よい病院、よくない病院の見分け方[石井友二]

地域になくてはならい病院になるために.。そして病院職員が安心して患者さんのために働ける病院となるために

今日の出来事

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

イメージ 1



よ病院よくない病院の見分け方、というタイトルは、どんな病院がよい病院で、どんな病院がそうではない病院かを直接指摘することを期待させるタイトルだと思います。

しかし、私が意図したのは。もっとより基本的なところ。すなわちよい病院をつくるためには、本来どのような考え方が必要であるのか、また仕組みが必要なのかについて、さらにどのようなマネジメントがあればよいのかをブログにおいて私なりに検討することで、医療従事者間で議論を喚起すること。

病院内部において、よい病院の条件や、よくない病院の課題を炙り出し、認識してもらうことでした。

患者さんや、ご家族にとって、よい病院のの背景には何が必要なのか。また、よくない病院は何を修正すればよいのかを明らかにしていきたいと考えたのです。

この議論のなかでは、私は悪い病院はない、と考えています。

例えば、トップが利益優先を考えていたとしても、組織を維持する責任からの所業である可能性もあり、スタッフには解らない経営者の責任を果たすために、致し方なくそうせざるを得ない事も隠されていることがあるなど、一概に非難できない可能性もあります。

しかし、そうしたマネジメントを知らないトップが、本来の医療のあり方を理解し受容すれば、あるべき医療に近づくことができ、そして少しでもよい医療を行えるようになり、結果として利益を確保できるようになるかもしれない。

さらに言えば、トップが例えそうであったとしても、それを望ましく思わず、その病院に、ひとり抗い、毅然と自分の思う、良心に従った医療を淡々と行っているスタッフは沢山存在していることも多い。

悪の権化のような病院はまれだと思っています。
また、仮にそうした病院があったとしても、気がついて欲しい。覚醒して欲しい。よい病院、わるい病院の見分け方にしていない理由があります。

悪い病院というのは簡単です。しかし、現場では相当の苦労があります。これが悪いあれがダメだったというだけではなく、なぜそうしたことが起こっているのかを明確にし、解決していくことが大切です。

そのきっかけを造ることができることを期待してこのタイトルがあり、主として医療関係者に記事を書いているのです。

ある意味傲慢かもしれませんが、まだまだ病院は変わることができる、と私は感じます。
明らかにマネジメントの仕組みができていない病院が沢山あるからです。

コミュニケーションを徹底的にとった上で、医師やスタッフの能力を引き出し、活度を高め、仕組みを見直し日々の実施事項を管理し、適切に評価した結果、適切に処遇を行い、不足するところは教育し成果をあげていく。

仕事の仕組みの見直しと、個人の技術技能の向上を行うことで医療の質を高め、地域住民にとってなくてはならない病院になることがてきれば、必ず、医療を継続し地域貢献できると考えています。

よい病院よくない病院の見分け方。
私は毎日病院に入り、トップの方々やスタッフの方々が、成果をあげていくときに少しでも役にたてるよう仕事をして、生きていきたいたと考えています。

開く コメント(0)

イメージ 1


病院において説遇を考えるときに、もっとも必要なことは患者さんへの思いです。

しかし、思いだけで接遇が完成するわけではありません。そこには、接し方の技術が必要です。態度や言葉遣い、姿勢や対応などは、技術の一部です。今の接遇研修はそこを狙って行われます。

さらに職員が担当している仕事の適切性や速さ、正確性が求められることはいうまでもありません。医療の目的の一つを、患者さんやご家族に早く楽になってもらうことだとすれば、それを達成するための対応(接遇)は、医療全体で捉える必要があります。

そこでは、日常の業務における、それぞれの職員の技術や技能がもっとも問われます。

▽羞恥心を与えない
▽恐怖心を与えない
▽痛みを与えない
▽納得してもらう
▽不快な思いをさせない
▽不便を与えない
▽不利益を与えない
という7つのテーマが与えられます。

それぞれのテーマに対してどのような行動が問われのか、どのようなテーマを持って接遇を行えばよいのかを、一つひとつの行為レベルで明らかにしていきます。

「素敵な笑顔の看護師さんの、注射が下手でいたかった。何とかして下さい」

という投書から明らかなように、従来行われてきた笑顔、挨拶、礼節の接遇教育だけでは足りないことが明らかです。医療、看護、医療周辺業務の質的向上が求められます。

仕事ができる人は、周りが見える、先が見通せる、全体が分かるので、余裕ができます。余裕ができれば相手を思いやることができる。
医療に対する強い思いを持っていれば、自然に笑顔で患者さんに接し、適切な対応ができるという帰結です。

従来の接遇研修を否定するものではありませんが、それだけではなく前述した7つのテーマを一つひとつのクリヤーできるよう、マニュアルや業務改革を以て、病院全体での活動を通じて、手を打っていかなければなりません。

医療における本当の意味での接遇をよく考えて見る必要がありそうです。

開く コメント(0)

仕事のこなし方

イメージ 1

私たちは、一度にたくさんの仕事をこなさなければならないことがあります。

そのときに、ただ漫然と仕事をすると、すべてをこなしきれないことになりますし、新たな仕事をさらに追加するなどということは、論外になります。

結局のところは、いつも忙しく、そしていつも追われる仕事を続けなければならなくなります。どこかに満足できない思いを引きずりながら、仕事を続けなければならなくなるのです、

もっとこれをとか、さらによい仕事をといったことができなくなることはいうまでもありません。仕事を整理し、効率的にこなしていくための手法を導入する必要があります。

▽一つひとつの仕事の期日を明確にする
▽一つひとつの重要性を判定する
▽一つひとつの必要な時間を決める
▽優先順位を決める
▽達成率の許容範囲を決める
▽飛び込み仕事の余裕を一つの仕事として捉える
▽仕事の手順や段取りを明確にしておく
▽他人に振れるものは振る
▽毎日結果をコントロールし、問題があれば瞬時に修正する
といったことに、留意して仕事をしていくことになります。

なお、もう一つ重要なポイントとして、期日を短めに設定することが大切です。

すなわち、ある仕事の期日が3日後であるとして、2日後に目標期日を決め、その日にターゲットを決めて仕事を進めていくことが、その内容です。

この遣り方をとると何事も早く終わり、余裕ができるしまた、時間があれば少し物足りない部分を追加して行ったり修正することができるようになります。

なお、上記の手法の具体的な説明は別途行わせて頂きます。

開く コメント(0)

走り続けること

 もう既に今年は6月を明日で終わり、平成25年の後半の時期を迎えます
 
 何とかしようと焦りながら抗い、闘いながら時間が過ぎていく。振り返ると思った通りの成果があがっていないいことに愕然とします。
 そうであっても、私たちは歩みを止めることはできません。
 
 後悔しながらも、なんとか次に進もうとすることだけは続けていかなければならないのです。

 私たちがほぼ毎日病院や診療所におじゃましていると、いろいろなことが起こります。すべての活動が円滑にいくわけではありません。嫌なことも理不尽なことも、そして明らかに誤解に基づく判断をされることもあります。
 ただ、私たちはどのようなことになろうと、筋を通します。反省すべきところがああればもちろん反省します。
襟を正さなければならないこともあります。
 
 しかし、媚びたりおもねるなど、曲がったことはしたくありません。例え嫌に思われても、真実を求め続け信念をもって走り続けていければよいと思っています。
 いずれにしても、病院職員が働きやすい、質が高い、そして帰結として地域医療に貢献できる病院が数多く存在することが必要であり、そのための支援が微力ながらもできれば嬉しく思います。
 
 

 



 
 
 
 

開く コメント(0)

利他の実現のために

 徹底的に、他人に優しくしようとすると、周りに気を遣いすぎる可能性が高くなります。あれこれ相手の気持ちを考えたり、あのときにこうすればよかったと悩むことがあります。自分の意思を凌駕することもあり得ます。
 自分なくして、他のために行動できるのかという思いが生まれます。
 
 逆に、他人のことを考えずに、自分勝手にふるまえば誰もついてこないし、たぶん一人ぼっちの人生を送るはめになります。

どちらもあまり楽しい生き方とはいえません。とりわけ後者の態度を貫いた人間は、最期を迎えるときにとても悲しい思いをしなければならないのではないかと思います。
 
 利他は自分の身を挺して他人の利益に尽くす。利己は社会や他人のことを考えず、自分の利益や快楽だけを追求することを言います。

何をもってどのようにすれば自分も満足し、しかし他を利することができるのか。
満足する人生を過ごすために、極端な利他でも利己でもない、人として社会人としてあるべき生き方をするためにはどうするのかを考えます。
まず、他者のことを考え、そのうえで、自分の利益をそのまま考えるというのは論理的に難しい。相手の利益と自分の利益が相反することが多いからです。

両者を同時に達成するための方法を考えなければなりません。
 
 
(1)自分が成し遂げたいことをもっているか。
(2)そしてそれをいつまでに達成しなければならないのか。
(3)達成することで他人にとり何がよいことで役立つのか、何が自分にとってよいことなのかを考えます。
(4)分析を行い、使える自己資源を明確にする。誰にもわかるように自分の時間は24時間しかないからです。
その時間をどのように使えるのかを検討します。
 
 結果として自分が価値のある何かを成し遂げればそれは他者のためになる。利他でもない利己でもなく、自分が成し遂げなければならない使命を感じ、その達成に邁進することで他を利する。そのためにはどのように自分の時間を使うのか、というなかでの行動を企図することが必要です。

あれもこれもではなく、一本筋を通し、他人のためになることを人生の軸において行動することが必要です。
 
 そんな仕事や活動をすることが、満足できる社会生活や人生を過ごせる唯一の問題解決方法だと考えます。
 自分の軸さえしっかりしていれば、それに集中するし、そのプロセスで人との関係、接点をもち、どのように活動していけばよいのかも見えてきます。

他に気になることがあっても、まず自分はこれに力をいれる。したがって360度的に他人のためになることを自分の義務のように考え行動しなくとも、後ろめたさを感じることがなくなります。
 
 もちろん、医療や介護を生業としている人々は、目の前にいる患者さんや利用者さんのために自らの知識や経験、組織の力、医療や介護のキャパシティすべてを総動員して仕事をしていく必要があります。

上記の議論は、そうした行為をせずとも、自分の思うことのみをすれば免責されるということではありません。
 
 日々利他の行為のみを追求することは控えても、最終的に自分が使命を果せる何かを達成することに力を入れることが必要、という文脈で話を進めています。
 自己犠牲ということばありますし、滅私奉公という単語もあります。これらは自分を犠牲にて社会や組織の役にたとうということ、あるいは自分はそう思っていなくても、社会や組織からそう強いられるという意味合いをもって言われる言葉であったりもします。
 
 ここで話しているのは、まずしっかりとした軸を自分のなかにつくりあげる。その達成のために日々行うべきことを行う。
その軸を忘れず懸命に活動することで、周りをけん引し、結果として周りにいる皆が利される、すなわち平易にいえば幸せになるといった活動をしなければならない、ということです。
 
 自己犠牲や滅私奉公のような、どちらかというと主体的ではないものではなく、たとえ自分の何かを犠牲にして、何かを成し遂げようとしていたとしていも、自分の満足を得ながら他のためになる活動ができているということの喜びをどこかで感じながら生きる。

それは自己犠牲、滅私奉公のようなネガティブなものではなく、適切な言葉が思い浮かびませんが、「社会貢献のための価値創造」といったポジティブななかでの自分の生き方そのものであると認識すべきものだと考えています。
 
 回りくどい言い方をしましたが、極端な利他でも利己でもなく、自分が率先して自分の決めた道を求めていくことが人々を利することなんだという納得をすること。
そして、その達成のために努力をすれば、利他のなかで自利を得ることができるという結論になります。

以上は、宗教家でも慈善家でもない私たちの最善の行き方ではないかと思っています。




 
 
 
 
 

開く コメント(0)


.


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事