渡辺茂樹のいたちものがかり

ニホンイタチをこよなく愛するアスワット顧問/動物学者・渡辺茂樹のブログです!

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忘れじのJK


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    添付写真は京都九条山(東山山系を横断する旧東海道の峠)の、曼珠沙華である。毎年9月になると開花し、そして約1ヶ月間咲き誇った後に散る。その妖しい美しさは、JK(女子高生)に似てなくもない。花が散っても根は枯れずで、翌年また新たに開することもだ。「年々歳々ひと同じからず」にてである。

   ところで私は自称テレパスだ。他人の心が、かなり読める(と自分では思っている)。だがむろん、それは火田七瀬(筒井康隆「七瀬ふたたび」のヒロイン)のような天性の遺伝的能力ではない。幼少時にはそのような能力は無かった。その自信を持つに至ったのは、不惑の年になってJKと多く付き合うようになってからだ。

  付き合うといっても、世間的な「交際」とは違う。Teacher(非常勤)とStudentsの一線は、決して越えなかった。でも、私ほど「多くのJKとの、短くて淡いが、真摯な付き合い」を経験したTeacherは、この国にそれほど多くないのではないか?。私はそのことを誇りに思う。

  その付き合いの過程で私は、JKに「好かれなくてもよいが、嫌われたくない」と思った。そして、彼女らの心を読むことを努めた。つまり私のテレパス能力は、JKに鍛えられたのだ。

  未熟だった20代の半ばに、相手の心を読み損なって「失敗した」ことがトラウマとしてある。テレパス(自称)になった今もなお、若い女性の心を読むのはやや苦手だ。でも、世間の並の男性よりは遥かにその能力があると自負する。


   N女子大付属高校のNと、S女学院高校のEのことは、以前にブログで回顧した(第41話と55話)。S女学院ではその他に、20人程の記憶が鮮明である。あるいはS女子高校のT、府立S高校定時制のC…等々は、必ずしも私が「強く魅せられた」訳ではない。そのように確実に言いうるのは、NとEだけかもしれない(だからブログに記した)。だがその他のJKの記憶も今なお濃く、そして私の「性格を変えた」と言いうる。彼女らが、私という人間の「価値を認めてくれた」からだ。 以来私はいくらか自分に自信が持てるようになったのである。


   「ひとは己を知る者のためになら死ねる」と、誰かが言った。それになぞらえるのは大仰だな(死にゃあしません)。でも、それと根が通じる部分がいくらか有ったように思う。

  若年の頃の私は自信というものがおよそ無く、自虐的だったのだ。異性関係について言えば、「もてた」という自覚が無い。回顧すれば必ずしもそうでもなかったのだが、当時はそう思っていた。不惑の年を越えてから後に、「あれ?、俺って結構女生徒に人気あるじゃん」と思うに至る。だがむろん、それは性的魅力においてではない。私は、それと錯覚するような馬鹿じゃない。私の人気は、「凡庸ではないTeacher」としての希少性においてだろう。比較して、専任のTeacher達は「あまりにも凡庸」なのだ。

   それ故に、専任達の嫉妬も受けた。S女学院でのことだが、教育実習に来た卒業生のF(つまり元JK)が私に関心を持ち、しきりと話かけて来た。私も知的な彼女とは話が合った。ある日あるとき理科非常勤控室で彼女と話し込んでいたら、突然に化学の専任女教師が現れた。そして「あんた、こんな所で何してるの!」とFをどやしつけたのだ。彼女は憮然として部屋を出た。私は「こんな所とは御挨拶だな」と思ったが、何も言わなかった。女教師は私には言葉をかけず、すぐに立ち去った。その後Fとはしばらく「文通」をしたが、その関係はいつしか絶えた。

  忘れじのS女学院だが、嫌なことも無かった訳ではない。でもその対象のJK=Aを憎んではいない。彼女のことを想うと、今なお心が痛む。

   ある日ある時、無記名の封書が送られて来た。その中には私が授業中に配布した「韓国紀行」のプリントが入れてあった。細かく切り刻んでだ。剃刀の刃が同封されていたことは無かったが、私はゾッとした。そしてそのことを生徒部に報告し、調査の結果、Aの所業であることが判明したのである。

  おそらく筆跡鑑定のようなことが行われたのだろう。でも、それだけでは個人特定は難しい。チクリのようなことがあったのではあるまいか?。嫌な話だが、仕方あるまい。調査をせずに(プリント切り刻み送付のことを)「無いことにする」のは良くない。彼女はたぶん担任からこっぴどく叱られて、それでこの件は一応収まった。だがそのことで、私はS女学院を辞めざるを得なかった。年度途中ではないので(そして非常勤は一年契約だから)、形式上はクビではない。「再契約せず」ではあったけれどもである。

  そのことで私は彼女を恨んだりはしない。そもそも私がクビになった理由は、それだけではなかったのだ。ただ、あとで「しまった!」と悔やんだ。それは、事件発覚後にAと「話し合い」をしなかったことだ。彼女からの詫びのことばは無かったが、それはどうとも思わない。でも、このことを「無かったことにする」のは、本人のためにならないのではないか?。その思いは暫し私を苦しめた。だが私は何もしなかった。

   私がS女学院を辞めた後も、Aは何度も手紙をくれた。卒業して、某外国語大学に進学して後もだ。その手紙は特にどうともない近況報告で、狂気のようなものは全く読み取れなかった。だが私は返事は殆ど出さなかった。僅かにだが、怖かったのである。そしてそれから20年の歳月が流れた。彼女の近況は、全くわからない。

   Aは私がS女学院に在籍した6年間の最後の年に高1だったのだが、最初の年に高1だったのがKである。成績が良く運動神経抜群の「お嬢様」であるKは、私と特に親しくはなかった。だがある日ある時(どういう状況だったかは忘れたが)、彼女が発した質問を鮮明に記憶する。それは、「せんせい、電磁波って、つまり何なの?」というものだ。私はドキリとした。そのことは以前より気になっていて、でも授業ではスルーしていたことだったからだ。その場は懸命に考えて解説し、後日に改めて郵便で解説を試みた。だが彼女は「成程」と納得した様子は無く、私自身も「誤魔化した」の感が拭えなかった。

   あれから20年余の歳月が流れ、JKだったKもはや不惑齢間近である。神戸大学の国際専攻に進学した彼女の名がマスコミで報道されないかと期待したことがある。だが今のところ、その気配は無い。

  JもS女学院のJKで、やはりさほど多くはことばを交わしていない。彼女も、とても頭が良い少女だった。その次に登場するSもそうなのだが、少し気合いを入れて受験勉強すれば楽々に京大に行けただろ。だが当時のS女学院は「欲の無い」JKが多く、私が在籍した6年間で京大に進んだ者は一人もいない。

   Jは理系進学希望で、そして数学が良く出来た。だが「学校で学ぶ数学はつまらない」とこぼしていた。で、私はその頃出たばかりの足立恒雄の「無限の果てに何があるか」を推薦した。でも私は、推薦図書を誤ったかもしれない。それより遠山啓の「無限と連続」か、あるいは森毅の著書を選ぶべきだったろう。

   Sは文系進学希望だったが、生物のテストも良く出来た。何故か「特進」のクラスではなかったが、その所属の者を押しのけて常に生物のテスト成績はトップだった。演劇部の所属で、文化祭の演劇では(3年間を通して)常に主役を張った。私はわりと親しかったが、心の奥をあまり見せないJKだったように記憶する。そして慶応大学の史学科に推薦で進学する。歴史学者として名を成すことを期待したが、残念ながらそうならなかったようである。Sには、そういう「欲」が無かったのだろう。

   Mは所謂優等生ではなかったが、劣等生でもない。ただ、不登校だった。S女学院にはやんちゃな生徒は殆どおらず、いじめのようなものはまず無かったから、生徒間の人間関係が理由ではないだろう。専任の誰かとの折り合いが悪かったのではないか。

   4月以来一度も出席しなかったMが、2学期半ばに私の授業に突然現れた。私は、「初めまして」と(ことばには出さずに)思っただけだったが、彼女は「あの先生の授業は面白い」と目を輝かせて語ったそうである。そのことを私は、専任では私の唯一の味方である美術のTeacherに聞いた。Mは美術部の所属で、このTeacher(女性)は彼女にとって唯一心を許せるひとだったようだ。

   教師冥利に尽きる話である。だが私はそのことを特に誇りには思わず、以後も自然体での授業を続けた。Mは私の授業のみならず、他の授業にも出て来るようになった。そして無事卒業し、美術系大学に進学した。以後しばらく年賀状のやりとりがあったが、3年とは続かずに絶えた。

   Uは不登校ではなかったが、それになりかけていた。理由は「学校がつまらない」であったようだ。彼女に対して如何なる処方をしたかは忘れたが、私はやはりその気分を変えるのに貢献したように記憶する。つまらない居場所でも、本人の気の持ちようでは面白く出来ることもあるのだ。

   卒業後に手紙をくれたUを、私は当時勤めていた京都競馬場の仕事を紹介した。其処では、やはり既に卒業していたRと偶然再会していた。私は裏方の厩舎勤務だったが、Rは客に接するコンパニオンだった。むろん本業はJD(女子大生)で、コンパニオンはアルバイトである。で、Uは何処でバイトしたかというと、幹部職が勤めるオフィスだ。裏方仕事の己と比較して、「S女学院は美人校だもんな」と認識した次第である。

   ただ、裏方の方が精神的には気楽である。美貌の故に表の場に抜擢されたUとRには、少なからぬストレスがかかっていたようだ。私は一度(UとRと)飲みに行ったことがある。その時二人は、「世の男というものは…」と慨嘆していた。お嬢様らしからぬやや蓮っ葉な口調でだ。具体的には、何かというと「触りたがる」らしい。「全く困ったもんだ」と、私は話を合わせた。

   ところで最近、遺伝学会が「優性・劣性の語の使用を止めることにした」と、マスコミが報道した。代わりに「顕性・潜性」を用いるのだという。私は「なにをいまさら」と思った。そのことを私は学生時代に気づき、教育の場で実践して来たからだ。遺伝の授業を始める前には必ず「私は顕性・潜性と言います」と述べた。東京農業大学に進学したYは、おそらくそのことを今も記憶しているだろう。

    JDになったYから、「スキーのジャンプを始めました」という手紙が来たことがある。その実践は高梨沙羅に遥かに先行する。だから私は沙羅の名がマスコミで報道される度に、Yのことを思い出す。だがYの名は、マスコミで報道されることは一度も無かった。

   農大の4年になったYからは、「卒研でニホンイタチの生態調査をすることになりました」という手紙が来た。フィールドは利根川流域だという。私は、「えーっ!」と思った。利根川流域の千葉県我孫子は私の故郷であり、私の叔母が今なお住む地だからだ。むろん彼女は(私の授業を聴いたから)ニホンイタチとシベリアイタチの違いを知っている。前者は「雌が異様に小さい」こともだ。私は「指導教員の手前はあるが、一度行かにゃならんな」と思い、彼女にそのことを伝えた。

   ところがところが…程なくして「あれはやめました」という手紙が来た。Yの指導教員でネズミの研究者である(らしい)北原なにがしが、セクハラ事件を起こして解雇されてしまったという。「何となあ」と思ったが、毒牙にかかったのが彼女でないと知ってホッとした。

   急遽彼女の指導を担当することになった吉行瑞子は、「生態学がわからない」ひとだ。彼女はたぶん私を知っていて、そして私に反感を持っている。以前、科博所蔵のニホンイタチの標本を「見せて下さい」と頼み、拒否されたことがあるからだ。で、吉行はたぶん「イタチなんかつまらないから止めなさい」と言ったのだろう。そうに違いない。

   ただ私としては、お嬢様育ちのYが利根川河川敷でフィールドワークをすることに一抹の不安があった。DD(男子大生)の護衛があると良いのだが、それは難しいだろう。だから「フィールドは止めます」と知らされ、少しくホッとした気分も無いではなかった。そしてYは吉行の指導で「アメリカ産のカモの比較形態」をテーマに卒研を行い、卒業した。その論文を私は見ていない。卒業後のYから手紙が来ることは、もはや無かった。

   基本的にお嬢様学校であるS女学院と違い、その前に勤めたS女子高校はやんちゃなJKが多かった。そして授業中私語に辟易した。当然JK達との関係は険悪だったが、唯一人私の理解者がいた。この学校には珍しく利発なJKのTだ。授業中に騒ぎ立てるクラスメートをたしなめてくれた彼女との交遊(文通のみ)は、長く続いた。彼女が大学を出て結婚し、子どもが出来た後もだ。そのTとの文書交遊も、いつしか絶えた。

   この稿のしまいはCである。彼女は府立S高校定時制のJKだった。その高校は偏差値が高い学校ではなかったが、Cは極めて頭の回転が良く、「掃き溜めの鶴」的にクレバーな少女だ。そしてルックスは、掛値なしの美少女だった。

   私は美少女が好きだが、それ故の依怙贔屓はしない。彼女とは担当教科(化学)の内容のみ会話した。質問をよくするJKだったので、会話はかなり頻繁だった。だがそのことで私は、彼女のクラスメートの嫉妬を買ってしまったのだ。

   ある日ある時授業中にCの質問に応対していたら、別のJKが「えこひいき!」と突然大声で叫んだ。以前から腹に据えかねていたような語調だった。私は当惑した。Cも「何でよ!」と反論した。何たる理不尽か。けれども私は「やばい」と思った。以前某女子校の特進クラスにいたCはそこで酷いいじめに逢い、耐えかねて今の学校に転校して来たと、専任から知らされていたからである。

   漸く安住の地を見つけたCが、私のせいで再びいじめられるようなことになったら立つ瀬が無い。私は理不尽発言をしたJKに反論せず、チャイムが鳴った後に無言で教室を出た。以後Cが私に質問をすることはなくなり、私との対話は完全に絶えた。

   美しくて賢いCは、おそらくクラスのアイドルだったのだろう。DK(男子高生)にとっても憧れの対象だったと思う。その憧れの君が、私のようなやさぐれと(教科内容限定とはいえ)「親しく会話する」のが許せなかったに違いない。

   その雰囲気は、職員室においても認められた。専任にとってもCは「宝」だったようである。そして、私に「嫉妬」していることも感じられた。Cは私を「凡庸でない」と認知した。凡庸たる専任達には、その私が憎らしかったのだろう。私がその時あったことを職員室で述べても、専任は「おまえが悪い」的な反応を示したのだ。

   以後、私にとっての「忘れじのJK」は現れなかった。今後は教壇に立つこともないだろう。実は先日(8月半ば)、京都市内の某女子校から非常勤講師の打診があった。履歴書を出し、面接を受けたが、採用されなかった。履歴書に記した前任校に問い合わせをし、「依怙贔屓をするけしからん奴」という噂を得たのじゃないかと思う。

   以前別稿に示した短歌を再び記す。

此の世ではもう会うことの無い故に君は10代あの頃のまま

美しき花に棘無し毒も無し可憐に咲きし地獄花には


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イメージ 1   ASWATのポスター発表「近畿都市圏におけるシベリアイタチ、ニホンテン、アライグマ、ならびにハクビシンの棲息状況」の掲示物は急拵えで、些か冷汗だった。なにせ、前日の晩に(ホテルで)未だその作製の作業をしていたのである。それでも、当日朝に「目玉」のMAP(近畿全域航空写真に4種の人家侵入確認地点をプロットしたもの)を貼り出すと、「結構見栄えがする」と(自分では)思った。ところがどっこい…我々のポスターの前で足を止める者は多くない。う〜ん、何故だろう?。タイトルの文字が小さ過ぎたことも一因かな。ややあざといが、4種の顔写真を大きく張り出す手もあったかもしれない。でもま、いいや。アピールの術は今後に改めて考えよう。

   次は9月9日(土)の自由集会「都市における食肉目動物の研究」だ。ここではポスター発表とほぼ同じ内容を「話ことば」で披瀝した。私は学会で喋るのは約20年ぶりだが、若い頃には結構場数をこなしている。だから緊張なんぞはしないが、でも改めて、己を「"書きことば人間"であって、"話ことば人間"じゃない」と認識した。トークでは、意とするところが巧く伝わらないのだ。

   ともあれこの講演では、「近畿都市圏では、シベリアイタチがおそらく野良猫以上に沢山いる」ことを紹介し、その食性は「主に昆虫とネズミである」と述べた。ただこの2つは出現頻度(即ち質)においてはほぼ対等だが、量においてはネズミが凌駕する。そのことを巧く表現出来なかった。ではあるが、シベリアイタチの食性調査はこれまであまり為されていない。都市における調査は初めてであり、糞塊つまり溜糞をイタチで調べたことも初めてだろう。「プライオリティはあり」と自負する。

   他3種については「時間が足らずで(つまりサボって)、分析出来なかった」と陳謝した。ただ、ニホンテンは(植物を殆ど食べないシベリアイタチと違って)果実食がメインであること、ハクビシンもそうだが果実の種類が(ニホンテンとは)微妙に違うこと、そしてアライグマは(サンプルが少なくて確かなことは言い得ないが)動物食がメインであると述べた。そしてスカベンジングの例を紹介して語りを終えた。シベリアイタチはイノシシ、ニホンテンはシカとモグラ、そしてハクビシンはシカがその例だ。

   語りの後にどういう質問が出るかを楽しみにしていたのだが、「シーン」であってズッコケた。無視されるのは、辛いですね。世には「質問されたくない」者がいるようだけど、私は真逆のタイプである。

   9月11日(月)の自由集会「日本産中小型食肉目をめぐる保護管理上の諸問題」では、「ニホンイタチの現状はやばい、保全の術を考えるべき」と説いた。国際機関IUCNは、ニホンイタチを準絶滅危惧種(NT)に指定している。だが日本国環境省は、「その必要は無い」のスタンスだ。「減ってないから」というのがその理由だが、そのデータを示していないのである。私も、「減っている」という確かなデータは有していない。だが、「以前は確かにニホンイタチが棲息していた地が環境破壊され、そこから消えた」例はある。例数は少ないが、安全原則(私を含めた反原発論者が好んで使う用語)からして「やばい」と考えても罰は当たるまい。

   ニホンイタチはシベリアイタチと違って都市順応性が弱い。ニホンテンに比べても、都市化を嫌う。だが世の人々は(環境省役人も含めて)、この種が「シベリアイタチとはかなり異質な動物」であることを認識していないのだ。その認識を改め、「まずは現状を調査すべき」というのが私の論である。自分ではかなり熱弁をふるったつもりだが、聴衆(最終日のせいか少なめ)の反応は鈍かった。

  ニホンイタチが「シベリアイタチとすみわけているから安泰」と見る論もあるようだ。イタチ2種のすみわけ論は元は私が言い出したもの(更に昔を辿れば京大の大先輩徳田御稔が源)だから、面食らう。己の名誉のために言うと…すみわけがあるから個体群が安泰などと考えるのは、生態学に無知である証だ。斯様な者を「阿呆ちゃいまんねん、パアでんねん」という。

   環境省が出したデータでは、ニホンイタチは毎年(全国で)1000頭前後が「有害獣駆除」名目で捕獲されている。だが、これはおそらくシベリアイタチの誤認だろう。その数が「大都市を有する西日本の府県」に偏ることからしてだ。

   ニホンイタチは人家侵入をしないから、害獣にはなりにくい。そして現在では、ニホンイタチの(毛皮目的での)狩猟は殆ど行われていない。つまりニホンイタチにとっての脅威は罠捕獲ではなくて、環境破壊(それによる食物ならびに営巣場所の減少)なのだ。

   対してニホンアナグマでは、罠捕獲が脅威である。とりわけ鹿児島県での年間5000頭もの捕獲は、「常軌を逸している」と言わざるを得ない。そのことの告発は、金子弥生(東京農工大学)によって行われた。この講演には、かなりの反応があった。「アナグマ保全のために共に闘わん」と名乗り出た者は多くなかったが、反撃の体勢は出来たと思う。

   これにて主論を終える。以下には蛇足を少々。

   ポスター発表に「賞」を与えるのは如何なものかと思う。研究というのはそれ自身を目的として行うのであり、「賞を貰う」ためにするのではないのだ。だが最近ティーンエージャーを対象にそれをするのが流行っている。私はそれは「百害あって一利無し」と思う。

   スポーツの世界でもそうだが、若年時に過剰に持ち上げられるとロクなことがない。具体的には、本田真凛サンのことを私は危ぶむ。アカデミズム世界では、高校生時に(不相応に)持ち上げられ、その後に(研究者として)伸びなかった例を私は幾つか知っている。それは「勘違い」を誘発しかねないのだ。

   学会賞なるものも「如何なものか?」だ。今年の受賞者は本川雅治(京大教授)で、彼はもはや伸びしろは無いだろうから、勘違い誘発の危惧はあるまい。だが「既にしてestablished」の本川に、賞を与えることの意味が見い出せない。「名誉だけ」なら未だしも、それには賞金も付随するのだろう。高給取りの本川に与えるその金は、若手の「研究助成」に充てるべきではないのか?。

   20年前の哺乳類学会には、賞などというものは無かった。生態学会や、動物行動学会にもだ。やや保守的で権威主義的な動物学会にはあり、私が参加したその年には上野俊一が受賞していた。京大動物学教室の先輩である上野は人格者だったから、私はその受賞に異議は無かった。「ごくろうさん」と思った。だが本川の場合はそれと違って、「生臭い匂い」を嗅ぐのである。

   上野先輩は、その集中講義を聴講したことがある。講義の内容は殆ど忘れたが、その後の雑談での一言を今なお鮮明やに記憶する。それは「動物学者たる者は、少なくとも2つの門(phylum)の専門家であるべき」という言だ。専門の域には至らぬまでも、「いろんな動物(ならびに植物)のことを知っている」のが、京大動物学の伝統だったように思う。いま、その伝統が失われつつある。私自身は伝統の継承を心掛けたが、うまくいっていない。

     余暇に(団体で)富山市ファミリーパークに行き、ニホンアナグマとニホンイタチ雌を見た。いずれも日本の動物園では殆ど飼われていないものである。とりわけニホンイタチ雌は、生きた姿を見た日本人が極めて少ないだろう。その場に居合わせた者で、その日本人は私と金子弥生だけだったのではないか?。

   初めてニホンイタチ雌を見た人々は、「ちっちゃいなあ!」と感動の声を発していた。そう…ニホンイタチ雌は雄との性的二型性が極めて大である。その差は、ハーレムを作る海獣を覗けば哺乳類で最大だ。つまり、世界に稀なる珍獣なのである。その珍しさは、絶滅したニホンカワウソの比ではない。だから保全すべきである。


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イメージ 1  北海道におけるクロテン(在来種)とニホンテン(国内外来種)の分布は、ニホンイタチ(在来種)とシベリアイタチ(対馬で在来ゆえ国内外来扱いだが実は韓国由来)の関係と似てなくもない。本州におけるイタチ属2種の分布境界は(大ざっぱに言って)フォッサマグナだが、テン属2種では石狩低地帯である。ただ、ニホンイタチはフォッサマグナの西(西日本)にも分布するのに対して、クロテンは石狩低地帯の東(北海道西南部)にはいないらしい。ちなみに西日本では山地にニホンイタチ、都市ならびにその周辺にシベリアイタチという(おおまかな)すみわけが成立している。ニホンテンも近畿では多少都市動物化しつつあるが、未だその適応は不十分だ。よって、イタチ属2種のようなすみわけは成り立ち得ないのだろう。

   しかして、何故クロテンは石狩低地帯の西にいないのか?。明治の頃は確実にいたのにである。「ニホンテンに追われた」という仮説がとりあえず考えうるが、本当にそうか?。演者から納得しうる解答(仮説)は示されなかった。

  クロテンの次は「英語のニホンアナグマの話」である。はっきり言って、チンプンカンプンだった。「通訳をつけるべきでは?」と思った。「甘えるんじゃない!」(研究者は英語が分かって当然)という意見があるかもだが…でもねえ。それは書きことばでのことでしょ。日本人の多くは(研究者も)話ことば英語は苦手と思う。ましてやこの講演は、専門家とそうではない者の落差が大の分子遺伝学内容だ。「生態学ならまだしも…」と思った。

  その次は「ニホンアナグマの生態の話」だ。地下繁殖巣内部を撮影しての事例報告で、考察と呼ぶべきものは殆ど無い。「学会報告としてはどうか?」と一瞬思ったが、でも「これはこれで良いのだ」と思い直した。そして、私自身が昔(多分1980年代末)に動物行動学会で行った事例報告を思い出した。

  それはニホンイタチの繁殖観察事例であり、殆ど生態が知られていないこの動物では貴重な知見であった筈だ。だが会場の反応は至って冷淡だった。そして私の研究室の助手(で後に教授に出世した)Hは、「お粗末な報告だ」と嘲笑したらしい。「らしい」というのは、それを私は「陰口として伝え聞いた」からだ。「卑劣な男だ」と私は思った。まあ、私のことはどうでも良い。貴重ではあれ、ハイクォリティとは自分でも思わない。だが言わせて頂ければ、こういう卑劣漢が教授になった頃から「京大動物学の没落」が始まるのである。

   Hが退官した後に動物学専攻を仕切る本川雅治も(私は面識は無いのだが)、人格者とは到底言い得ない人物らしい。日高敏隆、川那部浩哉、伊谷純一郎…等、古の京大理学部動物学教室の教授連はみな人格者だった。あの頃が限りなく懐かしい。

   次はまた「ニホンアナグマの生態」だ。この報告では「餌(のメインであるフトミミズ)の量よりも、営巣条件の方が重要」という考察が面白かった。ただし、そう断定している訳ではない。巣に近い場所のミミズの量はさほどでもなく、遠い場所のミミズの量はかなり多かったという知見よりの仮説である。仮説を確実なものにするためには、データを更に積み上げる必要があるだろう。

   ちなみにニホンイタチの繁殖のためには、「雌においてその両方が十分に満たされる必要あり」と私は思っている。ただ、それを裏付けるデータは僅かしか取れていない。

    本大会ではイタチ属についての講演は、我々ASWATのもののみだった。イタチ科の種では、ニホンアナグマが最も多かった。なのに…最終11日(月)のその「保全」についての自由集会は、参加者が多くなかった。「ノンポリさんには、困ったもの」である。私の場合は逆にポリに突っ走る傾向がある。ただ畏友田端英雄(植物生態学)に言わせると、私は「口先だけの過激」なのだそうである。うん、確かに私は口先人間だ。けど、「口先だけではない過激って、ヤバくないか?」と思う。


   学会のことに話を戻す。その次の「採食効率」の講演は…う〜ん、 なにが言いたいのだろ。要旨が不明確で、結果と考察が無いに等しいのだ。やたら数値化しているけれども、「数値化すりゃいいってもんじゃないだろ」と思う。でもアカデミズム世界では、この方が「巣穴の内部構造」知見より価値大と見なされるのかなあ。ま、どうでもいいけど。


  まだまだ続く一般講演を途中で辞し、ランチタイムをとった。その時に某氏より聞いたのだが、ニホンアナグマの「餌より営巣条件」の話はプライオリティに問題があるという。近縁種のヨーロッパアナグマにおける同質の研究が山ほどあり、考察もより深く行われている。ニホンアナグマにおいても、本邦初ではないとのことだ。

  へえ、そうなの。それは知らなんだ。それらを引用紹介しなかったのは、ちょっと軽率だな。でもま、学部学生の学会発表であるなら仕方ないかもだ。論文化にあたっては、指導教員がきっちりフォローすべきだが。

   翌日の10日の自由集会「放射線汚染」は、かなり期待したものだった。私は自身が福島で「蝉幼虫におけるセシウム137被曝」のデータを取ったことがあるからだ(unpublishです)。けど見聞しての結果は…「う〜ん、いまいちだなあ」であった。それと、聴衆が20名しかおらずで、他の自由集会に比べて際立って少なかった。講演内容自体よりも、そのことの方がショックだった。

   内容だが…「アカネズミを対象とした放射線影響」を語った石庭寛子(福島大学)は、専ら生理学影響について語った。で、私は「個体数の変化はありますか?、ジョレス・メドヴェージェフの"ウラルの核惨事"では、野鼠の数は減らなかったようですが…」と質問した。石庭はドキリとしたような顔をし(その場でメドヴェージェフの名が出るとは思わなかったのだろう)、「減ってません」と解答した。だが、そのことは怪しい。動物の個体数推定にはそれなりの特殊技術が要る。生理学者の石庭にその技術があるとは思えない。

   私は追って「ウラルでは、オコジヨの数は減ったようですが…(だから食物連鎖の高位者にはダメージ大なのでは?)」と言おうと思ったが、やめた。演者に恥をかかすのは、望むところではない。ある意味差別的なのだが、私は「女性には甘い」のである。

    藤本竜輔(農研機構・東北農研)の無人カメラを用いての調査では、イノシシ、キツネ、タヌキ、アライグマ等が「よく映る」そうである。だが、そのことをもってこれらの動物の「個体群が増大している」と考えるのは早計だろう。「分布の集中」の結果である可能性もあるからだ。

   藤本の調査結果でより面白く思ったのは、「イタチ科の種が殆ど映っていない」という事象だ。福島にはシベリアイタチがいない故、ニホンイタチ、ニホンテン、ニホンアナグマ、オコジヨ、イイズナ、アメリカミンク…等がである。この地には元々これらが少ないのか、あるいは放射線被曝の影響か?(わからない)。


   私は2012年の夏に、避難指定地域の飯舘村に入っている。 森林植生ならびに田園景観は「ニホンイタチやニホンテンが沢山いてもおかしくない」ものだった。だが、いずれの痕跡(糞や足跡)も全く発見出来なかった。その理由についての謎は、今なお解けぬままである。


   この自由集会全体を通して気になったのは、「これらの研究は、住民の"早期帰還"を前提としたものではないか?」ということである。だとしたら、私はそれに異を唱える。低線量被曝を侮ってはならない。セシウム137の半減期からして、帰還は100年後まで待つべきだ。今中哲二(京大原子炉研究所元助教)のその論に、私は賛成である。むろん、原発再稼働は論外の非だ。

   「放射線被曝」の次は(同じ会場で引き続き)、「錯誤捕獲」の自由集会が催された。錯誤というのは、「害獣のニホンシカを"駆除"するために設置されたくくり罠に、他の獣(ツキノワグマやニホンカモシカや中型食肉目獣)が掛かってしまい、酷い怪我を負っている」ことの告発である。くくり罠の材質を変えることが試みられたが、激的効果は上がっていないようだ。で、「試みにくくり罠の設置を止めてはどうか?」の案が(遠慮がちに)述べられた。だが、この集会のコメンテーターたる常田邦彦(無職)は、その案に強固に反対した。「いま、くくり罠捕獲を止めたらシカの数はとめどなく増加して、えらいことになる」のだという。そのコメントに説得力があるとは、私には思えなかった。

   テレパスたる私が読心するに、この常田なる者はイナカモノだ。ここでのイナカは、「田舎」ではなくて「居中」である。本来の漢語は後者であり、それは自己愛過剰肥大と夜郎自大を意味する。カントリーマンの意味では無い。

   斯様な抽象的な批判はさておき…常田のコメントの最大の問題点は、データの裏付けが無いことだ。くくり罠使用の告発者は、それが「シカの個体群制御に効果があるのか?」と疑っている。その真摯な問いに対して、頭ごなしに「ある!」と応じるのは非科学的だ。「人間としてどうか?」とも思う。

   噂では常田は、「ニホンアナグマの保全」(そのための罠捕獲一時禁止)を訴える某研究者に向けて「その必要無し」と怒鳴りつけたという。公の場にてである。そのようなイナカモノに、保全を語る資格は無い。野生獣の保全は、かようなイナカモノを公の場から駆除することから始めるべきだろう。

   ひとつには、常田が無職になる前に所属していた自然研なるNPO団体(なのかな?)に問題があるのかもしれない。在野の貧困研究者である私からすれば、自然研は「国家権力の手先」なのだ。つまり、利権が絡んでいる(筈である)。でも常田は今はそれを辞め、無職なのである。前非を悔い、宗旨変えをして貰いたい。
   ASWATが関与した3つのイベントのことは、次の後編にて記す。


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イメージ 1   本年度の開催地は富山大学で、期間は9月8日(金)〜11日(月)だ。我々ASWATは初日のイベントには参加しない。ただその日の夕方には現地入りし、翌日よりの参加手続きのみを行った。 我々ASWATの参加イベント(出し物)は、以下の3つだ。

9月9日(土)〜11日(月) ポスター発表「近畿都市圏におけるシベリアイタチ、ニホンテン、アライグマ、ならびにハクビシンの棲息状況」

9月9日(土) 17:00〜17:30  「近畿都市圏におけるシベリアイタチ、ニホンテン、ハクビシン、ならびにアライグマの食性について」→自由集会「都市における食肉目動物研究」の3つの講演のひとつとして。

9月11日(月)  12:00〜12:30  「ニホンイタチMustela  itatsiを環境省もNT指定すべきのこと」→自由集会「日本産中小型食肉目をめぐる保護管理上の諸問題」の3つの講演のひとつとして。

   これらのイベントについては後述し、その前に「ひとさまのもの」について(その見聞を)記す。私が参加したイベントは以下の8つである。

9月9日(土)  一般講演(質疑応答を含めて約15分間)  「九州におけるカワウソの記録に関する一考察」(中西希、伊澤雅子)

同上  「分布境界線:北海道"馬追丘陵"におけるクロテン集団の生態調査と遺伝子解析」(木下豪太、佐藤拓真、村上翔太、平川浩文、鈴木仁、井鷺裕司)

同上 「ユーラシアアナグマMeles属におけるMHCclassⅡDRB遺伝子の分子進化」(Ohamshidin  Abdurin、……Yayoi  Kaneko、Ryuichi  Masuda等計9名):英語講演

同上  「ニホンアナグマが出産育児に利用した巣穴の内部構造」(田中浩、ゆうきえつこ、福田幸宏)

同上  「牧場に生息するニホンアナグマMeles  anakumaの食性と土地利用=エサ資源量の時空的変化との関係に着目して」(土方宏治、塚田英晴、南正人、山口夕夏)

同上  「中型哺乳類による廃果の菜食効率の試算=どれだけ良い餌?」(小坂井千夏、秦彩夏、佐伯緑、竹内正彦)

9月10日(日)9:00〜11:00 自由集会「放射線汚染による野生動物への直接的・間接的影響」(奥田圭、大沼学、大井徹、山田文雄、石庭寛子、漆原佑介、藤本竜輔、兼子伸吾)

9月10日(日) 11:00〜13:00  
自由集会「錯誤捕獲の現状とその課題:特にくくり罠において」(福江佑子、竹下毅、南正人)

  初めにまず、9日の一般講演のこと。この日の(あるいは本大会の)「目玉」とも言うべき「カワウソ」のことから記す。


   タイトルからすれば「あれ?、先日の"対馬のカワウソ"の言及は無いのか?」と思えたが、流石にそれはなかった。ただマスコミに報道されたこと以外の暴露は少なく、やや落胆した。私は「あれは"持ち込み"だろう」(韓国から"密輸"された個体が逃げたか秘かに放獣された)と信じて疑わない。対して演者(中西)は「自力で海を渡った」説のようである。ただそれは、説というより「願望」に近い。持ち込み説を全否定している訳ではないようだ。

   江戸時代に対馬にカワウソが「いた」という文書記録が紹介された。だが「物証」は残っていない。マスコミで既報のそのことに演者は改めて言及し、加えて(マスコミは報じていない)「九州全域の江戸時代の文書記録」も紹介した。その記録では「五島列島にもいた」ことになっていて、分布はかなり広域だ。鹿児島県(当時名称:薩摩)は完全に空白だが、それはこの藩が「国内鎖国」だったゆえ情報が入らなかった故だろう。

   ただ、薩摩独自の文書記録も残ってないならば(そうなのかな?)、それはこの藩の狩猟文化の脆弱さ、ひいては「野生動物への無関心」を意味するのではないか?。島津の重豪や斉彬は「西洋文化の導入部」には熱心だったけど、自藩の野生動植物に関心大だったとは聞いてない。そして薩摩の隼人文化は西南戦争(1877)で滅びた。だがかような「無関心」はその後も継承され、それが昨今の「ニホンアナグマ大虐殺」の誘因になったのではあるまいか。狩猟文化には「保全」の思想がある。だが薩摩では、それが欠落していたのだろう。


   対馬のユーラシアカワウソのことに話を戻す。いま少なくとも2頭いるそれが、江戸時代よりの生き残りであるとはまず考えられない。集団遺伝学の知見からすれば、個体群維持のために少なくとも50頭は要る。なのにこれまで確かな目撃事例が皆無だからだ。そしていまいる「移民カワウソ」が、今後に個体群を膨らませる可能性も薄いだろう。ポスター発表で「北海道でカワウソLutra  lutraの生息できる環境はあるか?」を論じた村上隆広(知床博物館)も、同意見だ。村上によれば、北海道でのユーラシアカワウソ個体群復活の可能性は厳しい。「対馬においておや」である。対馬の自然は、カワウソにとってより過酷なのである。


  カワウソの次はクロテンの話だが、その見聞録は次の「中編」にて記す。

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   ヒロインの芳村頼子は、大学の授業で学生に語る。「プレートテクトニクス以前の地球科学は、剥製だけで動物を論じる博物学のようなものでした。それがこの学問の成立によってようやく生きた動物を相手にする生物学となったのです。(中略)  生物学が生化学や行動学、遺伝学や生態学などに分化して精密になっていったのと同じように、地球科学は今ようやく大きな展開の段階をむかえたところです。そういう若い学問です。今後に期待して下さい」。前半部分は同感だ。だが、締めの言にはちょっと異議がある。地球科学は確かに若い学問だが、既にして停滞…ないしは老化が始まっているのではないか?。つまり「若くして、朽ちている」と思えぬでもない。作者池澤はこの作品を書くにあたって現役の地球物理学者に取材し、その感触を得て、敢えてこのようにヒロインに発言させたと思う。そのことを、物語の後半でのヒロインの「科学者らしからぬbehavior」に反映させたのではないか。


   また話が跳んだ。講義が終わり、一人の男子学生が挙手をして質問する。「先生のお話だと、地球というのは中の方は液体だし、地殻はその上に浮いている何枚もの板の寄せ集めだし、不安定なイメージばかりなんですが、実際には何千年(私注:何億年です)もの間ずっと丸い形を保ってますね。それはどうしてですか?」。これは良い質問だ。よって頼子は真剣に「地球内部の熱源はどちらかと言えば地球の安定を攪乱する向きに働くけれども、しかし、地球にはそれよりはるかに強い安定力が作用している。何だかわかりますか?」と応答する。学生は「いえ」と言う。頼子は「重力です」と種を明かす。

   その通り。そのことがもっと顕著に言いうるのは、太陽だ。太陽を構成するのは水素とヘリウムで、それはプラズマの気体状態で(4H→Heの核融合反応により)高熱を発している。にもかかわらず(50億年ものあいだ)球形を保っているのは、巨大な重力を有するが故である。そして重力の正体は(万有引力の一つである以外は)、今なおよくわかっていないのである。

   このあと研究室にて頼子と大学院生のたちの会話があり、そこで初めてプリニウスという人物のことが紹介される。院生が誰も知らなかったその人のことを、頼子は以下のように解説する。「プリニウスはローマ時代の博物学者。あらゆる自然現象について本当と嘘を書いた膨大な著作があるけれど、彼について大事なのは、ヴェスヴィアス噴火を調べに行っていて、そこでガスに巻かれて死んだということ」。

  だがその死因については、異説もある。「興奮したあげくの心筋梗塞」という説も、あるのだ。彼が乗った船は人名救助目的だったのだが、頼子はプリニウスの「自己犠牲精神」を疑う。そして「好奇心は古代の火山学者を殺したのよ。わたしたちも気をつけましょ」と総括する。そのように言いつつも、物語の末で彼女は「プリニウス的behavior」を行うのだ。その行いの結果(彼女の生死)は不明だが…作者は「科学者は好奇心の充足のために、時には"捨身"になる」(でないと優れた科学者にはなれない)と言いたいのだろう。むろん、捨身になりさえすれば良い研究成果が得られるというものではない(逆必ずしも真ならず)。そもそも科学者にとっては「成果」は二の次なのであって、そこに至るまでな「プロセス」が重要とも言いうる。でも、そういうタイプの科学者は最近減っているかもしれない。

   このあと(物語のほぼ半ばで)、頼子と研究室付事務員との会話がある。その内容は気象学だ。頼子より若いその女性事務員は、降りしきる雨を見ながら「だけど、よくこれだけの量の水が天にあるものだと思いません?」と呟く。頼子は火山学者だが、気象学も守備範囲だ。「それは、空気の中に散らして収納してあるんだもの」と解説する。

   そうなのですよね。そしてその収納庫は巨大である。大気の対流圏の厚さを1万mとするならば、1平方メートルの上空には一万立方メートルの収納庫が存在する。そしてその中に気体水分子(一部は液体ないしは固体の塊)が膨大に収められているのだ。むろん、落下した雨または雪の粒はやがて海という地表の収納庫に移動する。それが蒸発し、また上空に行くことを繰り返している。我々陸上生物は、その移動の中途過程に依存して生きているのだ。


   このあと頼子は、学生を連れて伊豆大島に火山地形の「実習」に行く。学生5人(女子1人)と頼子だけの小所帯である。初日の実習を終えた後、彼ら彼女らは宿舎で会話する。「 教科書を全部覚えていても、目の前にある岩の名がわからないと、やっぱり無力な感じですね」と男子学生が言い、頼子は「ちょっと勉強すると、自分の無知がわかるものよ」と応じる。然りである。それは動植物学でも同じであり、自らの無知の自覚が足らぬ者は良いフィールドワーカーになれない。


   「まるでディズニーランドみたい」と言った男子学生に対して、唯一の女子学生は「先生が最初からコースを用意して下さったからそういう印象になったんで、わたしたちだけで上陸して、知っているかぎりでこの地形を解釈せよと言われたら、とてもディズニーランドになりません。もっと混乱した自信のない感想しか出てこなかったと思います」と述べた。これも然りだ。ただ改めて回顧すると、京大(の理学部動物学教室)はそういう教育をしないのが「伝統」だった。というか、世間的な意味での「教育」が殆ど為されなかった。今は違うかもしれない。
    等々…この作品における地学ならびに科学教育についての述は、極めて良く書けている。ただそれは、作品の半ば過ぎでのこの述でほぼ終わる。

    門田は電話サービスを占いに結びつける計画を頼子に明かした。むろん頼子はそれを拒否した。そのあと二人の関係は(第73話で述べたように)「決裂」するのだか…頼子は門田が紹介した占い師にはちょっと興味を持った。本業は製薬会社社長であるその占い師は、「浅間山で何かが起こる」(はっきり噴火とは言わない)と、予言するのである。頼子は半信半疑でそれを信じ、単身浅間山に向かう。つまり「プリニウスの心境になる」のである。もし噴火が起きても「動画で見りゃいいじゃん」と思うのだが…科学者にはそういう(理屈合わぬ)メンタルがある。雲仙の火砕流に巻き込まれて死んだ異国の火山学者夫妻は、そのメンタルだったのだろう。

イメージ 1   頼子のこの「浅間山への旅」には、ちょっと面白い挿話がある。地元の兎捕り名人の少年が語る言だ。その少年によれば「ノウサギは、闇の中でも括り罠の針金が見えている」という。実際そうらしい。ノウサギは、「おや、変なものがある」と針金の輪の前で足を止め、よせば良いのにその輪の中に頭を入れ、輪が絞まって捕えられてしまうという。私はその話を石川県の名人猟師若村進氏(故人)から聞いた。彼は「そうであるに違いない」という仮説を設け、自ら闇に潜んでそれを確認したという。

   池澤のこの作品が出たのは1989年だが、私が若村氏からその話を聞いたのはそれより10年以上前だ。池澤も何処かの猟師に聞いたのだろうが、その猟師は独自でその事象を発見したのだろうか?。それとも若村氏に教えられたか?。私は後者でないかと思うのだが、今となってはそれを確かめる術は無い。


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