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昨日は新潟市の施設で開催されました。
映像ホールです。
設備が充実し、なかなかですので会場の確保が半年前に予約しての確保です。
新潟の代表的な「堀割」だった「西堀」の再生プランの提案シンポです。
堀は昭和38年までに全て埋め立てられ今は通りの名称や町名にその名残を残すだけです。
西堀の中心部は花柳界で賑わい庶民の人たちの羨望の場所だったようです。
その繁華街の道路に昔のように堀割や水辺空間を再生し街の歴史を甦ればと活動をしている
NPO法人と新潟市が主催して開催されました。
ゲストは地元の道路に水辺空間を取り入れる活動をしている団体と
「NPO法人東京京橋川再生を考える会」でした。
相互の活動と経緯などを発表しそれぞれの活動に役立てようと言う主旨です。
150人定員に約100名ですから盛況とはいえませんが参加者の方はそれなりに関心が高い方なので
会場との質疑応答では質問の内容が濃くまた的確な指摘もありで充実しました。
新潟の当時の堀の様子や現在の様子は別途に掲載します。
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新潟堀割再生
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新潟は湊町です。
江戸時代から川湊として繁栄していました。
信濃川と阿賀野川が一緒になり河口で大きな湊ができていました。
北前船の寄港地で越後平野の米を搬出していた重要な役割がありました。
北前船に積み込むのに艀を使いましたから町は堀が発達しました。
水運も大量輸送の手段として信濃川や阿賀野川には川舟が栄えていました。
輸送手段が車に移行するのに従って
町中の堀は迷惑なものとなってきました。
さらに追い討ちをかけたのが市内の地盤沈下です。
水溶性の天然ガスを自由に掘削し利用する家庭が多くなったことが原因です。
堀は或る所では川の水面よりも低くなり雨が降ると水溜りとなり、
普段でも排水が出来ませんから溜まった水が腐り悪臭を放ちました。
昭和39年に新潟国体が開催されるとき最後の堀も道路になりました。
堀の存続の議論は多少あったようですが大勢に押されたようです。
市内に「・・・堀」とか「・・・堀通り」とか堀の名残を残しています。
そんな新潟でしたが
街の魅力、活性化、水辺空間・・・新潟の都市力を高めるため、何よりも新潟らしさを高める
機運が高まり再生、再現を考え実践するNPOが活動をはじめました。
活動の紹介と堀の歴史、それに纏わる事を紹介します。
一回目はNPOと新潟市が共催するシンポの紹介です。
今回は
街の中心市街地に新しいタイプの水辺空間を考えるシンポです。
ゲストは東京 「京橋川再生の会」です。
堀割再生や水辺空間に係るものを此れから順次UPします。
時折 ご覧下さい。
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