渡辺茂樹のいたちものがかり

ニホンイタチをこよなく愛するアスワット顧問/動物学者・渡辺茂樹のブログです!

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音羽山から逢坂山へ


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   初めに日本古典を少々。

音羽川雪解けの波も岩越えて  関のこなたに春は来にけり【藤原定家】
音羽山けさ声来れば時鳥  梢はるかに今ぞ鳴くなり【紀友則】
音羽山木高く鳴きて時鳥  君が別れを惜しむべらなり【紀貫之】
これやこの行くも帰るも別れては  知るも知らぬも逢坂の関【蝉丸法師】
夜をこめて鳥の空音は謀るとも  世に逢坂の関はゆるさじ【清少納言】

   散文では「方丈記」が有名だ。以下にその一節を引用し、合わせて当時の地図(写真1)を示す。

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   その所の様を言はば、南に懸樋あり、岩を立てて水を溜めたり。林の木近ければ、爪木を拾うに乏しからず。名を音羽山といふ。【鴨長明】
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   ただ、長明のこの記述は少し変である。その前に、以下の一文があるからだ。

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いま、日野山の奥にあとを隠して後、東に三尺余の庇をさして、柴折りくぶるよすがとす。
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   少し後には以下の一文もある。

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峰によじ登りて、遥かに故郷の空を望み、木幡山・伏見の里・鳥羽・羽束師を見る。
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   長明が住んだ日野山とは、現在の京都市伏見区日野の山麓地域と思われる。庵があったのは川沿いだろうが、近傍には標高212mの峰がある。そこから望める鳥羽や伏見は、音羽山からは見えない。音羽山は現在の京都市山科区にあるのだが、その西に連なる東山山系が視界を遮るのだ。つまり記述が矛盾する。故に後世の写本では原文のオトハヤマを(オとハを削除して)トヤマ、即ち「外山」と解読した。でもそれって、原作者を馬鹿にしてないか?。そもそも外山では何のことかわからない。で、私は以下の解釈を支持する。

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元来、音羽山は牛尾山に限らず、北は比叡山から南は宇治山に及ぶ大山系の総称だったと思われる
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   岩波書店の「新日本古典文学体系39:佐竹昭広・久保田淳校注」(1989)の述だ。つまり長明は日野山山麓に住んでいたが、彼自身は其処を「広大な音羽山系の一隅」と解釈していたのだろう。ちなみに牛尾山とは、現在の(狭義の)音羽山とイコールではない。その西南の支峰を指す。

   広域音羽山系の東縁を真南に流れるのは瀬田川で、それは琵琶湖から流出している。古は田上川と呼ばれたこの川の東域に、懐かしの(古の美少女の記憶が残る)田上山がある。瀬田川はやがて西にカーブし、宇治川と名を変える。そして今は亡き巨椋池跡を西に進み…八幡市のあたりで、木津川ならびに桂川と合流する。これが三川合流地点で、それより下流が淀川である。

   桂川の源流は丹波山地だが、北山を源流とする鴨川が(鳥羽のあたりで)それに合流している。 木津川の源流は南伊賀の山々だ。宇治川(上流は瀬田川)の源流は琵琶湖…と言いたいところだが、それは正確ではない。琵琶湖はダムに過ぎないのであり、それに幾つかの川が流れ込んでいるのである。安曇川(源流は比良山地)、野洲川(源流は鈴鹿山地)等がそれだ。

   話がタイトルからずれた。藤原定家が歌に詠んだ音羽川は、現在は山科川という。牛尾山ならびにその少し南の千頭岳を源流とし、北北西に流れて山科盆地に出る。そして、東山山系から南下する四宮川と合流した後…反転して南西に曲がり、観月橋あたりで宇治川に合流するのだ。なお音羽山の北の逢坂山(境界は不明確)には、川と呼べる程の水の流れは無い。

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  2018年の7月27日に、私は山科の(京都東インターチェンジに近い)音羽町から牛尾山に入った。時刻は10時40分だ。山科川に沿って南南東(つまり山科川の流れとは逆方向)に進む約2kmのコースは舗装されていて、緩やかな登りである(写真2)。

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   この川沿い道の周辺はスギ・ヒノキ林だが、道沿いにはカエデの低木がある。落葉木は少ないが、川の縁にガマズミが一本あって赤い実をつけていた。照葉低木はソヨゴ、ヒサカキ、アセビ等。林内はかなり暗く、林床にササは殆ど無い。シダはそこそこあるが、その種多様性は(例えば田上山に比べると)大ではないように思われた。ただ、特筆すべきはマメヅタ(写真3)が多く見られたこと。護岸壁沿いに這うこの植物は、ツタではなくてシダ類である。このシダは、田上山では見なかった。舗装道の路面には干からびたミミズ(種名不明)の死体を散見した。やはり種名は不明のヤスデが1匹。昆虫は甲虫のキマワリとセンチコガネ、ゴマダラカミキリ、そして、そしてゴミムシないしはゴミムシダマシの類。セミは脱皮殻は目に入らずで、鳴声はニイニイゼミとアブラゼミが主である。だがさほど賑やかではない。ミンミンゼミも少しだけ鳴いた。脊椎動物の爬虫類はシマヘビとニホントカゲ。鳥はキジバト、カラス(ブトorボソは不明)、そしてスズメ目と思われるスラッとした灰色基調の小鳥を見た。

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  やがて高木が無い広場に出ると舗装道は終わりで、此処が駐車場になっている。此処から北東に舗装されていない(でも車が通れないこともない)登り坂が200m程あり、その終点が法厳寺だ。この非舗装道を登り始めると路面にマルバマンネングサとチドメグサ(写真4)があり、その近くでシーボルトミミズ(写真5)がのた打ち回っていた。

    法厳寺から先は、車は到底通れぬ山道だ。それを少し登り、尾根に出る。この尾根は京都府と滋賀県の境界で、東は大津市だ。尾根道を北東に進むと、やがて音羽山頂上(標高595m:三角点有り)に至る。法厳寺からの距離は、およそ1.5kmだ。そこで休憩する。展望はあまり良くない。

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   ここまでの尾根コースにもスギ・ヒノキはあるが、やや少なめだ。そしてコナラ、ソヨゴ、ネジキ、タカノツメ、ヤシャブシ、アセビ等が散見出来る。アカマツもあったが、その多くは枯れていた。ただ生きているアカマツの根元では、ニホンリスの食痕(写真6)を確認した。松毬の鱗片を綺麗に剥ぎ、その奥の種子を食べた痕跡だ。エビフライという俗称もあるこの松毬食痕を計7個確認する。比較的狭い地域に散らばっていたので、おそらく1頭のリスが食べたものだろう。あとウグイスの声を聞き、キツツキ(たぶんアカゲラ)が木の幹を叩く音を聞いた。

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   音羽山頂上からの尾根道をほぼ真北方向に進む。植生はそれまでの1.5kmとさほど変わらない。歩き始めてまもなく、ミドリセンチコガネ(写真7)を見た。私は甲虫の色彩を見てもあまり感動しないたちだが、この緑色は美しいと思う。そもそも私は緑が好きで、その色の翡翠(の安いもの)を古の美少女Sに贈呈したことがある。

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   更に進むと、イタチ糞(写真8)があった。断定は出来ぬがたぶんニホンイタチで、それは雌だと思う。川沿い道では計9個のイタチ糞(たぶん)を見たけど、尾根道に出てからの発見は初めてだ。

   更に尾根道を北に進むと、やがてそれまで稀だったヒグラシの脱皮殻が目立つようになる。道沿いに計12個を数えた。でもそれはさほど広くないエリアで、支峰534m地点を(横目に見つつ)過ぎるとまた目立たなくなる。境界がはっきりしないのだが、このあたりからが逢坂山なのだろう。これより北の支峰は、いずれも300m台である。東海自然歩道とも称されるこの尾根道は、整備されていて歩き易い。けれども音羽山と違って、誰とも出会わなかった。逢坂山は観光地化していないのだろう。

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   逢坂山の東海自然歩道はやがて急傾斜で下降する。その道は歩き易いように段差がつけてある(写真9)。そこで、またイタチ糞を確認した。法厳寺を出てから2個目だ。このあたりはまたスギ・ヒノキ林で、そしてヒグラシが鳴き始めた。ただ、蝉時雨という程ではない。そもそも今年は(都市部のクマゼミも含めて)セミの声に元気が無いように思える。沈黙の春ならぬ夏…なんてことを思いつつ急傾斜を下り、15時10分に国道1号線に出た。音羽山頂上からは約2.5kmである。其処は逢坂の関跡だが、観光のため下車するドライバーは多分殆どいないだろう。至って殺風景な名所旧跡である。

   イタチ糞のことをまとめる。なおテン糞は少なく、川沿い道と尾根道で各2個を見たのみだ。去年の秋に川沿い道2kmのみを歩いたが、その時は何故かテン糞が多く、イタチ糞は確認出来なかった。季節移動があるのかもしれない。

   ともあれ此度は…全行程約6kmで計11個のイタチ糞を確認した。うち9個は川沿い道2kmに出たもので、残り2個は尾根道4kmに出たものだ。つまり密度は川沿い道が4.5個/kmで、尾根道は0.5個/kmである。そして一週間前の田上山の踏査では、全て川沿い道(周辺は落葉広葉樹林)の6kmで5個のイタチ糞を見た。密度は0.8個/kmである。 ただし2013年6月には、同じルートで19個のイタチ糞を確認している。密度は3.2個/kmだ。以上の数値から何が言えるか…あるいは何も言えないかは、今のところ何とも言えない。なお糞内容物は川沿い道の3個はサワガニ(のみ)で、他8個は昆虫(のみ)である。ネズミは出なかった。

  イタチがニホンかシベリアかは、音羽山系では(DNA分析も罠捕獲調査もしてないので)不明だ。田上山では15年前に罠捕獲調査を行い、すべてニホンイタチであることを確認した。罠捕獲個体群の密度は約1頭/kmであった。この値の意味するところも、今のところ何とも言えない。そもそも罠捕獲結果は15年も前のものだから、今なお「田上山はニホンイタチの楽園」とは言い得ないのだ。

   とはいえ此度の結果から、些か大胆に「音羽山のイタチはニホンイタチ」と想像する。それは、昆虫に極めて多くを依存している故だ。むろんニホンイタチも、環境によってはネズミ(等の脊椎動物)をかなり食べる。そして、シベリアイタチも昆虫を食べないことはない。ASWATの調査では、クマネズミと昆虫の出現頻度がほぼ同じだった。けれどもボリュームは、クマネズミが遥かに大だったのである。

   つまりシベリアイタチは…ニホンイタチのような「昆虫をチマイマ食う」生活では飢えるのではないか?。昆虫も食べる一方で、ネズミ食が「欠かせない」のではないか?。つまりシベリアイタチは、ニホンイタチのように「貧困に耐える」のが難しい。それが、シベリアイタチが「山にあまり入らない」理由ではないかと思う。概して日本の山林は、アカネズミ(あるいはヒメネズミ等)の密度が大とは言えない。よって其処では、昆虫(あるいはサワガニ・ミミズ等)に頼らざるを得ないのだ。


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