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ニホンイタチをこよなく愛するアスワット顧問/動物学者・渡辺茂樹のブログです!

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田原坂紀行




西南の役に斃れし兵士たち田原の坂に往事を想う

   明治10年(1877)の西南戦争は日本最後の内戦で、薩摩反乱軍総3万と日本政府軍総6万が激突した。戦争全体の死者は(両軍合わせて)1万4千だが、田原坂の戦闘のみで4千が死んだ。つまり、戦争全体の総死者数中の30%がこの戦闘で生じたことになる。

イメージ 1   西南戦争は日本刀が戦場で使用された最後の戦である。だがそれは、勝敗の局面を変えるには至らなかった。基本は銃撃戦である。それは9年前の鳥羽伏見合戦も同じだ。だが殊に田原坂では、狭い地域で猛烈に撃ち合った。そのため、敵味方の放った弾丸が空中衝突した「行きあい弾」が幾つも生じた(写真1)。むろんそれは、両軍兵士の射撃能力の高さにも拠ることだろう。

   戦闘は3月4日に始まり、以後17日間に及んだ。ひとつの戦場での持続日数としては、日本史上最長のだろう。銃の性能と兵站の確かさからして、政府軍は圧倒的に有利だった。戦闘が長引いたのは、薩摩の兵が敢闘したからだ。そのありさまを、司馬遼太郎は以下のように記す(「翔ぶが如く」より)。

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   薩軍に雨は敵であった。薩軍の銃のほとんどは一発うつと銃口から火薬を入れ、槊杖で突っつくように詰めたあと、同じく銃口から弾を入れるのである。雨中では、火薬を濡らさずにこの操作をすることは困難だった。
   それに、薩軍や熊本隊の軍装の多くは着物に袴であり、これは雨に濡れると布が体にべとつき……(中略)……薩軍が、これほど不快な条件に耐え、かつ補給と補充にくるしみ、なおかつ戦意と戦闘能力を衰えさせなかったのは、史上に類のないことといってよい。
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   薩軍も着物ではなくて洋式軍装だったという説もあるが、それはまあどうでも良い。溜まった排泄物の難しさも含め、薩軍側は圧倒的に不利・不快だった筈だ。その状況に17日間耐えたのは敢闘であり、「史上に類のないこと」という評価に同意する。

   だがいくら敢闘しても、それは「敗北の先延ばし」でしかない。薩軍に所詮勝ち目はなかった。そ司馬遼太郎はその絶望状況を描くことにより、65年後の(ガダルカナル・インパール・ニューギニア等での)凄惨を連想させたかったのだろう。65年後の日本兵は餓死者が多くを占めた。弾丸に当たって死んだ薩兵は、「それよりはまし」と言いうるかもしれない。

   ちなみに、田原坂での薩兵のみの死者は約3千だ。この時点での薩軍の兵力は1万5千だから、その20%が戦死したことになる。重傷者を加えれば、消耗率は50%を越えたと思われる。

   前出の薩軍総3万という値は、田原坂戦闘の後に徴兵・補充した人数を加えたものだ。司馬遼太郎によれば…田原坂以前の1万5千は生粋の薩摩兵児(選りすぐられた若年の薩摩武士)で、これより後の補充兵はやや戦闘力が落ちたという。その兵児の半分が失われたとなれば、この時点で「戦争は終わった」とも言いうる。

   だが薩軍は往生際が悪かった。鹿児島市内の城山で敗残者が玉砕死する9月末まで、戦争は(九州内を転戦しながら)なお半年間続く。その愚行は、65年後の日本軍の行いと似ている。

   更に言えば…最激戦の田原坂では、薩軍の将官クラスは死んでない。少し南の戦場の吉次越で、篠原国幹が(赤マントの目立つ服装で指揮をしていた故)狙撃兵に倒されたのみだ。田原坂の指揮者は村田新八と別府晋介だが、いずれも城山まで生き長らえた。桐野や西郷等も含めて、「いい気なものだ」と言わざるを得ない。将が命を惜しんで兵を消耗品扱いする習癖は、明治10年の薩軍も(65年後の日本軍と)同じだったのである。

   その田原坂は、現在の熊本県植木町にある。鹿児島本線の木の葉駅から田原坂駅の東に丘陵地があるが、その北面に位置する。坂の長さは水平直線距離で1km余で、標高差は約80m。丘陵地全体の長径は約3kmで、短径は1km程である。

   この坂で何故激闘が行われたかというと…それは薩軍の戦術の拙さによる。政権打倒の近道は多分長崎を取って船を奪い、東京を衝くことである。土佐出自の名将(元)板垣退助は、薩軍が何故それをしないのかと不思議がったという。

    戦国期の名将島津義弘ならば、おそらくそうしただろう。だが300年後の薩軍には、勇士はいても名将がいなかった。彼らは愚直に、熊本の鎮台(後に「師団」と改称)を標的とした。その鎮台が拠る熊本城を攻めるが、落とせない。その状況下で、政府の援軍が北から熊本城を目指しているという情報が入る。内と外から挟み打ちされたら、薩軍は敗北必至だ。で、薩軍は、政府援軍を迎撃すべく熊本城の北に兵を出したのだ。

  丘陵地が壁のように連なる熊本城北部において、田原坂は最大難所だ。だが難所とはいえ、その坂道は砲車が通過出来る唯一の道路だった。谷あいを抜ければよいと思えるかもだが、この時代の低湿地は水田に覆われ、道路は通っていなかったのである。だから政府軍は何としても坂越えをせねばならず、薩軍は何としてもそれを阻まねばならながった。島津義弘ならば形勢不利と見て、「一時鹿児島に撤退する」ことを考えたかもしれない。だがこの時の薩軍には、そのおつむを持つ将がいなかったのである。

   薩軍の将のおつむのお粗末さについて、司馬遼太郎は(「翔ぶが如く」にて)以下のように論評する。

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   西郷と薩軍の作戦案は、いかなる時代のどのような戦史にも例がないほど、外界を自分たちに都合よく解釈する点で幼児のように無邪気で幻想的で、とうてい一人前のおとなの集まりのようではなかった。これとそっくりの思考法をとった集団は、これよりのちの歴史でーーそれも日本の歴史でーーたった一例しかないのである。昭和期に入っての陸軍参謀本部とそれをとりまく新聞、政治家たちがそれであろう。
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   「然り」だが…現代日本はかなりこの状況に近づいているような気がしないでもない。やばい。

  以上の予備知識を抱えて、「紀行」を行った。2017年の12月25日にである。以下にその見聞録を記す。

   JR鹿児島本線の木の葉駅で下車して東に(国道208号線を)1km余歩くと、田原坂の入口である。田原坂は(下から)一の坂、二の坂、三の坂と呼称される。前述のように傾斜は緩い。道の両側は竹藪だ。明治10年時点ではアカマツ疎林が大半だったとのことだから、随分様変わりしている。

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 一の坂を過ぎた時、竹藪の中で黄色い獣が動いた。お!、シベリアイタチだ。サイズからして、たぶん雌だろう。慌ててカメラを構えたが、撮ることは出来なかった(写真2)。午前11時42分の出来事である。

   更に登って二の坂が近づいた時、やはり竹藪内土手にけもの道があった。おそらくイノシシだろう。ただ足跡は認められずで、糞も無かった。そもそも田原坂の1km余の踏査では、獣糞は全く見つけられなかったのである。


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   明治10年に薩軍は、坂の曲り角や道路の要所に堅塁を築きあげた。そして、政府軍の砲弾を避けるために道路両側の土手に無数の横穴をぶち抜いたという。だが140年後のいま、土手は低くて横穴を掘るには丈が足らない(写真3)。坂道のルート自体は当時と同じでも、路面の嵩上げが行われたのだろう。


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   二の坂を過ぎて三の坂が近づくと、広葉樹が目立つようになった(写真4)。そして道の右側縁にはミカン畑があり、下方には水田が見える(写真5)。このあたりの典型的な田園風景だ。予備知識が無ければ、此処で140年前に血みどろの戦いが行われたとは到底思えまい。


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   坂を登り切ると、平坦でかなり広い台地が広がる。そして野菜畑があり、人家もチラホラ点在している。その一角に田原坂資料館と、「弾痕の家」もあった(写真6)。後者は元々は三の坂の傍らにあったが、資料館の設置に合わせてその隣に移したのだという。

   資料館は田原坂のほぼ終点にあるのだが、其処から分岐してやや東寄りに下る道がもう一本ある。その道を下ると、熊野座神社がある。薩軍の前線基地があった所だ。そのせいか此処の石塔にも弾痕(らしき穴)が認められた。神社の木柱にあった獣の古い爪跡は、たぶんアライグマだろう。地表に糞は、たぶんニホンテンのものと思われる。

   この坂を下り切ると、其処は休耕田だ。それを通過して、竹藪内のあまり使われてない道を歩く。テンの糞がやたら多いその道は行き止まりだった。やむなく休耕田を突っ切り、国道に沿ってその下を流れる小川に出る。適当な所で国道に上がるつもりで、川沿いに歩いた。

   このコースにも、テンの糞がやたら多い。そして川縁の泥上にはアライグマの足跡があった。やがてイタチの糞も見つかった。シベリアイタチのものじゃないかと思えたが、むろん断定は出来ない。

  この地のニホンテンとシベリアイタチは、やはり人家天井裏で繁殖しているのだろうか?。その可能性大だろう。地元の人に聞き取りをしたかったが、人影が稀た。通行人に「お宅の天井裏には…?」と尋ねるのも変なので、結局聞き取りは行わなかった。

   最後に再び明治10年のことに戻る。厳密に言うとその少し後で、「翔ぶが如く」の締めである。明治11年5月14日に大久保利通が暗殺され、その同志で大警視の川路利良は落ち込んだ。眼窩が黒ずみ、両眼だけが青く光っていた。「夜陰、川路の枕頭に西郷軍の亡霊がむらがって立つ」という噂が流れたという。その川路は明治12年10月13日に病死した。最後の一文は以下のものである。

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   ともかくも西郷らの死体の上に大久保が折りかさなるように斃れたあと、川路もまたあとを追うように死に、薩摩における数百年のなにごとかが終熄した。
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   林真理子の「西郷どん」は未読だが、彼女に斯様な名文が書けるだろうか?。そもそも彼女は西南戦争の史的意味をどのように理解しているか。少しく不安に思う。


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以下は、あるダムについての話である。完成後に予想される水面面積から判断して、約200ha程の陸地が水に沈む。そのことでこの地の陸棲動物にはどの程度のダメージがあるだろうか?。イタチを例に考えてみた。なおこの地にシベリアイタチはおらず、ニホンイタチのみが棲息する。

  陸地約200haには、どれだけの数のニホンイタチが棲息するか?。まずそれについて雑駁なる考察を試みる。

   ニホンイタチの行動圏は、雄10ha・雌1haと仮定する。前者はラジオテレメトリ、後者は直接観察法で弾き出した雑駁な数字だ。雌については、古に東京農工大学がラジオテレメトリ法で求めた値と一致する。そして雌雄の各個体の行動圏が重ならないと仮定し、性比を1:1とするならば、200haのエリアに総個体数は約18.18頭となる。

   行動圏が重ならないという仮定は根拠に乏しい。その一方で、やはり根拠に乏しい「いずれの個体も使用しない"空地"が存在する」という仮説も成り立ちうる。この背反する仮説を相殺させるならば、総個体数は約20頭というは案外妥当ではないか?。

   いやあ雑駁だなあ(苦笑)。でも「言論の自由はある」と信じる。詳細は糞DNAを用いての個体数推定調査をすれば判ることだ。

   ちなみに面積200haという値は、私が知る限りの「ニホンイタチが、個体群を維持しうる最小面積」だ。それは閉鎖個体群であり、、移出入無し(出生死亡のみ)で個体群が維持出来るものだ。鹿児島県トカラ列島の平島にそれが存在し、その島の面積は約200haなのである。   

  だが、平島における総個体数が20ということはないだろう。集団遺伝学の知見より、閉鎖個体群の維持には(雌雄合わせて)50頭は必要と考えうる。平島に少なくとも50頭が棲息するならば、各個体の行動圏は(前述の)私の仮定値より小さいことになる。ないしは「かなり重複する」筈だ。そして食物資源は「かなり豊か」ということになるだろう。…というような話は、以前にも(ブログ第84話「島の面積とイタチ」にて)述べた。年をとると、同じ話を繰り返すようになる(苦笑)。

   オープンな陸地200haの個体数が約20であるならば、その喪失は一つの個体群ぶんに満たない。だがダメージは受ける。そのことへの「罪滅ぼし」として、新たにに出来るダムの水面ギリギリにビオトープを創る計画が進行中という。それによりニホンイタチを「保全」したいらしい。しかしてそれは可能か?。

  谷底の主流エリアが水没することにより、川沿いに点在する集落と、それに隣接するススキやササの群落が消える。ニホンイタチはサワガニとアカネズミを多く食べる。サワガニは流水性で、かつその餌が溜まり易い本流域に多いと思われる。アカネズミはススキやササの群落で密度大だろう。それらが水没により失われるのは、ニホンイタチにとって痛手だ。ダム水面より上部に創られるビオトープは、果たしてどれだけ有効だろうか?。

   イタチ個体群の存続には餌と、そしてシェルター(殊に繁殖場所)の2つの要因が必要だ。まずは餌について。

  集落地域が水没するゆえ、ネズミを保全するのは困難である。サワガニも難しい。魚と渓流昆虫、そしてカエルは、ビオトープの設計次第ではそれをなしうる。

   ただニホンイタチは泳ぎがさほど上手でなく、魚を狩るのは苦手だ。胃から出て来た例はあるが、それはスカベジングによるものと思われる。水溜まりが小さければ泳ぐ魚も捕えうるかもだが…その魚は小さくて、あまり腹の足しにならないのではないか?。渓流昆虫についても同様である。羽化成虫が糞に大量に含まれる事例はあるが、その時期は限られる。安定した餌資源にはなり得まい。

   カエルについて言えば…流水性のタゴガエルは細流で繁殖する。だからこれをビオトープで保全するのは難しい。止水産卵のヤマアカガエルとニホンアカガエルは期待しうる。いずれもこの地に多くないようで、「どうかなあ?」と思うが…周辺で採取した卵塊を移入する手もあるのではないか?。外来種の移入はまずいが、在来種のカエル2種の移入は(周辺からなら)許され得よう。

   ともかく(最初の予測にとらわれず)、臨機応変に対処することが必要だ。こういうことは、「イタチに聞いてみなければ判らない」と思うべきである。古の動物学者には常識であった「…に聞いてみる」という精神が、最近減衰しているような気がしてならない。

    次はシェルター。ニホンイタチは雌のみが育児を行うが、そのサイズは雄に比べて異様に小さい。だから繁殖用シェルターを見出すのはさほど難しくないように思える。しかし、本当にそうか?。そのとき、行動圏が1ha程しかないことがネックになる。そのエリア内が相当に富栄養でなければならないからだ。

   私が観察した唯一の雌の繁殖巣は近くにアメリカザリガニが多く、その条件を満たしていた。それがいないこの地域で、何がニホンイタチ雌の生活を支えているのか?。おそらく場所的には、水没する集落に多くを依存していたのではないかと思う。集落周辺には農耕地もあり、其処は(土壌昆虫やミミズが多く)富栄養の筈だからだ。加えて集落周辺には巨石や瓦礫や材木積み上げ等…繁殖巣が作りうるシェルターが豊富だ。ニホンイタチ雌は小さいとはいえ、森林内はその条件が良くない。

   つまり集落の水没は、ニホンイタチの雌にとってとりわけ痛手と思う。ならばビオトープには、「繁殖巣を作りうるシェルター」を設けるべきだろう。それが餌場の近くにあることは、巣立ち直前の子にとっても重要だ。その時期の子は、巣の近くの餌場で「狩りを仕方を学ぶ」からである。

   ニホンイタチの保全は、繁殖条件が保証されて初めて達成しうる。いま設けられつつあるビオトープがその助けになることを願う。
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  Carnivoraも、全てが捕食獣である訳ではない。周知のようにジャイアント・パンダの主食は竹であり、熊の類も(ホッキョクグマを除くと)植物食の割合が大だ。だがこれらもいずれも未熟児産であることは、Carnivoraの「血」を感じさせる。捕食行為を「子連れ」で行うことは不可能だからだ。少なくとも育児中の雌は、安全な「巣」が不可欠である。Carnivoraの未熟幼獣は、むしろ被食対象になり易い。

   この間の事情は、成獣の雄にはあまり関係無い。タヌキ等の若干の例外を除くと、Carnivoraの雌雄はつがいを形成せず、雄は単に精子の供給者でしかないからだ。また雌も、繁殖が終わると親子の絆が切れることが普通である。おそらくそれ故に…雄ならびに非繁殖期間の雌は、造巣に不熱心なことが多い。例えばキツネの地下巣は長く複雑だが、これは繁殖目的で、それ以外は穴すら掘らないこともある。

   ただイタチの場合、穴は掘らずとも「身を隠す」ことには熱心である。石垣の穴や倒木の下、あるいは床下や天井裏を「巣」として身を隠す。それは多分イタチがCarnivoraとしては例外的に小さく、アダルトでも被食の危険があるからだろう。

   アダルトは被食の危険が少ないキツネも、生まれ育った場所への執着はあるようだ。SITEとしての巣が判然としない場合でも、RANGEに対するこだわりはArtiodactylaやPrimatesより強いように思われる。これはおそらく、Carnivoraの狩猟技術が意外に拙劣なことに由来する。拙い技術を補うには、「土地勘」が必要なのてある。見知らぬ土地では、効率良く狩りをすることが出来ない。そして土地勘がある地でもまだまだ技術は不十分で、それが故にすぐには餌を捕り尽くさないのだ。和歌山県における私のニホンイタチの調査では、その期間はおよそ1ヶ月間だった。

  そして斯様な土地に対する執着は、同種他個体への排他性を生む。Carnivoraのテリトリーは(少なくともニホンイタチでは)案外強固ではないけれども、それでもやはり存在する。そして、未知の地への「臆病」に繋がる。要するに巣をmakeしない場合でも、chooseする必然性はCarnivoraにおいて大であっておかしくないのだ。

   養親のCarnivoraと養子のヒトは、2つの点で大きく異なる。ひとつはヒトの繁殖はつがいが基本であること(厳密な意味での一夫多妻であるかどうかは別として)、もうひとつは生まれた子が自立するまでに極めて長い時間を要することである。

   前者は類人猿においてヒトの専売特許ではない。テナガザル類もつがいを形成する。ただヒトと違い、それらがまとまっての大集団は作らない。チンパンジーは多夫多妻的父系社会で、つがいとは程遠い。ゴリラは一夫多妻的父系社会だ。ちなみに山極寿一は、そのゴリラに「学ぶべき」という問題発言をしている。ともあれ、これら類人猿(ape)はヒト社会の起源を解く鍵には到底なりえない。

   そして造巣習性の有無から眺めると、類人猿(aqe)は他の猿(monkey)と変わらない。同様に、巣をmakeもchooseもしないのだ。新生児は未熟児ではなく、やはり母親にしがみついて成長する。ゴリラやチンパンジーは樹上に小枝で「ベット」を造る。だがそれは一夜の使い捨てであり、「巣」とは言い難い。

   つまり、ヒトは極めて特殊なPrimatesなのである。その特殊さを際立ったせているのは「育児の負担」だ。だからそれを、「雌のみに任せられない」のである。ヒトにおけるつがい形成と雄の育児参加は、利己的遺伝子学説から見ても必然だった。…というのは長谷川真理子の(「オスとメス=性の不思議」における)論だが、私は基本的に同意する。更にヒトは年中交尾し、雌は毎年妊娠可能という異様な動物だったから、雌雄の絆はいやがうえにも高まったのだ。

   養親のCarnivoraでは主に雌が行う造巣行動を、ヒトは雄が積極的に分担することも珍しくない。そしてCarnivoraの巣が地味で実用本位であるのに対して、ヒトのそれはかなり凝ったものになっていったのである。

   つまり…Primatesが原始Soricomorphaから分化した際に失った造巣習性を、ヒトは「Carnivoraへの生態的接近」によって再び獲得したのだ。そしてペア型化により、それが強化されたのだろう。

   その一方でヒト社会には、チンパンジーやボノボの乱婚=多夫多妻的配偶形式の名残りもある。長谷川真理子はそのことを、「緩やかな一夫一妻」と表現した。ヒトのつがいには、"adultery"(日本語訳は「不倫」)がままあるのだ。その一方で絆は案外強固という、二面性を持つ。例えばツバメのカップルのようにだ。

   この奇妙な事象については、稿を改めて考察する。此処では「ヒトのadulteryには生物的必然性がある」と強調し、「性差別者は女性のadulteryに寛容でない」という持論を述べるに留める。

   話を戻す。ヒトの巣が「凝ったもの」であることは、あるいはチンパンジー・ベットにその起源が求められるかもしれない。それは使い捨てなのに、結構凝ったものだ。巣でもないものに、何故この動物は過大の労力を費やすのだろうか?。

   ひとつには、類人猿(ape)とそれ以外の猿(monkey)の就寝習性の違いがあるのだろう。概してmonkeyは熟睡をせず、就寝中も目覚め易い。対してapeは比較的ぐっすりと眠る傾向がある。そのために多少面倒であっても、「寝心地」のようなものを確保する必要があるのではなかろうか。

   斯様な労働は、その結果として得られる快楽のためにある。加えてもうひとつ、労働それ自体が快楽ということも有り得よう。Carnivoraの捕食行動にもその傾向が認められるし、Primatesは概して遊び好きな動物だ。ましてapeにおいておやで、ベット造りはその作業自体が遊びで、そして快楽であると考えられぬでもない。

   遊ぶためには生活の余裕が必要である。猿は(apeもmonkeyも)捕食者との緊張関係が少ないから、この条件を満たしている。対してCarnivoraは(前述のように)、狩猟技術拙劣という事情がある。決して遊びをしない訳ではないのだが、巣は実用本位であり、遊びの要素は乏しいのだ。

   初期狩猟人の場合はどうであろうか。その経済収支はよく判らぬが、所謂文化人類学の成果と比べると、案外豊かだったことが想定される。だが決定的だったのはやはり農業の成立だろう。

   遊び以外のなにものでも無い「学問と芸術」の原点は、狩猟社会に求めうる。だがそれが職業になるためには、農業の成立を待たねばならなかった。そのあと「巣」は「建築」に転化し、建築家なる職業人も登場した。そして本来巣の実用性に付随していただけの遊びの要素が、今は自己目的化しつつあるのである。

   「建築美:極」掲載の初稿では、若村進(猟師:石川県小松市在住)と岡安直比(京都大学理学部霊長類学研究室)の2名に諸教唆を得た。いま前者は故人で、後者はWWF日本支部職員だ。両名に改めて謝意を表したい。

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  私は以前建築学の専門誌「建築美:極4」(1988年4月15日発行)に、「人間の巣と動物の巣」という文を載せたことがある。以下に、それを多少アレンジして再録する。

   動物(とりあえず哺乳類)の巣と、人間(ヒト)の建築のアナロジーを考える場合に注目すべきことが一つある。それはヒトの最大の血縁者である猿類、即ちPrimatesが巣らしきものを殆ど造らないことだ。

   尤も巣というものは必ずしも「造る」ものではない。それは"made  or  chosen"であり、定住すればその場が巣になるのだが、Primates(英語名:monkey  and  ape)は"choose"もあまり行わない。その群れは位置の移動が著しく、ねぐらが定まらないことが多い。同じねぐらを二度以上使わない訳ではないけれども、猿の生活パターンは基本的に「旅枕」と言える。したがって、ヒトの建築のルーツを広く動物界に求める試みは、のっけから挫折せざるを得ないのである。

   視点を変えてみよう。他の哺乳類ではどうだろうか?。

   Primates(霊長目)やCarnivora(食肉目)等、現生の多くの哺乳類はSoricomorpha(旧称Insectvora:食虫目)に近い獣から進化したと考えられている。分類学的重要さにかかわらず知名度が(日本では)低いこの分類群の中で、モグラのみは突出して有名だ。その地下トンネルも名高い。だがモグラ類はSoricomorphaの中ではやや特殊化した動物で、そのトンネルは厳密な意味では巣とは言い難い。

   モグラのトンネルは、巣というよりも餌場だ。この動物は音(空気の振動)に頼って捕食するが、土壁の振動に拠って餌動物(主にミミズ)を得ることは出来ない。そのため土壌中に辺り構わず空気のチューブを掘り作り、その中にミミズが「落ちて来る」のを待つのである。即ちモグラのトンネルは「罠」だ。罠を拵えて捕食する動物は(例えば蜘蛛がそうだが)、哺乳類では比較的珍しい。むろんヒトは、その珍しいグループに含まれる。

   真の意味でのモグラの巣は、地中奥深くに在る。枯葉を主材にした球状の工作物はむしろ鳥の巣に似て、なかなか見事なものだ。わざわざ地上から材料を持ち運んでまで、このような凝ったものを造る理由は判然としない。土の中はそれだけでシェルターとして十分に思えるが、「寝具」が無いと不安なのだろうか?。育児用の産座であるなら未だしも、モグラはそれをアダルトも用いるのである。

   モグラより知名度が低いSoricomorphaであるトガリネズミやジネズミ(英語の一般名詞はSorex:MouseでもRatでもない)も、地上ないしは半地下に枯葉の巣を造ることが知られている。それと近縁のErinaceomorphaに属するハリネズミもだ。斯様な習性は、この類の動物の「血」なのかもしれない。

   しかして、Soricomorpha(に近い祖先型)からPrimatesが文化するにあたって何が起こったか?。よく言われるのは、「樹上に進出したことで、形態と生態が変化した」という学説だ。つまり(河合雅雄の言い方を借りれば)「森林がサルを生んだ」のだ。

   樹上は必ずしもPrimatesの独占空間ではない。Rodentia(齧歯目)に属するリスやムササビの進出も認められる。だがそのことで、Rodentiaが大きく分裂することはなかった。一方、木に登った原始的Soricomorphaは、二度となかまの元に戻ることはなかったのである。

   ただ、樹上生活が猿から巣を奪ったと考えるのは早計だろう。ガラゴやキツネザル等、樹上で巣を編む猿の若干例が知られているからだ。樹上性Rodentiaでは巣を造る側が主流であり、例えばリスのそれはモグラの作品を上回る見事なものである。

   直接の要因は社会構造の変化に求めるのが妥当かもしれない。猿は基本的に集団生活者である。一方、Soricomorphaは概ねsolitaryであると言ってよい。集団生活者にとっては群れそれ自体が巣に相当し、安住の地を定める必要が無いと言えなくもない。

   ただ、例外もある。プレーリー・ドック(犬ではなくてリスのなかま)は複数のfamilyが集まって、地下に大規模な"town"を形成する。その規模は時として数十ヘクタールの面積に及ぶ。モグラと違って、その地下トンネルはそれ自体が巣と言えよう。

   ウッドチャックやマーモット(いずれもRodentia)でも同様の習性が知られているが、これらの動物の「巣」はおそらく捕食者との緊張関係によって生じたのだろう。猿の生活場所である樹上は、捕食獣が稀なのだ。そして再び地上に降りたヒヒの場合、群れのねぐらは定住的であることが知られている。ヒョウの攻撃を受けにくい断崖の壁がその場だ。

   ガラゴやキツネザルはPrimatesにしてはprimitiveであり、Soricomorphaの血を強く継いでいると言えなくもない。社会構造においては集団生活の萌芽が認められるといえ、どちらかといえばsolitaryが基本である。ヒヒはむしろadvancedな猿だが、地に降りたという意味では異端者だ。これらの猿が例外的に巣のオーナーであることは、その他の猿の特徴を際立たせていると言えるかもしれない。樹上の集団生活者にとって、巣は無用の長物なのだ。

   ただしこの仮定には条件がある。生まれ出る子は、ある程度自立的でなければならない。地上性で、やはり巣を持たない集団生活者であるArtiodactyla(偶蹄目:鹿や牛など)の場合その傾向は顕著で、生まれた子はすぐに立ち上がり、歩くことが出来る。Artiodactylaは概して少産であることが、それを可能にしている。多産の場合、各々の個体は未熟児にならざるを得ないのである。猿の産仔数は原則的に1頭で、その条件を満たしている。出生直後の歩行は出来ないが、母親の体にしがみつくことは出来る。即ち猿は母親の体を巣にすることにより、幼児用ベットを必要としないのだ。

   そのことはヒヒも同様だが、ヒトの場合は様相を異にする。ヒトの新生児は未熟で、握力を全く有しない。母親の体にしがみつくことが出来ず、したがって、少なくとも育児初期には巣を持つことが不可欠だ。ヒヒがそうでないことからすれば、この習性はヒトが「木から降りた猿である」故ではないだろう。おそらくそれは、初期人類が捕食獣であったことに由来する。デズモンド・モリスの表現を転用すると、ヒトは「Primatesの家系に生まれて、Carnivoraの養子になった裸の猿」なのだ。

   養親のCarnivoraについては、後編で考察する。


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ウサギ減りし里山



  読売新聞はあまり読まない私だが…今年たまたま目にした(11月30日夕刊の)記事は、わりあい面白かった。ただ私は皮肉屋の故、その内容に全面的に納得した訳ではない。

イメージ 1   日本の固有種であるニホンノウサギLepus  brachurus[イタリック体]の数が激減している。そのことは、私も(自らの山歩き体験において)何となく感じていた。何故だろうか?。 知己の剥製師坂本博志の説では「鹿が増えたためでは?」とのことだ。鹿が草を過食したため、ノウサギの隠れ場が減少した。それ故ワシ・タカ類による捕食頻度が増えたのではないか…というのがというのがその理由説明である。

   なるほど、流石に坂本さんだ。彼の剥製製作技術はおそらく日本一だが、同時に野生動物の生態についての洞察力にも長けている。ただ私は、「それだけではあるまい」と思う。鹿による草本の過食が、「ノウサギの食料事情を悪化させた」こともあるだろう。そして草地の減少は、鹿のせいだけではあるまい。

  いずれにせよ「食物とシェルター」は、全ての野生動物の棲息可否を決める必要条件だ。あ、それと、「性」(即ち繁殖)もね。そしてそれには、シェルターの存否が密接に関係する。これらのどれか一つのみが原因ということは、無いと思う。

   以下は読売新聞の記事。此度環境省と日本自然保護協会が調査した結果、「過去10年間に、全国の里山で3分の1に減ったことが判明した」という。全国の里山60箇所に自動撮影カメラを設置して撮影した結果、ノウサギが撮れた回数は「2005年から2015年にかけて、68.3%減少した」という。そしてその原因として、里山の荒廃で餌が減ったから」という仮説を述べている。シェルターの減少(に由来する被食増大)については、考慮されていない。

  原因のことはさておき…撮影頻度が減ったことが個体数減少に相関するというのは、有り得ることだ。棲息地内のノウサギの動きは、ランダムウォークに近い。そのことは昔(1970ー80年代)、数学者の林知己夫により確かめられている。イタチ類ではそうはいかぬ。イタチは(ニホンもシベリアも)、自動撮影カメラで撮ることが難しい。動きが速いためシャッター作動がついてゆけないことに加え、動きがランダムではないからだ。そのため「狙いうち」をする必要がある。そして、どのようなポイントを狙えばよいかの知識を持つ者は、多くない。

  イタチのことはさておき…国際機関IUCNは、「10年で50%以上減少」の種を「絶滅危惧ⅠB類」にすることを定めている。3分の1の減少率はそれを上回るからニホンノウサギは絶滅の恐れが大で、「狩猟鳥獣の指定を外し、捕獲禁止にすべき」だという。ただ環境省は、未だそのように決断はしていない。

  捕獲禁止は結構なことだが、それだけで絶滅が防げるか?。環境省が有する「全国の捕獲数」のデータは2000年に7.5万頭で2005年は1万頭弱だ。つまりその減少率はカメラ撮影結果より大である。此処まで減ってしまうと「罠に掛かりにくくなる」現象も生ずる筈だ。よって捕獲禁止にしても(それをやらないよりはましだが)、その「効果」は疑わしい。環境保全(ないしは「回復」)の方がより重要ではないか?。

   日本自然保護協会もそれは理解しているようだ。「里山はかって、定期的に間伐や植樹が行われ、ノウサギの餌になる若い木の芽や葉が豊富だった。しかし高齢化や少子化で手入れをする人が減って荒廃。宅地開発も進む。同協会は、里山で若い木が少なくなったのがノウサギが減った大きな要因とみている」…と、読売新聞はその論を紹介する。更に、「早急に保護のために手を打つべきだ。ノウサギがいなくなると、捕食者のイヌワシやキツネなどにも影響する」…という論もである。

   つまり「里山の復元をすべき」という論で、そのことに基本的に異議は無い。ただそれをするにあたっては、「里山とは何か」の定義を明確にすべきであろう。スローガンのみが一人歩きするのは、よろしくない。

   それと、間伐をすればそれで良しというものでもあるまい。それをすれば草地が(一時的に)増え、ノウサギの食物条件は良くなる。繁茂した草がシェルターになり、ワシ・タカ類に捕食されにくくもなる。だがそのことは、「鹿の食物条件も良くする」ことにもなるのだ。つまりノウサギの保全と鹿の個体群制御は、一体のものとして考えねばならない。そしてそのことは、極めて難しい。

   「捕食者のイヌワシやキツネなどに…」という言い方にも引っかかる。ノウサギは、他の動物の「ために」生きているのではないのだ。だが斯様な論法はしばしば用いられる。日本における数少ない"ノウサギの専門家"の山田文雄(森林総合研究所)ですらも、「ニホンノウサギはイタチ、キツネなどの肉食獣やワシ、タカなどの猛禽類の餌となり、生態系内で重要な役割を担っている」と言う(「日本動物大百科」平凡社、1996)。「山田さん、あなたもか!」と思った。

   そもそも、イタチは(ニホンもシベリアも)ノウサギを食べない。キツネも怪しい。以前(昭和中期)、石川県のある地域に「ノウサギ駆除」目的でキツネが導入されたことがあった。だが、その成果は殆ど上がらなかった。地元の猟師若村進(故人)は「そもそもキツネはノウサギを食べるのか?」を疑問に思い、私的に調査した。その結果は「殆ど食べない」のであった。むろん「所変われば、品(生態)変わる」ことは有り得るので、断定はしない。

  しかし改めて思うのは…前世紀までは「ニホンノウサギの保全」などということを言う者は誰もいなかったのである。山田も、たぶん言ってない。ニホンノウサギへの対応は「駆除」一色だった。故に「いまさら何を言うか!」と思えぬでもない。

   ちなみに…ノウサギ即ちLepus属のウサギは、現代日本人の多くが「兎」と認知するカイウサギとは異質な動物だ。カイウサギはアナウサギOryctolagus  cuniclusを馴化したもので、生態が著しく異なる。そして北海道のノウサギはニホンノウサギではなく、ユーラシア共通種のユキウサギLepus  timidusである。ユキウサギの状況はよく知らないが、安泰ではないだろう。

   日本に分布するウサギ目Lagomorphaはあと2種だ。鹿児島県の奄美大島に(日本固有種の)アマミノクロウサギがいて、北海道中央部には(ユーラシア共通種の)キタナキウサギが分布する。いずれも絶滅危惧だが、詳細は此処では述べない。

  ノウサギ(ニホンノウサギやユキウサギ)は、基本的にsolitaryだ。そして、子は(鹿と同じく)かなり成長して生まれる。数は1〜2頭だ。そして繁殖のための「巣」を設けず、草むら内の地上に産み落とされる。母子の縁は薄く、授乳を夜間に1〜2回、各2〜3分間するのみである(前出「日本動物大百科」より)。対してアナウサギは集団生活者で、地下トンネル内に確固たる繁殖巣を設け、閉眼無毛の子を複数産み落とす。母子の縁は、ノウサギより遥かに濃い。

   繁殖戦略としてどちらが有料かといえば、一概には言えない。繁殖のための巣を作らないノウサギは「ヤバい」ように思えるが、あながちそうとも言えぬ。草むらが広大ならば、それ自体が巣であると言えるのだ。

   生後1年内の死亡率は50〜80%と高い(前出「日本動物大百科」より)。だがそれは、「ある程成長し、動き始めてから」の値ではないか?。授乳期は草むら内であまり動かない。ならば上空からワシ・タカ類に襲われにくいだろう。そしてキツネは、聴覚と動態視力を頼りに狩りをする動物だ。ノウサギの子が「フリーズ」していれば、探知されにくいだろう。

  だが草むらが減れば、話は別だ。最近のニホンノウサギの数の減少は、授乳期の個体の被食増大が主因ではあるまいか?。けれども「草地を増やすべき」とも(前述理由により)言いにくいのである。

   草稿を此処まで書き上げて、2人の動物学者に批評を依頼した。まずは斎藤昌幸(山形大学農学部)。

   斎藤と山田文雄は、ニホンノウサギが「拡大造林のせいで増えた」という論を有している。ただ斎藤は、その増えかたがどの程度かがわかっていないことを慨嘆する。最近減っていることも間違いあるまいが、その減少率もわかっていない。個体数を「定量化すべき」なのだが…それはかなりの難事である。

   もう一人は福江佑子(法人あーすわーむ)。彼女のフィールドである軽井沢でも、ニホンノウサギが自動撮影カメラに捉えられることはあまり無いという。時間軸において「減っている」と断定は出来ないが、「いま少ない」ことは間違いないだろうと論じる。そして林業被害については、「ネズミやシカの行いの濡衣もあるのでは?」と疑義を呈する。

   授乳期幼獣の「フリーズ」については、シカも行う筈だと福江は言う。幼獣は(成獣に比べて)体臭が薄い。Carnivoraは(前述のように)聴覚と動態視力に頼って狩りをするが、嗅覚も(定位は出来ないが)「このあたりに獲物がいる」ことを知らしめる役には立つ。だから幼獣の体臭が薄ければ、草むら内でフリーズすることの効果は更に上がる筈である。「なるほど」の論理だ。



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