フォト短歌Yahooブログ

写真と短歌をコラボレートしたオリジナル作品を紹介しています。たまに写真と詩と短歌のコラボあり。

全体表示

[ リスト ]

イメージ 1

3月11日の悪夢
仕事がひと段落し、事務所に戻ろうと一関バイパスを北上していた。ちょうど一関市警察署を過ぎ、厳美街道との交差点を渡り、上り坂に差し掛かった時だった。
車が突然揺れだし、「タイヤがパンクしたのかな〜」それにしても何か変だ。次の瞬間、両タイヤがバーストでもしたかのようなとてつもない衝撃を受けた。嘗て経験した事のないような「突然の大揺れ」を感じた。直ぐ前を走っている車も減速して急停車。前方向から走ってくる対向車も次々と止まり始めた。

直ぐ様ただならぬ事態であることを察した。30年ほど前の宮城沖地震の記憶も薄らいではいるが、それ以上の揺れと破壊力だった。舗装された頑丈な道路に亀裂が入り、樹木も倒れんばかりに揺れにゆれた。
なぎ倒されんばかりのとてつもない状態であった。

ふとその時、僅か2kmほど先に事務所がある。父親が一人で留守番をしていた事を咄嗟に思い出した。居てもたってもいられず、大揺れの中、停車している車の間をぬいながらも車を前に進めた。
その間5・6分ほどだったろうか。
何とか無事に事務所に辿り着く事が出来たが、未だに揺れはおさまってはいなかった。

直ぐさま玄関を開け、事務所の中に飛び込み、父親が無事である事を確認した。
勿論事務所の中はごちゃごちゃであった。本棚は崩れ落ち、プリンターは落下して破損していた。トレーニングルームを確認してみると、ラックに掛けてあったプレートの殆どが落ちていた。
更には壁側のシャフトラックに立てかけてあった50mm用のバーベルシャフトが全て倒れていた。

シャフトを持つ時に必要な滑り止め用のタンマグは床一面に散らばり、棚の上に置いてあったトロフィーなどは全て床に落ちて破損していた。凄い有様だった。
しかしながら、父親の無事を確認出来た事が何よりの救いであったが、それと同時に、自宅に居るお袋の安否が心配になった。

直ぐさま事務所を飛び出し、無事を祈りながら車を飛ばしたのだが、行けども行けども信号機が停止していたので、辺りを注意しながら、焦りを抑えながらも慎重に走る事に努めるしか術はなかった。
今朝までごく普通に何事も無く通っていた道路なのだが、ところどころ、おつとつや割れ目、ひび割れが目立っていた。

それでも何とか無事に自宅に辿り着き、お袋を呼びながら探しまわったところ、裏庭で竹箒を持ちながら坦々と掃き掃除をやっていた。
それどころではあるまいと思ったが、お袋も無事であった事に安堵して、家の周りの被害状況を見て回った。庭先にある外専用の古井戸の石垣が崩れ、土蔵の壁が剥がれ落ち、東側にある裏門が倒れかかっていた。家の中はというと棚の上から落ちた置物は散乱し、ガラスの破片もあちこちに散らばっており、裸足ではとても歩ける状態ではなかった。

家屋自体の損傷は、トイレに行く通路の天井がずれ落ちそうになっていたが、それ以外は殆ど無事のようであった。築160年以上の古民家だが、昔の建物はいたって頑丈だ。
母親の安否が確認でき、直ぐさま筑波市にいる息子の携帯を鳴らしたが一向に繋がる気配が無い。
何度も何度もリダイヤル通話を試みたがまったく進展が無かった。
埼玉に住む妹家族や、東京にいる姪もやはり同じであった。そうこうしているうちに携帯のバッテリーが切れてしまったが、充電しようにも電気が来ていない。

悶悶としながらも、太陽は沈み辺りは次第に暗くなってきた。
電気が入らないので、明かりになるのは懐中電灯と蝋燭だが、余震が怖いので極力火は使いたくない。
ありあわせの夕食を済ませ、買い置きしてあった電池をかき集め、それを懐中電灯と、兎も角情報が欲しかったのでラジオのスイッテを入れた。

暖房はというとファンヒーターのみで暖をとっていた為、電気が来ないと何の役にもたたなかった。
火は勿論危険である為、暖をとる手段がなかなか思いあたらなかった。
結局、暖まる手段といったら布団にもごり込む以外に方法が浮かばなかった。
強い余震に備え、直ぐにでも外に非難出来るようにと、足の悪い父親と年老いた母親の布団を二階部分のない広い座敷に引く事にした。

そしてもしもの時に直ぐさま飛んでいけるようにと、すぐ隣の部屋に私の布団を敷き、ズボンを履きジャンバーを羽織ったままの状態で床に着いた。
3月の日没は早い。6時ぐらいになるともう暗くなる。万が一を想定して、障子を開け放しにして、縁側越しのガラス戸だけが、寒い外気を遮断する障害物となっていた。
うつらうつらとしながらの仮眠状態が続いた。連絡の取れない息子や妹家族が気がかりでしょうがなかった。

かなり強い余震もあり、何度も何度も起き上がっては隣の部屋の両親の様子を伺う。
結局その晩4・5回はそうしただろうか。勿論熟睡などはもってのほかであった。
一晩中ラジオから聞こえてくる地震情報を聞いていたが、この近辺の被害だけではなく、関東以北全体に渡り被害が広がっている事を知った。
大規模な津波発生や福島原発の事故の報道が流れてはいたが、詳細については未だ未定であった。
ただ、とんでもない大惨事であるという事だけは確かであった。

まんじりともせず漆黒の暗闇が次第に薄らぎ、少しずつ少しずつ白み始めてきた。
暗い中では行動が制限されるので、徐に起き上がり、不安に駆られているであろう愛犬の様子を伺いに行ってみたところ「クンクンクンクン」と悲しげな泣き声とともに、傍らにぴったりと寄り添ってきては決して離れようともしなかった。
散歩がてらに周りの様子を伺おうとグルっと見て回ったが、聞こえてくるのは、決して好ましいとは言えない余韻が残るサイレンの音の他に、近所にある牛舎から「モウモウモウ」と悲しげにすすり泣く牛たちの泣き声ばかりであった。


ランキングに参加しております。
もし、ポチっと1クリック頂けますと今後の励みになります。
にほんブログ村 地域生活ブログ

この記事に

閉じる コメント(4)

ランダムブログから来ました。
この記事を読んで、改めて今回の地震の壮絶さが伝わりました。

そういえば、全国放送ではあまり一ノ関とか奥州あたりの
被害の状況がほとんど報道されていなかった気がするのですが
情報収集に困りませんでしたか?

2011/3/26(土) 午後 5:20 [ ゆうじ ] 返信する

アバター

ランダムからお伺いさせていただきました。

悲しみ溢れて言葉になりません。

恐怖の記憶として残ります。。。

2011/3/26(土) 午後 6:31 Alice♪ 返信する

顔アイコン

ゆうじさん
有難うございます。
ご指摘の通り、殆どマスコミには取り上げられませんね。もっとも沿岸部の津波被害から比べますと、とても被災地だとは言えない状況です。
ただ至る所に爪痕が残っているのも現実です。

>情報収集に困りませんでしたか?
防災無線や、地域に密着したFM放送局もなく(奥州市はあります)情報収集に非常に難儀しました。今後は各自治体で真剣に取り組んで頂きたい課題の一つです。

2011/3/26(土) 午後 6:36 ワイルドパワー 返信する

顔アイコン

アリスさん
有難うございます。
本当におっしゃる通りです。あまりにも悲しい惨い経験をしましたね。
ただ、日本全国、いや世界各国の心ある方たちのお陰で、「復興は早い」と確信しております。

2011/3/26(土) 午後 7:07 ワイルドパワー 返信する

コメント投稿

顔アイコン

顔アイコン・表示画像の選択

名前パスワードブログ
絵文字
×
  • オリジナル
  • SoftBank1
  • SoftBank2
  • SoftBank3
  • SoftBank4
  • docomo1
  • docomo2
  • au1
  • au2
  • au3
  • au4
投稿

開く トラックバック(0)


.


みんなの更新記事