中川翔子がいじめ問題についてコメント……「学校が世界のすべてではないのに」タレントの中川翔子がいじめ問題についてブログで言及。ネット上で話題となっている。
中川は17日、お馴染みのハイテンションな文章を封印し、メディアで度々取り上げられている大津市の中学生自殺問題ついてコメント。「生徒の声を聞かずにいじめはなかっただの遊びだっただの、恥を知ってほしい」「加害児童たちの、遊びのつもりだった、そんなことがまかりとおるなら暴行恐喝など世の中の犯罪も遊びですまされることになる」などと、学校やいじめを行っていたとされる生徒を痛烈に批判し、「命が失われてからじゃ遅すぎる。教師が、学校が、まともな対処をしないと生徒にとっては学校が世界のすべてになってしまうのだから。学校が世界のすべてではないのに」と、いじめに対する適切な対応に願いを込めた。 最後は「死ぬという選択だけはしないでほしい。絶対に、生きる価値がいっぱいいっぱい未来にはある。いじめをする下らないやつの人生よりよっぽど幸せな未来が待っているから」といじめに苦しんでいる人にメッセージをおくり、「隠蔽を許してはいけない。ありのままの真実を。そして命を追い詰めたことの重さを」との重い言葉でブログを結んでいる。 全くの正論です。
しかし野田総理のコメントはまるで他人事のようでした。情けない・・・。
いじめは、いじめる側が100%悪い!
とにかくこの常識を全地域、全家庭、全教育現場で徹底して教え込む以外に問題解決の道はないとい思う。
今だに「いじめられる側にもそれなりの原因があるんじゃない?」と本気で思っている人がいたら、こう叫びたい。
そういうあんたの心が一番の元凶だよ!!
それにしても、しょこたんは素晴らしい。悪に対してきちんと怒りの声を上げられる人は、信用できる。ファンになりそうです(笑)。
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桃香さん、エイジさん、コメントありがとうございます。
学校単位では、いじめ撲滅のために具体的な取り組みをしているところもあると聞いた事があります。
大津市の問題は教育現場での隠蔽体質や事なかれ主義が露呈したところにあると思いますが、桃香さんの言われるとおり、根底にあるのは生命軽視ですね。
また、エイジさんの言われる奇異を笑う文化というのも、問題の本質は世の中のあらゆるエゴや差別感と向き合えていないこと、そしてそれを恥とも思わない日本人の心にあると思います。
私は、一日も早く義務教育のカリキュラムに「哲学」を導入して欲しいと思っています。
哲学を教える事で、知識と知恵の乖離現象を少しでも和らげる事ができると思うからです。知恵というのは、自分で思索する力の事です。
2012/7/19(木) 午後 0:36 [ 水と風 ]
今の日本で最も間違った思想は、「無宗教をかっこいいと思う」となっている事で、その思想が因となって「事なかれ主義」「無関心主義」が横行してしまい、人の痛みに真剣に耳を傾けようとする人が少なくなってしまいました。
とはいえ、「宗教は必要である」という常識を法整備や教育現場で啓蒙する事はできませんので、せめて「哲学」だけは学校で教えるようになって欲しいと思ったのです。
宗教の必要性については、私たちが一人一人と対話していく以外にそれを根付かせる方法はないわけですから、今後の我々の使命という事になりますね。
2012/7/19(木) 午後 0:36 [ 水と風 ]
こんにちは。
桃香さんからコメント頂けるとは思って居ませんでした…^_^;
ありがとうございます。
いわゆる世界宗教ってどれも基本的には人々の幸福を願って居ますよね。
ただ高低浅深は有りますが…
どこで共通項を見つけるかが鍵だと思います。
どこかの団体に所属すると言う事では幸不幸は語れないと思います。
心が何処に有るかの違いでしょう。
幾ら創価に籍が有ったとしても心が違って居れば違った道を歩みます。
その逆も有りだと思います。
もう見無くなって久しいTVのバラエティ番組ですが
なぜかTVからは笑い声が聞こえてきます。
ここで笑う立場に成りなさい的な誘導の様な気がします。
そういう場面に限って奇異を笑って居るので逆に悲しく成る事も有ります。
2012/7/19(木) 午後 2:14 [ eijitypeR(^^♪ ]
英雄は弱きを助けるのが英雄でしょう。
寄らば大樹の陰の様な人間には出来っこない事だと思います。
「無宗教」は「自分宗教」の信者だと思いますね。
普通に考えると理念とか思想とかこう有るべきとか皆無でしょう。
結局エゴなんですよね…
より人間らしく生きる術は自分宗教では達成できないでしょうね。
ちょっとぼーっとしながら書いているので変な文章ですみません…^_^;
2012/7/19(木) 午後 2:22 [ eijitypeR(^^♪ ]
水と風さん こんばんは
学校の外では「暴行」「恐喝」「人権侵害」「殺人未遂」
も
学校の中では「いじめ」で片付けられてしまいますね
漢字で書けば「苛め・虐め」
これらは教育の汚点でも失敗でもなく
成果だと思います。
大人の世界でも職場の中で
いわゆる「できない」と言われたりする生産性の低い人を
自己責任の名のもとに無能の烙印を押して排除してしまう・・・
こういう事が常態化した社会ですから
大津の教委もその烙印から逃れたいという心理が働いているのかもしれません
ちなみに大津は学校選択制です。
あるテレビ局のバラエティニュースで
いじめがあった小学校の生徒のインタビューで
「いじめられてる奴も、いじられるようなことをしてたから悪い」
と答えていて、インタビューしていた大人は深くうなずいていました。
「バッシング」も「いじめ」と気付かねばいけませんね。
子供はこの社会の大人から学んでいるんだと思います。
私たちも指導者や仏のことを上から民衆を憐れみたまうような存在にしてしまってないか
青年との会話でよく確認しあうことなんです
2012/7/20(金) 午前 1:57
エイジさん、「自分宗教」ということは、配慮範囲が最も狭い人という事になりますね。利己主義、個人主義の人が増えているのも、そこに理由がありそうです。
2012/7/21(土) 午後 2:23 [ 水と風 ]
春光さん、バッシングもいじめというコメント読んで、思い当たる事がたくさんありました。それほど罪悪感なく自分もやっていたりする事もありますので、今後は反省したいと思います。
また、お笑い番組等で日常的に見られる「いじり」とか「いじりたおす」という行為も、いじられる側の受け入れ準備があって初めて笑いとして成立するものですが、これすらも細かい機微がまだ理解できない子供たちには「誰をからかっても良い」という間違った解釈をさせてしまうかもしれませんね。
とはいえ、そんな事を考えてたら、「あれもこれも子供には悪影響」となってしまい、きりがない。
結局のところ一番大事なのは、「心を育てる人間教育」これしか救いの道はないのだとつくづく思います。
2012/7/21(土) 午後 2:31 [ 水と風 ]
こんにちは。
大聖人の仏法は頂点です。
でも狭小な頂点では無くって全てを包括する仏法だと思います。
基底であり根幹です。
私達は釈尊とか阿弥陀仏とかそう言った「結果」を拝して居ませんよね。
「妙法」と言う「因」を拝して居ます。
だから成仏が可能なのですよね。
「結果」を拝してもどうやってその「結果」を得たのか解らない。
「原因」を拝しているからその「結果」を得られる。
料理で言えば御馳走は食べれますが再度食べようと思っても食べれない。
レシピを知って居れば何度でもその御馳走は食べれるのと一緒だと思います。
ちょっと「いじめ」から逸脱して居るかも知れませんが…^_^;
最大の防衛は「相手にしない事」だと思います。
変に過剰反応してしまうから面白がっていじめに通じて居るのだと思いますね。
そこが「奇異を笑う文化」だと思います。
たとえいじめられても「それがどーした!」
ぐらいの肝が据わった態度だといじめても来ないでしょうね。
2012/7/21(土) 午後 3:07 [ eijitypeR(^^♪ ]
私の友達の「空手家」が居ますがそれだけでも十分にいじめを受けないのでしょうが
チャラいヤンキーに絡まれて殴りかかったり蹴りを貰っても
全部手で受けて払って防御して「まだやるか!」と吐くと
怯えて逃げて行ったそうです。
自己の練磨も有る程度必要なのかな。とも思いました。
大聖人で言う所の「忍辱の鎧」ってところでしょうか。
大抵いじめる人間は餓鬼、畜生、修羅界の人でしょうからね…^_^;
2012/7/21(土) 午後 3:13 [ eijitypeR(^^♪ ]
エイジさんの言われるのは、いじめに対する自衛という考え方ですね。私も、体と心を鍛えれば絶対にいじめなんかに負けない子供になると思います。
ただ、いじめの問題がいつまでも社会問題から消えない一つの理由として、「いじめる側が100%悪い」という大前提からの話し合いをしてないからだと思うんです。
例えばテレビの中高生を交えた討論番組や専門家の弁や各種メディアのニュース・・・どれを見ても、そういう前提からの議論になっていません。「いじめる側が100%悪い」この原則を鉄板として定着させて初めて色々な意見が生きてくると思います。
2012/7/21(土) 午後 11:26 [ 水と風 ]
2012/7/21(土) 午後 8:22 の内緒さん、コメントありがとうございます。
その芸人さんは私も好きです。
「いじめる奴より自殺する方がもっと悪い」
との意見ですが
確かに自殺は絶対悪であり、いついかなる状況であっても肯定できるものではありません。
それでも私には、その意見に全面賛同はできません。
「いじめる人間」と「いじめが原因で自殺してしまった人間」を比較した場合に限り、悪いのはいじめた人間だと断言したいと思います。
「自殺する方がもっと悪い」
これは、あくまでも自殺を考えている人を思いとどまらせ、激励するために用いる言葉であり、実際にいじめが原因で自殺した子を持つ親御さんの心境を考えたら、公共の電波を使ってその言葉は決して適切ではないような気がします。
2012/7/21(土) 午後 11:59 [ 水と風 ]
ここで考えて欲しいのは、もしも自殺してしまった子に「いじめは、いじめる側が100%悪い」という常識が根付いていたら、はたして自殺という選択をしたのでしょうか?
自分の過失は0で、いじめる側が100%悪いなら、絶対に耐え抜いて見返してやりたいと思うでしょう。
ところが自殺する子のほとんどは、多かれ少なかれ、「自分にも原因がある」「自分が悪い」「自分は世の中でいらない人間だ」と考えているものです。心が追い詰められ、すべてに自信がなくなってしまうんです。
いじめられる子は、毎日毎日机にバカとかカスとか落書きされ、下駄箱の靴を捨てられ、ノートに「死ね」と書かれ、無視され、殴られ、耳元で「お前なんかいらないんだよ」とか言われ続ける地獄のような日々を送っているんです。
そんな時に、誰も味方になってくれなかったら、普通の精神状態は保てません。
自殺しようとしている子供にとって一番必要なのは「お前は一つも悪くない」と声をかけ、寄り添ってあげることです。その子のすべてを受け止めてあげることです。
2012/7/22(日) 午前 0:00 [ 水と風 ]
確かに自殺は悪いです。
しょこたんが「自殺という選択だけはしないで」と呼びかけたのは、今、いじめで苦しんでいる子に向けた励ましの言葉ですが、「いじめる奴より自殺する方が悪い」という言葉になると、既に自殺してしまった子を責める言葉にしか聞こえなくなってしまいます。
その芸人さんがどういう状況でその言葉を発したのか、前後の会話を知らないので一概には言えませんが、「何を大前提にするか」を忘れてしまったら、どんな正論でも非常に冷たい言葉に聞こえてしまうものですね。
2012/7/22(日) 午前 0:00 [ 水と風 ]
こんんちは。
前の前のコメントの様な事を言われていたのは小学生、中学生の頃
私は日常茶飯事でした。
「宗教かぶれ」「白人」「新米(転校生なので)」
「ET(イニシャルがそうなので)」「ノートに死ね」「画鋲」
コーヒーの空き缶に尿を入れられて飲まされたり
友達のお母さんに「創価学会の子と遊ばない事!」
って言われて居たのを目撃したり…
石や砂を投げつけられたり棒で叩かれたり
数え上げたらきりが無いですね…
自分も良く耐えたと思います。
でもそんな事気にせず一人で進みました。
いつの間にかそう言う誠実な行動をする様に成って何時の間にか
そう言ったいじめは無くなり彼等の意識を変革させました。
創価の祈りと行動で自分を護ったのかなと思います。
100%悪いとまでは思いませんが(先生はそう言って居ますが…)
子供と言うモノは一度始めた事がエスカレートして過激に変わって行く
と言うのは極ありきたりな事だと思います…
子供の心自体が「四悪趣」なのですから…
2012/7/22(日) 午後 4:50 [ eijitypeR(^^♪ ]
私の前歯は義歯です。
いじめっこから階段へ突き落された時に
手すりに前歯が当り折れました。
化膿して顔が腫れ上がっり押さえると異臭を放つガスが出て来ました。
毎日が戦いだった義務教育期間だったですね…
2012/7/22(日) 午後 4:55 [ eijitypeR(^^♪ ]
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桃香苺ミルクo(^-^)o
よろしくお願いします。
2012/7/26(木) 午後 4:40
ゆっくりネットをする時間が取れず、返信が大変遅れてしまい、申し訳ありません。
2012/7/22(日) 午前 5:42の内緒さんへ。
前回の内緒コメントの私の返信に対するコメントをありがとうございます。
その芸人さんは「いじめる奴が絶対的に悪いに決まっている。でも、どんな事があっても自殺だけはするな」と言いたかったのだと理解できました。
「自殺するしかない」と思っている人と、どう向き合い、どう励まして生きる価値を見出させていくのか、創価学会の励まし運動というのがどれほど尊い価値があるのか思い知らされますね。
また、いじめる人間は「生命軽視」という病根を持っているようなものですから、それをどう気付かせてケアしてやるかも非常に大事だと思います。
私の子供たちはまだ小さいので、今のところそういう心配はありませんが、大きくなっていくにつれて悩みも複雑になっていくでしょうから、常に心の変化にアンテナを張っていきたいなと思いました。
2012/8/11(土) 午前 7:35 [ 水と風 ]
エイジさん、すさまじいイジメ体験ですね。
私の身近でもそこまで壮絶なイジメを耐え抜いて来た人は知りません。
だからこそ、誰よりも人の痛みが分かるようになり、今は皆から慕われるコンビニのオーナーになれたという事なんですね。
池田先生が「いじめる側が100%悪い」と断言されたのは、悪に対する曖昧な態度を断つためだと拝されます。
もちろん、いじめる人間の人格を否定する目的ではなく、あくまでも「いじめ」という行為を恥と思わない人間の「心」に対しての警鐘だと思いますので、いじめ問題を語る時の態度は徹して「いじめる側が100%悪い」と言うべきであり、そうしなければいつまでもいじめ問題への解決の道は得られないのだと思います。
壮絶ないじめを経験されたエイジさんが「いじめる側が100%悪いとまでは思わない」と言われるのは、ある面では自分には一切非がなかったと言い切る事への遠慮というか、謙虚さの表れだと理解できますけどね^
2012/8/11(土) 午前 8:04 [ 水と風 ]
男子部の後輩の一人に、中高生時代にいじめを受けていた人間がいるのですが、その後輩は、池田先生が「いじめは、いじめる人間が100%悪い」と希望対話に書かれてあった事をある意味では曲解してしまいました。
「そうか、いじめられた俺は何一つ悪くないのか、あいつらが全部悪いのか」として、「いじめられていた過去を将来自分が強くなって何物にも心が負けない強い人間になるための因に変えていこう」という決意をすることも自分を変える努力をする事もなく、開き直って今なお卑屈で中途半端な人生を過ごしています。
こういう後輩を見るとさすがに師匠への侮蔑に見えてしまうので、「お前も悪い」と言ってやりたくなりますけどね(^^;
2012/8/11(土) 午前 8:05 [ 水と風 ]
桃香さん、トラックバックありがとうございます。
桃香さんの記事も非常に卓見でわかりやすかったです。
2012/8/11(土) 午前 8:08 [ 水と風 ]