洛中の攘夷派の暴走はなおも進行をゆるめず、三月四日将軍家茂の入京とともに最高潮に達した。 かれらは企画した。帝に洛南の石清水八幡宮に行幸してもらい、攘夷の宣言と祈願をすることであった。 文久三年四月十一日、午前六時、鳳輦は御所堺町御門を出発した。 行列の人数は一万余、関白以下の公卿・官人、武家は慶喜以下の諸大名が供奉した。 将軍と尾張候徳川慶勝は発熱のため不参である。慶喜はその名代であった。 行列は鳥羽街道を経て淀大橋を通り、午後八時すぎ石清水の山麓に達した。 帝は山麓の豊蔵坊で一泊された。 慶喜もその付近の一坊に入り、衣冠束帯を解き、横になった。 (司馬遼太郎「最後の将軍」より抜粋) 攘夷を公然と宣言することを恐れた将軍名代の慶喜は、その夜出奔した・・・。 黒船来航以来、不平等条約を結んだ徳川幕府に対し、外国の圧力に屈するな!と、いう世論が しだいに大きくなっていく。こういう背景のなかで攘夷(外国を追い払うこと)派が 政治的に力を持つようになり、それが、将軍に攘夷を天皇の前で約束させようという動きになり、 ついに、彼らの画策により将軍が京都に行かざるをえない状況になってしまう。 将軍が入洛したのは三代将軍家光以来229年ぶり。 そして、将軍家茂は「5月15日」を攘夷する期限と約束させられてしまう。 幕末における石清水八幡宮は、天皇と朝廷が将軍よりも政治的に強くなってきたことを象徴するところ であり、全国にそれを誇示するため政治的に利用されたところであった。 小説「蘆刈」に男山が描かれていることに由来。 1879年にトーマス・エジソンが炭素白熱電球を発明。 そしてこの石清水八幡宮境内に生えている竹が電球のフィラメントの材料として最も適していることを知り、 電球発明の翌年から十数年もの永い間この竹を使ってたくさんの炭素電球を造ったそうです。 京阪八幡駅前のモニュメント。 なぜ竹なのか?謎が解けたのである。 場所:八幡市八幡高坊(場所)
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