渡辺茂樹のいたちものがかり

ニホンイタチをこよなく愛するアスワット顧問/動物学者・渡辺茂樹のブログです!

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  Carnivoraも、全てが捕食獣である訳ではない。周知のようにジャイアント・パンダの主食は竹であり、熊の類も(ホッキョクグマを除くと)植物食の割合が大だ。だがこれらもいずれも未熟児産であることは、Carnivoraの「血」を感じさせる。捕食行為を「子連れ」で行うことは不可能だからだ。少なくとも育児中の雌は、安全な「巣」が不可欠である。Carnivoraの未熟幼獣は、むしろ被食対象になり易い。

   この間の事情は、成獣の雄にはあまり関係無い。タヌキ等の若干の例外を除くと、Carnivoraの雌雄はつがいを形成せず、雄は単に精子の供給者でしかないからだ。また雌も、繁殖が終わると親子の絆が切れることが普通である。おそらくそれ故に…雄ならびに非繁殖期間の雌は、造巣に不熱心なことが多い。例えばキツネの地下巣は長く複雑だが、これは繁殖目的で、それ以外は穴すら掘らないこともある。

   ただイタチの場合、穴は掘らずとも「身を隠す」ことには熱心である。石垣の穴や倒木の下、あるいは床下や天井裏を「巣」として身を隠す。それは多分イタチがCarnivoraとしては例外的に小さく、アダルトでも被食の危険があるからだろう。

   アダルトは被食の危険が少ないキツネも、生まれ育った場所への執着はあるようだ。SITEとしての巣が判然としない場合でも、RANGEに対するこだわりはArtiodactylaやPrimatesより強いように思われる。これはおそらく、Carnivoraの狩猟技術が意外に拙劣なことに由来する。拙い技術を補うには、「土地勘」が必要なのてある。見知らぬ土地では、効率良く狩りをすることが出来ない。そして土地勘がある地でもまだまだ技術は不十分で、それが故にすぐには餌を捕り尽くさないのだ。和歌山県における私のニホンイタチの調査では、その期間はおよそ1ヶ月間だった。

  そして斯様な土地に対する執着は、同種他個体への排他性を生む。Carnivoraのテリトリーは(少なくともニホンイタチでは)案外強固ではないけれども、それでもやはり存在する。そして、未知の地への「臆病」に繋がる。要するに巣をmakeしない場合でも、chooseする必然性はCarnivoraにおいて大であっておかしくないのだ。

   養親のCarnivoraと養子のヒトは、2つの点で大きく異なる。ひとつはヒトの繁殖はつがいが基本であること(厳密な意味での一夫多妻であるかどうかは別として)、もうひとつは生まれた子が自立するまでに極めて長い時間を要することである。

   前者は類人猿においてヒトの専売特許ではない。テナガザル類もつがいを形成する。ただヒトと違い、それらがまとまっての大集団は作らない。チンパンジーは多夫多妻的父系社会で、つがいとは程遠い。ゴリラは一夫多妻的父系社会だ。ちなみに山極寿一は、そのゴリラに「学ぶべき」という問題発言をしている。ともあれ、これら類人猿(ape)はヒト社会の起源を解く鍵には到底なりえない。

   そして造巣習性の有無から眺めると、類人猿(aqe)は他の猿(monkey)と変わらない。同様に、巣をmakeもchooseもしないのだ。新生児は未熟児ではなく、やはり母親にしがみついて成長する。ゴリラやチンパンジーは樹上に小枝で「ベット」を造る。だがそれは一夜の使い捨てであり、「巣」とは言い難い。

   つまり、ヒトは極めて特殊なPrimatesなのである。その特殊さを際立ったせているのは「育児の負担」だ。だからそれを、「雌のみに任せられない」のである。ヒトにおけるつがい形成と雄の育児参加は、利己的遺伝子学説から見ても必然だった。…というのは長谷川真理子の(「オスとメス=性の不思議」における)論だが、私は基本的に同意する。更にヒトは年中交尾し、雌は毎年妊娠可能という異様な動物だったから、雌雄の絆はいやがうえにも高まったのだ。

   養親のCarnivoraでは主に雌が行う造巣行動を、ヒトは雄が積極的に分担することも珍しくない。そしてCarnivoraの巣が地味で実用本位であるのに対して、ヒトのそれはかなり凝ったものになっていったのである。

   つまり…Primatesが原始Soricomorphaから分化した際に失った造巣習性を、ヒトは「Carnivoraへの生態的接近」によって再び獲得したのだ。そしてペア型化により、それが強化されたのだろう。

   その一方でヒト社会には、チンパンジーやボノボの乱婚=多夫多妻的配偶形式の名残りもある。長谷川真理子はそのことを、「緩やかな一夫一妻」と表現した。ヒトのつがいには、"adultery"(日本語訳は「不倫」)がままあるのだ。その一方で絆は案外強固という、二面性を持つ。例えばツバメのカップルのようにだ。

   この奇妙な事象については、稿を改めて考察する。此処では「ヒトのadulteryには生物的必然性がある」と強調し、「性差別者は女性のadulteryに寛容でない」という持論を述べるに留める。

   話を戻す。ヒトの巣が「凝ったもの」であることは、あるいはチンパンジー・ベットにその起源が求められるかもしれない。それは使い捨てなのに、結構凝ったものだ。巣でもないものに、何故この動物は過大の労力を費やすのだろうか?。

   ひとつには、類人猿(ape)とそれ以外の猿(monkey)の就寝習性の違いがあるのだろう。概してmonkeyは熟睡をせず、就寝中も目覚め易い。対してapeは比較的ぐっすりと眠る傾向がある。そのために多少面倒であっても、「寝心地」のようなものを確保する必要があるのではなかろうか。

   斯様な労働は、その結果として得られる快楽のためにある。加えてもうひとつ、労働それ自体が快楽ということも有り得よう。Carnivoraの捕食行動にもその傾向が認められるし、Primatesは概して遊び好きな動物だ。ましてapeにおいておやで、ベット造りはその作業自体が遊びで、そして快楽であると考えられぬでもない。

   遊ぶためには生活の余裕が必要である。猿は(apeもmonkeyも)捕食者との緊張関係が少ないから、この条件を満たしている。対してCarnivoraは(前述のように)、狩猟技術拙劣という事情がある。決して遊びをしない訳ではないのだが、巣は実用本位であり、遊びの要素は乏しいのだ。

   初期狩猟人の場合はどうであろうか。その経済収支はよく判らぬが、所謂文化人類学の成果と比べると、案外豊かだったことが想定される。だが決定的だったのはやはり農業の成立だろう。

   遊び以外のなにものでも無い「学問と芸術」の原点は、狩猟社会に求めうる。だがそれが職業になるためには、農業の成立を待たねばならなかった。そのあと「巣」は「建築」に転化し、建築家なる職業人も登場した。そして本来巣の実用性に付随していただけの遊びの要素が、今は自己目的化しつつあるのである。

   「建築美:極」掲載の初稿では、若村進(猟師:石川県小松市在住)と岡安直比(京都大学理学部霊長類学研究室)の2名に諸教唆を得た。いま前者は故人で、後者はWWF日本支部職員だ。両名に改めて謝意を表したい。

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