海南島はどこへやら〜ほぼダイビング日誌

チャイナリスクの荒波に揉まれ続ける半生(反省)なり!

世間一般

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3月11日、まさに震災の当日に自宅で容体が急変して亡くなった義弟の葬儀が終わり、

一区切りです。


彼はずーっと死ぬまでキリギリス人生でした。

日本ではあんまり流行らないカントリーミュージックを死ぬまでやり続けました。

小さなライブハウスで不定期にミニライブをやっていました。


ご両親が民謡の達者な家で、声もなんだかかん高くて甘く、少ないながらも彼のファンもいたようで、

葬儀にはミドルエイジの彼の女性ファンの方がちらほら見受けられました。


祭壇には愛用のギブソンのギターとテンガロンハット、そしてウエスタンブーツ。

読経が終了した後は、人々が帰るまで、カントリーミュージックが流されていました。

娘が3歳の時に一緒に歌った「漕げよマイケル」、「カントリーロード」の録音テープも流されて、

なんだか懐かしいやら、さみしいやら、

でも、葬儀場にカントリーミュージックというのも、なかなかおつなもんでしたよ。

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3月11日、14:30、このダイビングブログにもたびたび登場するダイビングの師匠「後輩くん」と

打ち合わせをしていました。

千駄木の喫茶店の2階。

突然ゆらゆらと横揺れ、ずいぶん長くて、でもそんなに大きくなく、震度4〜5?

自分は北海道の十勝沖地震を経験していて、目の前のグラウンドが亀裂が入って屋根が全部崩れ落ちるの

を経験している地震慣れの人間なので、あんまりびっくりはしませんでした。


後輩くんと、「でもきっと震源地はここじゃないよね」

一応2人ともにダイバークラスのレスキュー以上なので、喫茶店のお客さんに対しても誘導し、

「この建物は崩落する可能性は低いので、あわてて外へ出ないで、ちょっと待機しましょう」


そのうち揺れは収まり、会社へ移動。

会社の中も書類やなんかが崩れたり、その後も余震が続きます。

テレビでは、やはり東北沿岸がすごいことに。


2人で交通機関のチェックと、非常食の確保。

JRはシャッターを締め切って、もはや終日の運転中止を早々と決断したよう。


後輩くんは経理の女性と同じ方面なのでルートをチェック後歩いて帰途にtsきました。

私も連絡できるかぎりの確認を済ませ、歩いて帰宅。

路線バスが並行して運行していましたが、断然歩きのほうが早かったです。

荒川を越えて、2時間弱で自宅に到着しました。


長男は区役所の職員なので、非常事態体制で泊まり込みの業務。


家族は全員無事でしたが、翌日、カミサンの妹の旦那の急死が確認されました。

地震とは関係ないのですが、地震当日、具合が悪いといって帰宅、

夜中まで誰も帰ってこれず、

12日を迎えた深夜、ソファーで息を引き取っているところを発見されました。


なんとも、震災当日にて誰とも連絡がつけられず、

ひどいありさまでした。


まだまだいろんな事柄があるのですが、とても整理できません。

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近頃、ゴスペルに傾倒していて、連日練習にコンサートにと熱心なカミサン。

そのカミサンのゴスペルの師匠が、シャニータさんというブラジル国籍の黒人シンガーです。

シャニータさんの影響もありまして、カミサンにお付き合いして、

渋谷のミニシアターで、「ミステリーオブサンバ」という音楽映画を観てきました。


そもそもJAZZを通してしか知りえなかったブラジル音楽の根源を理解することができて、

面白かったですよ。


それにしても、サンバ音楽の100%が人間の恋模様を歌う歌詞で網羅されていて、ブラジル人の人生で

一番大切なのは恋愛、仕事は2の次、人生を歌ったサンバは人生そのものといったブラジル人の国民性が

良くわかりました。


このたび、1916年オリンピックの開催地に決まったリオデジャネイロ。

どこの都市が決まっても、ブラジル国民の喜びように勝つ国はありません。

こんな人生をかけてお祭り騒ぎをするブラジルの、それもリオデジャネイロに決定して一番良かったかも

しれませんね。

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自分も画を描くことが好きだったので、多くの画家の皆様とおつき合いいたしましたが、中でも一番仲の

良かった、素人の私にとって最高の師匠だったのは、奈良に在住の故嶋田興司さんでした。

嶋田さんとは、中国の各地を何回も一緒にスケッチ旅行に出かけました。

嶋田さんは大変な飲んだくれで(私は完璧な下戸)、常にお酒が入っていないと仕事が出来ないほどのア

ル中でした。

スケッチの時は、腰に地元の強い酒をぶら下げ、スケッチをするよりもどちらかといえばお酒を飲みなが

世間話をすることの方がメインでした。

とくに山が大好きで、中国の安徽省の黄山にはロープーウエイの無いときに2回ほど登り、スケッチをし

ました。このときも、画を描くというよりも、山うどなど採りながら「酒の肴に最高!」などとブラブラ

していただけなんですけれど・・・。

私にも画の描き方などは教えてはくれませんでしたが、彼の仕事を横目で見ながら一緒に歩いているうち

生意気にも、だんだん作風が似てきたものでした。


こんなに大好きな友人だったのに、考えてみれば彼の画は一点も持っていませんし、そういえば写真もあ

ったかな〜?

今度、思い出しながら嶋田さんとのスケッチ行脚の様子を書いてみます。

彼の故郷でもあり、作品も数多く残っている阿蘇の写真を記念に貼り付けておきます。

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難波田龍起さんといえば、日本の抽象画の草分けであり重鎮です。

国立近代美術館に行けば難波田龍起さんの絵画に出会えます。

すでに故人となられましたが、難波田龍起さんとは敦煌スケッチに同行させていただきました。20数年

前より石窟によっては入場が制限されていて大変厳しい仏教遺跡でしたが、敦煌研究院のご協力により、

希望するあらゆる石窟を見させていただき、水分を用いなければスケッチも許されました。

3〜4日通った記憶があります。


難波田龍起さんはこの時、すでに80歳を超えていらっしゃいましたが、サングラスがお似合いで、中国

特有のトラブルに見舞われても、超然といつもニコニコされて何にも気にされる様子もありませんでし

た。とっても可愛らしい(失礼!)方で、スケッチブックは小学生が持つような文房具屋に売っている

ちいさなものにボールペンでちょこちょこと(ひょろひょろと?)描いていらっしゃいました。


しかし、あの抽象の大家が、仏跡のスケッチなんかするのですね・・・。


さすがに難波田画伯のスケッチはいただけませんでしたが、我が家には難波田龍起さん特有の群青色を

モチーフにしたちょうど新聞の全紙の大きさのリトグラフが茶の間に飾られています。

とてもイカシテますよ。


追記:そういえば、難波田龍起さんは高村光太郎のお弟子さんなんですよね。

敦煌から帰って数年後に千駄木の鴎外記念館で小さく催された高村光太郎研究会に参加したら、偶然にも

難波田龍起さんが講師で、そんな話をされていましたっけ。

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