よい病院、よくない病院の見分け方[石井友二]

地域になくてはならい病院になるために.。そして病院職員が安心して患者さんのために働ける病院となるために

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 忘れてはいけない大震災。こんなところで、また思いを新たにしました。

 東京では見かけませんが、きっと全国どこでも展開されている標識なのでしょう。

一般的に、人は何もかも記憶しておくことはできませんが、折りに触れて感じらることができる感性をもっていなければならないと思います。

 もちろん、頭のどこかにいつも忘れてはいけないものをリスト化しておき、常に思い出すことができれば最高です。

 そうした事柄に合わせて自らの行動を設計し、実際にそのように動く。

 学習し、常に進化している人間だと思います。

 私はそこまではいかないものの、少しでも近づいていきたいと思っています。
 

 病院で、どんなマネジメントが最適であるのかについての大きなフレームワークは明確だ。
 
 方向を決め、具体的な計画を立て、一つ一つつぶしていく。常に成果を定量化し、統治体制のなかで、予算と実績の差額を分析しつつ修正する。
 
 プロセスをうまく運営するためには、マニュアルや教育が必要だし、問題発見のためにはリスクマネジメントやパスをうまく使わなければならない。

 これらをつくりあげるプロセスも、改革の一部。プロセスをうまく回していくこと自体がマネジメントでもある。部分での最適化が全体の最適化を導くように、全体を設計することになる。

 医師の支援やコミュニケーション、定量的なデータの提供を行うための指標管理や部部門別原価計算。場合によれば患者別疾病別原価計算の結果も有効だ。

 しかし、病院にはさまざまな歴史や価値観を持った職員がいて、一括りで一定の方向に誘導しようとするには無理がある。

 うまく動けるように支援しなければ同じ方向には進めない。
 かつ何をしなければならないのかについて真摯に訴え続けることが大切だと思う。最近よく考えることだ。人が心から納得し動くようになるためには大変な努力がいる。

 決めたことを徹底する幹部や中間管理職が必要。

 結局は、トップマネジメントの執拗な指導と根気強い行動が有効だ。
 
 情熱と明るさを以てよい医療を行なっていこう、そのためにいつまでに何をしなければならない。できるまでやらなければならないということを言い続けることができるトップマネジメントが求められる所以。

 人は必ず最期を迎える。過去を反芻し、良くやりきった、という自分をたくさんつくれることが人生だ。
 
 今医療を通じて自分をつくりあげていこうと、身を以て示すことができるかどうかが問われている。

 関与させていただく我々も、組織の黒子となってそんな気持ちをもって仕事をすることに喜びを感じられる人になりたいと思っている。

香港からの来客

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 このたびIfuu&Coの設立準備に入りました。

 アジアに展開する事業の全面的支援を国内と香港で行うためです。すでにバス運行事業、店舗ネットシステム、病院管理システム、アジア歯科開業支援のビジネス、そして日本の著名作家の絵画ブローキング事業がスタート準備を始めています。

 香港の九龍チムサツイに近い、ホンハムに本社事務所を設置し、パートナー2名が滞在します。日本側はホワイトボックス銀座本社内に事務所を設け、松田一敬氏がCEOとして、私がパートナーの一人として対応します。

 すでに香港、ベトナム、シンガポール、上海での事業創造が計画されていますが、浮き足立つことなく着実に成果をあげる活動ができたらと考えています。

 先日、香港のパートナーの一人吉松さんが来社し、私の椅子に座り(机の周りはめちゃちらかっています…)満面の笑顔で、松田さんの設立登記申請書のサインを見守っていました。威風堂々から命名したIfuu &Coが前を向き、誇りをもって堂々と、アジアでの事業支援を行えるよう頑張りたいと思います。ご支援よろしくです。





 

有言実行のときはいま

 業務改革について、最近考えます。

(1)限られた時間のなかで、より高い成果をあげるためには、個人の技術技能を向上させることと、仕 事の仕組みを変えていくことが必要

(2)業務改革は、目標をできるだけ達成しやすくすることを目的として業務プロセスを抜本的に再設  計・再構築する(仕事の仕組みを変える)こと・仕事のルール・手順の変更、権限の見直し、管理手法
 の変更、担当組織の変更に表れる。

といったことが定義だったりするのですが、自分は本当にこうしたことに挑戦しているのだろうかと思うのです。結局は毎日の慌ただしさにかまけ、現状を見直すということができていないのではないか。

 何かやろうと決めても、結局は知らず知らずの間に時間が経過し、できずじまいのことがいかに多いことか。やろうとすることが多すぎるという説もありますが、やはり自分が乗り越えることができていない壁があるのだと思います。
 
 そうはいっても、残りの人生は僅かなわけで、時間を惜しみ、闘いを…、と思ってはみますが、一方で社会人としてやプライベートの付き合いもあり、なかなかうまくいかないということが現状です。

 いずれにしても、今年のテーマは語学であったり仕事で決めていることであったり、海外進出であったりするわけですが、なんとかテーマを実行していくための活動を日々行っていくことに注力したいと思います。

 業務改革を推進し、どうじに自らのスキルを高め、またタイムマネジメントを実施し、なんとか成果をあげていければよいと考えています。立場上、人には言うものの、自分で実行できなければ恥ずかしいとも思っていますので、私の周りにいらっしゃるみなさん。どうぞご指導ご鞭撻よろしくお願いいたします…。

 人生とは何か。普遍的なテーマでありながら、一生解答が得られないで考えられなくなるときを迎えるのだと、最近よく考える。

 地球が宇宙のなかに浮遊し、適度な太陽の光をもって恵まれた環境がつくられ、人類が奇跡的に生まれ、文明が発達し、科学が進化し、寿命が延びたと思えば出生率が減り、滅びる運命にある国や伸びていく国がある。

 そもそも宗教思想のコンフリクトから争いが生まれ、無用な戦いが起こり、殺戮も繰り返されている。経済も発展し、衰退し、また何かを乗越えて発展する国もあれば、制約条件のもとで二度と力を発揮できないといわれている国もある。多くの成長と混乱。

 一人ひとりに目をやると、あれほど希望をもって将来を考えたにもかかわらず、うまく生きていけない人もいるし、偶然うまく生きていける人もいる。ある時期諦念をもって思考を停止する人もいるし、なんども挑戦して生きていく者もある。

そして失望と歓喜。さまざまな出来事のなかで悲しみ、笑い、また、寿命を全うせず、あるいは全うして最期を迎え、人は輪廻転生を繰り返す。

 多くのことが起こった有史の過去を振り返り、まだ2000年と少ししか経過していないことに愕然とする。宇宙の歴史、盛衰のなかで明らかに小さな空間と点のような時間。そのなかで私たちは生きている。

 ここはひとつ思いっきり生きてもよいのではないか。なぜならば抗っても、懸命に前に進んでも、結局は芥子粒のような時代のさらにほんの塵のような一瞬でしかないのだから。心に浮かぶ自らの思いは、ときにすべてが筋書きのある台本のなかのほんの一行の、与えられた役割であると認識し、懸命に自分の人生を演じ切ることこそが、人生であるのだという考えに帰着するのである。

 生かされているのであれば、それを真摯に受け止め使命を果たす。これが人生の意味なのではないかと
考えるのである。内心にふつふつと湧き上がるものを心待ちにして、いざその感覚をつかんだのちは、自らの利益を得るということよりも、役割を果たすことに執着して生きていくことが摂理ではないか。

 限られた時間のなかで、欲望を、使命を果たして満足したいという思いに振り向けて、創造し、価値を生み出し、誰かに喜んでもらっているという確信を得ることができるまで闘い続けていかなければならないではないか。自分のなかでは終わりが来ないとしても、最期には必ず満足できる自分を作り続けていくことこそが、最期の自分を次につなげる基礎となる。

 医療介護に携わる方々のバックグラウンドを作り続ける機能をもって、自らの行動をつくりあげていきたいと確認することが、いまできた。







 


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