渡辺茂樹のいたちものがかり

ニホンイタチをこよなく愛するアスワット顧問/動物学者・渡辺茂樹のブログです!

イタチの部屋

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動物学者石井信夫



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   ニホンイタチを環境省でも(IUCN同様に)NT指定すべきという私の論について、石井信夫(1952ー)は強固な反対論者であるらしい。私が(40年前に)一度会っただけのこの男は東大農学部の出で、現在は東京女子大学の教授だ。

   古に私が石井と会った場所は、石川県の小松市だ。私が当時師事していた名人猟師の若村進氏(故人)より、「東京からこれこれこういう男が来るのだが、どうしたものか?」と相談されたのである。全国的には無名の若村氏を石井がなぜ知ったかというと、それは私の先輩である保全生物学者:花井正光(1944ー)のつてだと思う。

   石井が若村氏に何を依頼するつもりだったか、明確には覚えていない。ただ多分、「小松で捕ったニホンイタチを能登に運んで放して、元の場所に戻るか否かを調べる」…であったような気がする。「そんなことして何の意味がある?」と私は思い、「ま、いいけど、ならば自分で捕れよな」(若村氏を煩わせることは無いだろ!)とも思った。それで私は駅前のホテルで石井に会い、彼の「心得違い」をやんわりと窘めた。若村氏が石井とどういう会話をしたかは知らないが、たぶん(調査協力依頼を)断ったのじゃないかと思う。そして以後、石井は二度と小松に現れなかった(と思う)。

  以来私は、石井信夫なる者がこの世に存在することを失念していた。最近、「あ、そういえば、そういう男がいたな」と思い出し…ネットで検索したら、ドーンとヒットした。自称「希少種保存、外来種管理、哺乳類の生態が専門」とのことである。へえ、そうなんだ。トンジョでの授業は…前期が「応用生態学」、「自然科学講究」、「環境と社会」、「生物と環境」で、後期は「生物学概論」、「応用生態学」、「進化生物学」、「自然科学講究」、「進化生物学入門」で、前期と後期の違いが不鮮明である。

  学位論文は「小哺乳類3種の個体群動態と社会構造」で…由井正敏ほか「林業と野生鳥獣との共存に向けて:森林性鳥獣の生息環境保護管理」、阿部永ほか「日本の哺乳類」等の共著本がある。2009年に出た大著"The  Wild  Mammals  of  Japan"でも分担執筆していて…彼の担当はDymecodon  pilirostris(ヒメヒミズ)、Urotrichus  talpoides(ヒミズ)、そして外来種のErinaceus  amurensis(アムールハリネズミ)だ。つまり石井が詳しいのはSoricomorpha(食虫目)であって、Mustelidae(食肉目イタチ科)の調査歴は無いと思う。

  なのにRDB(レッド・データ・ブック)の赤本では…石井はMustela(イタチ属)3種と、Martes(テン属)1種をRDB記載している。シベリアイタチの地域個体群ツシマイタチ(石井はチョウセンイタチと記)、オコジョの亜種ホンドオコジョ、イイズナの亜種ニホンイイズナ、そしてニホンテンの亜種ツシマテンだ。石井が決めたRDBランクは…ツシマイタチとホンドオコジョとツシマテンがNTで、ニホンイイズナのみはLP(絶滅の恐れがある地域個体群)だ。なお他には…オコジョの亜種エゾオコジョを阿部永、クロテン(ユーラシア共通種)の亜種エゾクロテンを村上隆広が執筆を担当し、いずれもNT扱いである。ちなみにシベリアイタチとオコジョとイイズナはユーラシア共通種で、ニホンテンのみが日本固有種だ。

   石井がMustelidae(イタチ科)の4種をRDB記載した理由を記す。まずツシマイタチのこと。それは広域分布種シベリアイタチの唯一の「在来」個体群であり、また個体数減少傾向が認められることがNT指定の理由だ。ならばNTよりもLPとするのが妥当ではないか?。ただツシマイタチのミトコンドリアDNAは、西日本の都市部に分布するシベリアイタチと異なる。増田隆一(北海道大学)により明らかになったこの興味ある事実に拠れば、ツシマイタチを(固有遺伝集団として)NT記載してもよいだろう。けれどこの興味ある事実に、石井は着目していない。

   残りの3種のこと。ホンドオコジョはエゾオコジョとshapeが異なることに、石井は注目している。ニホンイイズナは核型がエゾイイズナと異なることに注目し、そしてツシマテンはcolorが(「本土」の)ニホンテンとかなり異なることを強調する。ただ「本土」のニホンテンも、キテンとスステンはcolorが別種ほどに異なる。けれどもDNAの顕著な差は無い。そのことはツシマテンも同様である。

  ツシマテンは、ツシマイタチと違って個体数減少傾向が顕著でないようだ。ならばNTに相当しないのではあるまいか?。ただし島嶼個体群であるので、LP(絶滅の恐れのある地域個体群)にすることはあり得る。そしてツシマテンをLP指定するならば、スステンもそうすべきだろう。このcolorの分布は、西南日本の比較的狭い地域に限られるからだ。

  話を転じてニホンイタチのこと。まずは「そもそも日本国環境省はNTをどのように定義しているか」を記す。それは、「現時点で絶滅の恐れは無いが、生息条件の悪化によって絶滅危惧になりうる」だ。ならばこの定義は、ニホンイタチに適用しうるだろう。少なくとも西日本では(私の知る限り)、近年平野部でその生活痕跡が減少しているのだ。そして山地(とりわけ里山)では尾根に少なく、谷にはまあそこそこ有る。だが最近、「良好な谷」が減りつつあるのである。

    私は、ニホンイタチの繁殖巣と其処での(雌のみの)育児行動を見たことがある稀な日本人だ。だが前世紀末に、その環境は破壊された。新たな繁殖巣は、見い出し得ていない。そのことも、私が「ニホンイタチはやばい」と思うことの根拠である。

   ちなみにニホンイタチのDNAのこと。やはり増田隆一の調査で判明したことだが、四国ならびに九州のニホンイタチのミトコンドリアDNAは、本州のニホンイタチのそれと僅かに異なる。増田はそのことを、古瀬戸内海の隔離によるものと解釈する。もし西日本の環境破壊が東日本よりも顕著ならば(そうとも言えないようにも思うが)…とりあえず、"シコクキュウシュウニホンイタチ"のみをNT指定してはどうか?。私らしからぬ生温い提案だが、なんとかも方便で(とりあえず)そう思う。

   話を戻す。最近私は、特定外来生物法についての関心が大である。この法律は2004年に制定されて2005年に施行されたが、石井信夫は制定を推進したメンバーの一人だ(他に石井実・太田英利・山極寿一など)。ナチスの人種差別法(ニュルンベルク法)真っ青のこの法に関わった者が一方で保全を語ることに、私は危機感を覚える。その言動は、ダブルスタンダードとしか思えないからだ。

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イメージ 1   本ブログの第109話「ミヤコカナヘビとニホンイタチ」にて私は、哺乳類科学の最新号に出た論文の非科学性を弾劾した。その後に私は、「この論文の錯誤の原点は長谷川雅美にある」と気づいた。ちなみに長谷川は現在東邦大学の教授だが、偉大な鳥学者:長谷川博(同大学名誉教授)とは赤の他人だ。そして博が京大系(理学部動物学教室川那部研出自)であるのに対して、雅美は東大系である。自身は東大出ではないが、樋口広芳(東大農学部名誉教授)の強い影響下にあった人だ。東邦大学に勤められたのは、そのコネだろう。

  本稿では長谷川雅美が「群集生態学の現在」(山本智子ほか編:京都大学学術出版会、2001)で担当した一つの章を紹介し、そして批評する。京大は(東大と違って)同門の者だけで固まらないのが伝統であり、そのスタンスは本書でも変わっていないのだ。その章のタイトルは、「食物連鎖の構造と移入種の影響:島嶼生態系」である。

  長谷川(以下雅美のみを指す)は、本来は"生態系生態学者"ではなかった。伊豆諸島の固有種:オカダトカゲの"種生態"を、三宅島で調査・研究していた人である。そして、ニホンイタチに移入によってオカダトカゲの個体群は壊滅的打撃を受けた(と長谷川は主張する)。ならば「今後はニホンイタチの種生態を調査する」と発想しても良さそうだが、彼はそうしなかった。そして、生態系生態学者に転向した(この時は)。その間の事情を、以下のように記している。

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   筆者が、島嶼生態系に対する移入種の影響を扱うようになったのは、三宅島のオカダトカゲが移入されたホンドイタチによって壊滅的打撃を受け、研究対象を失ったのがきっかけである。たまたまイタチの導入前から三宅島のオカダトカゲの生活史や餌資源を研究していたため、オカダトカゲそのものを研究することができなくなった後も、イタチの罪状を世間に突きつけたいという一心で三宅島に通ってきた。今回提示した島嶼生態系の観測方法は、イタチの影響評価を試行錯誤するなかで整理したものである。
※※※※※※※※※※※

   イタチの「罪状」ですか。科学者が使う語じゃねえな。そもそも長谷川が用いている和名"ホンドイタチ"は、哺乳類学会では(2001年の段階で)死語になっている。"ニホンイタチ"が正式和名だ。なのに敢えて死語を用いることに、長谷川の本種に対する"敵意"が読み取れる。

  ま、それはさておき(誹謗中傷的言い方は望むところでない)…本書における長谷川の述は、マッカーサーの"島の生物の平衡理論"の解説から始まる。出典はMacArtur&Wilson(1967)で、1971年に日本語訳が出ている。平衡(なんてものが実在するか否か私は疑問に思うが)の状態での種数を"平衡種数"と称し…「平衡種数に変化がなくとも、島の生物相を構成する種は常に変化しており、それゆえ動的な平衡状態にある」と考える。そして、「平衡種数Sは島の面積Sの関数で、SはAの二乗とCの積と経験的に表せる。ここで、CとZはともに定数で、後者は面積に対する種数を両対数で直線回帰した時の傾きになる。CとZの値は生物のグループと地域によって異なる」…と理論展開する。「種の供給源に近くて大きな島では移入率が高く絶滅率が低くなるので平衡種数は高くなり、遠くて小さな島は移入率が低く、絶滅率が高いので平衡種数が低く押さえられる」という述もある。高尚のように見えて案外凡庸なこの論が三宅島のニホンイタチと何の関係があるかというと、あんまり関係無いと思う。それでも、斯様な"虚仮威し"が延々10ページに渡って続く。"本論"はその後の10ページで、そのタイトルは「伊豆諸島における移入種の影響」だ。文節は「まえがき」と「肉食性哺乳類の移入とその影響」と「捕食圧の違いに応じた行動と生活史の変化」と「おわりに」の4つのパーツから成り、"イタチの罪状"云々は最終パーツで述べられている。

   さて、伊豆諸島の"生態系"のことだが、長谷川は"食物連鎖の頂点に立つ動物は何か"によって3つのパターンに分類する。ニホンイタチが頂点の大島(此処の個体群のみは在来)、ヘビ類が頂点の新島と式根島と神津島、鳥類(猛禽)が頂点の三宅島と青ヶ島。ただし三宅島では(1982年に)ニホンイタチが入り、様相が変わる。ちなみにニホンイタチが頂点の大島では、ヘビも猛禽も少ないという。そしてヘビが頂点の新島等では猛禽が少なく、青ヶ島では猛禽が高密度だという。ならば、三宅島の生態系は今後は大島に似た状態で安定する…それだけのことではあるまいか?。ちなみにオカダトカゲは三宅島のみの固有種ではない。大島、利島、御蔵島、神津島、式根島、青ヶ島にも分布する。

   三宅島にニホンイタチが導入されたのは「ネズミ防除のため」だが、他にも同じことが行われた島がある。うち青ヶ島は(三宅島と同様に)"ヘビがいない島"で、八丈島と利島は"ヘビがいる島"だという。そして…在来のニホンイタチがいる大島と、"ニホンイタチはいないがヘビが高密度に棲息する"神津島と新島では、"ネズミの農業被害は少ない"とのことだ。ならば三宅島では、「ニホンイタチの導入により、ネズミ防除の効果が上がった」のではないか?。地元住民にすれば、「オカダトカゲの保全よりもその方が重要」だろう。なのにニホンイタチを一方的に敵視するのは、"罰当たり"のように思える。

   ところでニホンイタチは、"雌は罠で捕えにくい"動物だ。三宅島等に移入されたニホンイタチの雌は何頭ほどで、どのようにして捕えたか?。私が大いなる関心を有するこの疑問に、長谷川は全く関心が無いようである。

   以下暫くは、三宅島(のみ)の話だ。ニホンイタチが導入された1982年以降、オカダトカゲの目撃頻度(頭/hour)は激減したという。それまでは値が100(頭/hour)を下回ることはなかったのだが、1985年には3(頭/hour)、1987年には0.5(頭/hour)に激減し、1992〜1995年はいずれもゼロであったとのことだ。対してニホンイタチの目撃頻度は移入年の1982年はゼロだったが、1985年には0.7(頭/day)、1982年には1(頭/day)の値を示す。1993年には0.15(頭/day)に減少するが、1995年には再び1(頭/day)に戻る。そして1998年には0.3(頭/day)に減り、以後は不明だ。

  ニホンイタチの糞中にオカダトカゲが含まれる割合(出現頻度)も調べられた。1984年は65%(サンプル数54)と高率だが、1987年は5%(サンプル数24)、1993年には2%(サンプル数47)と急減している。ちなみに宮古島の「ニホンイタチの糞72個中に2個(がミヤコカナヘビ含有)」は、3%弱である。

   この値をどう読むかだが…そもそも、"目撃頻度"という個体数推定法は問題がある。長谷川が調査にどれくらいの時間を費やしたかが示されていないのも、よろしくない。ただ、ニホンイタチの目撃頻度が1(頭/day)であるのは(それがもし連日ならば)、高率だ。0.3(頭/day)であってもである。けれどその状態がずっと続くというのは、考えにくい。

   そして、オカダトカゲの(ニホンイタチ導入以前の)100以上(頭/hour)という値も異様な高率である。この島は、ニホンイタチが入る前は「トカゲのパラダイス」だったのだろう。それが、それ以後は"本土並になった"ということだけではないか?。ニホンイタチも"低めで安定した"のではないかと思う。

   ちなみに私は、長谷川とは全く面識が無い。対して、"2000年の噴火の後のイタチの食性の変化"を調査した上杉哲雄(元東大樋口研院生)は旧知の人である。彼は長谷川が調査を止めた1995年以降の状況について、「オカダトカゲは、多くはないがいる」と言っていた。そして彼は、ニホンイタチの罠捕獲調査をやりたがっていた。前者は「オカダトカゲもニホンイタチも低密度で安定し、新たな生態系が成立した」ことを意味するのだろう。そして後者は、上杉が「長谷川のニホンイタチの密度推定法を信用していない」ことの顕れだと思う。だがいずれも、「ニホンイタチを敵視し、"駆除"したがっている」樋口広芳の意向にそぐわない。だから彼は、"研究室を追われた"のである(たぶん)。

   樋口は鳥学者だ。そして彼が"大好き"なアカコッコ(地上営巣するツグミ科の鳥)は、ニホンイタチ導入後に半分に減少した。その値は、オカダトカゲの目撃頻度の)減少率よりも遥かに少ないのである。ちなみに利島のニホンイタチ導入は1920年と古いが、オカダトカゲは少なくないようだ。あるいは三宅島も、いずれはそうなるかもしれない。

   つまりマッカーサー流に言えば…三宅島の生態系は、ニホンイタチ移入後に「平衡定数が高くなった」のだ。移入のニホンイタチが定着し、絶滅した種は無い(と思われる)からだ。だからマッカーサーを引用して"ニホンイタチを弾劾"しようとした長谷川は、自縄自縛に陥ったのである。本人もそれに気づいたようで、屁理屈を組み立てる。以下がそれだ。「イタチの移入は、島の食物連鎖の最上位に捕食者を付け加え、連鎖の数が増えたことを意味する。しかし、移入直後こそ、土壌動物ーオカダトカゲーイタチという3段階の連鎖が成立したものの、10年後にはオカダトカゲがほとんど絶滅し、連鎖の数はもとの2段にもどってしまった。そればかりか、かつてオカダトカゲが多かった頃には普通に生息していた猛禽類のサシバがほとんど見られなくなってしまった。…(中略)…両者にはオカダトカゲという共通の餌資源をめぐる競争が起きたといえるだろう。すると、サシバがイタチに競争排除されたことになる」。

   この人の頭の中には、"悠久な時間の流れ"という概念が無いようだ。そもそも、"オカダトカゲは絶滅していない"のである。競争排除云々については、"データの裏付けが無い"。斯様な論理の組み立てを、「牽強付会」という。

   京大女子(現在は鹿児島大学教授)の山本智子は、長谷川と違って論理的思考が出来る(筈の)人である。その彼女が何故このようなお粗末論考を受理したのか、理解に苦しむ。あるいは、真面目に読まなかったのかもしれない。

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音羽山から逢坂山へ


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   初めに日本古典を少々。

音羽川雪解けの波も岩越えて  関のこなたに春は来にけり【藤原定家】
音羽山けさ声来れば時鳥  梢はるかに今ぞ鳴くなり【紀友則】
音羽山木高く鳴きて時鳥  君が別れを惜しむべらなり【紀貫之】
これやこの行くも帰るも別れては  知るも知らぬも逢坂の関【蝉丸法師】
夜をこめて鳥の空音は謀るとも  世に逢坂の関はゆるさじ【清少納言】

   散文では「方丈記」が有名だ。以下にその一節を引用し、合わせて当時の地図(写真1)を示す。

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   その所の様を言はば、南に懸樋あり、岩を立てて水を溜めたり。林の木近ければ、爪木を拾うに乏しからず。名を音羽山といふ。【鴨長明】
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   ただ、長明のこの記述は少し変である。その前に、以下の一文があるからだ。

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いま、日野山の奥にあとを隠して後、東に三尺余の庇をさして、柴折りくぶるよすがとす。
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   少し後には以下の一文もある。

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峰によじ登りて、遥かに故郷の空を望み、木幡山・伏見の里・鳥羽・羽束師を見る。
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   長明が住んだ日野山とは、現在の京都市伏見区日野の山麓地域と思われる。庵があったのは川沿いだろうが、近傍には標高212mの峰がある。そこから望める鳥羽や伏見は、音羽山からは見えない。音羽山は現在の京都市山科区にあるのだが、その西に連なる東山山系が視界を遮るのだ。つまり記述が矛盾する。故に後世の写本では原文のオトハヤマを(オとハを削除して)トヤマ、即ち「外山」と解読した。でもそれって、原作者を馬鹿にしてないか?。そもそも外山では何のことかわからない。で、私は以下の解釈を支持する。

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元来、音羽山は牛尾山に限らず、北は比叡山から南は宇治山に及ぶ大山系の総称だったと思われる
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   岩波書店の「新日本古典文学体系39:佐竹昭広・久保田淳校注」(1989)の述だ。つまり長明は日野山山麓に住んでいたが、彼自身は其処を「広大な音羽山系の一隅」と解釈していたのだろう。ちなみに牛尾山とは、現在の(狭義の)音羽山とイコールではない。その西南の支峰を指す。

   広域音羽山系の東縁を真南に流れるのは瀬田川で、それは琵琶湖から流出している。古は田上川と呼ばれたこの川の東域に、懐かしの(古の美少女の記憶が残る)田上山がある。瀬田川はやがて西にカーブし、宇治川と名を変える。そして今は亡き巨椋池跡を西に進み…八幡市のあたりで、木津川ならびに桂川と合流する。これが三川合流地点で、それより下流が淀川である。

   桂川の源流は丹波山地だが、北山を源流とする鴨川が(鳥羽のあたりで)それに合流している。 木津川の源流は南伊賀の山々だ。宇治川(上流は瀬田川)の源流は琵琶湖…と言いたいところだが、それは正確ではない。琵琶湖はダムに過ぎないのであり、それに幾つかの川が流れ込んでいるのである。安曇川(源流は比良山地)、野洲川(源流は鈴鹿山地)等がそれだ。

   話がタイトルからずれた。藤原定家が歌に詠んだ音羽川は、現在は山科川という。牛尾山ならびにその少し南の千頭岳を源流とし、北北西に流れて山科盆地に出る。そして、東山山系から南下する四宮川と合流した後…反転して南西に曲がり、観月橋あたりで宇治川に合流するのだ。なお音羽山の北の逢坂山(境界は不明確)には、川と呼べる程の水の流れは無い。

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  2018年の7月27日に、私は山科の(京都東インターチェンジに近い)音羽町から牛尾山に入った。時刻は10時40分だ。山科川に沿って南南東(つまり山科川の流れとは逆方向)に進む約2kmのコースは舗装されていて、緩やかな登りである(写真2)。

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   この川沿い道の周辺はスギ・ヒノキ林だが、道沿いにはカエデの低木がある。落葉木は少ないが、川の縁にガマズミが一本あって赤い実をつけていた。照葉低木はソヨゴ、ヒサカキ、アセビ等。林内はかなり暗く、林床にササは殆ど無い。シダはそこそこあるが、その種多様性は(例えば田上山に比べると)大ではないように思われた。ただ、特筆すべきはマメヅタ(写真3)が多く見られたこと。護岸壁沿いに這うこの植物は、ツタではなくてシダ類である。このシダは、田上山では見なかった。舗装道の路面には干からびたミミズ(種名不明)の死体を散見した。やはり種名は不明のヤスデが1匹。昆虫は甲虫のキマワリとセンチコガネ、ゴマダラカミキリ、そして、そしてゴミムシないしはゴミムシダマシの類。セミは脱皮殻は目に入らずで、鳴声はニイニイゼミとアブラゼミが主である。だがさほど賑やかではない。ミンミンゼミも少しだけ鳴いた。脊椎動物の爬虫類はシマヘビとニホントカゲ。鳥はキジバト、カラス(ブトorボソは不明)、そしてスズメ目と思われるスラッとした灰色基調の小鳥を見た。

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  やがて高木が無い広場に出ると舗装道は終わりで、此処が駐車場になっている。此処から北東に舗装されていない(でも車が通れないこともない)登り坂が200m程あり、その終点が法厳寺だ。この非舗装道を登り始めると路面にマルバマンネングサとチドメグサ(写真4)があり、その近くでシーボルトミミズ(写真5)がのた打ち回っていた。

    法厳寺から先は、車は到底通れぬ山道だ。それを少し登り、尾根に出る。この尾根は京都府と滋賀県の境界で、東は大津市だ。尾根道を北東に進むと、やがて音羽山頂上(標高595m:三角点有り)に至る。法厳寺からの距離は、およそ1.5kmだ。そこで休憩する。展望はあまり良くない。

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   ここまでの尾根コースにもスギ・ヒノキはあるが、やや少なめだ。そしてコナラ、ソヨゴ、ネジキ、タカノツメ、ヤシャブシ、アセビ等が散見出来る。アカマツもあったが、その多くは枯れていた。ただ生きているアカマツの根元では、ニホンリスの食痕(写真6)を確認した。松毬の鱗片を綺麗に剥ぎ、その奥の種子を食べた痕跡だ。エビフライという俗称もあるこの松毬食痕を計7個確認する。比較的狭い地域に散らばっていたので、おそらく1頭のリスが食べたものだろう。あとウグイスの声を聞き、キツツキ(たぶんアカゲラ)が木の幹を叩く音を聞いた。

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   音羽山頂上からの尾根道をほぼ真北方向に進む。植生はそれまでの1.5kmとさほど変わらない。歩き始めてまもなく、ミドリセンチコガネ(写真7)を見た。私は甲虫の色彩を見てもあまり感動しないたちだが、この緑色は美しいと思う。そもそも私は緑が好きで、その色の翡翠(の安いもの)を古の美少女Sに贈呈したことがある。

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   更に進むと、イタチ糞(写真8)があった。断定は出来ぬがたぶんニホンイタチで、それは雌だと思う。川沿い道では計9個のイタチ糞(たぶん)を見たけど、尾根道に出てからの発見は初めてだ。

   更に尾根道を北に進むと、やがてそれまで稀だったヒグラシの脱皮殻が目立つようになる。道沿いに計12個を数えた。でもそれはさほど広くないエリアで、支峰534m地点を(横目に見つつ)過ぎるとまた目立たなくなる。境界がはっきりしないのだが、このあたりからが逢坂山なのだろう。これより北の支峰は、いずれも300m台である。東海自然歩道とも称されるこの尾根道は、整備されていて歩き易い。けれども音羽山と違って、誰とも出会わなかった。逢坂山は観光地化していないのだろう。

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   逢坂山の東海自然歩道はやがて急傾斜で下降する。その道は歩き易いように段差がつけてある(写真9)。そこで、またイタチ糞を確認した。法厳寺を出てから2個目だ。このあたりはまたスギ・ヒノキ林で、そしてヒグラシが鳴き始めた。ただ、蝉時雨という程ではない。そもそも今年は(都市部のクマゼミも含めて)セミの声に元気が無いように思える。沈黙の春ならぬ夏…なんてことを思いつつ急傾斜を下り、15時10分に国道1号線に出た。音羽山頂上からは約2.5kmである。其処は逢坂の関跡だが、観光のため下車するドライバーは多分殆どいないだろう。至って殺風景な名所旧跡である。

   イタチ糞のことをまとめる。なおテン糞は少なく、川沿い道と尾根道で各2個を見たのみだ。去年の秋に川沿い道2kmのみを歩いたが、その時は何故かテン糞が多く、イタチ糞は確認出来なかった。季節移動があるのかもしれない。

   ともあれ此度は…全行程約6kmで計11個のイタチ糞を確認した。うち9個は川沿い道2kmに出たもので、残り2個は尾根道4kmに出たものだ。つまり密度は川沿い道が4.5個/kmで、尾根道は0.5個/kmである。そして一週間前の田上山の踏査では、全て川沿い道(周辺は落葉広葉樹林)の6kmで5個のイタチ糞を見た。密度は0.8個/kmである。 ただし2013年6月には、同じルートで19個のイタチ糞を確認している。密度は3.2個/kmだ。以上の数値から何が言えるか…あるいは何も言えないかは、今のところ何とも言えない。なお糞内容物は川沿い道の3個はサワガニ(のみ)で、他8個は昆虫(のみ)である。ネズミは出なかった。

  イタチがニホンかシベリアかは、音羽山系では(DNA分析も罠捕獲調査もしてないので)不明だ。田上山では15年前に罠捕獲調査を行い、すべてニホンイタチであることを確認した。罠捕獲個体群の密度は約1頭/kmであった。この値の意味するところも、今のところ何とも言えない。そもそも罠捕獲結果は15年も前のものだから、今なお「田上山はニホンイタチの楽園」とは言い得ないのだ。

   とはいえ此度の結果から、些か大胆に「音羽山のイタチはニホンイタチ」と想像する。それは、昆虫に極めて多くを依存している故だ。むろんニホンイタチも、環境によってはネズミ(等の脊椎動物)をかなり食べる。そして、シベリアイタチも昆虫を食べないことはない。ASWATの調査では、クマネズミと昆虫の出現頻度がほぼ同じだった。けれどもボリュームは、クマネズミが遥かに大だったのである。

   つまりシベリアイタチは…ニホンイタチのような「昆虫をチマイマ食う」生活では飢えるのではないか?。昆虫も食べる一方で、ネズミ食が「欠かせない」のではないか?。つまりシベリアイタチは、ニホンイタチのように「貧困に耐える」のが難しい。それが、シベリアイタチが「山にあまり入らない」理由ではないかと思う。概して日本の山林は、アカネズミ(あるいはヒメネズミ等)の密度が大とは言えない。よって其処では、昆虫(あるいはサワガニ・ミミズ等)に頼らざるを得ないのだ。


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またまた田上山


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   滋賀県の田上山(たのがみやま)を訪れると何時も、古の美少女Mのことを思い出す。在学時に自分の描いた絵(写真1)をくれたこのJKのことは、本ブログの第4話で述べた。その絵の商品価値は零だが、私には宝物だ。裏には彼女の署名がある。それに、「17才」と(誇るかのように?)付記してあるのが印象的だ。かれこれ40年の昔のことである。

   ま、それはさておき…先日、またまたその田上山に行った。7月の20日にである。同行者が一人ありだか、むろん美少女ではない。大学入学時の同級生Rで、今春に半世紀ぶりに再会した。地元でお勧めの山はないかと問われた時、「田上山が良い」と誘ったのである。彼は植物に詳しいので、それには疎い(けれども詳しくなりたい)私には好都合なのだった。

   RとはJR石山にて10時に待ち合わせて、信楽方面行のバスに乗った。古にはあった信楽への直行バスが今は無く、田上車庫乗り換えになる。ただミホミュージアム行のバスというのが、この正体不明の(私は行ったことが無い)ミュージアムの開館期間に限ってある。運良くそのバスに乗ることが出来たのが、10時10分である。バスはほぼ満員だったが、何とか座ることが出来た。

   バスは瀬田丘陵を横切って東行し、大戸川渓谷の右岸を更に東に進む。大戸川は信楽に発して西に流れ、南郷洗堰にて瀬田川と合流する河川だ。同じく信楽に発する田代川という河川があり、これは大鳥居という名の地で大戸川と合流する。我々は其処で下車した。JR石山からの料金は730円で、安くない。

   大鳥居は古は集落の名だったのだが、大戸川ダム建設計画が持ち上がったことで住民は退去した。このダムが「出来そうもない」今も、無人の儘である。新名神高速道路建設計画もあって、これは開通した。この道路は大津市が栗東市と接するあたりでトンネルに入り、4km東でそれを抜ける。ちょうど抜けたあたりが大鳥居だ。なお信楽は市ではなく、それは甲賀市に含まれる。忍者伝説で有名な甲賀は、右同じの(三重県の)伊賀市の西に在り、それとは標高差がある。伊賀は盆地なのだ。よって、甲賀びとは伊賀びとを「見下す」傾向があると…冗談とも本当ともつかぬ事を、甲賀出身の友人Kが言っていたことを思い出す。膳所高校を出て京大の農林経済に進んだ男だ。Kともかれこれ40年会ってない。もう(此の世では)会うことは無いかもしれない。

   大鳥居で我々を下ろしたバスは其処で右折し、田代川沿いに南西に走ってミホミュージアムに向かう。我々はその車道をトコトコ歩く。車道だが川沿いなので、時にイタチ糞が出ることがあるのだ。とりわけ橋の傍らではで、この日も早速其処で1個を見つけた。内容物は昆虫だ。ともかくこの時期、近畿のイタチ糞は昆虫が多いのである。糞の外見では、イタチがニホンかシベリアかを判別することは出来ない。15年前の罠捕獲調査でこの地が「ニホンイタチの楽園」であることを確認しているが、今でもそうであるかは不明だ。ただ、落葉広葉樹を主体とする(林床にはササがある)景観は当時と変わってないので、今でもそうだと信じたい。

   3km程歩いた後に右折した。そして緩やかな上りの非舗装の林道を真西方向に歩く。この道もやはり川沿いだが、川には特に名はついていない。田上山から流れ出る水を集めて、東に流れる田代川の支流だ。頂(標高599.7m)を境に其処から西に流れる川もあるが、この日はそちらには行かない。頂の西にはガレ場があり、其処では水晶やトパーズが出る。元々田上山は、地学関係者においては「トパーズで有名」な山なのである。だがそれは取り尽くされて、最近は殆ど出ないようだ。

   植物に詳しいRに、いろいろと教えて貰う。私は木は多少知っているが、草は殆ど知らない。というか…認識の外に在った。だがこの日は改めて、「野に咲く花の名前は知らない🎵だけど野に咲く花が好き🎵」と思った。寺山修司作詞(フォーク・クルセダーズ歌唱)の「戦争は知らない」の一節だ。「戦(いくさ)で死んだ哀しい父さん🎵」「戦知らずに二十歳になって」のフレーズも思い出す。少し後に杉田二郎の「戦争を知らない子供たち」という歌が流行り、「戦争は知らない」は忘れられた。だけど私には、こちらの方が遥かに良い。杉田の詩には無い反戦の心が、寺山には有るからだ。

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   まずはヒメヤブラン(写真2)、ネジバナ(写真3)、そしてカキラン(写真4)。これらが私が名を知らなかった「野に咲く花」だ。いずれもラン科である。田上山は落葉広葉樹が多く、林縁は明るい。よってこれらの陽生植物が出るのだ。ギフチョウの食草として有名なカンアオイ(写真5)は開花していなかったが、その葉の色彩は特徴的だ。アギスミレ(写真6)も開花していなかったが、馬蹄形の葉はやはり特徴的である。谷川の淵によく出るスミレ科の草である。クラマゴケ(写真7)は苔ではなくてシダ類だ。一見花のようにも見える長い穂は、胞子体である。

   木はガマズミ(写真8)をわりと良く見た.だが、このように実が赤くなっているものは少なかった。他に目についた落葉木はコナラ、リョウブ等で、照葉木ではアセビ。ただ…シカの食害が大の地ではアセビが(有毒で食われない故)ひどく目立つのに対し、この山ではさほどでもない。シカの足跡も糞も認められたが、食害は小だ。理由はよく分からない。

   田上山は、このあたりの山林では例外的に落葉広葉樹が多い。おそらくその故でか、山全体が(周囲の山林に比べて)「湿っている」感じがする。山全体の保水力が大なのだろう。古には、頂の近くに湿原があった。そしてモウセンゴケが繁茂していた。今は半ば以上砂に埋まっていて、モウセンゴケは絶滅した。だが砂を浚渫して取り除けば、湿原が回復することもあり得るだろう。なお田上山は、地質学的には花崗岩質である。対して瀬田川の反対側(西)にある音羽山は、堆積岩質だ。

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   この林道コース約3kmでも、イタチ糞が出た(写真9)。計4個が出たが、いずれも田代川支流から5mとは離れていない(写真10)。それ以上離れている糞はテンである。ただテン糞が川の近くに在ることもありだ。イタチ科のこの2種を、糞で判別するのはかなり難しい。

   失われた湿原の地まで行って、来た道を戻った。再び大鳥居に至ったのは、16時半だ。所要6時間弱で、往復12kmを歩いたことになる。1kmを30分弱で歩くペースであり、私が一人で踏査する時よりもかなり早い。

   結局この日は計5個のイタチ糞を確認した。内容物はいずれも昆虫だ。内訳は3kmの舗装道で1個、やはり3kmの非舗装林道で4個である。どちらも川沿い道である(計6kmの)このコースで、5年前の6月には全19個を得ている。でも、この結果から「イタチが減った」と考えるのは早計だろう。このことについては、別稿で改めて考察する。

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    日本には、トカゲ亜目Lacertiliaカナヘビ科Lacertidaeの爬虫類が6種分布する。うち3種は大陸共通種で、国境近くのみの分布だ。北海道北端のコモチカナヘビLacerta  vivipara、対馬のアムールカナヘビTakydromus  amurensis、そして八重山諸島のサキシマカナヘビApeltonotus  dorsalisである。

   残り3種は日本固有種で、いずれもTakydromus属だ。ニホンカナヘビTakydromus  tachydromoidesは渡瀬線の北の分布で、主要4島(北海道・本州・四国・九州)とその属島、ならびに屋久島、種子島、北トカラ(中之島と諏訪之瀬島)等で棲息が確認されている。対してアオカナヘビTakydromus  smaragdimusは渡瀬線の南の分布で、南トカラ(宝島)、奄美大島、喜界島、徳之島、沖縄島等に棲む。背面の色彩が前者は茶色で後者は緑色であり、この2種は一目瞭然で区別出来る。加えて後者は、体形がよりスリムだ。

   残り1種は宮古諸島に分布するミヤコカナヘビTakydromus  toyamaiである。これは従来はアオカナヘビの亜種と考えられていたが、1996年3月に独立種記載された。その種小名からして、沖縄ウテナンチュー:当山昌直(とうやま・まさなお)の記載だろう。根拠は腹面の鱗列がアオカナヘビが6であるのに対して、ミヤコカナヘビは8であることだ。アオカナヘビの側面にある白線が、ミヤコカナヘビには無いことも根拠になっている。

    だが当山のこの論にはやや疑念がある。そもそも亜種なるものは…ある地域個体群が標徴において(他地域の個体群と)「不連続的に」区別でき、にもかかわらず交配すると子が出来る場合の呼称だろう。ミヤコカナヘビの標徴は不連続のようだが、「子が出来ない」ことは確認したのか?。あるいは、傍証として分子遺伝学的解析(遺伝距離の測定)は行ったか?。もしそのいずれもが行われていないとしたら、「本当に独立種なのか?」という疑いを持たざるを得ない。

   でもま、それはさておき…最近、「国内外来のニホンイタチMustela  itatsiによる絶滅危惧種ミヤコカナヘビTakydromus  toyamaiの捕食」という報告書が出た。日本哺乳類学会の和文誌「哺乳類科学」の、2018:58ー(1)  にである。著者は八千代エンジニヤリング株式会社の河内紀浩と渡邉環樹(後者は私とはアカの他人)、ならびに琉球大学博物館の中村泰之だ。八千代という地名は千葉県にあるが、それとは無関係の沖縄の調査会社のようである。だが著者らは(琉大の中村も含めて)、その姓からしてヤマトンチューと思われる。

  ま、それもさておき…この報告書の内容は極めてお粗末だ。日本哺乳類学会がこのようなものを受理して掲載することは、その「沽券に関わる」と思う。「レフリーは誰だ?」とあげつらうつもりは無いが…学会(ならびに著者本人)の名誉のために、「撤回」をお勧めする。小保方晴子の"NATURE"論文の前例もあり、それは可能の筈である。以下には、そうすべきことの理由を述べる。

   この報告書で著者らは…「本種(ミヤコカナヘビ)は生息環境(草地)に大きな変化がない地域でも確認できないほど減少している」とし、その減少要因としてニホンイタチ、ノネコ、インドクジャクによる捕食の可能性を想定した。これまでの僅かな調査結果(例えばUchida、1969)では、宮古諸島のニホンイタチの糞から爬虫類は出ていない。 然るに此度の著者らの糞内容分析の「結果」では…採取された全72個中、2個からミヤコカナヘビの体の一部が検出されたという。それは伊良部島の11個中の1個(つまり9%)と、宮古島の19個中の1個( つまり5%)である。宮古諸島でニホンイタチの定着が確認されているのは3島だ。残りの1つの下地島では最多の42個が採取されたが、それからはミヤコカナヘビは出なかった。つまり、全72個中の出現率は3%でしかない。

   なお宮古島と橋で接続している池間島と来間島も念のため調べたが、ニホンイタチの糞は発見されなかったという。面積が(いずれも)280haのこの2島にも、ミヤコカナヘビはいる。だが当山によれば…そもそもミヤコカナヘビは、「宮古島以外では発見すら難しい」とのことだ。ちなみに宮古島の面積は15833haで、沖縄島の13%程だ。本州と比較すると琵琶湖の24%、東京都の7%の面積に相当する。伊良部島は宮古島の約20%、下地島は伊良部島の30%程の面積である。下地島と伊良部島も、橋で接続している。

   私は、島の「面積」をしばしば気にする。それは、「個体群を維持するのに必要な最小限度の面積」が関心事だからである。ニホンイタチではその値は200ha程であろうと、以前に推定した(本ブログの第30話にて)。それでふと思ったのだが…ミヤコカナヘビが宮古島以外でrareなのは、他の島は(この種にとって)「狭過ぎる」からではないか?。カナヘビはイタチよりも小さいが、だからといって個体群維持に必要な面積も小さいとは限るまい。著者らは、そのようなことは「夢にも思わない」ようだが。あ、これ、宮部みゆきの初期作品のタイトルです。

  話が脱線した。本報告書を撤回すべき理由を以下に記す。最大理由は「考察」だが、「方法」からしてお粗末だ。一昔前なら知らず…現代では、糞内容調査にあたって「DNA分析による(脱糞者の)種の同定」をするのが常識だろう。それを怠っていることからして、rejectに値する。どこぞの聞いたことのない大学の紀要なら知らず、「哺乳類科学」は学会誌なのだ。

  イタチの糞はテンと紛らわしい。そしてニホンイタチとシベリアイタチを糞で区別するのは至難だ。幸い宮古諸島にはテンとシベリアイタチはいない。だが、鳥は時としてイタチ(ならびにテン)と紛らわしい糞を排泄するのだ。そのことは著者らも気にしていると見えて、「直径10mm程度でねじれがあるもの」のみを採取したという。径の値からイヌ・ネコの可能性を排除し、ねじれがあることで鳥ではないと判断したようだ。だが、ニホンイタチでは(雌が雄より著しく小さいこともあって)、径が5mm程度の糞も珍しくない。そして、ねじれが入ってない糞も普通にある。著者らの判断基準では、多くのニホンイタチの糞が漏れてしまう。それと、「鳥の糞にはねじれが無い」とは私も思うけれども…そのように断言する自信は私には無い。それを確かめるためにも、DNA分析はやはり必要だ。

  そして(論文を撤回すべきの)最大理由である「考察」。 前述の「結果」を受けて著者らはまず、「今回の結果は捕食性外来哺乳類によるミヤコカナヘビの初めての証拠であり、その個体数減少の原因についての議論に一石を投ずるものである」と言う。「全然投じてない」と思いますがね。その出現比率は全体で3%、最大値を示す隔離個体群でも9%でしかないのだから。

   それともう一つ、スカベンジングの可能性もある。胃や糞からある動物の破片が出たからとて、捕食(生きたものを殺して食べた)であるとは限らない。このことは我々Carnivoraの研究者には常識だが、一般には見落とされがちのことである。そしてもしスカベンジングが主なら、その餌動物の個体数減少の因にはならない。

   流石に著者らも、原因であると"断定"はしてはいない。「ニホンイタチの捕食がミヤコカナヘビの減少の原因なのかについては、検討の余地がある」と予防線を張り、「宮古諸島へのニホンイタチ導入が1967〜1971年のことであり、2000年代から顕在化したとされるミヤコカナヘビの減少とは、かなりの時間差がある」とも言う。その論はまあ妥当だ。だが、そのあと話が一気に飛躍する。「しかし本結果により、ニホンイタチが少なくともミヤコカナヘビの減少に追い討ちをかけている実態が明らかになった」…このような論理展開を、牽強付会という。

   締めの一文は、「宮古諸島固有のミヤコカナヘビの保全のためには、本諸島からのニホンイタチの排除を視野に入れた早急な対策が必要である」だ。 開いた口が塞がらない妄言だが、「語るに落ちた」と言うべきかもしれない。

   つまりこの調査会社の業務は「結論まずありき」なのだろう。スポンサー(誰だろう?)は、「ニホンイタチ憎し」の念に凝り固まっていた。「ミヤコカナヘビの減少の因はニホンイタチに違いない」と信じて疑わなかった。その他の…例えば、他の動物(ネコやインドクジャク)による捕食が原因である可能性は「夢にも思わず」でである。

   調査会社はそれを裏付けるデータを出すことが求められ、そしてデータが出揃ったら「駆除」を始める手筈だった。ところがあに図らんや、ニホンイタチは殆どミヤコカナヘビを食べてないことが判明する。調査会社は困惑したが、正直に考察してしまうとスポンサーの期待を裏切る。そして、「駆除」のビジネスが成り立たない。それでやむなく、前述の牽強付会の結論を出すに至ったのだろう。

   ニホンイタチは、何故にそれほど憎まれるのか?。その研究者たる私への敵意に由来…ってことは無いだろうな(私はそれほど有名人じゃないです)。キツネ等、民話において野生Carnivoraは概して悪役として登場する。そのことが案外大きいのではないか。

   加えて沖縄のニホンイタチは(「国内」だが)「外来」だ。そのことが、「ヤマトンチューによる侵略」を連想させるのかもしれない。だがその連想は理不尽だ。そもそもニホンイタチは、自由意志で沖縄に渡来したのではない。「強制連行」の形でやって来た。そしてその結果、「ラットの防除」に一定程度の役割を果たした(筈である)。「有難く思え!」などと言うつもりは無いが、そのことを夢忘るなかれである。

   宮古島ではこの他に、ミフウズラ(チドリ目ミフウズラ属)へのニホンイタチの食害も疑われている。トカラのアカヒゲ(スズメ目ノゴマ属)、伊豆諸島のアカコッコ(スズメ目ツグミ属:日本固有種)、同じく伊豆諸島のオカダトカゲへの(やはり国内外来のニホンイタチによる)害も疑われた。そして某か実態調査が行われたが、「決定的ダメージを与えている」という証は得られていない。私はその現場に立ち上がっていないので断定は避けるが、「最適採食説からすれば、イタチが希少動物を選択的に食べることは考えずらい」と思うのだ。

   国内外来にせよ国外外来にせよ、外来種を無闇に敵視するのは良くない。それは人間社会におけるトランプ的な思想…つまり移民排斥に繋がりかねず、危険である。「間引き」を絶対にしてはいけないとは言わないが、それは極力避けるべきだ。個体群の制御は「繁殖適所を減らす」ことで行うというのが、シベリアイタチに対するASWATのスタンスだ。それはニホンイタチに対しても適用しうるだろう。もしその必要があればである。

   ニホンイタチの本来の棲息地(である本州と四国と九州)では、個体群は準絶滅危惧状態だ。だから繁殖適所は「増やさねばならない」のだが…それは、容易なことではない。

   宮古島のニホンイタチの棲息状況は不明だが、それにも大いに関心がある。ニホンイタチは、本来は森の動物(ただし深山幽谷よりも里山に多?)である。宮古島は森が少なく、草地が多いようだ。そのような「慣れない」環境にどのように適応して生活しているか?。それを知ることは、森が多い地での保全の役に立つかもしれない。噂では…琉球大学理学部の伊沢研が、宮古島でニホンイタチの本格的生態調査を始めたという。伊沢雅子は(どこぞの怪しげな)調査会社とは異なり、まともな研究者だ。とりあえず、その成果に期待したい。


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