく試合を見ると確かにファ

マンの疲れ方がやや異常な気がします。でも真相は永遠にわからないでしょうね。

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大山倍達は偉大だった

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ジョーの次は空手バカ一代主人公飛鳥拳のモデルと言われる大山倍達氏です。この空手バカ一代という劇

画は多くの格闘家に影響を与えたと言われるものです。前田日明氏もそう言ってたと思う。私はこの本は

全巻とうして読んでなく飛ばし飛ばしに読んでる。早々全巻とうして読んで見たいと思います。

私が最初に大山倍達氏関連で読んだのは写真向かって右の闘魂と言う本ですがこれはあんまり印象に残っ

てない。抜群に面白かったのは左の世界ケンカ旅行と言う本です。これは面白かった。これが空手バカ一

代の下地になってるのかな。これを読むと裸一貫で外国に乗り込んで命を懸けた決闘をやり続けそれに生

き残ってきた人だと言うのがよく分かる。対戦相手の中で1番印象に残っているのは香港の拳法家陳老人

ですね。円月殺法で若き大山倍達の繰り出す技を避け続ける。現実にこんなにうまくいくものか、若い方

が力ずくでくれば老人は勝てないのではと思うところもありますが、少なくともその技は至芸とも言うべ

きものだったのでしょう。

写真中央の平岡正明氏の「大山倍達を信じよ」と言う本は氏の他の本もそうであるのと一緒で難しいです

ね。ご本人も極真空手をやってらっしゃるそうです。大山倍達氏はこの本の序文に書いておられるように

一介の武芸者であることを望んだがいつのまにか組織の頂点にいたと言っておられますがそれは本音でし

ょうね。晩年にかなりその組織のことでバタバタ揉められたと思います。しかしこの方が日本や世界の格

闘技界に与えた影響は大変なものがあると思いますね。

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女子プロレスは私の住んでいる町にもよく来てましたね。私が最初に女子プロレスを見たのはマッハ文朱さんです。テレビでですけど。美人だったですよね。その後芸能界でも活躍されましたが、ダイエットされた時に少し残念だったのを覚えています。そして有名なジャッキー佐藤、マキ上田のビューティーペアの登場となります。「かけめぐる青春」「ビューティーシャンシャイン」は大ヒットしました。次の「バンババンババン君元気かい〜」で始まる歌はあんまり売れなかったかな。このペアの後、クラッシュギャルズが登場するまでの間、引っ張ってたのがミミ萩原さんだったと思います。アイドル歌手が女子プロレスに転進したと言うことで話題をまきました。女子プロレスは男子のプロレス以上に小さな町にもよく来てましたね。写真はうちの町に来た時に見に行きもらった色紙と写真です。ミミさんのプロレスラーとしての実力は良く分からないけど私が見に行った時の試合なんかは負けはしたけど激しい試合をしてました。その後かなりユニークな人生を送ってらっしゃると聞きますが思い出に残ってる選手ですね。

柔道はしてました

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柔道は中学高校の6年間してました。しかしこれは駄目だった。周りにはオリンピックに行った人などいますが自分自身が駄目だと面白くもなんともない(笑)。だから自分のことで語るべきことなどほとんどありません。指導方法等怒りを覚えてる面もありますが、結局今の年齢、条件の中でソフトボールを創意工夫してやっている情熱がその当時の自分にあれば結果は違ったと思います。
写真は日本柔道界の誇る山下泰裕氏です。この人はとにかく負けなかった。山下氏の後の重量級エース斉藤、正木、小川、篠原、井上、鈴木選手たちは少なくとも一回は負けちゃいけない試合に敗れている(その中には不可解な判定や、反則技による負傷も含まれてますが)。しかし山下選手は外国人はもとより日本人選手でも負けちゃいけない相手には一度も負けてないのではないか。敗れたのは私が覚えている限りでは、新人の頃に上村春樹氏の老獪な試合運びに敗れたのと、モスクワショックの時に遠藤氏の蟹ばさみで負傷したのの2つだけだと思います。
その反面試合の内容が一本をどんどん取りに行くと言うのではなく面白くないと言うようなことを本人も引退の時に言ってたと思いますが、特に外国人相手では絶対負けてはならない重責を担う立場だから仕方ないでしょう。
私自身、柔道と今どのようにかかわっているかと言うと全く自分でしてはいません。見るのは大きな大会が放送であると見ます。
柔道やその他のアマチュア格闘技はプロと違って魅せることを目的としてないので面白い面白くないと言うのは評価の対象にはならないでしょう。特にアマチュアレスリングなんか見ててほんとに面白くない。でもアマレスのレスラーは体力も技術も凄いものがあるというのは格闘技好きはみんな知ってることだと思います。

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プロレス、ボクシングときたら次は当然キックボクシングです。昭和40年代中盤日本に大ブームを巻き起こしました。当時は2団体に分かれており沢村忠さんをエースとする日本系と藤原敏男さんや島三雄さんの全日本系の2つがありました。私が見ていたのは沢村忠さんの方でテレビ中継もこちらしかありませんでした。
これはなにせ面白かった。選手の名前だけでも沢村忠、富山勝治、飛馬拳児、稲毛忠治、田畑隆、ロッキー藤丸、斉藤天心、池野興心、、ジミージョンソン、千葉國男、亀谷長保、松本聖等ずらずらあがって来る。これ何かを見て書いてるわけではありません。それほど印象的な人たちだったと言うことでしょう。
凄い試合が多かった。沢村選手など相手に打たせるだけ打たせて、最後に真空飛び膝蹴りで大逆転するという力道山ばりの試合をしてました。ハードパンチャーの田畑隆、リングの上から客に対して「上がって来い」と怒鳴りつけた亀谷長保など個性がきらめいてました。
対する全日本系は藤原敏男さんや島三雄さんはタイの王者を破ってますし、藤原敏男さんは西城正三との試合にも勝ってます。(ただテレビ放映が私が住んでいるところではなかったのは残念)そしてガッツ石松の「シャモのケンカ」と言う批判に対して「それならやってやろうじゃないか」となったのですがこれはガッツ石松が受けませんでした。やってたら藤原さんが勝ってたと思う。
私のキックボクシング観戦はテレビ放映が終わった時点で終了しました。私と同じように一時期かなり強い印象を持った方も多いと思います。
写真はゴングという雑誌で具志堅用高、ジャンボ鶴田と並んで写ってる2代目エース「飛び後ろ回し蹴り」の富山勝治です。

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