渡辺茂樹のいたちものがかり

ニホンイタチをこよなく愛するアスワット顧問/動物学者・渡辺茂樹のブログです!

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  Carnivoraも、全てが捕食獣である訳ではない。周知のようにジャイアント・パンダの主食は竹であり、熊の類も(ホッキョクグマを除くと)植物食の割合が大だ。だがこれらもいずれも未熟児産であることは、Carnivoraの「血」を感じさせる。捕食行為を「子連れ」で行うことは不可能だからだ。少なくとも育児中の雌は、安全な「巣」が不可欠である。Carnivoraの未熟幼獣は、むしろ被食対象になり易い。

   この間の事情は、成獣の雄にはあまり関係無い。タヌキ等の若干の例外を除くと、Carnivoraの雌雄はつがいを形成せず、雄は単に精子の供給者でしかないからだ。また雌も、繁殖が終わると親子の絆が切れることが普通である。おそらくそれ故に…雄ならびに非繁殖期間の雌は、造巣に不熱心なことが多い。例えばキツネの地下巣は長く複雑だが、これは繁殖目的で、それ以外は穴すら掘らないこともある。

   ただイタチの場合、穴は掘らずとも「身を隠す」ことには熱心である。石垣の穴や倒木の下、あるいは床下や天井裏を「巣」として身を隠す。それは多分イタチがCarnivoraとしては例外的に小さく、アダルトでも被食の危険があるからだろう。

   アダルトは被食の危険が少ないキツネも、生まれ育った場所への執着はあるようだ。SITEとしての巣が判然としない場合でも、RANGEに対するこだわりはArtiodactylaやPrimatesより強いように思われる。これはおそらく、Carnivoraの狩猟技術が意外に拙劣なことに由来する。拙い技術を補うには、「土地勘」が必要なのてある。見知らぬ土地では、効率良く狩りをすることが出来ない。そして土地勘がある地でもまだまだ技術は不十分で、それが故にすぐには餌を捕り尽くさないのだ。和歌山県における私のニホンイタチの調査では、その期間はおよそ1ヶ月間だった。

  そして斯様な土地に対する執着は、同種他個体への排他性を生む。Carnivoraのテリトリーは(少なくともニホンイタチでは)案外強固ではないけれども、それでもやはり存在する。そして、未知の地への「臆病」に繋がる。要するに巣をmakeしない場合でも、chooseする必然性はCarnivoraにおいて大であっておかしくないのだ。

   養親のCarnivoraと養子のヒトは、2つの点で大きく異なる。ひとつはヒトの繁殖はつがいが基本であること(厳密な意味での一夫多妻であるかどうかは別として)、もうひとつは生まれた子が自立するまでに極めて長い時間を要することである。

   前者は類人猿においてヒトの専売特許ではない。テナガザル類もつがいを形成する。ただヒトと違い、それらがまとまっての大集団は作らない。チンパンジーは多夫多妻的父系社会で、つがいとは程遠い。ゴリラは一夫多妻的父系社会だ。ちなみに山極寿一は、そのゴリラに「学ぶべき」という問題発言をしている。ともあれ、これら類人猿(ape)はヒト社会の起源を解く鍵には到底なりえない。

   そして造巣習性の有無から眺めると、類人猿(aqe)は他の猿(monkey)と変わらない。同様に、巣をmakeもchooseもしないのだ。新生児は未熟児ではなく、やはり母親にしがみついて成長する。ゴリラやチンパンジーは樹上に小枝で「ベット」を造る。だがそれは一夜の使い捨てであり、「巣」とは言い難い。

   つまり、ヒトは極めて特殊なPrimatesなのである。その特殊さを際立ったせているのは「育児の負担」だ。だからそれを、「雌のみに任せられない」のである。ヒトにおけるつがい形成と雄の育児参加は、利己的遺伝子学説から見ても必然だった。…というのは長谷川真理子の(「オスとメス=性の不思議」における)論だが、私は基本的に同意する。更にヒトは年中交尾し、雌は毎年妊娠可能という異様な動物だったから、雌雄の絆はいやがうえにも高まったのだ。

   養親のCarnivoraでは主に雌が行う造巣行動を、ヒトは雄が積極的に分担することも珍しくない。そしてCarnivoraの巣が地味で実用本位であるのに対して、ヒトのそれはかなり凝ったものになっていったのである。

   つまり…Primatesが原始Soricomorphaから分化した際に失った造巣習性を、ヒトは「Carnivoraへの生態的接近」によって再び獲得したのだ。そしてペア型化により、それが強化されたのだろう。

   その一方でヒト社会には、チンパンジーやボノボの乱婚=多夫多妻的配偶形式の名残りもある。長谷川真理子はそのことを、「緩やかな一夫一妻」と表現した。ヒトのつがいには、"adultery"(日本語訳は「不倫」)がままあるのだ。その一方で絆は案外強固という、二面性を持つ。例えばツバメのカップルのようにだ。

   この奇妙な事象については、稿を改めて考察する。此処では「ヒトのadulteryには生物的必然性がある」と強調し、「性差別者は女性のadulteryに寛容でない」という持論を述べるに留める。

   話を戻す。ヒトの巣が「凝ったもの」であることは、あるいはチンパンジー・ベットにその起源が求められるかもしれない。それは使い捨てなのに、結構凝ったものだ。巣でもないものに、何故この動物は過大の労力を費やすのだろうか?。

   ひとつには、類人猿(ape)とそれ以外の猿(monkey)の就寝習性の違いがあるのだろう。概してmonkeyは熟睡をせず、就寝中も目覚め易い。対してapeは比較的ぐっすりと眠る傾向がある。そのために多少面倒であっても、「寝心地」のようなものを確保する必要があるのではなかろうか。

   斯様な労働は、その結果として得られる快楽のためにある。加えてもうひとつ、労働それ自体が快楽ということも有り得よう。Carnivoraの捕食行動にもその傾向が認められるし、Primatesは概して遊び好きな動物だ。ましてapeにおいておやで、ベット造りはその作業自体が遊びで、そして快楽であると考えられぬでもない。

   遊ぶためには生活の余裕が必要である。猿は(apeもmonkeyも)捕食者との緊張関係が少ないから、この条件を満たしている。対してCarnivoraは(前述のように)、狩猟技術拙劣という事情がある。決して遊びをしない訳ではないのだが、巣は実用本位であり、遊びの要素は乏しいのだ。

   初期狩猟人の場合はどうであろうか。その経済収支はよく判らぬが、所謂文化人類学の成果と比べると、案外豊かだったことが想定される。だが決定的だったのはやはり農業の成立だろう。

   遊び以外のなにものでも無い「学問と芸術」の原点は、狩猟社会に求めうる。だがそれが職業になるためには、農業の成立を待たねばならなかった。そのあと「巣」は「建築」に転化し、建築家なる職業人も登場した。そして本来巣の実用性に付随していただけの遊びの要素が、今は自己目的化しつつあるのである。

   「建築美:極」掲載の初稿では、若村進(猟師:石川県小松市在住)と岡安直比(京都大学理学部霊長類学研究室)の2名に諸教唆を得た。いま前者は故人で、後者はWWF日本支部職員だ。両名に改めて謝意を表したい。

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  私は以前建築学の専門誌「建築美:極4」(1988年4月15日発行)に、「人間の巣と動物の巣」という文を載せたことがある。以下に、それを多少アレンジして再録する。

   動物(とりあえず哺乳類)の巣と、人間(ヒト)の建築のアナロジーを考える場合に注目すべきことが一つある。それはヒトの最大の血縁者である猿類、即ちPrimatesが巣らしきものを殆ど造らないことだ。

   尤も巣というものは必ずしも「造る」ものではない。それは"made  or  chosen"であり、定住すればその場が巣になるのだが、Primates(英語名:monkey  and  ape)は"choose"もあまり行わない。その群れは位置の移動が著しく、ねぐらが定まらないことが多い。同じねぐらを二度以上使わない訳ではないけれども、猿の生活パターンは基本的に「旅枕」と言える。したがって、ヒトの建築のルーツを広く動物界に求める試みは、のっけから挫折せざるを得ないのである。

   視点を変えてみよう。他の哺乳類ではどうだろうか?。

   Primates(霊長目)やCarnivora(食肉目)等、現生の多くの哺乳類はSoricomorpha(旧称Insectvora:食虫目)に近い獣から進化したと考えられている。分類学的重要さにかかわらず知名度が(日本では)低いこの分類群の中で、モグラのみは突出して有名だ。その地下トンネルも名高い。だがモグラ類はSoricomorphaの中ではやや特殊化した動物で、そのトンネルは厳密な意味では巣とは言い難い。

   モグラのトンネルは、巣というよりも餌場だ。この動物は音(空気の振動)に頼って捕食するが、土壁の振動に拠って餌動物(主にミミズ)を得ることは出来ない。そのため土壌中に辺り構わず空気のチューブを掘り作り、その中にミミズが「落ちて来る」のを待つのである。即ちモグラのトンネルは「罠」だ。罠を拵えて捕食する動物は(例えば蜘蛛がそうだが)、哺乳類では比較的珍しい。むろんヒトは、その珍しいグループに含まれる。

   真の意味でのモグラの巣は、地中奥深くに在る。枯葉を主材にした球状の工作物はむしろ鳥の巣に似て、なかなか見事なものだ。わざわざ地上から材料を持ち運んでまで、このような凝ったものを造る理由は判然としない。土の中はそれだけでシェルターとして十分に思えるが、「寝具」が無いと不安なのだろうか?。育児用の産座であるなら未だしも、モグラはそれをアダルトも用いるのである。

   モグラより知名度が低いSoricomorphaであるトガリネズミやジネズミ(英語の一般名詞はSorex:MouseでもRatでもない)も、地上ないしは半地下に枯葉の巣を造ることが知られている。それと近縁のErinaceomorphaに属するハリネズミもだ。斯様な習性は、この類の動物の「血」なのかもしれない。

   しかして、Soricomorpha(に近い祖先型)からPrimatesが文化するにあたって何が起こったか?。よく言われるのは、「樹上に進出したことで、形態と生態が変化した」という学説だ。つまり(河合雅雄の言い方を借りれば)「森林がサルを生んだ」のだ。

   樹上は必ずしもPrimatesの独占空間ではない。Rodentia(齧歯目)に属するリスやムササビの進出も認められる。だがそのことで、Rodentiaが大きく分裂することはなかった。一方、木に登った原始的Soricomorphaは、二度となかまの元に戻ることはなかったのである。

   ただ、樹上生活が猿から巣を奪ったと考えるのは早計だろう。ガラゴやキツネザル等、樹上で巣を編む猿の若干例が知られているからだ。樹上性Rodentiaでは巣を造る側が主流であり、例えばリスのそれはモグラの作品を上回る見事なものである。

   直接の要因は社会構造の変化に求めるのが妥当かもしれない。猿は基本的に集団生活者である。一方、Soricomorphaは概ねsolitaryであると言ってよい。集団生活者にとっては群れそれ自体が巣に相当し、安住の地を定める必要が無いと言えなくもない。

   ただ、例外もある。プレーリー・ドック(犬ではなくてリスのなかま)は複数のfamilyが集まって、地下に大規模な"town"を形成する。その規模は時として数十ヘクタールの面積に及ぶ。モグラと違って、その地下トンネルはそれ自体が巣と言えよう。

   ウッドチャックやマーモット(いずれもRodentia)でも同様の習性が知られているが、これらの動物の「巣」はおそらく捕食者との緊張関係によって生じたのだろう。猿の生活場所である樹上は、捕食獣が稀なのだ。そして再び地上に降りたヒヒの場合、群れのねぐらは定住的であることが知られている。ヒョウの攻撃を受けにくい断崖の壁がその場だ。

   ガラゴやキツネザルはPrimatesにしてはprimitiveであり、Soricomorphaの血を強く継いでいると言えなくもない。社会構造においては集団生活の萌芽が認められるといえ、どちらかといえばsolitaryが基本である。ヒヒはむしろadvancedな猿だが、地に降りたという意味では異端者だ。これらの猿が例外的に巣のオーナーであることは、その他の猿の特徴を際立たせていると言えるかもしれない。樹上の集団生活者にとって、巣は無用の長物なのだ。

   ただしこの仮定には条件がある。生まれ出る子は、ある程度自立的でなければならない。地上性で、やはり巣を持たない集団生活者であるArtiodactyla(偶蹄目:鹿や牛など)の場合その傾向は顕著で、生まれた子はすぐに立ち上がり、歩くことが出来る。Artiodactylaは概して少産であることが、それを可能にしている。多産の場合、各々の個体は未熟児にならざるを得ないのである。猿の産仔数は原則的に1頭で、その条件を満たしている。出生直後の歩行は出来ないが、母親の体にしがみつくことは出来る。即ち猿は母親の体を巣にすることにより、幼児用ベットを必要としないのだ。

   そのことはヒヒも同様だが、ヒトの場合は様相を異にする。ヒトの新生児は未熟で、握力を全く有しない。母親の体にしがみつくことが出来ず、したがって、少なくとも育児初期には巣を持つことが不可欠だ。ヒヒがそうでないことからすれば、この習性はヒトが「木から降りた猿である」故ではないだろう。おそらくそれは、初期人類が捕食獣であったことに由来する。デズモンド・モリスの表現を転用すると、ヒトは「Primatesの家系に生まれて、Carnivoraの養子になった裸の猿」なのだ。

   養親のCarnivoraについては、後編で考察する。


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ウサギ減りし里山



  読売新聞はあまり読まない私だが…今年たまたま目にした(11月30日夕刊の)記事は、わりあい面白かった。ただ私は皮肉屋の故、その内容に全面的に納得した訳ではない。

イメージ 1   日本の固有種であるニホンノウサギLepus  brachurus[イタリック体]の数が激減している。そのことは、私も(自らの山歩き体験において)何となく感じていた。何故だろうか?。 知己の剥製師坂本博志の説では「鹿が増えたためでは?」とのことだ。鹿が草を過食したため、ノウサギの隠れ場が減少した。それ故ワシ・タカ類による捕食頻度が増えたのではないか…というのがというのがその理由説明である。

   なるほど、流石に坂本さんだ。彼の剥製製作技術はおそらく日本一だが、同時に野生動物の生態についての洞察力にも長けている。ただ私は、「それだけではあるまい」と思う。鹿による草本の過食が、「ノウサギの食料事情を悪化させた」こともあるだろう。そして草地の減少は、鹿のせいだけではあるまい。

  いずれにせよ「食物とシェルター」は、全ての野生動物の棲息可否を決める必要条件だ。あ、それと、「性」(即ち繁殖)もね。そしてそれには、シェルターの存否が密接に関係する。これらのどれか一つのみが原因ということは、無いと思う。

   以下は読売新聞の記事。此度環境省と日本自然保護協会が調査した結果、「過去10年間に、全国の里山で3分の1に減ったことが判明した」という。全国の里山60箇所に自動撮影カメラを設置して撮影した結果、ノウサギが撮れた回数は「2005年から2015年にかけて、68.3%減少した」という。そしてその原因として、里山の荒廃で餌が減ったから」という仮説を述べている。シェルターの減少(に由来する被食増大)については、考慮されていない。

  原因のことはさておき…撮影頻度が減ったことが個体数減少に相関するというのは、有り得ることだ。棲息地内のノウサギの動きは、ランダムウォークに近い。そのことは昔(1970ー80年代)、数学者の林知己夫により確かめられている。イタチ類ではそうはいかぬ。イタチは(ニホンもシベリアも)、自動撮影カメラで撮ることが難しい。動きが速いためシャッター作動がついてゆけないことに加え、動きがランダムではないからだ。そのため「狙いうち」をする必要がある。そして、どのようなポイントを狙えばよいかの知識を持つ者は、多くない。

  イタチのことはさておき…国際機関IUCNは、「10年で50%以上減少」の種を「絶滅危惧ⅠB類」にすることを定めている。3分の1の減少率はそれを上回るからニホンノウサギは絶滅の恐れが大で、「狩猟鳥獣の指定を外し、捕獲禁止にすべき」だという。ただ環境省は、未だそのように決断はしていない。

  捕獲禁止は結構なことだが、それだけで絶滅が防げるか?。環境省が有する「全国の捕獲数」のデータは2000年に7.5万頭で2005年は1万頭弱だ。つまりその減少率はカメラ撮影結果より大である。此処まで減ってしまうと「罠に掛かりにくくなる」現象も生ずる筈だ。よって捕獲禁止にしても(それをやらないよりはましだが)、その「効果」は疑わしい。環境保全(ないしは「回復」)の方がより重要ではないか?。

   日本自然保護協会もそれは理解しているようだ。「里山はかって、定期的に間伐や植樹が行われ、ノウサギの餌になる若い木の芽や葉が豊富だった。しかし高齢化や少子化で手入れをする人が減って荒廃。宅地開発も進む。同協会は、里山で若い木が少なくなったのがノウサギが減った大きな要因とみている」…と、読売新聞はその論を紹介する。更に、「早急に保護のために手を打つべきだ。ノウサギがいなくなると、捕食者のイヌワシやキツネなどにも影響する」…という論もである。

   つまり「里山の復元をすべき」という論で、そのことに基本的に異議は無い。ただそれをするにあたっては、「里山とは何か」の定義を明確にすべきであろう。スローガンのみが一人歩きするのは、よろしくない。

   それと、間伐をすればそれで良しというものでもあるまい。それをすれば草地が(一時的に)増え、ノウサギの食物条件は良くなる。繁茂した草がシェルターになり、ワシ・タカ類に捕食されにくくもなる。だがそのことは、「鹿の食物条件も良くする」ことにもなるのだ。つまりノウサギの保全と鹿の個体群制御は、一体のものとして考えねばならない。そしてそのことは、極めて難しい。

   「捕食者のイヌワシやキツネなどに…」という言い方にも引っかかる。ノウサギは、他の動物の「ために」生きているのではないのだ。だが斯様な論法はしばしば用いられる。日本における数少ない"ノウサギの専門家"の山田文雄(森林総合研究所)ですらも、「ニホンノウサギはイタチ、キツネなどの肉食獣やワシ、タカなどの猛禽類の餌となり、生態系内で重要な役割を担っている」と言う(「日本動物大百科」平凡社、1996)。「山田さん、あなたもか!」と思った。

   そもそも、イタチは(ニホンもシベリアも)ノウサギを食べない。キツネも怪しい。以前(昭和中期)、石川県のある地域に「ノウサギ駆除」目的でキツネが導入されたことがあった。だが、その成果は殆ど上がらなかった。地元の猟師若村進(故人)は「そもそもキツネはノウサギを食べるのか?」を疑問に思い、私的に調査した。その結果は「殆ど食べない」のであった。むろん「所変われば、品(生態)変わる」ことは有り得るので、断定はしない。

  しかし改めて思うのは…前世紀までは「ニホンノウサギの保全」などということを言う者は誰もいなかったのである。山田も、たぶん言ってない。ニホンノウサギへの対応は「駆除」一色だった。故に「いまさら何を言うか!」と思えぬでもない。

   ちなみに…ノウサギ即ちLepus属のウサギは、現代日本人の多くが「兎」と認知するカイウサギとは異質な動物だ。カイウサギはアナウサギOryctolagus  cuniclusを馴化したもので、生態が著しく異なる。そして北海道のノウサギはニホンノウサギではなく、ユーラシア共通種のユキウサギLepus  timidusである。ユキウサギの状況はよく知らないが、安泰ではないだろう。

   日本に分布するウサギ目Lagomorphaはあと2種だ。鹿児島県の奄美大島に(日本固有種の)アマミノクロウサギがいて、北海道中央部には(ユーラシア共通種の)キタナキウサギが分布する。いずれも絶滅危惧だが、詳細は此処では述べない。

  ノウサギ(ニホンノウサギやユキウサギ)は、基本的にsolitaryだ。そして、子は(鹿と同じく)かなり成長して生まれる。数は1〜2頭だ。そして繁殖のための「巣」を設けず、草むら内の地上に産み落とされる。母子の縁は薄く、授乳を夜間に1〜2回、各2〜3分間するのみである(前出「日本動物大百科」より)。対してアナウサギは集団生活者で、地下トンネル内に確固たる繁殖巣を設け、閉眼無毛の子を複数産み落とす。母子の縁は、ノウサギより遥かに濃い。

   繁殖戦略としてどちらが有料かといえば、一概には言えない。繁殖のための巣を作らないノウサギは「ヤバい」ように思えるが、あながちそうとも言えぬ。草むらが広大ならば、それ自体が巣であると言えるのだ。

   生後1年内の死亡率は50〜80%と高い(前出「日本動物大百科」より)。だがそれは、「ある程成長し、動き始めてから」の値ではないか?。授乳期は草むら内であまり動かない。ならば上空からワシ・タカ類に襲われにくいだろう。そしてキツネは、聴覚と動態視力を頼りに狩りをする動物だ。ノウサギの子が「フリーズ」していれば、探知されにくいだろう。

  だが草むらが減れば、話は別だ。最近のニホンノウサギの数の減少は、授乳期の個体の被食増大が主因ではあるまいか?。けれども「草地を増やすべき」とも(前述理由により)言いにくいのである。

   草稿を此処まで書き上げて、2人の動物学者に批評を依頼した。まずは斎藤昌幸(山形大学農学部)。

   斎藤と山田文雄は、ニホンノウサギが「拡大造林のせいで増えた」という論を有している。ただ斎藤は、その増えかたがどの程度かがわかっていないことを慨嘆する。最近減っていることも間違いあるまいが、その減少率もわかっていない。個体数を「定量化すべき」なのだが…それはかなりの難事である。

   もう一人は福江佑子(法人あーすわーむ)。彼女のフィールドである軽井沢でも、ニホンノウサギが自動撮影カメラに捉えられることはあまり無いという。時間軸において「減っている」と断定は出来ないが、「いま少ない」ことは間違いないだろうと論じる。そして林業被害については、「ネズミやシカの行いの濡衣もあるのでは?」と疑義を呈する。

   授乳期幼獣の「フリーズ」については、シカも行う筈だと福江は言う。幼獣は(成獣に比べて)体臭が薄い。Carnivoraは(前述のように)聴覚と動態視力に頼って狩りをするが、嗅覚も(定位は出来ないが)「このあたりに獲物がいる」ことを知らしめる役には立つ。だから幼獣の体臭が薄ければ、草むら内でフリーズすることの効果は更に上がる筈である。「なるほど」の論理だ。



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  私は滋賀県の大津市民だが、在は逢坂山の西ゆえ、文化・経済圏は京都の山科に含まれる。その山科で最寄りの京都薬科大学に、私は縁が無い。古の美少女の一人であるS.C.(聖母女学院高校出)の母校という認識があるだけだ。

   やはり聖母出のA.S.は京薬大に合格したが、彼女は第一志望の大阪市立大学理学部に進んだ。ただ、その選択は「誤りだったかも?」という手紙を寄越したように記憶する。

   A.S.は卒業後も数年に渡って年賀状をくれた。S.C.は卒業直後に一度だけ封書を送って来た。今からおよそ20年の昔のことで、現在はいずれも音信が絶えている。もうこの世で会うことは無いだろう。

イメージ 1   のっけから話が脱線した(すいません)。京薬大とは「しばしばその傍らを通る」だけの縁だった私だが、先日そのキャンパス内に入る機会があった(添付写真1)。学園祭(11月4ー5日)が催され、学外者立ち入り自由になったからだ。

   私は模擬店や芸能アトラクションには関心が無い。プログラムを見て覗いてみる気になったのは、植物研究会と漢方医学研究部だけである。以下にその見聞録を記す。まずは植物研究会より。

   私は自称動物学者だが、植物にもひと通りの知識と関心はある。その私からすると、このイベントはちょっと物足らなかった。この会の関心は「葉から芳香を発する植物」なのだが、その展示の"量"が少な過ぎるのだ。

   "質"の点では、「展示するのは葉のみでも良いが、茎や根を含めての全身を、写真か絵で示した方がインパクトあり」と思った。それと、各植物の和名と学名、目と科、地理的分布を記すべきである。そういうややこしい事を言う者は滅多に来ないだろうけど、でも今年は一人(私が)来たのだ。

   あ、それと、芳香の成分の化学物質名と、分子式を示すべきだろう。…等々を居合わせた女子学生2人に「意見」したら、「成程」という顔つきをした。彼女らは未だ1回生とのことだ。ちなみに西日本の大学は多く「年生」と言わずに「回生」と称する。

   次は漢方医学研究部。こちらはポスター発表と、スライドを用いての口頭発表の二本立てだ。その内容はかなり重複するが、つまり「書きことばと話ことばのダブルで」ということだろう。

   発表者は1ー2回生が中心で、リーダーの男子学生でも3回生だ。だから発表の内容にオリジナリティが無いのは、致し方なかろう。既にpublishされている内容を本や雑誌で調べ、要約して発表する形式だ。だが私はなにぶん薬学はシロート故、なかなか面白かった。知らないことを知るのは(「論語」で言うところの)、「また愉しからずや」である。

   発表は、5種類の漢方薬とその薬効、ならびに判っている範囲での薬理作用について行われた。まずは六君子湯。

   柑橘類の果皮が多く含まれるこの薬は、鬱病に効果があるのだという。ただ、鬱病は症候群である。その症状のひとつの、「神経伝達物質であるセロトニンの再吸収は異常に増大する」ケースに効く。シナプスでセロトニンが不足することで情報が上手く伝わらず、そのことで鬱になる。化学成分の一つであるフルホキサミンはセロトニンの再吸収を抑制するので、薬効があるらしい。

   そして別の成分は食欲を増進させる。鬱の症状のひとつである食欲不振は、それで改善される。いわばまあ、梅干し効果だな。ただ梅干しの成分は唾液腺に作用する。この薬の成分が作用するのは胃腺だ。

  ただそれなら、この2つの成分のみを生薬として投与すれば良さそうである。漢方薬の特徴は多種多様の成分が含まれていることだ。それらは「無駄」ということはないだろう。因果関係は不明だが、何らかの「相互作用」が想定される。その詳細は殆ど判っておらずで、今後の課題になる。それと、鬱はなにぶん症候群故、この薬は万能ではない。

    次は大柴胡湯。これは糖尿病の症状である肥満に効果があるという。糖尿病にはⅠ型とⅡ型があり、遺伝的疾患であるⅠ型には大柴胡湯は効かない。Ⅱ型は生活習慣病で、膵臓ランゲルハンス島β細胞のインシュリン生産能力が(有るにはあるが)衰えている。インシュリンは(血糖値を下げると共に)、脂質を減少させる作用がある。この薬に含まれる大黄の成分センノシドンは、インシュリンのその作用と似た薬効があるらしい。ただセンノシドンは、その一方で下痢や肢痛を誘発する。他の成分がそれを抑制するという。なお、八味地黄丸にも似た薬効があるらしい。

   そして、半夏白朮天麻湯。白朮を多く含み、更にブクリョウ、生姜、人参、甘草等を含有するこの薬は、ストレス性の自律神経障害であるメニエール病に薬効があるという。内耳の内リンパ水腫であるこの病には、めまい、難聴、耳鳴り、吐き気等の症状をもたらす。

   ブクリョウに含まれるアクアポリンアイソフォームには利水作用があるという。利水といっても、全身への平均的作用であるならヤバい。だがこの物質は、内耳に特定的に作用するのだという。そのメカニズムと、他の成分がふくまれていることの意味については説明が無かった。

  更に、防風通聖散。成分は麻黄、薄荷、防風、白朮、生姜、甘草など。薬効は整腸や肥満改善だ。化学成分としては、麻黄に含まれるエフェドリンの効果が知られている。腸の不調や肥満も症候群であり、この薬はやはり万能ではない。

  最後は牛車腎気丸。これには附子、即ちトリカブトが少量含まれる。有名な毒草だが、僅量ならば薬にもなるのだ。葉や茎にも毒がある草だが、とりわけ多いのは根であり、薬も其処から採る。

  そもそも漢方薬は植物の葉を使うことは稀で、多くは地下部分を使用する。あとは果皮や樹皮だ。そしてブクリョウは植物ではない。木材腐朽菌であるサルノコシカケ類の、茸である。

    猛毒のトリカブトの根だが、華岡清州はそれとチョウセンアサガオのやはり根、ならびに(よくわかっていない)その他諸々を混ぜ合わせて「本邦初の麻酔薬の」を開発した。ただこれは副作用が強く危険なため、現在は用いられていない。

   ちなみに絶対的に安全な麻酔薬などというものは無い。だから麻酔の専門医がいるのである。それでも時々「事故」が起こるのは、周知の如しだ。

   また話が脱線した。牛車腎気丸は麻酔薬ではない。いろいろな薬効があるようだが、最近注目されているのは「抗癌剤の副作用の緩和」である。抗癌剤にもいろんな種類があるが、その中で神経障害を伴うものに効果があるという。具体的な薬理作用としては「TRPチャネルを抑制する」とのことだが、何のことが判らなかった。私は(動物学の者にしては)薬学・医学に詳しい方と思うけど、所詮シロートである。

  以下にはシロートの蘊蓄を少々。癌細胞を直接に攻撃する漢方薬、ないしは生薬は(たぶん)無い。細菌やウィルスが引き起こす感染症にもあまり効かない。ただインフルエンザに対する抗ウィルス薬のタミフルは、毒木シキミに含まれる成分が利用されている。それは、ウィルスが細胞に侵入にあたっての、アタッチメントの部分を破壊するのだという。だが(たぶん)その破壊の力はさほど強くなく、だからタミフルは「劇的に効く」訳ではないのだろう。

  ちなみにタミフルは、エボラ出血熱にも効くという噂がある。これもまんざら嘘ではないようだが、やはり「特効薬」とまでは言えないようだ。エボラウィルスは増殖の速度が極めて大であることで知られている。そのスピードに追いつけないこともあるかもしれない。

  総じて漢方薬は、「激烈な病」には効果が薄い。けれども「症状を(緩やかに)緩和する」ことには効果があるようだ。だがそれも、万能ではない。そして、医師の力量が前提となる。医師が症状を的確に診断し、それに合わせて的確に投薬する必要がある。その実践の状況は良く知らないが…癌治療医はいま、多くが漢方薬を併用しているとのことだ。

   改めて、S.C.のことを思い出した。彼女はいま、某有名病院の癌治療専門医である。京薬大を出たあと某公立医大に入学したのだ。

   彼女は高卒時にも別の公立大医学部を受けて失敗し、第二志望の京薬大に進んだ。挫折をし、そして初志貫徹したのだ。だが「薬大での4年間は無駄ではなかった」と、ネットで語っている。私は(冒頭で記したように)JK時の彼女しか知らないのだが、その頃は「緊急救命医になりたい」と語っていた。こちらがちょっとたじろぐ程に、志の高い少女だった。

   癌専門医たるS.C.だが、外科手術や放射線は(自らは)用いない。基本的に化学療法である。おそらく漢方薬も使っていると思うが…その詳細はネットでは判らなかった。

    古美少女噺の連発は、我ながら些か見苦しいな(笑)。以下は話を転ずる。この日から3週間後の11月26日には、京大の学園祭(11月祭)を覗いた。ガイドブックが有料であるのがセコい(京薬大は無料)。むろん買わなかった。私のお目当ては野生生物研究会のみで、その所在はすぐわかったからだ。その活動内容を知りたかったのである。

イメージ 2  活動内容は、両生類と爬虫類に特化していた。古の野生研は多様性があったように思うので、「時の流れ」を感じる。特化してのその内容は「なかなか」で、例えば学会ポスター発表レジメを掲示してあった。学生の身分で学会発表するのは結構なことだ。ただ、その掲示に目をとめた人は(私以外は)一人もいなかった。会誌(500円)を販売していたが、それを購入する者もいなかった。

   ひとびとの関心は専ら、展示してある「生きた爬虫類たち」にある。それ自体は結構なことだ。だが野生研の「アカデミックなこと」をアピールしたいのなら、もう少し工夫があってよいのではないか?。会誌500円は(そのボリュームからして)致し方なしとしても、それとは別に、100円程のダイエット版を作って売っても良かったように思う。

   それと、京薬大に習ってスライド口頭発表があっても良かった。ポスター発表…即ち「書きことば」の方が質的に多くのものを伝えうる。ただアピール効果は、「話ことば」の方が大なのだ。ちなみに日本哺乳類学会では、ポスター発表よりも口頭発表の方がハイランクである。

    内容が両生・爬虫類類に特化したことにつき…野生研のOBでもない私がとやかく言う立場には無い。ただ、前世紀に動物学教室の大先輩上野俊一が(集中講義時に)呟いた一言は、折りに触れ思い出す。それは「動物学者たる者、少なくとも2つのphylum(門)の生きものの専門家であるべき」という言だ。

   「専門」の域には至らぬまでも、古の京大の動物学徒は関心の幅が広かった。つまり「博物学」の伝統があった。現在は、その伝統が失われつつあるような気がしてならない。

   野生研のイベント以外でインパクト大だったのは、添付写真2の掲示だ。だが、この貼紙に目をとめた者は私のみである。改めて己の「孤独」を感じた。



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