古代史遊歩

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       ☆★ 野間神社(大阪府能勢町) ★☆




   大阪府の北のはずれに野間の大ケヤキがあるというのでちょっと寄ってみた。

   樹齢1000年ほど、幹周14m、樹高30mで、ケヤキとしては全国で4番目の巨樹なのだそうだ。

   この大ケヤキのある地はかって「蟻無宮(ありなし)」とよばれた神社の境内で、ケヤキは

   そこの御神木だったという。

   蟻無宮は、1220年(鎌倉時代)に建てられ、明治になると野間神社に合祀された、と

   説明板に書かれていたので、早速、野間神社(のま)の方へ行ってみた。

   そこでは思いもよらぬいわれに出くわすことになる。

イメージ 1



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                     野間の大ケヤキの場所





   西紀605年に推古天皇の勅命によって、大和の石上神宮(いそのかみ)から奉遷したので

   布留宮(ふる)ともいい、東能勢「歌垣」、「田尻」、「吉川」地区の総社でもあった。

   祭神は、饒速日命(にぎはやひ)と野間姫命(のまひめ)となっている。



イメージ 2



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                     野間神社の場所







   社伝によるとこの饒速日命(にぎはやひ)は、別名「布留大明神(ふる)」といって、神霊代は

   饒速日命が持っていた「勾玉」であるとされていた。

   また、神話によるとこの神は神武東征のおり、御子「宇摩志麻遅命(うましまじ)」と共に臣下であった

   族長「長髄彦(ながすねひこ)」を討って神武天皇に恭順の意を表した。

   そして神武天皇に先立って天降りした際、天神「高皇産霊神(たかみむすび)」より賜った

   十種神宝(とくさのかんだから)を持ってきた、とある。

   その「勾玉」は、「十種の神宝」のひとつなのであろう。



   神霊である勾玉がやってきたという石上神宮(いそのかみ)には、布都御魂(ふつみたま)

   布留御魂(ふるみたま)布都斯御魂(ふつしみたま)が祀られている。

   そのうち「布留大明神」はもちろんのこと「布留御魂神」のことだと推測できる。

   では「布都御魂」と「布都斯御魂」とは何であろう?

   布都御魂は、武甕雷(たけみかづち)が出雲平定のおりにおびていた霊剣である。

   ところが石上布都之魂神社のところでは、『布都御魂』とは、須佐之男尊が八岐大蛇を斬った霊剣

   そのもので、朝鮮半島からもたらされたものだと伝わり、「布都御魂」が「須佐之男尊自身」

   でもあるといっている。

   しかし石上神宮(いそのかみ)では、その剣は「布都斯御魂(ふつしみたま)」であるといい、

   どちらの主張が正しいのかはわからない。

   いずれにせよこれらの霊剣で八岐大蛇から得た八握剣は、天叢雲剣(あめのむらくも)と呼ばれ、

   三種の神器のひとつになった。

   それも饒速日命が持ち合わせた十種神宝のひとつだったのではないだろうか。

   「布留御魂」が「勾玉」で、これこそが「大物主神(おおものぬし)」であったという伝承に

   巡り会えた有意義な日であった。



   追 記<11/19>


   ひょんなことからこんな情報を見つけた。

   別説に、饒速日命(にぎはやひ)を祀る前に、鹿屋野比売(かやの)を祀っていたいう説が

   ある。

   鹿屋野比売とは、草祖草野姫(くさのおやかやのひめ)とも野椎神(のづちのかみ)ともいわれ、

   野や原の神様となっている。

   この神は小川月神社のところで詳しく説明したので省略するが、薩摩国の阿多郡(あた)に住んでいて

   夫神である「大山祗神(おおやまづみ)」と一緒に日向から丹波国へやって来た、とある。

   つまり薩摩国の神なのである。



   じつはこの薩摩国の阿多郡には同じ名の野間神社が存在していた。

   その場所は薩摩半島の南端、野間岬付近にある野間岳である。


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                      南さつま市 野間神社の場所

   東宮には瓊瓊杵尊(ににぎ)と木花開耶姫(このはなさくやひめ)を、西宮には火蘭降尊(ほすせり)

   彦火々出見尊(ひこほほでみ 山幸彦)火照尊(ほでり 海幸彦)を祀っている。

   能勢の野間神社に祀られている饒速日命は、もしかしたら西宮に祀られている三神のうちのどれか、

   いや山幸彦である彦火火出見尊若しくは火蘭降尊ではないだろうか?

   それと野椎神と大山祇神のたどった経路「日向〜西海道〜伊勢〜淡海国(おうみ)〜丹波」は、

   饒速日命の東征のコース、いや、神武天皇東征のコースだったのではないだろうか。

   ちなみに魏志倭人伝に記された投馬国(つま? とうま?)は、薩摩国(さつま)とも思われた。

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野間の大ケヤキは樹齢1000年なのに元気ですね。
樹形、樹勢ともに素晴らしく、1000年より若く感じますが、この大きさはやはり1000年です。
「蟻無宮(ありなし)」は今は存在しないのかしら?

2009/11/18(水) 午後 1:39 ちろ&チロの冒険 返信する

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麻賀多神社の大杉をトラバしますね、樹齢では勝ったようですが大きさでは負けたようです(笑)

2009/11/18(水) 午後 2:42 KAN 返信する

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見事なケヤキですね〜
周囲の雰囲気もいいです。

2009/11/18(水) 午後 10:07 めにい 返信する

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写真では大きさがわかりにくいと思いますが、実物はかなりの大きさだと感じました。
蟻無宮は紀貫之を祀っていたそうで、今は野間神社の境内に移されています。

>ちろさん

2009/11/19(木) 午前 10:54 いちごん 返信する

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杉でしたら愛媛県大三島にある大山祇神社に樹齢2600年というのがありますよ。

>菅さん

2009/11/19(木) 午前 11:06 いちごん 返信する

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山間の盆地のようなところで民家も少なく、ほんとのんびりとした感じのところでした。
寿命の短い植物もある中、樹木はどうしてこんなに長く生きながらえるのでしょうね?

>めにいさん

2009/11/19(木) 午前 11:12 いちごん 返信する

|壁|ョuωu*)。o○(。o゚。ヒサシブリデス。゚o。)
大けや木1000年ですか!?けど、なんか老木って雰囲気も少なく元気な様子ですね♪

2009/11/19(木) 午後 9:55 さぎりこ 返信する

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元気そうな木でしたね。
でも枝を張りすぎたのかところどころ突っ張りがしてありましたよ^^

>さぎりこさん

2009/11/20(金) 午後 4:29 いちごん 返信する

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ところで「野間姫」の事には触れていませんが大阪府能勢町野間には「野間姫」に関する伝承が残っているようですね。
「神奈備」の野間神社の記事によると「のうま姫」(本地・十一面観音)の伝承があるのですが講談社刊相原文二著の「渡来の女神・妙見」によると妙見菩薩は本来は女神でやはり十一面観音が本地だったということです、さらに妙見宗総本山・本瀧寺の管長が「野間」姓を引き継いでおりその方は「のうま姫」の末裔である可能性も指摘されます、能勢妙見山の隕石降臨伝説は作り話でなかったにせよこの点は留意すべき必要があります。 削除

2011/7/25(月) 午後 6:17 [ やづつみつお(八筒光男) ] 返信する

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のうま姫の件については全くといって良いほど知りませんでした。
少し調べてみたら宋の時代のことのようですね。
実は妙見神は天御中主神とも言われているようなので、その部分について知りたかったのですが・・・(^_^;)

コメントありがとうございました。

>八筒光男さん

2011/7/29(金) 午前 11:08 いちごん 返信する

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