ご来館御礼
ようこそ板原村のだんじり会館・別館へ昭和48年6月。 板原村集落の中心に位置する「中小路」に産声を上げた。 子供会、いやそれ以前の幼少時代から、白タイツを身につけ曳き綱を握る。 親父が前梃子持ちという役柄、一緒に(地車を)曳いた記憶がない。 しかし、「いつかは俺もあのテコを持つ・・・」と思い続けて幼少時代を過ごす。 青年団へ入団後、鳴物係・綱元責任者を経験。 伝説の平成4年、板原史上最速(?)のやりまわしを披露した「市制50周年パレード」では、 鳴物係としてイン側の勾欄に腰掛て笛を鳴り響かせていた・・・。 その後、参拾人組(後梃子衆)を経て、現在は親父と同じ「前梃子」。 しかも親父と同じく左手で梃子を握る向かって右側。 しかし・・・ 辛く厳しい期間を過ごした青春時代もあった。 実はあの全国的に有名な奈良県・天理高校の野球部出身、いわゆる高校球児として野球留学。 もちろん全寮制で、在学中は「だんじり」を絶えなければならず、私としては最も辛く苦しい生活。 だんじりを愛する者にしか理解できない辛さ。。 平成元年の祭礼時、寮やクラブには「親戚の訃報」と偽って無理やり板原へ祭りの2日間のみ帰省したが、先輩にバレていないはずがなく、そのあと寮では大変なことに。。。 翌年、高校2年の秋といえば、いよいよ新チーム結成。 あの「平成2年の秋」は生まれて初めて祭りを断念。 ・・・「気が狂う」とはこのことか、そう思った。 高校卒業後、そのまま同大学「体育学部」へ推薦入学。 2回生まではアルバイトをしながらの下宿生活。 生駒山の向こう、奈良の盆地で計5年。 社会人になり、全国規模の某大手清酒メーカー「日本盛」に就職するも、勤務地は名古屋。 またもや大阪・泉州を離れる結果となるが、泉州魂を発揮し順風満帆な新社会人生活がスタート。 そして就職2年目にして結婚。 翌年に念願の長男誕生。 ・・・このあと、急に転職を決意する。 それは・・・ この子どもに「泉州弁」を喋らせたい気持ちでいっぱいになり、来年幼稚園に入園という年。 とにかく地元・泉大津の幼稚園へ通わせたい一心で・・・ 即決!転職!!引越し!!!。 地車と泉州の地が恋しく、28歳でついに”板原”に帰ってきた私。 「だんじり」がある泉州・板原の地で、家族と暮らす喜びや満足感を、誰よりも実感している私。 好きなだんじりを追っている間に、ブログを通じて多くの人と知り合えた。。 「だんじり」って素晴らしい! そんな“板原村のだんじり会館”の館長として、独自の観点から「だんじり」の魅力をとくとお届けしたいと思います。。。 |
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2012/7/7(土) 午前 10:25
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本日、板原村のだんじり会館(別館)の地鎮祭を行いました。
本館の画像容量制限(2ギガ)まで、あまり余裕が無いと判断。
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