渡辺茂樹のいたちものがかり

ニホンイタチをこよなく愛するアスワット顧問/動物学者・渡辺茂樹のブログです!

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動物学女子のこと



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   私は前回「京大女子のこと」というエッセイを記した。だがそれには、自身が所属していた理学部動物学教室の女子学生は登場しない。今回も同様だが、それ"未満"の女子2人のことを以下に記す。いずれも学部学生どまりで、大学院には進まなかった。受験しなかったのか、それとも受験して落ちたのかは不明だ。

  ルックスが「可愛い系」のY.R.とは、僅かに言葉を交わしたことがある。彼女は名乗らなかったが、私は何故か彼女の姓と名を知っていた。あちらは、私の名を知らなかったかもしれない。そういう妖しい関係です(笑)。

  私がY.R.のことを知っていたのは、むろん彼女が可愛いかったからだ。だがそれだけが理由ではない。彼女の志望が放射線生物学という、至って不人気な研究室だったからである。「何故?」と彼女に聞きたかったのだが、遂にその機会は得られなかった。そして長い歳月を経て、2011年の3・11があった。私は彼女の名が(姓は変わっていても)マスコミに出ることを期待した。でもその期待は、叶えられなかったのである。

  I.U.は可愛いというよりは美人系で、今風に言えばクール・ビューティーだろう。歳がYRより上か下かは記憶しない。彼女とはことばを交わしたことは無く、当然あちらは私のことを知らない。私の方は知っていたのは、むろん彼女が美人だったからだ。京大女子は割合美形が多いのだけど、彼女のルックスは際立っていた(と私には思えた)。

   そのI.U.が、私の研究室のゼミ…ただし教授の日高が主宰するものではなくて助教授が担当する方に、突然現れたことがある。京大の理学部は、学部学生は研究室に分属しない。大学院に合格して、初めて一人前の"研究者の卵"として扱われる。「そういうのって、どうか?」と個人的には思ったが(だから今は変わっているかも?)、ともかく当時はそうだった。それで学部生は各研究室のゼミを視察し、大学院の志望専攻を品定めするのだ。私はそのとき彼女が「ウチの研究室を"受けてくれる"のか!」と思い、内心喜んだ。だがむろん、顔には出さなかった。

   その日のゼミの内容は全く覚えていないのだが、生憎「全く面白くなかった」ように記憶する。担当者(誰か忘れた)の発表が終わった後の質疑も全く弾まなかった。そしてI.U.は、つまらなそうな顔をして席を立った。私は声をかけて呼び止めたかった。「今日の話はつまらなかったけど、何時もはもっと面白いよ」と言いたかった。でも出来なかった。そのゼミは何時もあまり面白くない…ってこともある。それよりも何よりも、私は「怯んだ」のだ。

   I.U.はもしか日高先生のゼミにも現れたかなと思い、彼にその如何を聞いてみた。現れてはいないようだった。そして己が「怯んだ」ことを語ったら、「だから君は駄目なのだ」と茶化された。いや全くその通り(苦笑)。もし日高ゼミに彼女が現れたら、美人には目がない彼は間違いなく呼び止めていただろう。で…I.U.は結局大学院に進まなかったのだが、何処かで科学者をやっていればよいなあと思う。でもそれは無いだろうな。

   「お前は大学院生時代に何をやっていたのか!」…ってか?。いやまあお恥ずかしい。でもま、これらは一瞬の記憶が鮮明に残っているだけのことだ。「年中女のことばかり考えていた」訳じゃあない。

  京大と無関係の女性動物学者はむろん沢山いて、私はその多くに面識がある。だが"現役"の者のことは書けない。私自身も今なお現役だし…迂闊なことを書くと、色々と支障があるからだ(笑)。

   で、以下には"リタイア"した女子5人と、"未満"の女子1人のことを記す。まずは前者のI.A.だ。

    I.A.のことを想うと胸が痛む。彼女は某私立大学の大学院に入学した。そしてそのテーマは「イタチの生態」だったから、私と縁浅からずだった。ささやかながらだが、私は彼女にアドバイスをしたこともある。だが彼女は間もなく調査を取り止めて、大学院も退学してしまった。その理由は「やむなし」のこともあり、だから胸が痛むのである。直接関係は無いことだが、3・11の年であった。

   もう一人のK.Y.は近畿の某国立大学を出て、北辺の某国立大学大学院に入学した。彼女もイタチの生態がテーマだ。私は一時期彼女と共同で調査し、その後にフィールドを"譲った"。彼女はI.A.と違ってある程度の成果を上げた。だがやはり突然大学院を退学して、完全に"足を洗って"しまったのだ。指導教授との折り合いが悪かったからという噂もある。でも真相は不明だった。

   ただあれから約20年の歳月を経たいま、私はその時の彼女のメンタルが何となく判るような気がする。彼女は自分の才能に見切りをつけたのだろう。それは「早すぎる」と思える判断だか、ある意味"潔い"と言えなくもない。無能なくせにそれを自覚せず、ひたすらpostに固執する男性研究者もいるからだ。あ、己のことではないですよ。私は、「もう少しpostに拘っても良かったな」と自省する。でも最早手遅れだ。

   この2人の件より古い話だが…東京の某国立大学のS.J.と、同じく東京の某私立大学のU.J.もやはりイタチの生態にアプローチした。だがいずれも大学院には進まず、学部学生4年時の1年限りで研究を辞めた。彼女らはK.Y.とは異なり、取り立てての"成果"は上げていない。

   そして名古屋大学の太田恭子。彼女も研究対象はイタチだが、アプローチは生態ではなくて形態である。ニホンイタチとシベリアイタチの頭骨を比較し、かなりの成果を上げた。そのテーマは私が先行して着手していたのだが、私は彼女の能力を見込んで己のサンプルを提供し、テーマを"譲る"ことにした。そして、以後は「生態」に専念することに決めたのである。

   太田は卒業論文を書き上げ、修士課程に進んでそれに磨きをかけた。それで学位を取った後はジヤーナルに掲載する計画で、その論文には私も名を連ねる約束だった。テーマを"譲った"とはいえサンプルを提供したのだから、それは当然の権利だろう。むろん彼女もそれを了承した。

   ところがところが…その計画が実現することは無かった。彼女は学位を取らずに大学院を辞め、やや畑違いの分野に研究職として勤めた。それはま、仕方ない。ジヤーナルのことは「そのうち何時か…」と思ったが、やがてその職も辞めてしまったのには唖然とした。詳細は不明だが、職場でトラブルがあったようだ。現況は不明だが、噂では"専業主婦"をしているようである。諸々事情はあるのだろうが、なんか哀しい。

   太田恭子の場合はK.Y.とは違い、「己を見切った」訳ではないだろう。彼女は一旦は研究職に就いた後のリタイアだからだ。だから私は、「戻って来いよ」と呼びかける。テーマはイタチでなくともよい。他の哺乳類…あ、いや、動物学でなくともよいから。

  斯様にリタイアしたイタチ研究者5人を並べると…皆々女性であることに(改めて)気付く。「この助平!」とかは言わないで欲しい。私は「日高先生には及ばぬまでも」の女好きだけど、この件については"偶然"である。敢えて名を挙げなかったが、私が付き合った(そして挫折した)男性イタチ研究者も一人いるのである。ただまあ…「流石日高敏隆の弟子」と茶化されても、反論は出来ないな(笑)。

   自身の名誉のために強調するのだが、私は彼女らをいびったりはしなかった。そしてむろん、その成果をパクッてはいない。だが斯様に「そして誰もいなくなった」現状が存在するのだから、己が"疫病神"であることは認めざるを得ない。甚だ心外なことではあるけれど。

   最後にT.U.のこと。彼女は専門学校出だが、働きながら頑張って大卒の資格を得た。そしてその職場を辞め、出身地の東京に戻ることになった。そのことを知らせて来た彼女からの年賀状を見て、私は大いに喜んだ。己が疫病神たるを脱却するチャンスだ!。是非何処かの大学院に行き、「イタチの生態研究をやりなはれ」と勧めた。大学院に拘ることもない。初めは非正規雇用の研究補佐員としてキャリアを積む手もある。若き日のジェーン・グドールのようにだ。

   だがT.U.の反応は鈍かった。イタチ研究のことは、まあどうでもよい。"疫病神脱却"のことは私のエゴだからだ。だが彼女は、そもそも研究を志す気配を見せなかった。折角苦労して大卒資格を得たのに…で、「最近の若者の考えることはよくわからん」という(年寄りじみた)心境に至った次第である。

   T.U.はいま南半球に居るようだ。帰国後の心境変化に期待する。太田には「戻って来いよ」と言いたいが、"未満"のT.U.には「おいでよ」と呼びかけたい。


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京大女子のこと



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我が母校京都大学最早無し今其処在るは残骸なりき

古のマドンナ達が甦る人生の末夢走馬灯

   私は1967年4月に京都大学農学部に入学し、3年目に"1969"を体験した。そののち留年とプーを経て、1975年に同大学の理学部大学院(動物学専攻)に入学する。其処で博士後期課程まで進学するが、博士の学位は得ることなく京の地を去った。それが何年のことかは良く覚えていない。ただ、「京都にはおよそ20年間住んだ」というのが自身の認識である。

   その20年間の私の人生は「暗かった」。私が自身を「科学者のはしくれ」の思えるようになったのは、京都を出てからだ。その暗黒の20年間に私の心を支えたのは、周辺にいた京大女子の存在である。その縁は「袖擦りあう」程でしかない。でも彼女らが「存在する」だけで、私の心は癒やされた。その後の私の転機は(本ブログの第78ー81話で述べた)聖母女学院の6年間である。だがその前に京大女子による癒やしが無かったら、私の心はとっくに押し潰されていただろう。

  最近つくづく思うのは…「女は男無しでも生きられるが、男は女無しでは生きられない」ということだ。少なくとも良い人生は生きられぬ。配偶という形式は不可欠ではない。女性は其処に存在するだけでよい。野郎所帯では心が荒むのだ。

   やや唐突な例だが…最近先進国で女性兵士を増やしているのは、それを考慮してのことだと私は思う。思春期を女子校で送るのは問題無いが、男子校で過ごすのは考えものである。ちなみに私は小学生時に父親から開成中学受験を勧められだが、「男ばかりの学校なんて嫌だ」と断固拒否した。

  ま、それはさておき(異論もあるでしょう)…同じ大学に20年間もいると、付き合いの幅が広がるな。京大には私が在籍した農と理の他に、工、医、薬、法、経、文、教の7つの学部がある。 私はこの中で、経済学部以外の8つの学部の女子学生と袖を擦り合った。むろんそれは象徴的な意味であり、実際にそうした訳ではない。

   量質共に最も存在感が大だったのは、農と理の女子だ。だが彼女らのことは此処では述べない。その他の学部で袖擦り合った女子の数は工1、医3、薬many、法1、文3、教1である。ただ遥かに後年に、新設の総合人間科学部(前身は教養部)の女子Tを知る。彼女のことは本ブログ(の第72話)で述べたので、此処では省略する。農・理以外で最も記憶が濃いのは法学部のNだが、彼女のことも本ブログ(の第55話)で述べたので、やはり此処では記さない。

   工女子のYは、私が知った時は実は工学部生ではなかった。農学部の大学院に転入していたからだ。後に滋賀県知事になった嘉田由紀子と同じ研究室である。シャープな頭脳の女子だったが、嘉田と違ってその後に「世に出る」ことは無かった。本人はそれを望みもしなかったかもしれないが、少しく残念である。

   医女子の3人は、私が教養部非常勤講師として生物学実験を担当した時に1回生(他大学での1年生)だった。京大の医学部といえば、東大理Ⅲの次にランクされる高偏差値の難関である。だからみな相当な秀才なのだろうけど…その雰囲気は感じさせず、そして謙虚だった。私が男子学生某に「医者なんて3Kだろ。"基礎"に進んで研究者を目指したら?」と(言わずもがなのことを)言ったら、彼は「自信無いです」と返答した。女子3人も同じ気分のようだった。

   3人の医女子のひとりUは、元は動物学者志望だった。某公立大学で、ニホンザルの社会生態を調査していたという。だが研究者としてやっていく自信が持てずに大学院進学を断念し、そして医師になるべく再受験したとのことだ。別の医女子Mは、当時未だ動物学研究室に居た私のもとに遊びに来たことがある。後になって気づいたのだが…もしか彼女は、理学部に転入したかったのかもしれない。最難関の医からそれより下の理への転学部はフリーパスである。そのようにはっきり言明すれば「相談に乗った」のだが、このことは私の憶測でしかない。そしていま、彼女が何処でどうしているかは知らない。でもたぶん、何処かで女医をやっているのだろう。

   薬学部は医学部よりも女子が多い。だが私が生物学実験を担当した薬女子は(記憶している者もいるが)、印象がやや薄い。数が多いぶん、私の関心が散漫になったのだろう。薬女子で最も印象大なのは、授業を担当しなかったSである。ただ、彼女がJKの時には(その高校の非常勤として)教えた。法女子のNと同じ高校で、同期だ。Nと違って、JK時代のSとは私は殆ど会話していない。

   そのSは訳あって大学を中退し、その後は消息不明だった。それが突然…「いま、東京で区会議員をやっている」ことがわかった。写真入りのブログを出している。齢は今では60に近いが、昔と変わらぬ美貌だった。嬉しくなってそのブログに「お久しぶりです」と記したが、反応は無かった。ま、仕方ない。それはよしとして…ブログの文章内容がいまいちで、そしてやや「苛立っている」感じであるのが気になった。でも、ま…いまこういう時代故、仕方ないかもしれない。

  文学部の女子とは、3人と袖を擦り合った。その中で最も多く会話したのはIである。彼女はそのとき大学院生で、やがて出身研究室の助手(現在語法では助教)になる。その後のことは知らない。おそらく教授にはなっていないだろう。上野千鶴子のようにマスコミに名が露出することもない。「能力は高かった」と思うだけに、残念である。

   そして教育学部のA。彼女とは個人的には殆ど話をしていないのだが、かなり強い印象を私に残している。その年の教育実習を巡ってちょっとしたトラブルがあり、実習生達が(学部の枠を越えて)担当教授連とやり合った。そのとき最も激しく発言し、目立っていたのがAだったのだ。

  彼女のことは所属学部と、大阪府立北野高校の出であることしか知らない。浪人をしていなければ私より2つ年下で、「東大入試が無かった年に入学」の世代だ。なのに私と同じ年に教育実習生であったのは、私が留年をしていたからである。

   私はそのときAとポリシーを共有していたから、本来は「共に闘う」べき立場だった。だがその頃の私は(今と違って)無口だったから、殆ど発言していない。つまり彼女の役には立っていない。その私には、激しく言論する彼女がカッコ良かった。Aはエキセントリックだが凛々しく、そして美しかった。ただあの性格では…「その後に良い人生を生きられただろうか?」と、いま思う。

   法女子Nのことが長いこと記憶の闇に封印されて来たように、Aのことも表向きは忘れていた。Nの封印が解けたのは、長谷部泰彦の著書を読んだことが契機である。Aの場合は、TVドラマ「明日の約束」を見たことが引金だ。そのヒロインでスクールカウンセラーの藍沢日向(あいざわ・ひなた)に、甦ったAの面影が重なった。井上真央が演ずる日向は、彼女のように激しい性格ではない。でも内に秘めた正義感は、共通すると思う。

   一瞬の火花のような出会いであり…そして長いこと記憶の闇に封印して来たAだが、存外その後の私に大きな影響を与えたかもしれない。その後にあちこちの高校で非常勤講師業を始めた私は、管理職とやり合うことが多かった。聖母女学院のJKには、「せんせいはこの学校の"色"に全く染まらない人ね」と誉められた。斯様な私の性格は、おそらく「"1969"の体験」だけで形成されたものではない。封印下のAの存在が、大きかったように思うのである。

  而して…私が京都を離れてから30年の歳月が流れ、我が母校に昔日の面影は無い。ファシスト総長山極寿一をトップに据えた現体制が強権を振るい、学生の側はそれを「されている」という自覚すら無いように見える。だが未だ少数は、正義の心を失っていない者がいると信じたい。そしてその比率は女子の方が多いのではないかというのが、私の仮説だ。

   忘れられた(けれども忘れ難い)思想家松田道雄は、「男が女をばかにするのは、小さいときに家庭でしつけられただけではありません。有能な女を見る機会がなかったからです」と言う。その意味では私は幸運だった。そして松田がその著(岩波新書)のタイトルで述べたように、「私は女性にしか期待しない」。松田が言うように、「社会は有能な女を、ふさわしい地位につけていません」という現実はある。私が知る京大女子たちも、多くがその現実から脱却出来なかった(と思う)。けれども今後多少の変革が為されれば、この国に未だ未来はある。



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  「愛の神話」(1971)と並んで日高のエッセイの二大傑作というべき「人間みなきちがい」は、1974年に世に出た。玉川大学出版部刊の「動物はなぜ動物になったか」の章のひとつとしてである。その翌年に彼は東京農工大学から京大に転勤するのだが、それは私が大学院に入学した年と同じだ。私は日高と「同期」なのである。だから私は、彼の「名声」を聞いてその研究室を志願した訳ではない。けれどもやがて、日高は私が唯一「先生」の敬称を付す人物になる。ただし本稿ではその称を省略する。

  出会いの日から程なくして、日高はこのエッセイで🈲用語「きちがい」を敢えて用いた真意を私に語った。彼は「ことば狩り」に反対であり、それを言論の自由に対する弾圧と見做していた。友人の筒井康隆の「断筆宣言」の影響もあったのじゃないかと思う。そのポリシーに私も同意した。だから…2008年(彼の死の前年)に講談社から出た「日高敏隆選集」で、「きちがい」が「狂気」に置換していることを知り面食らった。私は日高の晩年の状況をよく知らないのだが、噂ではやや判断力が低下していたという。だから、本人の了解を得てのことではあるまい。出版社が勝手に行ったことだとしたら、腹立たしい。

   ともあれその「人間みなきちがい」は…「"人間の歴史にはまごうかたない狂気の糸が走っている"といったのは、現代の特異な作家、アーサー・ケストラーであった」というセンテンスで始まる。そしてその後に、以下のセンテンスが接続する。

**********
   正常と異常、正気と狂気の区別をすることは難しい。病気のネズミはそれが数のうえで全体の80〜90パーセントを占めていようとも、やはり生物学的に異常である。ところが、いわゆる、"正常"と"異常"の場合は、問題はすべて数なのだ。優勢なほうが正常とみなされるのだ。
**********

   このあと更に「ヒットラーが…」という述が続くのだが、その主語を別の人物の隠語に置き換えて以下に引用する。「現代(ないしは未来)日本人の視点」に合わせてだ。いま冥界に居る日高はこの置換を許容し、支持すると信ずる。

**********
   SINがその不気味な狂った姿をあらわし始めたとき、当時の日本人達がみなきちがいであったわけではなかった。彼らはみんな、今のわれわれと同じく、"正常"な人々であった。身のまわりのことや、学校のこと、友達のことに気をつかうやさしい"正常"な人々であった。そしてきちがいのSINを結果的に支持し、しばらくの間維持したのも、ほかならぬその彼らであった。
**********

   この記述に、私的解説を加える。ヒットラーは、その「性の魅力」で多くのドイツ人を籠絡した。SINも同じだ。ただ彼は(ヒットラーと違って)マッチョではない。ヒットラーの"性"が「男女を問わずに」効果を発揮したのと異なり、SINの熱烈支持者は主に中高年男性である(と思う)。だからSINは、女性が頑張れば権力の座から叩き落とせる。

   現代と未来のことはさておき…このあと日高は些か剣呑なことを言う。「正常なことは退屈であるということ」という論で、具体的には以下のようなものだ。

**********
    きちがいを切り捨ててゆくことによって、世の中は「正常化」されてゆく。「正常化」された大学と同じく、じつに退屈だ。
   しかし、夫とか妻とか主婦と呼ばれる人々をはじめとして、人生においてある地位を占めた人々にとっては、「正常」はとても大切なので、彼らは明日も今日のようであってほしく、将来も予定しうるものであってほしいと願う。そして、まさにほぼその願望が満たされていることによって、退屈しているのだ。
**********

   こういう感覚は、アカデミズムや芸術の世界に身をおいている者以外にはわかりにくいかもしれない。だが「科学者のはしくれ」である私は、共感出来る。私の日常は、日々「退屈との闘い」だ。私は、喫煙等でそれを紛らわすことが出来ないのである。

   日高によれば…「かつて物理学がめざましく変転していたころ、ある論文が価値ありと認められるかどうかは、その論文が"十分に"きちがいじみているかどうかによって決まった」のだという。そして…「"十分にきちがいじみている"というのは、一般にいわれていること、一般に信じられていること、つまり一般に信奉されている価値から十分にはずれていて、だれも思いもよらなかったようなことという意味である」と言う。ただし…「地動説や相対性理論は十分にきちがいじみていたが、今ごろ天動説が正しいといったり、相対性理論はこれこれの点で細かくいえば間違っているなどというのは、ちっともきちがいじみていない」と釘を刺す。確かにそうだな。

   日高は京大で多くの大学院生を育てた。だが斯様な彼の論に心から共感したのは私と、私の畏友新妻昭夫(故人)だけだったろう。いずれも共感はしたものの、実践は叶わなかった。そして日高自身も、自らの想念を十分には具現化することが出来なかった。利己的遺伝子説は「ある程度」きちがいじみていたが、それは彼が創始したものではない。欧米の(リチャード・ドーキンス等の)理論を輸入しただけである。

   このあと少し論点が変わり、「人間は(他の如何なる動物とも違って)みなきちがいである」という本論に入る。その理論を簡潔に言えば、「大脳新皮質が異様に発達しすぎたことで、古い皮質とのアンバランスが生じた」ということだ。つまり、以下の論である。

**********
   古い皮質は勝手に動き、新しい皮質は古い皮質と関係なく独走する。古い皮質がいくら「こわい、こわい」と叫んでも、新しい皮質は勝手な理屈をつけて冒険に出発することを指令する。つまり、人間は本来分裂症なのだ。こうして人間は、ほかには例のないきちがいの動物となった。それはまさに人間の誇る大脳皮質のめざましい発達の結果だったのである。
**********

   なかなか面白い論であり、それ自体きちがいじみていると言えなくもない。ただ、この理論のプロトタイプはアーサー・ケストラーにあるのではないか?。私はケストラーの著を全く読んでないのだが(「機械の中の幽霊」等の訳書があるらしい)、たとえ話を引用していることからそれが窺える。ケストラーはたぶん、「十分にきちがい」であったろう。そして変死した。暗殺説もあるようだ。

  このエッセイの締めは以下の文節である。

**********
   人間は自分の脳を正常と異常の区別などという詰まらぬことに使うのではなく、自分の分裂状態ときちがいじみた本質の認識に使ったほうがよかろう。きちがいじみていない創造はあり得ないということも、しだいに忘れられてゆきそうなころである。みんなが「正常」になったら、早速ヒットラーが現れるだろう。
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   そしていま、SINが現れてしまった。で、一首を詠んでこの稿を締める。

辛よ晋何故に御前はSINなのか罪深きひとSIN・ZOOなのか


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   我が師:日高敏隆(1930ー2009)は数多くの優れたエッセイをこの世に遺した。むろん学術誌掲載の論文も数多いが、私はそれらはさほどに評価しない。物理学者寺田寅彦と同様に、「科学史上の人ではないが、文芸史上の人である」と思う。そして、「直接の接点は無い寅彦の後継者である」と思う。ちなみに私は、その日高の後継者たらんと志す。「何をぬかすか」とお思いかもだが、マジである。現時点で、そのような人物は見当たらないからだ。

   私が初めて日高に師事した頃、彼に「自分で気に入っているエッセイは何ですか?」と尋ねたことがある。その時にリストアップされた作品が、「愛の神話」(1971) と「人間みなきちがい」(1974)だ。私は「成程」と思い、彼がどういう人物かわかった気がした。そしてやがて…日高は愛を求めて得られず、「キチガイたらん」と試みてそれを為し得なかった人と知る。

   この2作は、日高が東京農工大学教授であった時に書かれたものだ。そして1975年に京大に移るのだが、以後はこれを超えるものは書かれていない(と思う)。それはおそらく「時代が為せる業」だろう。1960年代末〜1970年代初は、激しい時代だった。その余燼が燻ぶっていたことが、この2作を「書かせた」のだと思う。

   日高は「女好き」だった。今の世なら、マスコミの餌食になった可能性がある。そして彼が女子学生を依怙贔屓したことは紛れもない。だが、才質優れた女子はそれをされることを嫌った。甘んじて依怙贔屓された者は、まともな研究者に育っていない。つまり贔屓のひき倒しなのであり…その結果は、当人にすれば甚だ不本意だったと思われる。

    斯様に女性問題でちょっとアブナかった事を除けば、日高は至って全うな常識人だった。その彼が、「筒井康隆に褒められたよ」と(嬉しそうに)語った時のことを思い出す。一緒にバーで酒を飲んでいたら、筒井は彼を「マッド・サイエンティスト!」と評したという。私は「何処がよ?」と思ったが、むろん口外はしなかった。ちなみに筒井は、あの作品群には似合わぬ常識人だそうである。いずれも凡庸な人ではないが、madないしはcrazyの域には遠いのだ。

  さて、「愛の神話」。そのプロローグには「愛」の文字は出て来ない。代わって論じられるのは、「女の本性」である。例えば、以下のようにである。

**********
    ふつう女がすぐ口にする女の本性なるものは、本当に生物学的な意味で「本性」なのだろうか?   その中にはどうも男にとって都合のよいことが多すぎる。そして、支配者にとっても都合のいい性質が多すぎる。女というものはそんなに男や支配者に都合よい本性をもっているのだろうか?
**********

   むろん、そうではない。ただ日高は、「今の社会制度が女をそのようにさせているのだ」という論にも(一部は同意しつつ)疑念を呈する。そして、「なぜ"本性"の名においてそれが語られるのだろうか?」とも言う。彼は常に「相対的なものの見方」をする人で、「本性」とか「本質」ということを言いたがらない人だった。むろん、その概念を完全否定する訳ではない。安易に決めつけることへの戒めである。

   日高は更に「よく女の本性といわれるもののひとつに、"女は一人の男しか愛せない"というのがある」と記し、それを動物学的観点から批判する。今の女性はそんなことあまり思わないだろうし、当時も私はそうではなかった。でも世間の一般常識は、日高の批判通りだったかもしれぬ。

   日高の動物学的な批判は以下のようなものだ。

**********
   これら(小鳥等の)動物の場合、メスが一人の"男"しか愛せないようになっていることのメリットは、すぐわかる。一度交尾したメスが、それ以上ほかのオスと交尾することは"無駄"であるばかりでなく、産卵とか交尾の妨げになるのである。オスのほうもまた、もし処女でないメスとばかりかかわろうとしていたら、それは種にとっては何の意味もないことしかしていないことになる」。
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   概ねは首肯出来る論理だが、異論を2つ。仲睦まじく見えるツバメ夫妻の子にも「婚外子」がしばしば含まれていることが、その後の(DNA分析による)研究で明らかになった。一夫一妻制が強固に見える小鳥の世界でも、その制度は「神話」なのだ。

   それともう1つ。現代の生物学者は「種のため」という概念を用いない。動物の行動の過半は、「自分自身の遺伝子を次の世代に残すため」であると解釈される。所謂利己的遺伝子の仮説だ。後には日高自身が輸入し、広めることになる学説だが、1971年の時点では未だそれを知らなかったのである。

   そしてこの後に「愛」が登場する。日高はそれに対してかなりシニカルだ。そして、自説に対する批判を予想して、以下のように記す。

**********
   今あなた(日高)の述べたのは、あくまで交尾という動物学レベルの問題である。そういうレベルのことなら、今の女はあまり気にしていない。けれど"ほんとに愛する"ことができるのは一人だけなのだ。
**********

   日高はその論に以下のように反論する。

**********
   正直いって、男と女に関してふつうよくいう愛とは何のことか、ぼくにはよくわからない。……(中略)……ある関係が真の愛であるかないかはいくら論じてもよろしいが、"愛"の存在そのものを疑うのはタブーである。なぜだろうか?
**********

   以後しばらくは、ピュアに動物学の話になる。いろいろな動物における例をあげ、そして動物におけるオス・メスの関係で「いちばん重要なこと」を結論づける。それは愛でも性でもなくて、「種の認知」であるという。その種の認知は一定の「儀式」に従って行われる。その儀式は直接には交尾と関係ない行動の連鎖で、遺伝的に決められたものだ。そして日高は更に以下のように言う。

**********
   この儀式はさらにいろいろな意味をもっている。ひとつは相互に敵でないことを表示して、相手を安心させることである。動物にしてみれば、何かが自分の近くに寄ってくることは恐ろしい。たちまち恐怖の衝動にかられる。近づいてゆくほうも、同様におっかなびっくりである。……(中略)……けれど、オス・メスが接触して交尾せねばならないということになっていれば、両者の恐怖はなんとしても抑えられねばならない。交尾前の「儀式」には、その機能がある。
**********

   人間の場合、「種の認知」の機能は薄れている。だが、「安心させる」ことは(男女の関係において)かなり重要だろう。そこに「愛」などという抽象的で面妖なものを入れる必要は無いのではないか?…というのが日高の論だ。

   現代の進化生物学は、「オスは浮気性である」ことを(利己的遺伝子の理論から)明らかにしている。そして日高は(前出のツバメの事例が未だ判っていなかったこの時に)、「女も男と同じように、本来は浮気なのだと思われる」と述べた。オスに比べればややその傾向は薄いが、このことが「正しい」ことも現在は明らかになっている。そのことが「オスにとって困ったこと」であるのは、利己的遺伝子説における(専らオスが行う)「配偶者防衛」の論理から説明出来る。

   故に人間のオス…つまり男たちは自分のことを棚に上げて女の浮気を非難する。そしてそれを抑制し、自己規制を強いるようになる。そのために発明されたのが「愛の神話」であると、日高は考えるのだ。本エッセイが書かれた時は未だ配偶者防衛という用語は無かったが、その概念は日高の頭の中に既に存在していた筈だ。

  日高は「人間が使っている言葉の中には、ずいぶん権力的なものがあるけれども、この"愛"という言葉ほど権力をもった言葉もないであろう」と述べ、更に「人間が、いや、自分が、動物以上のものでありたいと思うとき、"愛"は格好の言葉になる」とも言う。そして、以下のセンテンスで結論づける。

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    いささか直観的にいうならば、愛の神話は、男が、人間のこの感情を利用して、女に投げた網ではないだろうか?   愛をより多く口にするのは女だが、より多く求めるのは男だということも、これを示すように思われる。……(中略)……愛の神話は、男の発明したものの中で、おそらくは最高の傑作であったかもしれない。
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   このエッセイが出てから半世紀弱の歳月が流れ、日本人の男女の気質は少し変わった。現代女性は(前述のように)「女は一人の男しか愛せない」などと普通言わない。そして女は幾分男性化し、男は女性化した。それでも愛の神話は健在であり、特に男がそれに固執する。人権侵害の「不倫狩り」に狂奔し、共鳴する者は男が多い。それはその証である。

   ところで「愛」とは何なのか?。そもそも日本史においてこの漢字は(存在はしたが)あまり使われず、直江兼続が兜の前立てに飾って時には奇異の目で見られた。兼続は愛の一文字を墨子の「兼愛」から採ったと言われるが、中華古代のこの思想家は日本では馴染みが薄かったのだ。そして明治に入り、本来墨子に由来する「愛」の文字が(それと知られず)異なる意味で乱用されるようになる。

   英語での愛はerosとagapeで、この2つは明確に区別されている。前者は性愛で、後者は神の愛だ。loveはそれらの折衷的な(たぶん歴史的に新しい)語だろう。agapeは転じて人類愛にも用いられ、墨子の兼愛思想はこれに近い。だが日本には墨子思想は輸入されず、そしてキリスト教も普及しているとは言えない故に…愛の意味がerosに偏ってしまったのだと思う。なのにagapeの思想も(明治以降に)「表紙のみ」輸入されたので、「たかが一組の男女のこと」にagapeが存在するような誤解が生じてしまった。日高はそのようには論じていないが、おそらく内心判っていた筈だ。

   彼は「愛の神話」を否定し、erosを求め続けた。その一方でagapeも希求した。だが結局、それを得ることは出来なかったのである。

   「人間みなきちがい」については、別稿にて論じる。


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[書評]吉村昭「羆嵐」




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   北海天塩山麓の開拓村を突然恐怖の渦に巻き込んだ一頭の羆の出現!   日本獣害史上最大の惨事は大正4年12月に起こった。冬眠の時期を逸した羆が、わずか2日間に6人の男女を殺害したのである。鮮血に染まる雪、人骨を齧る不気味な音……。自然の猛威の前で、なす術のない人間たちと、ただ一人沈着に羆と対決する老練な猟師の姿を浮き彫りにする、ドキュメンタリー長編。
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   吉村昭(1927ー2006)の最高傑作「羆嵐」は、1977年に新潮社から刊行された。そして1982年に、同じ出版社より文庫版が出る。前出の文責不明の名文は、後者の裏表紙に記されたものだ。その文庫版は2011年に第44刷が出ている。大ベストセラーと言いうるだろう。

  なのに何故か…先日TBS系のTVで放送された獣害番組では、この本も著者の吉村のことも、全く紹介しなかった。代わりに木村盛武という90歳余の老人が出演し、「解説」を行った。この人は古に旭川営林局の技官であり、「獣害史最大の苫前羆事件」(1964)なる資料を出している。吉村はそれを参考にした。木村はその後に自分の著書を刊行したが、それは世間では殆ど知られていない。つまり、この事件を世に知らしめたのは吉村の「羆嵐」である。その描写は迫力大で、「流石プロの作家」と読者を唸らせるものだ。

   木村の解説が吉村の述と異なるのは唯一、猟師のプロフィールだけだ。吉村の「羆嵐」(くまあらし)ではその猟師は山岡銀四郎という名で、アウトローの雰囲気を漂わせる初老の男である。木村によれば名が違い、そして割と普通ぽい男のようだ。事実は木村の言う方に近いのかもしれない。事実に基づいているとはいえ、「羆嵐」は小説なのである。だが実際とは少し異なる猟師像を造形したことが、この作品の芸術性を高めた。結果、上質なビカレスク・ロマンに仕上がっている。

   木村の解説は概ね妥当だが、ちょっと引っ掛かる点が2つあった。1つは「悲劇は羆(ヒグマ)の"聖地"に人間が侵入したことにより起こった」という言で、もう1つは「野生動物は怖いものである」という言である。発言を100%再現した訳ではないが、そのような意のことが述べられたのだ。

   聖地云々の言は、誤りという訳ではない。ただ…「そうなってしまったことに、犠牲者たちに自己責任は無い」と言いたい。吉村はそのことを的確に指摘している。以下のようにだ。

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   かれらは、東北地方の同じ村で父祖からの土地を耕作してきた農夫たちであったが、水害につぐ水害で田畠を流され餓死寸前におちいった。農家では娘を売る者が続出したが、それでも飢えからのがれられない者たちは、政府の移民奨励政策にしたがって土地、家屋、墓石を捨て、家族とともに北海道の地をふんだ。
   かれらは、指定された築別の近くの御料地に入植し、国からあたえられた僅かな奨励金で草囲いの小屋を建て、不毛の地に鍬を入れ、畝をおこして種をまいた。……(中略)……しかし、年を追うにつれて、かれらはその地の環境に不満をいだくようになった。それは、その地が様々な昆虫の大量棲息地であったからであった。
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   入植農民を悩ませたのは吸血昆虫である。アブ、蚊、糠蚊などのDipteraの類だ。更にはトビバッタ。周期的に大発生するこの草食昆虫の作物被害はある年にとりわけ酷く、農民は遂にその土地を捨てた。代わりに政府から与えられたのは、三毛別川上流の山間地六線沢である。既に開拓村として成功していた三毛別の集落より、30km奥の地だ。其処には吸血昆虫はいず、山間地とはいえ平坦地もあり、そして水量豊かな清流があった。農民たちは漸く理想郷を得たと思った。だがかれらは、其処が羆の聖地であることに気づかなかったのだ。そして大正4年(1915)12月に事件が起きた後、六線沢は呪われた地名になる。いまこの地は無人だ。ただ、当時に比べて羆の個体数は激減している。

   東北出身のかれらは、ツキノワグマについての知識は持っていた。そして…「多くの先住者たちから羆が内地の熊とは異なった野生動物であることを知らされていた」。だが…「それに対する恐怖心は淡かった。内地の熊がそうであるように、熊が人に被害をあたえるのは人間が不必要に刺激したときに限られると思っていたのだ」。野生動物学の教育を受けてないかれらがそうであるのは、致し方ない。だから自己責任は無い。責任の全ては政府にある。現代に比べればレベルは低いとはいえ、政府関係には野生動物学の専門家がいた筈だからである。

   そして、木村の解説で引っ掛かったもう1つの点。彼の「野生動物は危険」という言い方は不正確である。ヒグマは確かに危険だ。そしてツキノワグマも、最近は(地域によっては)危険になりつつある。けれどもニホンイタチやニホンアナグマは全く危険ではない。むろんそのことは彼も承知しているだろうけど、誤解を招くような言い方はして貰いたくない。

  そもそも番組では、ヒグマとツキノワグマを混同するような言い方をしている。例えば「熊は敏捷である」ことを言いたいがために、「熊が猪を追い、捕食する」さまをアニメ画面で流した。これには唖然とした。北海道には猪が分布しないので、ヒグマがそれをすることは有り得ない。そして、ツキノワグマは基本的にベジタリアンである。鹿を食べた事例は僅かにあるが、それはスカベンジングだ。猪を捕食した事例は無い。なのにそれをするが如きアニメ画面を流すと、「ツキノワグマも危険な捕食動物」と視聴者に思い込ませ、その大量「駆除」(が行われている現状)を正当化することになりかねない。最近のツキノワグマの対人加害には対策が必要だが、大量捕殺に頼る対策は浅はかである。

   「近縁種でもしばしば生態がかなり異なる」ことを認識しないと、ニホンイタチも害獣視されかねない。西日本の都市においては、シベリアイタチは害獣である。人家侵入により、住人に騒音・悪臭の被害をもたらしている。だが、ニホンイタチは(私の知る限りでは)家に入らない。だから、ニホンイタチを駆除するようなことは「あってはならない」のだ。ちなみにASWATはシベリアイタチに対しても「駆除」は原則的に行わない。「繁殖場所潰し」により個体群を縮小させ、人間との共存を図るのが基本方針である。

   吉村著の「羆嵐」より、もう一カ所興味ある記述を引用する。それは猟師山岡銀四郎が語る「最初に女を食った羆は、その味に馴染んで女ばかり食う。男は殺しても食ったりするようなことはしない」…という台詞だ。そんなこと、あるだろうか?。わからない。ただ事実として、6人の死者中で「食べられた」のは女性だけなのだ。ちなみにこの人食い羆は、雄であった。

   そのことで、本ブログの第49話の「動物行動の"意味"と寺田寅彦」で論じたことを想起した。シベリアイタチの雄による、チャイルドシートベルト齧み切りの事件で、私はその原因を「ストレス発散」と考察した。だがもしか、「性的意味」もありはしないか?。もし齧み切られたシートベルトが女児のものだけだったとしたら、その可能性が浮上する。だが残念ながら、私の手元にはデータが無い。


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